ブログ記事1,278件
岐伯は続けて言いました。「六の法則は、律です。音階は、六呂六律あり、陰陽と四季十二辰に応じていて、十二経脈に合っています。虚した所から入った邪は、経絡に居座って、突然に痹を起こします。痹を取る治療に使う鍼の名前は、員利鍼といいます。鍼は牛の尾のような形で、鍼先は丸くて鋭くわずかに大きく、反対に鍼体は小さく、深く入れられない形になっています。鍼の長さは、一寸六分です。七の法則は、星です。人の上部には、目・耳・鼻・口、合わせて七の竅があります。邪気が経脈に居座ると、
岐伯は続けて言いました。「三の法則は、人です。人を生かしているのは、血脈です。治療は、脈を上から按じますが、圧しすぎて凹ませないように、鍼は、鍼体が大きく、鍼先は丸い形です。鍼の名前は鍉鍼といいます。長さは三寸五分、鍼先は黍や粟のように丸みのある形で、経脈を上から圧して按じて、邪気だけを出します。四の法則は、季節です。季節によって八つの異なる方向から吹く風が、経絡に居座ると、瘤のできる病になります。瘤にある熱を寫し、血を出し、瘤を涸れさせるために、鍼の形は、筒状
王様は言いました。「どうして、鍼と九が応じているのだ?」岐伯は言いました。「聖人が見つけた天地の法則は、一から九までありました。これはすべてに当てはまるので、国も、九つの野に分けられています。九という数は、自乗すると、八十一で、万物の基本である黄鐘※の数、八十一になります。(黄帝内経の素問・霊枢の篇の数も八十一です)鍼と法則が合っている様子は、ひとつずつお話いたしましょう。一の法則は、天です。天は、陽であり、人では、肺です。なぜなら、肺は五臓
岐伯は言いました。「九鍼は、天地の大法則から生じました。世界の法則は、一から始まり、九で終わります。一は天です。世界は、大いなる力を持つ天(帝・神)から始まりました。二は地です。天地開闢により、混沌から天(空)と地の二つに分かれました。三は人です。天と地の間に、天と地の気が合わさる所に、人が出来ました。四は時です。どの年でも、必ず四つの季節がめぐります。五は音です。黄鐘の音が宮で中央、そこから四つの音が導かれます。五は、一から九までの中央でもあ
このおはなしは黄帝内経霊枢より第七十八「鍼論」をもとにしています。少し前の子供だったころの王様は、岐伯が持っている治療道具の箱を見せてもらうのが好きでした。(素問50)(素問54)(霊枢60)いろんな形の鍼が箱にきれいに並んでいるのを見つめながら一つずつ、これはどういう鍼なのだ?と聞くと、岐伯は、ゆっくり丁寧に説明してくれました。王様はこれを、これまでに何回もしました、岐伯は、いつでも、話して聞かせてくれました。少し成長した王様は、色んなことを知って、学んで、
三つの虚が重なると、人は突然、重病になったり、死ぬことがあります。三つの虚とは、年が不及と(素問71)、月の空亡と(素問74)、時に反する風です。虚が無くても、湿気の多い地に暮らしていると、邪気が体に入りこんで、手足が萎える病になります。二つが実で、虚の風一つだけなら、汗が露のしずくのように出て、寒熱の病になります。二つが虚の時に、邪の風が当たると、三つの虚が合わさるので、突然倒れて、半身不随になります。上古の聖人が、年や月を必ず把握していて、虚が重な
他にも、北極星が移動して、次の宮に入った日に、その後、風が吹いてくるのを待って、八方角のどこから吹いて来るかを観察し、吉兆を占う方法があります。後天図を見て、北極星が居る宮の方向から、吹いて来る風は、季節にふさわしい風なので成長を主り、万物を養いますが、反対の方向から吹いて来る風は、季節にふさわしくなくて、人を傷つけ、そぎ取り、減らし、害する力を持っています。ですから、この正しくない傷つける風を、よく観察して、注意して、避けるようにします。聖人は日々、正しく
