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5月3日(土)と4日(日)はJ2「ブラウブリッツ秋田」VS「いわきFC」の試合を応援に福島県いわき市の「ハワイアンズスタジアムいわき」等へ行ってきました。試合には秋田からも多くのサポーターが駆けつけ、結果は1-1の同点でしたが大いに盛り上がったものです。3日(土)は朝の5時前に秋田市の自宅を出発し10時30分頃にいわき市へ到着、試合前には小名浜にある「アクアマリンフクシマ」へ、試合後には「いわき炭鉱博物館」を見学し広野町で宿泊したものです。4日(日)は絶対に来たかった「J-VILLAGE
ご訪問ありがとうございます♡2022年、胸水が再度溜まり出し癌が活発化してきましたので「癌と闘わずに第二章」となりました第二章は綺麗ごとなく書きますすべてお話しするわけではないですがそれなりにお伝えします店では病状などのお話はしておりませんのでご理解の程よろしくお願いします◇記事のテーマ分けは2020.7月からしていますInstagram-gem_hair_factory基本自撮りです・笑お盆休みに体調が許すならと計画していた石川県から福島県へ
震災遺構浪江町立請戸小学校苕野(くさの)神社から車で2分震災遺構として残る、請戸小学校を見学しました請戸小学校では、ひとりの犠牲もなく、生徒、教職員全員が助かりました地震発生時、千葉市は震度5強、私は仕事で接客中でしたフロアにある可動式の旅行パンフスタンドが、クルクル回って、バタンバタンと倒れたのを覚えていますビルの壁にヒビが入り、何も持たずに屋外に出るよう、臨時放送が流れました請戸小学校では、地震後、教師が生徒を連れて1.5キロ離れた大平山に向かって走りまし
福島県の双葉町にある【東日本大震災・原子力災害伝承館】😢『東日本大震災原子力災害伝承館【1】』福島県の双葉町にあるこちらの施設【東日本大震災・原子力災害伝承館】海の近くにありますがこの建物と隣の産業交流会館以外は何も無く改めて被害が大きかった事を感じる…ameblo.jp『福島県【双葉町】復興を目指す街を歩く』福島県の双葉町東日本大震災の時に福島県でも特に津波の被害が大きかった場所の1つです。駅からは海は全く見えません。もし自分でもここまで波が来るのは想像出来ません…ameblo.jp
福島県の双葉町にあるこちらの施設【東日本大震災・原子力災害伝承館】海の近くにありますがこの建物と隣の産業交流会館以外は何も無く改めて被害が大きかった事を感じる場所です。この建物の周りは本当に何もありません。『ポケフタ【福島双葉編】』東日本大震災で長らく立入禁止区域となっていた場所の1つ双葉町初めて訪れた場所でしたがこれだけの時間が経っても、こんな感じなんだと考えさせられる場所でした。双葉…ameblo.jp『福島県【双葉町】復興を目指す街を歩く』福島県の双葉町東日本大震災の時に
東日本大震災・原子力災害伝承館震災遺構浪江町立請戸小学校アクアマリンふくしま吸盤みたいに張り付く子がいました♡東日本大震災から13年。神奈川県も影響があり、輪番停電やガソリン不足などを経験し、今でもガソリンが半分になると満タンに入れています。震災以前の浪江町には伺ったことはありませんでしたが、原子力事故で浪江町や請戸小学校からアクアマリンふくしまに向かう道の周辺が一部帰宅困難区域のようでとても閑散としてしていたり、津波の影響でなにも建物がない場所も多く、まだ終わってないんだなと思い
福島県の観光スポットのお話🏫本日は3月11日。東日本大震災から13年が経ちました。昨年(2023年)の秋に福島県を訪れた際に、震災の被害があった浪江町、そして双葉町へと行ってきました。この辺りは震災による津波の莫大な被害があった場所です。浪江町は、福島県浜通りに位置する町。浪江町立諸戸小学校🏫は津波の被害に遭われた学校で、現在はその時の様子を残し、震災遺構とし展示がされています。かつて校庭だった場所でしょうか駐車場となっています。校舎そのも
たくさんのお話を聞くことが出来て知らなかったことを体験として知れて本当によかった。どうしても文字だけの情報だと頭に全然入ってこないタイプにとってこういう施設があることはとても意味があることだと思った。最後にアンケートに記入。ちょっと時間がなくなってきて急いでいたけれど書き出したら止まらなくなって裏面にまで到達してしまった。ものすごく字が汚い。でも素直に書いた想い。忘れないでいたい。そして、次なる目的地、請戸小学校に向かうのです。橋本菜摘
〜福島旅行2日目〜ホテルって信じられないくらい暗転効くから(言い方)朝方も深い場所で眠ってることがよくある爆音のアラーム音で叩き起こされいつも以上に”んんん〜…”って不快感をあらわにした鳴き声を上げながら己を奮い立たせて眠気に打ち勝ち朝食ビュッフェへ。ホテルの朝食って幸せを感じるイベントだわぁ。ただ、これを食べるとどうしても劇団の旅公演を思い出します(笑)満腹になって満たされて、いざいわき駅から移動。目的地は”双葉町”。向かう電車内。あれ?全然人が乗ってない。
