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第一章ミンスクの青い空(5)【ミンスクの青い空】③ミンスクの中心部博物館はここから歩いて10分ほどミンスクはとにかく「きれいな街」としか言いようがないほどきれいな街で、歩いているだけでいやなことは全て忘れてしまえるほどです。ある日僕はいつものようにそんな美しいミンスクの街を、何をするでもなく歩いていましたが、ふと「あそこに行ってみよう」と思い立って、そこから10分ほど歩いた先にある建物に足が向いたんですね。ミンスクを紹介する写真やビデオには必ず出てくる
国益に貢献するコトを全くやっていない。階級社会のセレブ層のような扱いを狙うだけの上級住民のような感じで勘違いをしたがる。ココら辺は名誉華族を狙っていた東條英機元首相のようなコトを繰り返している。権力やら実力をそうやって使うのは間違っていることをまるっきり気付こうともしない。だから、JOCはIOCから見捨てられたんだな。
第一章ミンスクの青い空(5)【ミンスクの青い空】②これから自分がどうなっていくのか全くわからぬままホテルを出発メトロの駅から一時間近く歩きましたかね…。部屋は何棟も立ち並ぶ団地の一室。ナタリヤが建物の前まで迎えにきてくれました。アパートに到着なにせ古い。郵便受けのあるエントランスは見るからに寒々していて旧ソ連時代のアパートであることはすぐわかったし、部屋は一人で過ごすには贅沢すぎる広さでしたが、そこかしこに昔の面影が残っているんですよ。
第一章ミンスクの青い空(5)【ミンスクの青い空】①いまではairbnbで検索してもベラルーシにはヒットする宿が出てきません経済制裁はこんなところにも...とにもかくにもミンスクでの日々が始まりました。バスはホテルの前を通っているけれど行き先はおろか乗り方もわからない。ホテルで聞いたら、裏のガソリンスタンドでスナックと飲み物は買えるけど食べ物買うには30分くらい歩いたスーパーに行かないといけない、という返事。行かなきゃ始まらないから行ってみたらそのスーパーの名前が
https://youtube.com/shorts/jIeGABA5qq4?si=Rge3snGp43UDUqst一度は見るべき"天皇陛下万歳"3選#昭和#戦前#shorts①1940年11月10日近衛文麿内閣総理大臣②1940年11月11日高松宮宣仁親王③1943年10月21日東條英機内閣総理大臣(明治神宮外苑学徒出陣)youtube.com
ボクの懐かしいテレビ番組はーーーー。「ケペル先生」です。NHKの子供向け番組です。番組名は、「もの知り博士」でしたね!⬆はケペル先生とは違いまっせ。⬆は東京裁判A級戦犯の東條英機でありんす。ボクは似てるな?この人?ケペル先生ってホンマにいたんかな?って小さい頃の記憶が今ふと脳内に東條英機さん出たもんで。サンキュ「小説裁判官の子として生まれたキミ」読んで見てみてね!ボクの人生全てさらしてます。むっちゃ面白いから
第一章ミンスクの青い空(4)【そしてミンスクへ】⑤雲が立ち込める寒い日だった...審査官は僕に何か質問するわけでなく、パスポートチェックもそこそこに入国スタンプ押してくれてとにもかくにもベラルーシという国に入国。夜が明けてジョージア大使館に連絡すると、政府の措置だからこちらでは何もできない、と言う返事。そりゃそうだわな…。ジョージアの入国禁止措置はたしか10日間、ってことだったからその間の宿だけは確保して、入国禁止解除後のトビリシ行きの便も予約した上でとりあえ
第一章ミンスクの青い空(4)【そしてミンスクへ】④後生大事にとってあったあの時の紙切れ座席番号32Dこれがイマイマしい強制送還チケットでございますパスポートを取り上げられ係官に連れられ...着いた先はさっき自分が降りた飛行機。折り返しでミンスクに飛ぶことになってる。係官は僕のパスポートをCAに渡したあと、紙切れを僕に渡した。手書きで座席番号が書かれたチケットの半券(というか、ただのシール)かくして僕の処置決定を待っていたミンスク行き飛行機は僕が
