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去年の一月に歩いたんですが寒かった後備録としてのっけますさ~藤川宿から歩き始めました電車でここまで来てさ~歩き始めます本陣跡寒いから完全防備のももっち母さんです樹齢1000年!!楠の生命力に感動今日も頑張ってあるこう!と力をもらう赤坂宿を通って御油宿に向かいます高札場今の市とか国からの会報ですね御油にはいまでも見事な街道沿いに松が残っていました昔はもっとすごい松並木が旅人を癒してくれたんでしょうけど
静岡市由比今宿東海道由比宿ひたすら歩いてる東海道因みに、日本橋からスタートしたのは、相当まえのこと踏破するのは難しいですが・・(-_-;)昔の面影が残るお店が見れるのが楽しい。創業文政元年(1818年)手造りの味いちうろこかまぼこ余計なものは使わない無添加手造りのかまぼこ屋さん♪イチオシ!!古いお店です。黒はんぺんフライがあります。たまに見るね。黒はんぺんフライ♪揚げ物好きの発想。1枚100円5枚400円
ここからは東海道歩きに。知多街道から、東海道に合流して150mほどで、右手に大きな木が見えてきました。笠寺の一里塚です。育ちすぎ!笠寺観音近くには、趣がある建屋が何軒か存在します。パシャしながら歩きます。一里塚から400mほど歩きますと笠寺観音に到着します。訪れたのは、節分の翌々日。今年の方角はここ笠寺観音でしたので賑わったでしょう。境内には入らず、適当にパシャ後は、駅に向かいます。
1月29日の東海道歩き「富田~海蔵川」の途中ですが、茂福町の茂福城跡から東海道へ戻る途中でキジトラ猫ちゃんに出逢いました♪こちらを見て、何か言ってますよ!と思ったら、何か言いながらこちらへやってきましたよ!やって来るのかと思いきや、通過していきました!どこかへ向かようでついていってみました!ついていってみたら、ゴロンゴロンが始まりました!何か気持ちよさそうですね♪では、東海道歩きに戻ります!
【私の人生を制限するものは、もういらない。】言われてみたら制限だらけの私の人生。マインドも、年齢も、不調も、人からの期待も、もう振り回されずに、自分で決める人生を歩みたい。心と栄養を整えると、人生がうまく流れだす。「私が私として生きるための思考と栄養の整え方講座」こんにちは。岸本裕美です。管理栄養士調理師健康運動指導士元公立中高教師元大学講師DNA栄養学スクールアドバイザーダイエットトレーナーNMBA-CERTIFIEDOFFICIALBODYMAKETRA
まとまった時間の確保は難しい。あれこれ考え過ぎると眠れなくなって疲労感が増します。今のわたしには、身体をできるだけ動かして身体の疲れでねむれるようにすること。歩くのが1番いい。頭の中を趣味でいっぱいにすることも。先日の東海道歩きの復習をしています。そういうのが精神衛生によいの。人事の悩みがありますが、自分がどうすることも出来ないことであれこれ思い悩んでも意味がない。とどまっても異動になってもわたしは自分のできることやるべきことをやるまでです。なるよう
東海道歩きのお土産でかまん菓子舗のくるみ饅頭。お饅頭の上にも、あんの中にもくるみがたっぷり入っていました。素晴らしいおいしさ❣️大満足。きっと巨大饅頭も味はいいんでしょうね。
興津宿静岡県静岡市清水区江戸から四十里三十三町(160.7km)由井宿から二里十二町(9.2km)江尻宿へ一里三町(4.3km)薩埵峠を下りきると、興津川の河口に出ます。本当に上の浮世絵のまんまです。ところで、東海道を歩いていて、気が付いたのですが、時々、こんな碑があります吉原宿でも似たようなモノをみかけました↓似てますよね??「南無妙法蓮華経」って書いてあります。これ「題目碑」って言うんだそうです。ちなみに、興津宿手前で見かけた題目碑は「身延道入口」に
