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その分分かりやすいけれども水戸黄門が激怒した江戸城内の刃傷沙汰原因は将軍の嫉妬?〈dot.〉忠臣蔵と言えば赤穂浪士が雪中を凱旋行進する映画などのイメージから冬の風物詩とも言えるが、きっかけとなった江戸城松の廊下の刃傷沙汰は3月に起きたものだ。ただ、このような刃傷沙汰は浅野内匠頭が起こしたも...dot.asahi.com今の時代にゃ義士は成り立たないけれどここまで知るのは歴史愛好家だねぇ
7月の晴天の土曜日ですが江戸城の歴史ウォーキングに参加する機会を得ました。仕事場は近いのですがあまりに敷地が広大なせいかきちんとした歴史解説を聞いたことがなかったので、この機会に勉強したいと思って参加しました。結果はたいへん有意義で為になりました。まずは東京駅から皇居を目指します。まだ梅雨が明けていない関東地方ですが雨は降りそうになくとりあえずホッとしました。東京駅から皇居を目指して行幸通りを進み濠を渡るとまずは石垣のバリエーションに目を奪われます。濠に面した側の石垣は打込接で隙間も多く雑
7/17新BS日本のうた三山ひろしさん♪望郷山河ネオン川船頭小唄著変歌謡浪曲♪あゝ松の廊下テレビから映像をお借りしました。
梅雨本番を迎え、熱海では大規模な地滑りの映像が放映されて胸が痛みます。そんな蒸し暑くなり夏やのに何で忠臣蔵なんよという声が別に聞こえて来ませんが.....諸田玲子氏の「四十八人目の忠臣」を読みましたお馴染みの忠臣蔵を女性の立場からみた秀逸な作品で登場人物が多いので名前が覚えられへんで戻っては確かめたりと少々手間取りました。でも何で松の廊下の刃傷沙汰が起こったのか?は分かりません。
最近では『忠臣蔵』をご存じない方も増えてきたというそうですが、私は子供のころから討ち入りの時期になると萬屋錦之助が演じる大石内蔵助を見てました……。ですが、私は実はこの『忠臣蔵』ってどうも苦手でございます。えー、天皇の勅使の饗応役をしてるのに、そんな時に御家取り潰すような行動をとる藩主って、なに?そんな私の疑問に答え、尚且つ、納得させていただくことができた一冊です。『あの日、松の廊下で』白蔵盈太著まず、私の個人的な赤穂事件に関する気持ちとは全く別として
今回は、みんな大好き忠臣蔵の話である。やはり内蔵助は幕府に殴り込みに行くのが筋であると思うのである。裁いたのは他ならぬ幕府なのだから。大石側としては、『吉良には一切お咎めなし、赤穂側は浅野即日切腹、お家断絶』の“世にも理不尽”な幕府の裁きに対して吉良の首をとるという形で抗議したかったのだろう。しかしやり口としては常軌を逸しすぎている。四十七士の討ち入りの顛末があまりにも“鮮やか”で、人形浄瑠璃、歌舞伎、ドラマと非常にドラマ化しやすく、当時の武士の“暗黙の了解の因果応報の世界”がこの上ない美学
5月27日木曜日~その13(写真)LP盤『大忠臣蔵=松の廊下=/実説河内十人斬』鉄砲光三郎(S46年6月ミノルフオンレコード)に針を落としました。移籍後の三枚共に光三郎師匠の声は絶好調。A面は擬似ライブ版。編集で拍手を被せていますが、そんな事をしなくても拍手をしたくなるくらいの熱演。両面ともに、太鼓鉄砲光子師匠と三味線小野忠雄先生の嬉しい顔合わせ。ピアノ今西健太郎さんも優しい旋律。和田香苗さんの激しい鍵盤の音も聴きたいですが…。
ブログを書くために勉強をしていると、自分が歴史に疎かった理由がぼんやり見えてくる。例えば、昨日のブログで取り上げた五代将軍・綱吉のネタの一つ・・・綱吉の母・桂昌院は三代将軍家光の側室である。桂昌院は、元禄15年(1702)に女性として最高の官位「従一位」を賜っている。それまでに将軍の生母でその官位を授位されたのは、、崇源院(信長の姪、お江の方)だけ。崇源院はいかにも豪華な血筋だが、桂昌院はというと、側室お万の方の部屋子(召使い
5/3歌謡プレミアム②三山ひろし長編歌謡浪曲♪あゝ松の廊下テレビから映像をお借りしました。感動しました。有難うございました。おわり
ちょうどBS日テレ「歌謡プレミアム」を視聴していたら三山ひろしさんが三波春夫さんの大ヒット曲「長編歌謡浪曲あ、松の廊下」を歌ってたのが流れてました。あの長編の台詞回しあの立ち振る舞いほんとに三山さんカッコよかったです。