第一章ミンスクの青い空(4)【そしてミンスクへ】③「EUの国から出発した旅客は入国できない」2日前からとられたこの措置あたしゃフランクフルトから参りましたんですけれどね...EUですよね、ドイツ...聞くまでもないし...ジョージアでは入国審査の際にワインが無料でもらえます入国審査の女性係官はとても笑顔が素敵で愛想が良いし、さしたるチェックもなく…。このまま入国許可のスタンプ押してくれるんじゃないか…。出発地を聞かれたのでミンスクだと答えたら「
第一章ミンスクの青い空(4)【そしてミンスクへ】②ミンスクこの街で何ヶ月も過ごすことになろうとは...「フライトは予定通り。だけどお前は乗れない。」理由を聞いても「わからない。」それ以上交渉しても無駄だってことは間違いないので別ルートを調べてみると、ミンスク経由でなんとかトビリシに戻れる…。急いでチケットを買ってカウンターに行くと、またもや「乗れるかどうかわからないからちょっと待て。」の指示。なんだかアヤシイ…。嫌な予感はしたけど
第一章ミンスクの青い空(4)【そしてミンスクへ】①トビリシ中心部のショッピングセンターフードコートにあった寿司屋店名は「YAKUDZA(ヤクザ)」アパートに現れたあの虫が同じ虫だったとすれば、そしてそれが東條だったとすれば、三ヶ根山、硫黄島、トビリシが一つにつながります。東ヨーロッパの一都市のテレビ番組で東條を見かけることなど普通に考えればまずありえないし、そのすぐあとであの虫が現れたことを考えるとそれが東條だと考えざるを得ないですね。三ヶ根山から硫黄島、とい
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】⑨トビリシアパート裏の路地トビリシのテレビ放送で東條が...ただの偶然ではない予感はしましたそれから2、3日経った日のことです。部屋でパソコンに向かっていると突然黒い大きな虫が現れて僕の頭上を飛び始めたんです。あの虫ですよ、たぶん。二月という厳寒の時期で昼間でも摂氏2〜3℃だったから、もちろん窓はガッチリ閉めているし、玄関しかり、部屋のドアもそんな大きな虫が通る隙間はありません。
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】⑧トビリシのアパートのテレビに東條が...思わず携帯で写真を撮ったでは、トビリシに話を戻します。トビリシでの生活をスタートさせて一週間くらい経った頃だったと思います。朝から晩までトビリシの市内を歩き回る生活で、部屋に帰ると疲れでそのまま寝込んでしまうような毎日だったんですけれど、その日は何か違ったんですね。アパートに帰ってテレビをつけると、驚いたことにそこに東條が映っている。東京裁判で絞首刑の判決を受け
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】⑦炊事場跡米軍が上陸した海岸ここで戦った部隊の碑硫黄島に入って三日目だったですかね…その日も数珠片手に歩いていると、突然黒い大きな虫が僕の頭上に現れたんですよ。摺鉢山に向かって歩く(遠方中央が摺鉢山)...黒い虫が現れたのはこのとき硫黄島にはムカデ(ヘビと同じくらいの特大サイズです。頻繁に出没)、ゴキブリ(壕の中で大群に遭遇)、古木に寄生する小さな蜂のような虫(人を刺すらしいんですが僕は幸い被
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】⑥C130輸送機に搭乗して硫黄島へ...「殉国七士墓」を辞して駐車場に戻ると、黒い大きな虫が僕の頭上をぐるぐる回って離れないんです。どんな虫なのかはわからないけれど、とにかく大きいんですよ。数匹いました。山の中だからいろいろな生き物がいるだろうし、それくらいの虫が飛び交うのは何も不思議なことじゃないです。だからこのときは特別気にもかけることはありませんでした。そしてその数日後、僕は自衛隊機で硫黄島に降り立ちました。
