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「文化村通り」ならわかるけど、「渋谷文化通り」なんて知りませんよね?私が勝手につけたわけでもなく、1994年のゼンリンの住宅地図に書いてあったので、うれしくなってタイトルにしてしまいました。かつて渋谷に東急文化会館があったころ、渋谷駅(東横ボード)からつづく跨道橋を渡り切ったあたりの位置に「渋谷文化通り」と書いてありました。東急文化会館閉館直前(駅側から)昭和の時代には、手書きのもっと大きなパンテオンの映画看板があったように思います。(画像は2枚とも「東京福
今朝は、昨日の午後訪れた表題の展覧会について。その概要については、下記<参考>をご覧あれ。さて、11月の末だったか、東急から中間決算報告とともに「世田谷美術館企画展ご招待券プレゼント」なるものが送られてきた。抽選で、100組200名を表題の展覧会に招待するとのこと。ダメもとで応募しておいたところ、後日招待券が送られてきた。会期の終わりが迫ってきたので、昨日、家内ともに訪れた次第。(招待券の半券)
不思議な体験したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようE.T.は小学生の時、今はなき東急文化会館内にある映画館渋谷パンテオンで鑑賞したコンサートホール並みの大きな映画館で日本語字幕に?しながらも見た想い出がある。跡地は渋谷ヒカリエになっています。最後に渋谷パンテオンで観た映画はマトリックスだったが、同じ建物にあった渋谷東急という映画館で魔女の宅急便を見たことがある今でいうシネコンでした。12月4日【E.T.の日】映画「E.T.」が日本で公
私は東急文化会館が大好きだったもので、ついついヒカリエの悪口を書いてしまうのですが「(無料)展望台」としてはものすごく利用させていただいているのでその点では感謝しかありません。今日もちょっと時間があったので、11階まで上ってみました。遡ること21年、文化会館が閉館したのが2003年。9年後にヒカリエが開業し、翌年東横線が地下に移動します。その時点で、すでに激変すぎて、もう頭がついていけなかったんですが、ちょうどそのころの様子。(2003年12月)古い跨道橋はなく
今日も私のブログを見に来てくださり、ありがとうございます。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう親切だなと感じたこと教えて!今日、星組公演『BigFish』を観て来ました。この公演は、知人からお誘いを受けたもので、感謝感謝!『BIGFISH(ビッグ・フィッシュ)』潤色・演出/稲葉太地【あらすじ】まるでお伽噺のように自らの人生を語り、周囲を魅了するエドワード・ブルーム(礼真琴)。未来を見通す魔女(都優奈)や、共に旅に出た巨人
デパ地下でユーハイムを見つけ大好きなフロッケンザーネトルテを買ってきました。本当に久しぶり☺️やっぱり、とっても美味しかったです。このケーキはCAの仕事をしている頃よくいただいていたのです。渋谷の東急文化会館の一階にあったお店はケーキを買うのは勿論待ち合わせ場所として喫茶店もよく使わせてもらっていました。大好きなお店だったんです。映画を見た後プラネタリウムを見た後よく行ったなぁ…懐かしい思い出です。
不思議な体験したことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようE.T.は今の渋谷ヒカリエのある場所にあった東急文化会館内にあるパンテオンという映画館で観た。コンサートホール並みの大きな映画館で、今の時代あれだけ大きな映画館はないだろう。なのでパンテオンが浮かんでくる映画の内容はファンタジーですねただ、防護服の人が登場するシーンは怖い映画音楽もいいので、観てない人は是非見てください