北極星が北斗七星の車に乗って、次の宮に移る日は、節気が変わる日でもあるので、気の調和がとれていれば、天は必ず、その日、風と雨を起こして返事をします。その日が風雨であることは、吉兆であり、作物は実り良く収穫があり、民の暮らしは平和で、病の発症は少ないです。しかし、北極星が宮を移る日より、前に風雨があれば、雨が多くなり、後に風雨があれば、日照りが多くなります。また、北極星が移る日のあたりで、害を及ぼす強く激しい風が吹き、樹木が折れて倒れ、小石が巻き上がるような、急
北極星は、北の天球の真ん中に常に位置しているので、方位を知るのに手掛かりとされる星です。原文では太一という名で書かれていて、いつでも天の中心におられるので、古代中国では、天帝と考えられました。北斗七星は、北極星の乗り物であり、北極星は、北斗七星に乗って九つの宮をめぐっています。冬至になると、北極星は、叶蟄の宮に行き、四十六日居ます。四十六日経つと、次の日から、次の天留の宮に移ります。四十六日経つと、次の日から、次の倉門の宮に移ります。四十六日経つと、次の日から、
このおはなしは、黄帝内経霊枢より第七十七「九宮八風」をもとにしています。これまで、黄帝内経では、太陽の動き(素問2)月の動き(素問26)星の動き(素問69)について、それぞれ法則に合わせて動いていると出てきました。古代中国では、天文学が発達していて、太陽、月、星の動きを表せる璿璣玉衡という地球儀のような機械も完成していました。(素問19)東洋医学では、世界にある全ての物は、止まることなく回っている、という法則によって、すべての天体は北極星を中心に動いている、
王様は言いました。「日の出すぐは足の太陽膀胱経を通っていると分かるが、それからは、何を手掛かりにするのだ?」伯高は言いました。「『大要』の本には、太陽が一つの宿の始まりにあるときには、衛気は太陽経脈にある、書かれています。これを説明します。一日は、昼と夜で百刻なので、二十五刻は、昼の半分です。日の出に、漏刻が始まり、一刻では、衛気は、手足の太陽経にあります。二刻では、手足の少陽経にあり、三刻では、手足の陽明経にあり、四刻では、足の少陰腎経にありま
王様は言いました。「たしかに、早く目が覚める日と、ゆっくり目が覚める日があるな。」伯高は言いました。「はい、それに、日の出の時間、日の入の時間は、いつも同じではないので、昼の長さ、夜の長さは、季節によって変わる法則があります。」王様は言いました。「それでは、衛気がめぐっている所が、体の上にあるか下にあるか、行ったのか来ているのか、時間で決まって同じがということではないのなら、どうやって衛気を候って、鍼をすればいいのだ?」伯高は言いました。
王様は言いました。「日の入の後は、衛気はどこを通っているのだ?」伯高は言いました。「腎から心、そして肺、そして肝、そして脾に行き、また腎へ戻ってを、繰り返して周っています。」王様は言いました。「体の深い所を通っていると知っていたが、五臓をめぐっているのだな。そして、夜明けには、また目に行くということか。どうして、そのようにうまくめぐっているのだろうか?」伯高は言いました。「一年には十二月があり、一日には十二辰(時間)があります。十二辰
このおはなしは、黄帝内経霊枢より第七十六「衛気行」をもとにしています。王様は岐伯に聞きました。「岐伯よ、衛気はどこを通って、どこから出て、どこに入って、どこに合わさるか、を知りたい。聞かせてくれるか?」王様は、岐伯に訊ねたのに、聞かれていない経絡学者の伯高が岐伯より先に答えました。「衛気は、一日一昼夜で、体を五十周します。昼は、陽をめぐるので、体表を二十五周し、夜は、陰をめぐるので、五臓を、二十五周します。」王様は聞きました。「ぐるぐる周って
王様は言いました。「私は、聞いたことがある。気には、『真気』と『正気』と『邪気』があると。岐伯、真気とは何のことだ?」岐伯は言いました。「真気は、天にある気で、人はこれを呼吸で体に入れます。受け取った真気は、食べ物の穀気とともに、人の身体を充たしているものです。正気は、季節に合った、正しい風です。風が来る方向は、季節によって決まっていて、必ずその方向から来ます。実風(季節に合っているが、勢いが激しく暴虐性がある)でもなく、虚風(季節外れの性質をもつ)で