ラジオで高波がくると叫んでいる最初は3m・・・それが、6mになり、やがて10mを超えてくる。「迫ってくる海の中は何があると思いますか?」・・・「黒い海の底が見えるんです」堤防から逃げ帰って来た語り部氏は、奥さんと鳥居をくぐり抜けて階段を上る。ご近所の女性(77歳と92歳)に会ったので「逃げろ~!」と叫ぶ。ばっぱ(ばあちゃん)「どこさ逃げればええのか?」左手に家内、右手に77歳、家内は92歳の女性の手をつないで階段を上る。10段目で後ろを振り返ったら、想像も
※被災物の写真、原発事故に関する記述があります。閲覧の際はご注意下さい。前回までの記事はコチラから。双葉・石巻13年目の現実|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓エミリーさんのブログテーマ、「双葉・石巻13年目の現実」の記事一覧ページです。ameblo.jp東日本大震災・原子力災害伝承館の展示は地震・津波被害・原発事故だけでなく、復興に向けての展示も数多く見られた。一通りの展示を見学したあとは伝承館3階のテラスへと足を運んだ。3階のテラスに上って初めて海が見えた。そして
※被災物の写真、地震・津波・原発事故に関する詳細な記述があります。閲覧の際は十分にお気を付け下さい。前回までの記事はコチラから。双葉・石巻13年目の現実|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓エミリーさんのブログテーマ、「双葉・石巻13年目の現実」の記事一覧ページです。ameblo.jp「災害のはじまり」の展示を見たあとは、東日本大震災と原発事故によってもたらされた被害の展示を見た。撮った写真がボヤけてしまったが、地震発生時刻で止まった時計、津波到達時刻で止まった時計
前回までの記事はコチラから。双葉・石巻13年目の現実|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓エミリーさんのブログテーマ、「双葉・石巻13年目の現実」の記事一覧ページです。ameblo.jp東日本大震災と原発事故の時系列での展示を見たあとは、東日本大震災・原子力災害伝承館のメインとなる展示を順路に沿って見ていく。メインの展示は5つのセクションに分かれており、最初のセクションは「災害の始まり」だった。震災前の町の様子や、東電の存在が地元にとってどれだけ大きなものだったかがよく分かった。
※東日本大震災発生直後の地震・津波・原発事故に関する写真があります。閲覧の際は十分にお気を付け下さい。前回までの記事はコチラから。双葉・石巻13年目の現実|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓エミリーさんのブログテーマ、「双葉・石巻13年目の現実」の記事一覧ページです。ameblo.jp双葉町産業交流センターでなみえ焼そばを食べたあとは、旅行1日目のメインである「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見学する。この施設は2020年9月に開館し、福島県内の地震、津波被
写真メインに。改めて書くかも🤔朝めし(晩めしに比べると、質素だが、温泉宿らしい😜)昼めし(このために相馬まで行ったと言っても過言ではない)まぁ、普通に美味しかったが、ここに来て、食う買うことが第一✨おやつ(道の駅なみえ)「甘酒ソフト🍦(ノンアル)」本日のメイン確かに、相馬からこのあたりまで、できる限り海に近い道を走ったけど、だだっ広いところが多かったよ😔今は平和な海🌊この看板の向こう側、目の前の林の部分は施設敷地内になる😔ここを右に曲がると中間貯蔵施設(の用地)国道6号線を左
波が高かった北泉海水浴場は、翌日に開催されるイベント設営準備のため、閉鎖されてたので、再度相馬にある原釜尾浜海水浴場へ行きました!平日ということもあり、やっぱり空いてますそれにしても、暑かった🥵新しい浮き輪も🛟思ったより波は少なかったかな大人は暑さに耐えれなくなってきたので、そろそろ帰ろうと声がけしましたが、まだ遊びたいって。炎天下の中、結果1時間ちょっと遊びました。見事に、顔から背中から真っ赤に日焼け。わたしも、日焼け対策していたものの、ふくらはぎの一部が焼けてしまいました
毎日、『熱中症警戒アラート・・・!』が、全国各地に発令されて居ると、TVのNewsが教えてくれて居りますが、確かに、熱いですなあ・・・!この時季(=6月)の熱さだと、『初暑、お見舞い申し上げます・・・!』とでも云えば、佳いのだろうか・・・?否・・・、『初熱、お見舞い申し上げます・・・!』って状態だわなあ・・・(汗)TVが、『命に関わる熱さ・・・!』と云われても、用事が有れば出ない訳にも行かないのが、人間の日常(=生活)と云うモノですが、そんな中で、午後
