ブログ記事232件
ご訪問くださりありがとうございます今日は東日本大震災からちょうど7年になりますわがやは北関東私の住んでる地域でも家が崩れたり…傾いたり塀や屋根瓦が道路に崩れ堕ちこの日は長女はたまたま学校を休んでおりお義母さんの自営のお店にお義母さんといました1歳半の長男は保育園さいわい自宅とお義母さんの職場から近い場所に保育園だった為地震直後に向かったので道路は渋滞せずに迎えに行けました保育園ではちょうどお昼寝の時間で先生たちが子供たちを起こし園庭にゴザを敷いて
今年で7年かぁ
www;今夜わw寒いっ酢;身に沁みま酢な~;引っ越し難民?ひょっとして;その影響かw急におしごと回る;;4月切り替え前だが;もひとつ感の中;ラッキー^^;しっかしw受注の高低差;激しいな爆;お;うさぎちゃん達じゃいかw何しちょるん?って映画鑑賞に、ショッピングなんだとか;卒業おめでと♪爆;自慢の、オッス部兼高校の後輩の彼女;結局国立わwダメだったが;難関私立大決定だとかよかったで酢な
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆根本修二さんNHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方の<明日へのことば>というブログを元に編集しています。2018年3月8日木曜日根本修二(福島県南相馬市園芸会社社長)・大震災を乗り越え、シクラメンで日本一!大震災から今年でまる7年になります。この地震で様々な産業が壊滅的な被害を受けましたが、根本さんの経営する根本園芸もハウスが倒壊し、その
新実徳英さんNHKラジオの「明日へのことば」の番組を、若い人の目に留まるかと思われ投稿を続けていられる方の<明日へのことば>というブログを元に編集しています。新実徳英(作曲家)・歌い継がれる“つぶて”ソング東京大学工学部を卒業した後、東京芸術大学に入り直したと云う経歴の作曲家です。ピアノ曲や管弦楽、合唱曲などの作品があります。NHKの全国学校音楽コンクールの課題曲でも、平成25年の高校の課題曲「ここにいる」を作曲したり、平成19年の小学校の課題曲
『似合う色』と『似合うファッション』で、美しい個性を見つけるお手伝いをしています。パーソナルカラリスト&感性インストラクターの佐藤博美です。先日、東北教区ボランティアセンターにて【色を楽しむ講座】を担当させていただきました♪今回のボランティアセンターは、東日本大震災で被災された仙台市にお住まいの方々のためのイベントを継続開催しています。「講座」と「ティータイム」により楽しみながらオシャベリをしたりお互いの近況を話あったりと参加者の皆さまに喜ばれるイベ
Dreamcomestrue.この五輪シーズン小さい時から夢に見てこの時がくるまでがんばってきたという羽生選手。今は治療とリハビリに励み全日本を目指す日々が続くがふと「苦しい時にこそわかることがある」というソチ五輪シーズンに語った言葉を思い出した。彼は今4年前のその時以上に有意義な発見をしているのではないだろうか。羽生結弦18歳。彼はソチ五輪シーズンを迎えていた。そのフリープログラム「ロミオとジュリエット」は羽生選手の強い希望で決まったも
東日本大震災で「大規模半壊」に認定された我が家のマンション。よって「被災者」認定されているので毎年義捐金が支給されています。本日は給料日なのでお金を引き落としに銀行へ行ったら今年も「義捐金」が支給されていました。(最初に比べると本当に微々たるお金です)ありがたいことです我が家の場合は食器の被害が大きかったようです。(っていう言い方は私がその時東京へいて帰宅した時には片付いていたので詳しい被災状況はあまりわからない)使おうと思って「あれ、ない?」と思うとたぶん割れちゃったんだな・・・と
土曜日、元旦那と仙台に行って息子のスマホの機種変をしたので施設にいるひいおじいちゃん仮設にいるひいおばあちゃん、おばさん閖上に出掛けていたおじいちゃんに息子の顔を見せに行ってきた。仮設は今までいたところがなくなるということで引っ越ししていた。今までより遠くて不便そうな所で色々住みづらそうだった。おじいちゃんは仮設に居づらいらしくいつも閖上のほうに出かけている。今回は日和山というところにいた。前にもきたことがあった。これは以前にきたときに撮った写真。プレハブのような建物
東日本大震災から6年7ヶ月。この6年半で、福島、石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田町の各地を訪問して感じたこと。「復興の歩み」には地域差があることです。まだまだ仮設住宅での暮らしを続け、元の暮らしに戻れない人も多いのです。関心が薄れる中、一人でも多くの人に被災地の現実を知って頂きたいです。今年も、10/15(土)~10/26(水)まで、JR岐阜駅ハートフルスクエアGの2階にて、東日本大震災の写真展を開催します。また、今後発生するであろう首都直下地震や南海トラフ地