そして大学入学で上京。渋谷に住んでいたので旭屋書店によく行きました。渋谷は書店がたくさんあるけどなんとなく旭屋が入りやすいな二番手はちょっとオタク向けっぽい大盛堂かな食品の買い物は東急文化会館地下のスーパーまだレジ袋がなくて紙袋だった(近藤ようこ「書店と私」「図書10月号」岩波書店)
今日はもう1本、追記ブログで失礼します。昭和30年代の渋谷東横百貨店・東急文化会館、それに5つの路線の走るターミナル駅の全貌の図解・・・これが「東京人」の特集記事の扉絵になってるのに気づいて元ネタの60年以上前の絵本が見たくなったのでした。『昭和の渋谷⑦東急文化会館』今更ですが、渋谷の駅前再開発はものすごい!2012年のヒカリエからはじまって2018年にはストリーム、翌年にはフクラス・スクランブルスクエア・・まだまだこの…ameblo.jp閲覧できるのは、国会
昭和34(1959)年4月。首狩族部落に伝わる戦慄の奇習を総天然色で長編記録したスイス映画『青銅の顔』(ベルナール・テザン監督)の新聞広告。のちのヤコペッティ映画のように、信じられないような残酷描写をウリにした映画だとは思うのだが、堂々たる文部省選定映画にして優秀映画鑑賞会推薦作品。日本語版ナレーションは初期の劇団四季で活躍した水島弘。私の年代だと『大鉄人17』のブレインの声というか、「有光洋介、警視庁捜査1課の刑事だった~」とかで始まる藤岡弘主演の『白い牙』のナレ
今更ですが、渋谷の駅前再開発はものすごい!2012年のヒカリエからはじまって2018年にはストリーム、翌年にはフクラス・スクランブルスクエア・・まだまだこの先も計画がありますが、私にはとくべつ魅力的にはみえず、(ビルの形状もテナント店舗・施設も)いちおう(迷子にならないように)名前と位置を把握しているだけです。そして新しいビルが建つたびに思い出されるのがあの「東急文化会館」。プラネタリウムのことばかり言われますけど中には4つの映画館、大きな書店などが入っていました。地
先日GoogleCloudのセミナーに行ってきたのでその時の話でも。Googleのオフィスは渋谷ストリームといって、当時の東横線のホームの跡地に作られている。東横線は高校生の頃に3年間お世話になっていて、毎日通ったし、学校に行くのが面倒になったときは、自主的に休校にし、そのまま横浜まで行った。高校生であるのにもかかわらず、渋谷駅で鬼ごっこみたいなこともやって、東急文化会館や東急百貨店東横店に隠れていたこともあった。どちらも今は存在していない。井の頭線のホームの近くに、1
ヒカリエの窓側の席からは渋谷駅が見晴らせるのでついつい長居してしまうのですがスマホのなかに未整理のまま溜まっていた画像もずいぶん失われてしまったので一旦残っているものだけ整理してみようと思いました。ヒカリエができたのはわずか11年前で「昭和」ではないのでまずは、東急文化会館だったころの画像です。(前半は写真集やネットの画像をお借りしました)これは映画のワンシーンのようですが、東急文化会館の屋上って、外に出られたんですね。知りませんでした~銀座線の線路の手前には、そ
渋谷へ行くと思い出す。初めて長いエレベーターに乗ったのは渋谷の東急文化会館だと思う。小学校低学年で夏休みに屋上の五島プラネタリウムに希望の生徒だけ担任の先生が連れて行ってくれたのだと思う。持参のお金は屋上のプラネタリウム見学代だけしか持っていなく。エレベーター代はどうしようと心配だった。お姉さんの説明も時間がかかる。おしっこちびりながら長いエレベーターの時間を過ごし到着して真っ直ぐトイレだった記憶がある。結局料金は掛からなかった。安心したのかその後の五島プラネタリウムは寝てしま
1月31日東急百貨店の渋谷本店が閉店しました。また一つ「昭和」が消えていく…ってことですが,ボクは小田急百貨店新宿本店のときほどの感慨はありません。生まれ育った町は渋谷区西原,最寄り駅は代々木上原駅。小田急沿線だったためか,我が家にとって「デパート=小田急」だったのです。とはいえ,渋谷区民でしたから「渋谷の街」そのものには色々思い出,思い入れがあります。そしてなんでこのブログを書いているかというと,ニュースを伝えるキャスターやテロップが,東急本店を渋谷の「顔・象徴」と表現
