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(その10からの続き)-上熊谷(16:04着・16:10発)-熊谷(16:21着)熊谷線の線路跡に沿って南へ下り、大幡駅跡を通過して熊谷市街地に入りました。イオンの敷地内には片倉シルク記念館があります。熊谷のイオンがある場所には1994年まで片倉工業の熊谷工場があり、片倉工業としては最後に残った紡績工場でした。シルク記念館は高崎線を歩いた時も立ち寄りましたが、そのときは朝早すぎて見学できなかったので、駆け足で見学してみました。シルク記念
(その9からの続き)-大幡駅跡(15:08着・15:15発)-妻沼展示館で熊谷線を走っていた車両を見学し、いよいよ線路跡歩きに入りました。線路跡をひたすら南へ。民家が点在していますが、よく開けています。往時の熊谷線は単線でしたが、将来的には複線化する計画もあったようで、用地は複線分確保されていたようです。県道359号を横切り、左手に奈良小学校が見える地点。よく見ると、道路が先ほどより新しくなりました。ここから先の区間は4年ほど前に道路が
(その8からの続き)-妻沼展示館(13:47着・14:05着)-利根川を渡って埼玉県に入り、妻沼聖天山へ向かいました。このあたりが妻沼(めぬま)の中心市街地。昭和の商店街が続いていて、営業しているお店も意外と多かった気が。妻沼交差点を左折。県道59号に沿って進みます。右手に公民館の建物が見えてきたところで、県道から離脱。住宅地を進んでたどり着いたのは…妻沼展示館。基本的な機能は展示ホールですが、その一角には熊谷線の資料
(その7からの続き)-仙石河岸駅跡(12:58発)-西小泉駅から貨物線・仙石河岸線跡のいずみ緑道を進み、仙石河岸駅跡に着きました。野球場の脇をさらに南へ進みました。往時は野球場のあたりまで貨物線の線路が続いていた模様。野球場に沿って公園の東縁へ。かつてこの位置から利根川に向かって、東武熊谷線の路盤が続いていました。東武熊谷線は熊谷駅と妻沼駅の10.1kmを結んでいましたが、もともとは現在の太田市、大泉町に広がる中島飛行機工場への通勤輸送および
今日は80回目の終戦の日少し前に茨城に行く機会がありまして【笠間市にある筑波海軍隊記念館へ】映画・永遠の0の物語上の舞台・撮影地で有名に司令部庁舎内と中心に見学施設が充実しています少し離れたところにある施設地下戦闘指揮所は必見です本土防衛を目的として建設されました【零式艦上戦闘機二一型も展示】原寸大レプリカになります非常に暑い中の見学でしたがゆっくりと時が流れるこの場所で改めて平和な世の中を望みました追伸熊谷生まれの私は8月14日の終戦前夜の熊谷空襲も忘れて
こんにちは😃ブログ、なかなか更新出来なくて、、アメブロをWi-Fi環境で使わないとパケットがすぐいっぱいになっちゃう。皆さんはどうしているのかな🤫私の携帯ではガストのWi-Fi、アメブロは書けないし見れないの。Wi-Fi🛜なのに👋👋なんでやねん〜ガストのドリンクバー今日は6杯おかわりーそして最近は家の近くの売買に出ている土地の件で私たち私道所有者と不動産屋で揉めている感じ静かに揉めてる安い土地などには何かあるから気をつけた方がよいと思いました。今日も役場に行っていろいろと調べて、
熊谷と妻沼を通る、東武熊谷線が廃止になって亀の道として遊歩道ができています。桜の季節にはとてもいい感じに桜が咲いてお年寄りが散歩しています。
東武熊谷線キハ2000。今も走っていたら、そこそこ人気だったろうなぁ。。大畑付近?1983
秩父鉄道上熊谷駅。熊谷駅から歩いて行ける距離のある駅で、ICカード対応になってからは無人駅となりました。ここを見るたびに昭和の名残を感じられるんですよね~。なかなか風情ある駅舎です。こちらは踏切からの眺め。画像中央には昔は東武熊谷線という東武で唯一のディーゼルカーが走っていた路線があり、ホーム右側に停車してました。数年前までは線路が残ってましたが、架線柱を建てるために線路が剥がされ、踏切脇にわずかに残る程度になりました。廃線になったのは昭和58年なので、随分長い間線路が
いつもご覧いただきありがとうございます🙇第38回、「東武熊谷線(妻沼線)(3/最終回)」を公開いたしました。また同記事のブログ版も解除・公開いたしました。よろしくお願いいたします🙇Youtube版こちらになります。ブログ版こちらになります。