本日は旧暦3月14日ですが、元禄十四年三月十四日(1701年)に起きた有名な事件が、浅野内匠頭の殿中での刃傷事件です。皇居の東御苑は、江戸城の本丸跡でもありますが、ここに行くと広場になっている本丸跡に松の廊下の場所が示されています。この松の廊下で刃傷事件は起きたのです。江戸時代、城内での刃傷事件は何度か起きていますが、この刃傷事件が一番有名なのは、後にこれが赤穂浪士の討ち入りへと発展したからでしょう。この時、切り付けられながら生き延びた吉良上野介の屋敷に、お取り潰しになった赤穂浅野家
あの日、松の廊下でという本を読んだ。何かの権威のある賞もとった作品らしく、文庫化されて平積みになっていたので、手にとってみた。とても面白かった。普通、松の廊下のお話は、忠臣蔵で、仇討ちの動機として重要な見せ場ではあるけれど、物語の前半に刃傷事件の場面そのものを中心に描かれていることが多いはずだ。一方でこのお話は、何ヶ月も前からの勅使を迎え入れる儀式の準備期間を通じて、事件に至る経緯を中心に描かれる。一般的な忠臣蔵では、吉良上野介のイビリと、ひたすら耐える真面目な浅野内匠頭という構図で描か
…ハラハラと…睫毛に憩う…桜かな…(ミナト)美しい桜色の絨毯を眺め乍ら…季節の移ろいに姿を変えてゆく卯月が愛おしく…散る花の儚さが沁々…胸を過ります…☆桜花咲き初めた頃…新歌舞伎座での【三山ひろしコンサート2021】が感動の千穐楽を迎え…【ひとり忠臣蔵】の長きに渡る演目を圧巻の演技で見事な大団円を迎えた…三山ひろしくん!其の素晴らしい☆紋付き袴姿は…日本男子が纏う伝統美と品格そのもの!【ひとり忠臣蔵】の銀の紋付き同じく暈しが入った濃い銀の市松文様の袴…其の姿は一段と舞台に
元禄14年3月14日(新暦1701年4月21日)、赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城本丸御殿松の廊下で吉良上野介義央に刃傷に及びました。赤穂事件の発端です。浅野は勅使饗応役、吉良はその指導役でした。5代将軍綱吉は、勅使滞在中の事件に激怒し、浅野長矩を即日切腹させ、赤穂藩5万石を改易しました。吉良上野介には何の咎めもありませんでした。当時は、喧嘩両成敗が常識と思われていました。それに反する綱吉の裁定が、のちに赤穂浪士による吉良邸討ち入りに繋がります。私は、生類憐れみの令などをみても、綱吉
3月13日土曜日~その17(写真)続いて聴いたのは、浪曲LP盤『殿中松の廊下』宮川左近ショー(ローオンレコード)です。(写真)カセットテープ版。(写真)これは、八尾市本町に存在したリクエストタイムの東野正行さんに頂いた私家版CD。
喧嘩両成敗の定法に則って処罰するべきだったところ、吉良上野介はお咎めなしでした。浅野内匠頭だけが即日切腹となり、赤穂藩は改易となりました。幕府はなぜ、浅野だけを処罰したのでしょうか。元禄三年(1690)に書かれたとされる『土芥冦讎記(どかいこうしゅうき)』にヒントがあります。元禄三年当時の諸大名二四三人の性格や行跡を詳細に報告したものらしく、幕府の隠密が収集してきた調査内容をもとに編纂されたといわれます。むろん、将軍綱吉も読んでいたはずです。そこ
吉良上野介が諸人並居る前で吹聴した内容は、浅野内匠頭の武士道が成り立たなくなるような話だったというのです。具体的な悪口の内容までは伝わっていませんが、武士道をけなすというのはよほどの悪口です。殿中であるとはいえ、浅野がそれを許していたら、それこそ武士の名折れとしてのちのち、彼が世間の批判にさらされます。あくまで浪士側の情報ですが、これが事実なら、悪口という形で喧嘩を売ったのは吉良上野介だということになります。一方の浅野内匠頭は、その暴言を許せず、激昂して吉良に斬
吉良上野介からの伝言があると聞き、殿中で彼の姿を探していた与惣兵衛は、白書院のほうで吉良をみつけます。与惣兵衛は近くにいた小坊主に彼を呼びに行かせます。二人が歩み寄り、松の廊下で話しはじめたときでした。吉良の後ろから「この間の遺恨覚えたるか!」という怒声とともに誰かが斬りかかってきたというのです。その「誰か」が浅野内匠頭でした。重要なシーンですので、与惣兵衛の記録『梶川氏筆記』を次に挙げておきましょう。「(誰かが)この間の遺恨覚えたるかと声をかけ