福島県双葉町、あの福島第一原発から約4kmのところにある「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪れました。常磐線利用です。東京発8:53のひたち3号で終点のいわきまで。いわき着11:24。乗り継ぐ電車の発車時刻まで50分ほど時間があるので、駅前のレストランで軽く昼食。いわき発12:14分の普通列車に乗車し、双葉駅で下車。双葉は無人駅ですが、東京からここまでSuicaが普通に使えます。放射線量は0.085μSv/h。やはりちょっと高いですね。駅前を
米沢に寄ったブログを書いてようやく1か月前のアウェイ遠征の旅の道中を書き上げましたが、秋田南ICから高速に乗って最初に寄ったのが長者原SA。利尿剤飲んでるから西仙北・大森・山内のどこかで一旦はWCって事が多いんですが、なぜか古川まで持ちました(笑)ここで何か買うつもりでしたが、目的の商品が見つからず、菅生PAにて。新しくなった国見SAには初めて寄りました。福島以南へ向かうとしたら米沢経由か鶴巣で給油して常磐道通るかが多くなりそうなので中々寄れなくなりました。
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追悼セレモニーの最後に花火があった『アルム』さんを予約した時点でセレモニーの内容まで確認せず⌛東日本大震災・原子力災害伝承館を出ようとしたときに館内のアナウンスで「ただいまより音響確認を致しますピアノの調律らしき・・・「本番は17時からですオイラ「一旦、外に出て戻って来てもいいですか「もちろんです時間になるピアノ生演奏、続いてフルート&ギター生演奏聴いていたこれで終わりかと思いきや司会の方から「ただいまより追悼の花火「屋上テラスからも見られます他の拝観者
祈ります
双葉駅で降りたのは3回目あまり時間はない駅前広場をぐるっと見て何台かのカメラを見つける「映りこまない場所へ」建物の壁にひっついて、隅っこで待つ今年の空は青間もなく、そのとき防災無線が告げた『1分間の黙祷』駅で黙祷をしたあと先に花壇を眺めて⌛それから伝承館へ国道に沿って桜が植えられている⌛⌛この絵を書いてくれたのは約11~12年前か今は二十歳前後くらいだろうかそして・・・⌛3回目の双葉町訪問4度目の伝承館見学ある展示物に描かれていた文章悲しみと歯が
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東日本大震災・原子力災害「伝承館」複合災害の記録を残す場所・展示物の撮影可能インタビュー動画等の映像は撮影不可避難者向けに福島民友・福島民報さんは「ダイジェスト版」を配ってたんだね震災関連のご不幸の数前回の訪問時は何人だったのだろうウクライナから・・・このコーナーで“ココロの涙腺”決壊⌛⌛前回、時間を取らなかった「語り部」時間がちょうど合ったので席に座り聞く地震から数日後小学校5年生が書いた作文をもとにした言葉の数々記憶に残しました⌛⌛屋上広場へ流
6/4(土)7:30道の駅猪苗代発15:45道の駅ならは着走行距離196.6㎞昨日とはうって変わって青空が広がった気持ちの良い朝を迎えた。こんな日は車内整理も自然とはかどる・・・・今日は息子が小さいころ喜んで登った磐梯吾妻スカイラインの途中にある吾妻小富士を登る予定。7:00に出発。7:50に浄土平ビジターセンターに到着。ここが登山口になる。ビジターセンターの駐車場は8割がた埋まっている。ここから周辺の山を登る登山客の拠点になっているようだ。記憶にある小富士と
3月11日長女11歳誕生日。福島県伝承館へ親子で向き合う時間を過ごしました。明るい未来と世界平和を願うと共にご冥福を心よりお祈り申し上げます。
【東日本大震災と原発事故】あの時、福島で何が起きていたのか?未曾有の巨大地震と巨大津波が東北地方を中心に広範囲に渡り甚大な被害をもたらした。福島第一原子力発電所も深刻な事態となっていく。福島第一原子力発電所で採用されているのは沸騰水型原子炉=BWRと呼ばれている。鋼鉄製の圧力容器、中には核燃料が入っている。外側は格納容器。本来、地震などで緊急停止した核燃料は早急に冷やさなければならない。地震のすぐ直後、停電が起き、非常用発電機に切り替えられた。しかし、午後3時35分頃、福島第一原子
福島県双葉町「東日本大震災・原子力災害伝承館」訪ねて感じたことがある当日のリアルタイムの感覚(大阪在住)書籍で知った様々な人々の苦労、気持ち沿岸部をはじめとした県内各地を歩いて気づいたことバラバラな記憶忘れてしまっていた記憶1つに繋がった気がした時間がある人は複数回に分けて見学するといいあの時、世の中を駆け巡った言葉『絆』ところが、コロナ禍で浮き彫りになったのは『分断』いろいろと思うことがあって複雑だ【伝承館を訪ねて再認識したことのメモ】原子力災害や東日本大震災