先日化粧直しされた東大宮操車場のクモユニ143-3の塗り替え途中のクリーム1色塗りの姿がどうしても東武のセイジクリームに見えてしまったことから妄想した怪しい電車です。東武鉄道では、198X年(昭和5X年)にモユニ1490形の置き換え用にモユニ1430形を新造しました。たった数両の荷物車だけのために新規開発するのを躊躇ったのか、ご覧の通りクモユニ143をただセイジクリーム色に塗装しただけのものでしたが、郵便や荷物輸送に数年活躍したらしいです。郵便や荷物の輸送はその後数年で廃止になってしまいまし
メロウさん、私がいるのににゃんで猫のカレンダーばかりなの?はい、一部屋に4枚は貼りすぎですよね。だってほら、あなたが来たのは12月終わりよ。カレンダーはその時すでに下がっていたから・・・ふ~ん。カレンダーの前でポーズとっていたので撮りました。フィルムのスキャンを進めて過去をデジタル化しています。その後東武バスも撤退してしまいました。妻沼~熊谷間、今は合併で熊谷市内に。熊谷から利根川の手前妻沼まで走っていたローカル線。実は戦争の落とし子。東武熊谷線。お気
♪イマジン~ロード~ピポ~♪そこに道が走っていた事を知る人は、現在、熊谷市民でも、少ないと思う。私のブログの読者さんである「etekoさん」が、良い歌、うたっていたので、この廃れた道の主題歌に使わせてください!かつて、熊谷から刀水橋の横を渡って、鉄道を敷く計画がありました。。。熊谷~西小泉間を。でも、モータリゼーションと、元々の「軍需用線」としての名残が強かった関係で、、、「東武鉄道」なのに、東武線にどこに繋がれなかった「東武熊谷線」それも、「非電化」。本来なら、太田から
こんにちは8月31日、埼玉県在住の友人に会いに行った時のことをいつもの如くダラダラと書いています(笑)こちらのつづきです。妻沼(めぬま)仲町バス停からおよそ5分ほどの所にある『熊谷市立妻沼展示館』という所に立ち寄りました。お目当てはこちら昔、東武熊谷線という路線がありました。廃止前のことは全く知らないんですが、子供の頃、電車にまつわる雑誌だかを見て存在だけは知ってました。電車で運行している東武鉄道ですが、熊谷線は非電化の路線。現在この地に当時の車両が展示してある、との事で見に行っ
出だし早々、駅の列車非常停止のブザーが鳴り響きました(~_~;)1983年5月で廃止になった路線があります。東武鉄道熊谷線、熊谷〜妻沼間10.1kmの路線です。今年で廃止から40年にあたるので、全線を巡って見ることにしました。ちなみに移動は、電動アシスト付きのシェアサイクルです。熊谷線の熊谷駅は、秩父鉄道のホームを間借りして発着してました。線路の一部が残る踏切のすぐ先にあるのが上熊谷駅です。ここも熊谷駅同様、秩父鉄道のホームを借りて発着してました。今の熊谷線側はフェンスが設置され
(その7からの続き)-石原(14:09着・14:20発)-熊谷駅から線路の南側を進んで、上熊谷駅を通過しました。鎌倉町通りから少し小道を進むと、星渓園の入口にさしかかりました。江戸末期から明治初頭にかけて造られた回遊式庭園とのこと。開園時間内であれば自由に入場できるので、入ってみました。庭園の中央にある池は人造池ではなく、江戸初期に起きた荒川の決壊によってできた湧水池のとのこと。熊谷中心市街を流れる星川、そして忍川の水源がここなんだとか。
本年はウサギ年山形鉄道フラワー長井線宮内駅のうさぎ駅長もっちぃは長期休暇に入ったらしいゆっくり休養してね復帰したらまた会いに行きたいな「ウサギとカメ」の話はウサギにとってはいい話ではないけど人間にとっては教訓になるイイ話だと思う年越し(中華)ソバは丸美屋自販機コーナーでと思ったんだけど残念ながら行けなかったカメが出たついでに鶴は千年亀は万年で縁起がいいので東武熊谷線跡のカメ号にも登場を願う
その昔、東武鉄道に本線系統•東上線系統とは別にポツンと独立して存在していた路線があった。熊谷と妻沼を結ぶ熊谷線である。本来は軍需路線として利根川を渡って中島飛行機(現スバル)の工場があった小泉線と繋がるはずだったが、終戦により立ち消えになった。熊谷線には東武唯一の気動車キハ2000形が走っていた。外部塗装は既にセイジクリームになってしまい、あまりパッとしなかったが、正面は2枚窓の湘南顔、側面はバス窓となかなか好ましいスタイルをしていた。その熊谷線が1983年5月31日限りで廃止されるという