朝廷よりの答礼の使者を接待する勅使饗応役が赤穂藩主の浅野内匠頭、院使饗応役が伊予吉田藩主の伊達宗春でした。二人は饗応に際して吉良上野介から指南を受ける立場でもあります。こうして、その日を迎えます。三月一四日の巳の下刻(午前11時ごろ)、江戸城内の白書院で将軍綱吉が勅使・院使から暇の挨拶を受けていました。ちなみに、松の廊下は、将軍の対面所である白書院と本丸御殿の大広間をつなぐもの。つまり、惨劇の現場(松の廊下)は儀式がおこなわれた白書院のすぐ近く。
赤穂事件、すなわち忠臣蔵の最大の謎は、元禄一四年(1701)三月一四日、勅使饗応役となった浅野内匠頭長矩がなぜ江戸城内松の廊下で、不意に吉良上野介義央へ斬りかかったのか―そのことに尽きるのではないでしょうか。これまでなんどか本ブログでも取り扱った事件ですが、新たな視点を交え、この忠臣蔵最大の謎に迫ってみたいと思います。幕府は毎年正月に朝廷へ使者を遣わして年賀の挨拶を実施し、その答礼として朝廷から天皇の使者(勅使)と上皇(院)の使者(院使)を迎えるというのが慣例でした。元
2/22歌謡プレミアム③三山ひろし♪長編歌謡浪曲「ああ松の廊下」10分を超える超大作!一人ミュージック!熱唱!!演技が凄い!セリフが凄い!ふりは三波美幸先生に教わった。歌唱は三山さんの伸びやかな声!素晴らしい!赤穂藩主・浅野内巧頭長矩の悲劇が始まります。元禄14年3月14日。松の廊下で浅野内巧頭が吉良上野介に。浅野内巧頭が殿中にて遂に刃傷に及ぶ・・・「恐れ入りました・・・」泣くに泣け
日本の心に残るヒット曲…時代を彩る名曲を御届けする【歌謡ブレミアム】演歌に詩吟…歌謡浪曲も更にけん玉も…昨年の紅年白歌合戦でギネス世界記録を達成した…演歌界の☆トップランナー三山ひろしくんがゲストです…2019年9月2日放送の長編歌謡浪曲【元禄名槍譜俵星玄蕃】が大きな反響を頂いた…と馬場典子アナウンサー!【忠臣蔵】に対する日本人の伝統芸能への深い理解と期待の現れでしょうか…☆オープニングは紅白歌合戦で歌唱した【北のおんな町】…北海道を舞台に恋に破れた女性が…さすらう王道演歌…恩師中
12/11「大忠臣蔵」②「松の廊下~刃傷」三山ひろし♪赤穂の妻市川由紀乃さん切々と歌いました。テレビから映像をお借りしました。有難うございました。つづく
12/11「大忠臣蔵の名場面」①名場面「松の廊下」山内恵介・市川由紀乃・三山ひろし12/14忠臣蔵討ち入りの日。「ああ~松の廊下」語り市川由紀乃さん直視役であった浅野内匠頭。上野介から受けた屈辱に殿中松の廊下で刃傷沙汰。浅野家は断絶。身は切腹。吉良上野介三山ひろしさん浅野内匠頭山内惠介さん三山さんは役者ですね!上手い♡二人の演技や所作は素晴らしかったですね。テレビから映像をお借りしまし
12月になると、どうしても聴きたくなる歌。映画、TVドラマ、この作品を観たいのだが、今年はどこもやっていない。コロナでそれどころではないか。泣いてしまうのはなぜだろう・・・。なくなっていく日本人の美学、美徳。それを知っているから余計に涙が出てくるのかもしれない。
勅使下向の春やよい如何に果たさん務めなん身は饗応の大役ぞ頼むは吉良と思えども時に元禄14年3月14日江戸城西の丸松の廊下において浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に切りつける刃傷松の廊下から1年後の元禄15年12月15日の吉良邸討ち入りの季節!そのため創作落語を作っております。演目/吉良はいずこに
cheeseです💕お父さん、お母さんと佐賀にお出かけ😊まずは佐嘉神社にお参りです⛩(佐嘉神社内にある松原神社です💕)二人ともこちらの神社は初めてだったようで「きれいかねー。すごかー✨」「神聖な気持ちになるばい😄」と大喜び💕(よかった😊)献燈のひとつに「大隈重信」という名前を見つけたお母さんは、急に大隈先生について語り出し娘の私は「ぽかーん」としてしまいました💧なぜに大隈萌え???最近、ドラマと
おまえ!うごきわるいぞ!!さてはカロウだな!?過労がたたった家老だが何か?おらおらおらおらーうわ~ん狩られる~💦早く狩ろう💛殿中でござるー!電柱だが何か?また明日ねぇ~人気ブログランキングへお仕事のご依頼はこちらから