由井宿静岡県静岡市清水区江戸から三十八里二十一町(151.5km)蒲原宿から一里(3.9km)興津宿へ一里三町(4.3km)蒲原から由比までは3.9kmと比較的近く、古い町並みなども残っていて、ぶらぶら眺めて歩いているうちに着いちゃうという感じ。後から振り返っても、蒲原から由比を過ぎて薩埵峠の辺りは本当に良いところで、いつかまた必ず訪れたいと思っています。じつは前日、三島から吉原まで歩いた時に足を痛めて、この辺りを歩いていたときは、文字通り足を引きずるように歩いていま
蒲原宿静岡県静岡市清水区江戸より三十七里二十一町(約147.6km)吉原宿より二里三十町(約11.1Km)由井宿へ一里(約3.9km)広重の描いた蒲原宿は「夜之雪」と題された雪景色でした。雪のつもった屋根がならび、その向こうには雪の積もった山々、手前には、背を丸め蓑や笠が雪で覆われた人の姿。静けさが伝わってくる名画です。私が歩いたのは7月下旬の暑い日でした。東木戸跡を過ぎれば、ここからが蒲原宿まず目に飛び込んでくるのは・・・巨大なパイプ落差を利用した水力発電
吉原宿静岡県富士市江戸から三十四里二十七町(約136.5Kkm)原宿から三里六町(12.4km)蒲原宿へ二里三十町(11.1km)歩いた日:2021年7月23日吉原宿は鯛屋旅館。創業天和2年(1,682年)、清水の次郎長親分も常宿にしていたとか。ここに一泊しました。出立にあたっては、宿のご主人が火打石で景気づけしてくださいました。しばらく住宅地が続きます。ところどこりに、「旧東海道→」といった札が立っていて助かりますね。潤井川にかかる富安橋。「間宿本市
原宿静岡県沼津市江戸から三十一里二十一町(約124.0Km)沼津宿から一里半(5.9Km)吉原宿へ三里六町(12.4Km)歩いた日:2021年7月22日三島から沼津を過ぎて、吉原宿まで歩こうという予定で歩いていたので、原宿はなんとなく「通り過ぎただけ」になってしまったかな。JR東海道線にちゃんと「原」という駅が有るんですね。この交差点を左に曲がれば駅。ず~っと真っすぐ続くのが東海道。右側(北側)に、本当は冒頭の浮世絵のように雄大な富士山が見えるハズだったのですが、
沼津宿静岡県沼津市江戸から三十里三町(約118.1Km)三島宿から一里半(5.9Km)原宿へ一里半(5.9Km)歩いた日:2021年7月22日東海道を三島から進んで来ると、沼津のすぐ手前で狩野川沿いに出ます。冒頭の浮世絵は、沼津宿の宿場町のすぐ手前でしょう。狩野川が大きく左に蛇行している様子が描かれています。こちらが現在の狩野川です。浮世絵に描かれているのと比べると、ずいぶん大きな川に感じます。と思ったら、どうやら広重が描いたのは、この狩野川ではなくて、
三島宿静岡県三島市江戸より二十八里二十一町(112.2Km)箱根宿より三里二十八町(14.8Km)沼津宿へ一里半(5.9Km)歩いた日:2021/07/22私の東海道ウォークは2020年7月に日本橋を出発し、ちょっとした週末散歩のノリで品川、川崎、神奈川と続き、藤沢を超えて大磯の辺りでは、ちょっと早起きして臨み、さすがに小田原~箱根~三島の際には箱根で一泊とまりがけでの街道歩き旅となりました。問題はここから先で、往復の交通費もだんだんかさんで来る上に、その都度日
東海道歩きのご当地グルメと言えば、丁子屋のとろろ汁!と言いたい所ですが、残念ながら食べそこないました。。。おすすめグルメやお土産は?東海道を歩くとき、実は結構お昼を抜いちゃう事が多いです。朝食をちゃんと食べて、昼間は歩いているのであまり食べず、ビスケットやナッツを少し歩きながら食べて、夜はホテルにチェックインしてから、近くの居酒屋を探してビールとつまみなので、言う程ご当地グルメも食べてませんが、その中でも、おいしかったものや印象深かったものなどを少しご紹介します。