埼玉県商工会職員の親睦団体がありまして。。。今日は職員ハイキングに行ってきました3年ぶりの開催【会場は武蔵丘陵森林公園でっす🍖】感染防止対策をしたBBQこの場所に来るのも5,6年ぶりかお昼には終了して次の場所へ【熊谷市妻沼地区へ】夕方まで滞在し街を堪能ワイズカフェをはじめいろんなお店を訪問【ちゃーんと鉄分補給も】熊谷市立妻沼展示館へ~。東武熊谷線キハ2000系を見学約40年前に廃線になった車両です。
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こんにちは。今回は、友人と一緒に廃止が迫った東武熊谷線を撮影に行った時の写真を載せました。訪れたのは昭和58年5月29日(日)、東武熊谷線、最後の日曜日です。熊谷駅にてこの熊谷線、秩父鉄道とホームを共用していました。キハの後ろには車止めがあり、その先は秩父鉄道のホームになっていたと記憶しています。キハの左側には横断幕が掲げられていましたが、地元では妻沼線と呼ばれていた様です。熊谷駅にてさようならのヘッドマークを掲げた単行のキハ2000が熊谷駅を出発していきます。鉄ちゃん
東武鉄道キハ2002埼玉県熊谷市熊谷妻沼展示館令和3(2021)年9月29日(水)撮影
コロナ禍ということで。。。近場で密にならないところで。。。鉄分補給してきたところが~(緊急事態宣言前に出かけています)東武仙石河岸線の廃線跡散策の後に本来、結ぶ予定だった東武熊谷線の散策を~【妻沼駅周辺の廃線跡はあんましないので】熊谷市立妻沼資料館に行くことにここには、ディーゼル車両が静態保存されています湘南顔2枚窓の東武キハ2000形気動車が【3両製造され、キハ2002形が現存】床下機器の様子がよくわかります。杉工の表記は、東武鉄道杉戸工場のことです。工場跡は、無印良
コロナ禍ということで。。。近場で密にならないところで。。。鉄分補給してきたところが~(緊急事態宣言前に出かけています)東武仙石河岸線の廃線跡散策の後に本来、結ぶ予定だった東武熊谷線の散策を~【でも、終点・妻沼駅の跡形は全くなかった。。。】ドラッグストアとバス停に1983年(昭和58年)廃止ですから。約40年経てばこんなものですね。で、近くの熊谷市立妻沼資料館に行くことに【資料館内には東武鉄道熊谷線資料館が】昔乗った思い出が懐かしいー。のんびり気動車が走っていましたね。
続きです小泉線から桐生線へ太田を抜けて東武桐生線三枚橋駅どこにそんな橋があるのかわかりませんが…この駅も切符売り場は民家に委託してますすると架線柱に囲まれながら11202Fが来ました反対からは8562F並んだ写真は子鉄が撮りました11202Fの発車シーン特急りょうもう200系も田んぼの中を走りますしかし人が乗ってない〜2〜3人くらいこれにて群馬から離れます埼玉県へ戻ります子鉄が見たいと言うので東武熊谷線キハ2000形管理している人の許可を取って車内を拝
コロナ禍ということで。。。近場で密にならないところで。。。鉄分補給してきたところが~【東武鉄道小泉線の終着駅・西小泉駅です】緊急事態宣言前に出かけてきましたすっかり駅舎がキレイになっております平成29年に新駅舎になったとのこと。。。おそらく、約25年ぶりかあ~【駅は6ヶ国語表記になってるみたい】町の人口の1割が外国の方なんです。駅はブラジルをモチーフにしたカラーリングに【駅構内が広いのが特徴】駅は昭和16(1941)年開業ですが。。。昔はもっと大きい駅舎だったんです。
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1日過ぎてしまったが、6月1日は、昭和58年に東武の非電化ローカル線であった熊谷線が廃止された日。お気に入りで遠いながら何度も通った路線でした。地元では妻沼線と呼ばれていました。戦争の落とし子で東武のどの路線ともつながっていませんでした。何枚かの写真で思い出してみます。妻沼駅に止まる、キハ2003妻沼駅舎妻沼駅のキハ2000系、熊谷方から。利根川氾濫原を走る線路。中間駅の大幡付近。保線状態はとてもよく乗り心地は良かった。妻沼駅南方で撮影した、さよならヘッドマ
東武小泉線西小泉駅に接続し、利根川河畔の仙石河岸駅まで伸びていた貨物線。1976年廃止。探索日:2018年9月17日東武小泉線西小泉駅。毎時2本の普通列車だけが発着する閑静な駅。貨物時代の様子をうかがわせる広い構内ヤード。西小泉駅から南側に伸びてゆく線路跡は、その大部分が現在“いずみ緑道”として整備されている。区画ごとにテーマ設定がされているようだ。真っ直ぐに伸びる緑道。親水公園のような造りになっているが、節水のためなのか水は全く流れていない。当時の