2013(平成25)年3月16日東横線渋谷駅のホームが、地上2階からヒカリエの地下5階に大移動!もうあれから10年近くたちますが、東横線利用者はもちろん、渋谷駅利用者にとっても、かなりの大事件でした。今回は、いまはもう亡き「東横線渋谷駅正面改札」の話です。右が移転直前(平成25年)の正面改札口左が昭和50年代の同じ場所です。ここは私たちの学生時代の定番の待ち合わせ場所だったので、非常に懐かしく、「東横ボード」と呼ばれていました。この場所は、正面が東
実は昨日記事をアップする予定でしたが急用で一日遅れになってしましました。昨日6月10日は「時の記念日」でした。日本で初めて時計による「時の知らせ」が行われたことを記念して制定されたそうです待ち合わせにどれくらい待ったことがありますか?スマホ世代の今の若い人たちには、この質問の意味さえわからない人が多いかもしれませんね。今はスマホなどで簡単に連絡はとれるし、待ったとしてもスマホがあれば時間はつぶせます。「待つこと」「待たせること」が当たり前ではなくなった印象ですが、携帯電話が実用化
新宿歌舞伎町の新宿東急ミラノ跡地にまた映画館ができるとか!映画館ができるのはうれしいけれど、ここじゃなくてもいいんじゃない?すぐそばにTOHOシネマズ新宿があってちょっと歩けば新宿ピカデリーやバルト9のあるところにもう要らなくない?と思ってしまうのですが・・・・ただ今回の発表によれば、9~10階に入る東急レクリエーションの運営する「109シネマズ」は8スクリーンで752席というからかなり小規模。ミニシアターではなく、全席プレミアムシートなんですって!(お
人と待ち合わせするとしたら何処で待ち合わせますか。銀座、新宿、渋谷で答えてください。銀座はソニービルの前。新宿は紀伊國屋書店のエスカレーター前、渋谷は東急文化会館の一階にあるユーハイム。(安西水丸「完全版普通の人」クレヴィス)
個性的な友達はいる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう前にも書いたが、この映画は初めて劇場で見た映画。今は無き、東急文化会館内の映画館、渋谷パンテオンで見ました。まだ小学生だったので、字幕に?と思ったり、興奮したりでも、小学生でも内容が分かる、いい映画でした知らない人はDVDでもいいので見て欲しいです。E.T.(字幕版)Amazon(アマゾン)299円あのテーマソングは印象的だった。東急文化会館は今のシネコンの走りだった。他にも三省堂書店、
思い入れのある映画は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう12月1日というより、毎日1日は映画の日ですよね?そして毎週水曜日はレディースデーこの日は1000円で映画が見られた。映画館で見た映画はピンからキリまであるので何がよかったか断言できない近年は映画館はライブビューイングに行くことが増えた。新宿バルトに行くことが多かったですね。(ただ、延々エスカレーターに乗るのが面倒)モーニング娘のツアーファイナルのライブビューイングはよく行ったただ、コロナ禍はど
ご訪問有難うございます。本日もお疲れ様でした。週末、明日も仕事があり、本日はオフにしました。午前中、妻が図書館に本を返しに行くのに付き合って大和田文化センターへ。図書館のある2階に上がると、面白いものが飾られてました。東急文化会館のプラネタリウムで使用されていた投影機です。歴史を感じます。現在プラネタリウムは大和田文化センターにあるようです。いつでも来れると思ってると、なかなか来ません。一度訪れてみたいです。渋谷は色々面白い所が有ります。しっかり情報を収集して楽しみます。