岐伯は続けて言いました。「虚した所から入った邪気が、体の深くに入っていって、寒と熱が会うと、互いにぶち当たります。同じ所にしばらく留まって戦っているうちに、邪気は体の内部にくっつきます。寒が熱に勝つと、骨が疼いて、肉が枯れます。熱が寒に勝つと、肌肉はただれて崩れ、膿が出て、骨が内から傷ついて虫に食われたようになります。先に筋に病があると、筋が屈したままで伸ばせなくなります。これは、邪気が筋の間に居るために戻せないのです。筋に瘤が出来てしまうと、そこには邪気が集まっている
岐伯は続けて言いました。「虚している所から入った邪気が、体の左右どちらか半分だけに居座ることがあります。邪気が深くに入りこんで、営衛の気がある所に居座ると、通れない営衛の気は力が弱くなり、やがて真気が去ってしまい、邪気だけが留まり、片側の半身不随を発症します。邪気が浅い所に居座れば、脈が正しく行かないため、偏って片側だけが痛みます。」
本年もどうぞよろしくお願いします。黄帝内経ぜんぶ読んでみる、9年目に入りました。あと少しです、頑張ります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー王様は言いました。「一つの経脈の病であっても、痛み、できもの、発熱、冷え、痒み、しびれ、感覚鈍麻、など病で起こる変化はさまざまで、全てを言えないほどであり、生じる病の種類は数十もある。これはどうしてなのだ?」岐伯は言いました。「それは、経脈は同じでも、異なる種類の邪気によって生じているからです。それぞれの邪
岐伯は続けて言いました。「体の上半身が冷えて、下半身は熱なのは、まず項部分の足太陽膀胱経に鍼を刺し、しばらく留めます。そして、鍼を抜いた後に、項と肩甲部分に熨をして温めて、上半身の体温が下半身とつり合うと、病は治ります。これは、いわゆる、推し上げる、です。体の上半身が熱で、下半身が冷えなのは、虚になっている脈を見つけて、経絡が凹んでいる所に鍼をすれば、熱気が下まで行って、病は治ります。いわゆる、引き下ろす、です。ひどい高熱は、体をまんべんなく熱くします。狂う
王様は言いました。「鍼を用いて気を調える、全ての治療に通じる要について、話してくれたまえ。」岐伯は言いました。「鍼を用いる治療では、まず、必ず経絡の虚実を察するのに、手をぴったりと当てたり、按じたり、パタパタと叩いたりして、その反応や変化を見てから、どこに鍼をするかを決めて、その後に刺します。三陰三陽の六経脈が調っている人は、病になりません、もし、病になったとしても、自然に治ります。どこかの一経脈で、厥気上逆して、上が実で、下が虚になって通じない人は、
王様は言いました。「では、治療はどうするのだ?温かい季節になるまで待つのか?」岐伯は言いました。「いいえ、待たなくて大丈夫です。厥の治療には、必ず先に熨を用います。熨とは、温めた重しを圧し付けて熱する方法です。熨をして、経脈を調え、掌、腋、肘、脚、項、脊にも熨をすれば、温かい気が体を解かし、やがて血脈も行くようになります。そこから、病の人の脈を診て、滑潤な所には、鍼を刺して、平均にし、緊堅な所には、破して散らします。厥で逆上していた気が下れば、鍼の治療を終え
岐伯は言いました。「王様、どうか私に、もう少し踏み込んだ解説をお話しさせてください。」王様は言いました。「おお、聞きたいぞ、では、本に書いて、霊蘭の書庫に収めよう。これもまた、むやみに出せないように、厳重に守らせるので、話してくれたまえ。」岐伯は言いました。「では、お話いたします。人というものは、天と地に応じていて、四つの季節とぴったりひっついます。まずは、人と天地と照らし合わせると、応じている様子について、解説いたします。地では