交通手段は?日本橋を出発して、一気に京都を目指すのであれば、交通手段は「徒歩」ですが、私のように、週末や連休を利用して、区間をくぎって少しずつ歩くのであれば、そこまでの「往復」が発生します。基本的に「安く」移動したいので、そのためには多少ハードでも頑張りますが、それでも時と場合によっては新幹線なんかも使います。そんな私の移動手段について、ご参考に紹介しておきます。普通列車(どん行列車)日本橋を出発して、品川川崎神奈川保土ヶ谷戸塚藤沢平
一日どれだけ歩けるか?東海道歩きを始める前、そもそも自分がどれだけ歩けるんだろうと思って、思い立ったが吉日とばかりに自宅からてくてく歩き始めた時は・・・15Kmも歩くと、足の付け根、股関節が痛くなってしまいました。普段、特にウォーキングもマラソンもしておらず、そもそも運動不足気味のところへコロナで在宅勤務が増え、ますます歩かなくなっていました。そこへ突然、準備もウォームアップもせずに歩きだして、それでも15Km最近は、東海道歩きを初めてから、意識して歩
どこを歩こうか?旧道を歩く「東海道を歩く」と言うと、「国道一号線を延々と歩くの?」と思われるかも知れませんが、そうではありません。確かに国道一号線は東海道が元になっており、多くの部分では、東海道がそのまま国道一号線になっています。しかし、昔の街道は広い所でも六間(約10.8m)と道幅が狭く、近代になって道幅を広げる必要が生じてくるのですが、道が拡張できないような場所では、新たに別のルートを通す事もありました。だから私たちが今日使っている「国道一号線」
地図はスマホで十分か?はじめの内は、スマホのGoolgemapだけを頼りにあるいていました。迷いそうなところや、絶対に行きたい場所には事前にフラグを立てたりして分岐にフラグを立てておいたりあと、何と言っても便利なのは、どこが東海道なのか、ちゃんと「東海道」と表示していてくれるところ。下の図のように、ちょっと入り組んでいる所なんかではとても便利です。無論、スマホの地図には「現在地」が示されますから、迷うこともありません。しかも、旧道はちゃんと「旧東海道」と表示され
今年の初遠出は三島に向かいます。青春18切符が一枚余る計算になるのでそれを使い東京から各駅停車で熱海で乗り換えて三島へ。20年ほど前から日本橋から旧東海道をたどって歩くというのをやっていて、何度も中断しながら5年ほど前に三島に到達しているので、今日は三島から再開しようと思う。まずは三島大社へ。三が日だから凄い人出。参拝列が入口の鳥居まで続いているので参拝は断念。境内散策。源頼朝と北条政子の腰掛石。今年の大河ドラマにも関連してくる人物。正面脇にあった巨石、た
やっと東海道歩きに行けました。前回は伊勢路の庄野宿の手前の駅、加佐登をゴールにしたので、今回はこの加佐登駅がスタート。加佐登駅は、広重のこの浮世絵の舞台は加佐登駅周辺らしいのですが、工場が多くて面影はゼロでした。ほどなく庄野宿に到着。連子格子(れんじこうし)が美しい家並みが続きます。資料館は無料、昔のお姉さんの詳しい説明も無料😆庄野宿資料館庄野宿資料館|資料館・記念館庄野宿資料館のご紹介suzuka-bunka.jp綱吉時代の高札が現存していて(写真NG)、ニカワを混ぜた墨で
(12:05)道の駅のすぐ裏手に、土山宿の石碑。プチグッディと。(12:10)土山は独自の看板があって、宿場町を町として保存している様子でした。旧東海道らしい幅の道が続きます。(12:12)前に何のお店だったか、木札が貼られているお宅がたくさんありました。(12:15)この宿場の名物が「櫛」だったらしく、ここは展示もしている様子でしたがこの日はお休み。(12:16)土山の一里塚跡日本橋から110里(440km)(12:22)東海道の様子がタイル
2020年2月から中断していた旧東海道の歩き旅、ようやく続きの第一歩!記事は3月に書いているけれど、実際は2月でした。横浜港の豪華客船での新型コロナ感染症クラスター発生がニュースになっていた頃。前職を退職して、まだ求職活動をしていた頃。さくらの季節には京都ゴールできると思ってました。それからの1年半、世界中が想像していない世界でしたよね・・・。さて。旧東海道は、鈴鹿峠の手前まで来ていたのですが、続きから歩くのは日程的に難しくて、東から西へ歩くのをマイルールにしていたので、