平日の昼下がり、所用で渋谷に出かける。久しぶりの渋谷目的地までの直線経路、駅の出口を間違わないように念入り調べる。最近の渋谷の街の発展ぶりに全くついていけない私。出口を間違えると大変その昔、渋谷駅東口のヒカリエの前身は東急文化会館でした。プラネタリウム、映画館もあり『ニューシネマパラダイス』を観た記憶がある。駅連絡通路にはベルギーワッフルのお店があってメープルシロップの甘い香りを思い出す。そんな事を思い出しながら、目的地まで、宮益坂をツラツラ上っていく。街路樹が道路を囲み、坂を吹き抜
なつかしい日本の思い出を綴る私的な旅行記。つづきです。これまでの記事はこちら。2019年7月13日(土)渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで「みんなのミュシャ展」をみたあと、友達に新しい渋谷の建物を案内してもらいました。思い出深い渋谷も20年以上続く大規模な再開発で、日本に帰るたびに変わっています。2003年に渋谷東急文化会館が閉館した時、そして2013年に東横線の高架駅が廃止され、地下駅となった時は、本当に悲しかったなぁ。東急文化会館の映画館やプラネタリウム、思い
先日、渋谷方面に行く用事がありあのカオマンガイがどうしても食べたくなった。お店に辿り着く前に、東横線を降りたら渋谷駅が未知の姿になっており。。。非効率な歩き方をしてしまった。新しいビルも素敵だけど、トシのせいか東急文化会館や東横が無性に懐かしい。もはや子供の頃の思い出に浸れるノスタルジックな場所は見当たらない。その昔、東横百貨店にはいっつもアドバルーンが上がってたんだよ。赤と白の。東急文化会館には「ジャーマンベーカリー」っていう洋風のレストランがあって母がよく連れて
一昨日午後1時過ぎの渋谷ヒカリエ11階からの光景。10年前の3月11日の東日本大震災の日に渋谷ヒカリエはなかった。渋谷は10年前と大きく変わったなと思う。渋谷ヒカリエが竣工したのは2012年3月でで開業したのが4月26日だった。東急文化会館という映画館やプラネタリウム、ショッピング街や飲食店があった建物の跡地に建設されたのが渋谷ヒカリエ。渋谷でいちばんの高層ビルだから富士山が写真を撮った11階からよく見えた。それが渋谷スクランブルスクエア(写真左端、開業は2019年11月1日)の工事が
16才の時ですが、ちばてつや先生と松本零士先生のアニメキャラのイラストの募集を雑誌で見かけて、投稿したことがあります。その頃は松本先生の全盛期で、私は買ってもらったばかりのエアブラシを使ってクイーンエメラルダスを描きました。その結果、私の絵が松本先生部門のトップ10に入り、ちば先生のトップ10の人たちと一緒に、渋谷のヒカリエがあるところに昔あった東急文化会館の、階段横の壁に絵を二週間くらい飾ってもらいました。さらに授賞式もあり、東急文化会館裏手のレストランを貸しきりにして、入賞者と同伴者一
テレワークの合間、ふと見る窓の向こうに、雨の黄昏が見えます。雨降る夕暮れにふと思い出す記憶の断片。十年一日とも十年一昔とも言いますが、あれは、気がつけば数十年も前のこと、雨の日の渋谷で待合せと言えば、東横線の改札口を出て右に曲がった、東急文化会館へ向かう広めの連絡通路。渋谷と言えば東急文化会館、通路を抜けた先は青山方面への近道でもありました。東急文化会館で想い出すのは、ロードショーに心がおどったパンテオンと渋谷東急、開演時間までの時間は三省堂書店で立ち読み、連絡通路から入
昭和31年12月、今は渋谷ヒカリエとなっている東急文化会館のオープン当時の新聞広告。当時は東横興業株式会社の経営だった。「全都の話題を呼んだ渋谷の新名所」のコピーとともに、映画館以外の開業当時の店舗の様子が分かる広告だ。2階の文化特選街には「由緒を誇る老舗18店が装いと趣味品の粋をあつめて」ズラリ。「銀座・日本橋の延長」という肩書きに、当時の渋谷の立ち位置が見て取れる。ミスター(長嶋茂雄)御用達として有名な3階文化理髪室は開業当時から存在。「ドームのある文化娯楽の一