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】⑤殉国七士墓この前で...79年前激戦の地・硫黄島...この島に向けて出発する数日前、僕はある思いを持ってこの殉国七士廟を訪れます。硫黄島の戦いを指揮して玉砕した栗林忠道中将はその戦いぶりからネト●ヨさんたちのヒーローでもあるわけですが、実はこの栗林中将を硫黄島の指揮官として派遣したのは、他ならぬときの総理大臣兼陸軍大臣の東條だったんですよ。硫黄島に行ったら島内をくまなく歩いて、数珠片手に慰霊して回ろう、と
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】④三ヶ根山中殉国七士廟また本筋から脱線しますがトビリシでのできごとの重要な伏線となるお話を...太平洋戦争が終わったあと、極東国際軍事裁判いわゆる東京裁判で、戦争中の軍・政府指導者七名がその責任を問われて死刑を宣告されました。ご存知の通り、世に言う「A級戦犯」ですね。(東京裁判についてはまた後で触れます。)刑の執行を終えた7名の遺体は火葬された上で、遺骨は遺族に返還しないという占領軍の意向で太平洋上
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】③「REDARMY憎し」が伝わってきます…ボルシェビキロシアに乗っ取られ、ロシアにコテンパンにされた経緯があるから、いくら旧ソ連の一部だったとはいえ、旧ソ連や現在のロシアに対する反感は根強いんですよね。それを反映するのがトビリシ市内の博物館で、ボルシェヴィキにズタズタにされて多くの人が命を落としたグルジアの歴史を、写真や実物で事細かに解説しています。ナマナマしい展示でした...僕もここに行きましたけれど、
【ひふみ(一二三)の日】1月23日(火)は…【ひふみの日】です。言葉や数には魂があります。言霊と書いて,「ことたま」「ことだま」と数霊と書いて「かずたま」「すうれい」と呼ばれています。言霊は…人が発する言葉に魂(エネルギー)が宿っていること。数霊は…数にも奥に秘められた力があること。言霊と数霊は…陰陽のように表裏を表し、一体となっています。この言霊と数霊が一体になったのが,ひふみ祝詞の47音です。最強の浄化祝詞【ひふみ祝詞】を大きく高い声で,3回,1日3セット奏上して,浄化
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】②この二つの地域は「俺たちゃジョージア国民になるのはイヤだ!」と言っておりますちょっとここで前回記事で触れた話題を深掘りして...どうしてジョージアがロシアと一戦交えたのか、ってことに少し触れますが、これも御多分に洩れず「民族」「ロシアへの帰属意識」というのが絡んでいるんですね。日本ではあまり知られていませんけれど、問題の根源はなんとなくウクライナと似ています。もともとジョージアは20世紀初頭に独立国として
第一章ミンスクの青い空(3)【トビリシでのできごと】①NarikalaFortress(ナリカラ砦)から見下ろしたトビリシの街並みなかなか書く作業が進んでいかないまま、時間だけが過ぎていきました。ちょっと書いてはまた別のトピック思い出すから、途中まで同じで途中から内容が何度も変わる…。ハードディスクのファイルは1、2、3…って枝番がついてどんどん増えていくわけですよ💦そうこうしているうちに僕は旧ソ連の一部だったジョージア(旧グルジア共和国)の首都・トビリシで生
第一章ミンスクの青い空(2)【少年飛行兵と私】④物語は次の場所ジョージア(旧グルジア)・トビリシへと続く...(写真はトビリシ中心部・TheBridgeofPeace)ブログを削除したまま放置するってことは僕の活動に協力してくれたり、そしてまた僕に平和への想いを託してくれた人たちを裏切ることになるし、彼との約束も果たせないだから...もう一度彼との出会いからの数年間を文字にして残そうと思ったわけです。最後にブログ記事書いてから相当時間経っていましたから