〇ブローチ手が空いた時、作っています。軽くて小さなこのブローチ、出番が多いです~♬絶賛、増殖中~笑~夕方散歩毎日暑いので、夕方自宅近くを散歩することが多くなっています。6時半頃が多いのですが・・👆何を取っているのだろ??だんだん陽が短くなっています。海岸に群生している、👇は??いつもの地下道で、ハグロトンボ発見!ネットで見ると、神様トンボとも呼ばれているようで・・名前の由来には、いくつかの説がありますが、人から人へと伝わっていくう
2006年に中仙道歩きをはじめて、2年以上かけて踏破しました。そのときのことはミクシーにずっと日記としてアップしていましたがこの中仙道は宿場の順番通りに歩かなかったこともあり、あとで検索しようにもミクシーでは検索不可能らしいので(私の知る限り)苦労して、こちらにコピーしました。中仙道第一日目の日記👇『中仙道Ⅰーいよいよ出発・日本橋ー板橋』4月1日私たちの門出にふさわしいエイプリルフールの日、まず、日本橋を出発することになりました。私のほかは、のちに「タイチョー」と呼ば
こんにちははなですこの前、ちーちゃんと桜の下をお散歩しました。ベビーカーに乗っていればご機嫌です。最新のベビーカー、降ろし方も乗せ方もよくわかってないので、乗せたままこの後で雨風が強くなって、だいぶ散ってしまったみたいです。ダンナさんは今日は東海道を歩きに行っています。数年前からはじめて、昨年は出かけられなかったので久しぶりです。今日は名古屋泊だそうです、ラインがきました。最初の頃は日帰りでしたが、さすがに1泊するようになりました。もう少しコロナ
今回の東海道RUN其の六、危うく行き止まりになる所でした1番のハイライトの薩埵峠が、ただ今一部の場所が崖崩落防止の工事中のため、工事時間中は歩行者も通行止めとなっていました。工事が昼休憩の11:30〜13:00の時間は通行可能となっており、たまたまこの時間に薩埵峠を通過する事ができました。工事は6月中旬頃まで続くそうで、この時間以外は由比側から上がって行く事ができないそうなので、東海道歩き旅をお考えの方はご注意ください。工事は6月中旬頃まで続くそうです。
小田原宿神奈川県小田原市江戸より二十里二十一町(80.8Km)大磯より四里(15.7Km)箱根宿へ四里八町(16.6Km)いままでは週末に早起きして東海道線に乗って、前回のラスト地点から歩き始めるという事を続けて来ましたが、今回は初の泊りがけです。一泊二日で箱根八里を踏破します。広重が描いた小田原宿は、酒匂川の川越の風景でした。遠くに小さく小田原城が見えています。そして正面には雄大な箱根連山。カラフルですね。さて、前回のラストは小田原宿の交流館。小田原は、北条氏の小
大磯宿神奈川県中郡大磯町江戸より十六里二十一町(65.1Km)平塚宿より二十七町(2.9Km)小田原宿へ四里(15.7Km)いよいよ日本橋から9番目の宿場、大磯宿です。これまでは、休みの日にふらっと散歩に来る感じに出かけてきましたが、大磯まで来ると、早起きして出発です。一日がっつり歩きます。広重の浮世絵、大磯宿は雨です。右端に見えているのは高麗山のふもとですね。広重の東海道五十三次は、描かれている宿場の天気や時刻も様々で面白いです。大磯は雨、三島は朝もや、沼津は月
平塚宿神奈川県平塚市江戸より十五里三十町(62.2Km)藤沢宿より三里半(13.7Km)大磯宿へ二十七町(2.9Km)広重の浮世絵に描かれている平塚宿は、なんと言っても高麗山が印象的ですね。まるい坊主頭のようなシルエットが特徴的です。一方、左端にはごつごつとした岩山、信仰の対象でもあった大山でしょうか。両者の隙間にちらっと除く、白い富士、折れ曲がって伸びる街道、それから松広重の絵は、本当に構図が決まってます。浮世絵を意識してか、今も平塚宿の江戸見附には、上図の