岐伯は続けて話します。「四つ目、熱になる邪の刺し方は、熱を発散させて、熱を冷えさせるのです。熱が外に出て、残りもこもらずに散じれば、後は病をぶり返すことにはなりません。腠理を開いて、道を通して、邪が出られるようにしてあげれば、後に病は治ります。五つ目、寒になる邪の刺し方は、体の中を、日に日に温かくしていきます。鍼を、ゆっくりと刺し入れて、早く抜くと、補法になりますので、営衛・気・血、全ての力が増えます。鍼を抜いた後は、穴を押さえて閉じ、正気が分かれて出て行かな
岐伯は続けて話します。「一つ目、癰(できもの)を作る邪の刺し方は、腫れ上がっている時には、鍼をせずに、ゆっくりと長い時間を焦らずに待ちます。膿が出て鍼が出来ない場合には、別の方法を使いやりなおします。最初に膿があった所の腫れがひっこめば、腫れて平らではない所は後に散って無くなります。癰(できもの)が、陰経でも、陽経でも、経脈の通る所にあるものは、兪穴を取って寫します。二つ目、勢いが大きな邪の刺し方は、邪の勢いが日に日に小さくなるように、まず、有余を奪い泄して
王様は言いました。「なるほど、『五節』については、よく分かった、ありがとう。鍼の刺し方には、他に『五邪』というのがあると聞いた。これはどんなのだろうか?」岐伯は言いました。「病には、膿の入った腫物を作る邪、勢いが大きい邪、力が小さい邪、熱になる邪、寒になる邪、があり、これを五邪といいます。」王様は言いました。「その五邪を治療するにはどんな刺し方をするのだ?」岐伯は言いました。「五邪に対する刺し方は、五章(五条)だけにすぎません。
王様は言いました。「解惑という刺し方について、岐伯先生は、すべての陰陽を調べて、分かった有余と不足を補寫して、平均にするのだと言っていたが、惑いはどのようにして解くのだ?」岐伯は言いました。「中風の病で、半身不随がある人は、血脈が偏って虚しています。虚では血が不足して空っぽで、実では血が有余でパンパンになっています。そうなれば、体のバランスは思うようにならず、正しく立つことが出来ず、曲がりくねり、伏せてしまいます。方向方角も、何も分からずに、不
王様は言いました。「徹衣と言う刺し方について、岐伯先生は、いろいろの陽経の奇穴を刺すと言っていたが、これも、まだ、はっきり確かではないので、次は、これをすぐに聞きたいぞ。」岐伯は言いました。「これは、陽気が過多で、陰気が不足の時に用いる刺し方です。陰気が不足する時には、内熱し、陽気が過多な時には、外が熱します。両方がぶつかれば、体の内は、炭が胸に入っているよりもさらに熱く、体の外は、綿入れのあたたかい服を嫌がり、近づけるのも畏れます。人の近くの席に座ること
王様は言いました。「去爪という刺し方については、岐伯先生は、関節と四肢の絡脈に鍼を刺すと言っていた。これについて聞きたいぞ。」岐伯は言いました。「腰部の脊椎は、体の中で最も大きい関節です。手足の関節は、人の全ての立ち居振る舞いをしています。陰茎と睾丸は、体の中のからくりが外に現れる所で、陰精が出るのを迎え、おしっこが通る道です。このため、飲食が正しくなく、食べすぎたり、喜怒が合っていなくて、感情が過度だと、津液が体の内に溢れ、下りて行って、睾丸
王様は言いました。「刺し方に、發曚があると言っていたが、私はそれを分からない。本来、發曚とは、耳が聞こえない、目に見えない人を治療することだろう?それなのに、岐伯先生は、六腑の兪穴に鍼を刺して、腑病を去らせると言った。どのような兪穴を用いるのか、また、どうして發曚と言うのか、その理由も聞かせてくれたまえ。」岐伯は言いました。「なんと、王様、すばらしい問いでございます。これは鍼を刺すのに重要な事柄であり、鍼術の中で一番最上の極みで、神の持つ
王様は言いました。「岐伯先生は、振埃という刺し方について、手足や表層をめぐる経脈に鍼を刺して、陽病を去らせると言ったが、私にはそれが分からないので、聞かせてくれたまえ。」岐伯は言いました。「振埃の刺し方は、陽気がはげしく逆して上り、胸の中に気がいっぱいになって、肩で息をしている人、宗気が逆上して、ぜえぜえ声がかすれて、座りこんだり、横になっている人に治療します。病人は、埃や煙を嫌がり、咽喉が詰まって、息ができませんので、これを治療するのが、振埃です。なお