第一章ミンスクの青い空(2)【少年飛行兵と私】③彼との旅を象徴する場所英彦山〜爆発踏切彼の「遺志」を探るために足を止めることはありませんでしたしおそらくこれまでの人生の中であれほどエネルギーを費やしたことは他にはないだろうと思いますただ…その反動なのかはわかりませんが、大学院を修了してもしばらく何もする気が起きなくて、ただ時間だけが過ぎていきました。これで全てを終えてしまうということは、これまで僕の活動に協力してくれたり、そしてまた僕に平和への想いを託して
第一章ミンスクの青い空(2)【少年飛行兵と私】②こんな資料も探しに...何度も防衛省防衛研究所に通いましたね万が一のこともあるしスピリチュアルの世界にイカれた候補者だと思われるのもなんだし今から思えば別に選挙終わってから消去しても良かったんですけどね然して選挙は見事落選…。ブログはアカウントごと根こそぎ削除しちゃいましたから、なにか思い立っても記事は書けないわけです。仮に削除しなかったとしても選挙でエネルギー使い果たした空虚感でたいしたことも書けなかったでし
東條英機(首相・陸軍大将)遺書全文開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。今回の刑死は個人的には慰なぐさめられておるが、国内的の自らの責任は死を以もって贖あがなえるものではない。しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。
第一章ミンスクの青い空(2)【少年飛行兵と私】①「少年飛行兵と私」あのブログの時もこのプロフィール写真でした僕が前作を書き上げたのは2020年、東欧の街・ミンスクでのことでした。書き始めたのがたしか2015年暮れくらいでしたから、足かけ5年かかったことになります。彼との旅が始まったのは2010年。彼の「仲間」を探すためにあちこち駆け回りながら、その一つ一つの出来事を備忘録がわりに「少年飛行兵と私」というブログに記録し続けていました。ところが、僕が政治家を目指して
第一章ミンスクの青い空(1)【快翔萬里〜空の果て遥か】⑤昭和20年2月東條邸にて私服姿の東條と彼たしかに当時の写真雑誌を見ると、駅のホームは人があふれていて切符がなかなかとれないと書いてありました。「総理にお願いすれば切符ぐらいすぐにとれたんですけれどもね…福岡には帰らずいつも東條さんのところに通っていました…。」父親との確執があったと英子さんから聞きましたが福岡に帰らなかったのはそれだけではなかったと思います。彼が飛行機乗りを目指したのも、東
第一章ミンスクの青い空(1)【快翔萬里〜空の果て遥か】③彼の青春の場所・東京陸軍少年飛行兵学校僕は彼が言う「仲間」探しの旅に出ました彼が18年という短い期間で過ごした場所…生まれ育った世田谷から人生を終えた沖縄・比謝川河口まで...側から見ると、「何かに取り憑かれたように」という表現ができるかもしれませんが僕からしてみると、「どんどん何かに導かれていくように」という感覚だったと思います。結局半年以上の月日を経て、僕はとうとうその「仲間」を探し当てました。
もうねぇ、かなり気付いているだろうね。日本の野球が軍隊に近いことを。東條英機の下僕Level。世界から死刑された元首相を美化しても意味はないよね。マジでなぁ酷いよ。コレなぁ
この本が全ての始まりだった...この二作目を連載するにあたって、まず前作「快翔萬里−空の果て遥か」の内容について少しお話ししておきたいと思います。前作は、特攻隊員として戦死を遂げた十八歳の青年の霊が僕に語りかけ、僕がその青年の生涯を追っていく中で、特攻のこと、そしてあの戦争のことについて記憶を掘り起こしていくという物語です。彼がいた場所、そして彼を知る人々を訪ね歩いた数年間の過程、そしてその中で体験した不思議な出来事を、すべて事実そのまま、ありのままに記した「僕と彼との旅の