〜うつを乗り越え、取り戻した笑顔で歌う〜笑顔を届けるハートフルシンガー稲田貴久です。このブログは、うつになり、10年の闘病、3度の克服、1度の自殺未遂を経験した著者が、うつを乗り越えた今、うつから学んだ大切なことをお届けするものです。今日は、9月11日。東日本大震災発生から、6年と半年。ぼくは、被災地のみなさまのことを他人事とは思えません。ぼくと比べては、被災地のみなさまに失礼かもしれませんが、うつ病により、仕事やお金、家族などを失った経験があり、災害により大切なものや人をなくされた
こんにちは銀座・サウンド・ヒーリング・センターの入江です。私の趣味の一つに鉄道模型があります。特に↓こんなローカルな風景が好きで、そればっかり集めたり、作ったりしています。集めてばかりで、動かすことはありません。先日、この手の祭事があって行ってきました。そのときの展示です。自分的には、もっと古い時代(昭和40年代)がストライクですが、ローカルであれば何でも良いです。その年代、私の母の実家があった「いわき平」にはよくいきました。当時は特急は高値の花ですので、急行で行きました。上野から3
ご無沙汰しています。今日は、3.11から6年5ヶ月です。早いような長いような。ご冥福をお祈りいたします。ふと7年前に亡くなったおじいちゃんの事を思い出しました。90歳でした。誕生日の前の日になくなりましたが、90歳を心待ちにしていたので90歳でとしました。おじいちゃんはとても優しくお婆ちゃんを愛していて亡くなった当日、自分が辛いのに車椅子でお見舞いに来たお婆ちゃんに寒くない?と、自分の毛布を差し出すとても優しいおじいちゃんでした。私は、おじいちゃんが危篤と言われて東京から岩手まで朝一
東日本大震災から6年、熊本地震から1年が経ちました。復興半ばです、皆様からの温かい支援をお願いいたします。
東日本大震災から6年まだまだ皆様のご支援が必要です。
東日本大震災から6年忘れてはいけない感謝
気付けば...ものすごく放置期間が長すぎて皆様お忘れになられたかもしれません東日本大震災から6年が過ぎました。今、周辺は復興工事が進んでおり新たな街が生まれます!!そんな被災地で、当時2歳だった息子は8歳になりました。5歳からピアノを習い始め、もうすぐ3年になります。今年度は多くのコンクールへ出場し、ずっと目標にしていた上位入賞(国際コンクール第1位)することが出来ました。YouTubeにアップしましたのでご覧下さい♪♪
東日本大震災から6年目をむかえた2017年3月11日は、岩手県釜石市にある“宝来館”に宿泊させていただきました。きっかけは、女将の岩崎昭子さんからのお誘いでした。「今年は七回忌なんです。守屋さん、もしよければ、宝来館にご宿泊いただけませんか?実は、“釜石あの日あの時甚句つたえ隊”の北村弘子さんと藤原マチ子さんが、特別な唄を披露する予定なんです」と。この一言で、今回の東北滞在を決めました。<震災甚句(震災語り部)をご存じですか?>東日本大震災の教訓を、広く伝えつなぎたいと、津波の状況や、あ
昨日はananの表紙が来てファンが狂喜乱舞する姿が目に浮かびましたPCとスマホの向こうで当然!私を筆頭にうおぉぉぉぉさっすがanan!しかもananの文字を押しのけるという前代未聞な事をやってのけたのがアイドルでもタレントでもなくアスリートの羽生さんだという事実が凄すぎる!・・・とお昼休みにニヤニヤが止まりませんでした(爆)今日はやっとお休み。皆様昨日はanan表紙投下の他にもイベントがありましたが(笑)私もあやうく忘れそうでした、ホワイト
先日3月11日、東日本大震災からちょうど6年が経ちました。あの日は眠気と戦いながら就職活動に向けて履歴書を書いていた時にあの長い揺れに怖さを感じていました。テレビの緊急報道特番で東京の高層ビルから黒い煙が出ているのを見て「これは重大なことだ」と思いました。釧路市内での釧路市地域雇用創造協議会主催のセミナーでは、道外からの講師の方が講演をなさるのですが、なかには東北出身の方も講師をなさっていました。まずは2年前(もう2年前になるのか!)の秋に行われた観光集客ビジネスセミナ
東日本大震災から6年目(七回忌)となる2017年3月11日は、岩手県沿岸部で迎えました。色々な方とお会いして、ずっと考えていたのは「何をもってして復興したといえるのだろうか?」ということです。ハードの復興は進んでいるものの、仮設住宅にお住いの方もまだ多数。行方不明者もまだまだいらっしゃいます。今回お会いした方々との思い出とともに、感じたことを少しずつ、綴ってみたいと思います。《写真:大槌町の前町長・碇川豊さん》大津波がおしよせて、甚大な被害をうけた岩手県大槌町。当時の町長以下、役場職員の
安定の更新おっそw3/11のBARJunctionアラビアンショーにご来店の皆さま、誠にありがとうございます。震災後6年目。追悼イベントではなく楽しいショーだから、こんな日数経っても辛気臭いのはアレだけど、3/11くらい祈りを送ってもいいと思って。冒頭は黒のワンピースにスカートをくっつけて、衣装にしました。ウード奏者の浅見さんに我儘言って演奏して頂き、心込めておどりました。でも、やっぱり衣装だけでは分かりにくいようで、ナレーションあったらいいのに!との声も頂きました。ですよ