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最近、調べることがあり、過去の大道塾や芦原英幸師範の雑誌記事を見直していました。本来は、”大山倍達”関係のメディア情報を纏めるために始めたブログですが、それは遅々として進みません。このような時でないとデータ入力する機会もないので入力分をアップしておきます。大道塾設立の際は、「月刊空手道」が後援?していました。(東孝師範の独立のニュースは「月刊空手道」で知りました。」)その後の格闘技雑誌新刊の波により、シューティング、シュートボクシング、とともに格闘技ニューウエーブとして取り扱われることが多
☆中村辰夫師範が浜井識安師範の事を偲ばれた御話を、宮本さんのYouTubeで語っていた。両先輩は、旧知の仲のようにウマが合うというか、意気投合していた。しかし、中村辰夫師範と浜井識安師範の接点は極めて最近になる。2022年5月中旬、中村辰夫師範が私にお電話を下さった。月刊フルコンタクト空手に私の事が連載されているのを観て、私に興味を持って下さったようで1時間程、お話をさせて頂きました。その件をFacebookに投稿したところ、それをご覧になった浜井師範から私に連絡があり、中村師範に連絡
P144桜は散る。梅は零れる。朝顔は萎む。菊は舞う。牡丹は崩れる。椿は落ちるだ。(略)人の生涯にとって大切なのは、いつ死ぬかということではない。どのようにして、死ぬかなのだ。鬼籍に入られた先生方……P234世界で色々な先生が「こう来たらこう返す」なんて表の三分の一部分のことを色々なところで、一生懸命に技を発表しているけれどね。その技の形自体を間違いだとは言わないけど、それだけでは使えない。その技の形とかが、間違っているのではなくてその技を出すための見えない三分
仙台で、大道塾の長田賢一塾長と面会。大道塾創業者の東師範を継いだ2代目塾長。私のシカゴの空手の師三浦美幸首席師範から、生前の東孝師範のことをよく聞いていた。話題は、1980年代お互い極真会の空手から開始した時のこと、武道の話、今考えている武道の可能性、空道やキックの話など多岐に亘った。長田塾長の人間性が大変に柔軟で、人間性が素晴らしいことに感銘を受けました。
空道道場の錬成大会がありました日頃の鍛錬の成果を確認する良い機会です一つ一つの試合を大切に自分を鍛えて欲しいですそれが世界に通じて行く道であると挨拶をさせて頂きました塾長はリトアニアから帰国をして12月には東欧に行く予定です
全日本空道無差別選手権と全日本空道ジュニア選手権大会がカメイアリーナでありました全国から強豪が集まりそれは激しい闘いでした相手がどのように攻めてくるのか鋭い洞察力と瞬時の判断が必要です私もつい身を乗り出して観戦しました写真はU13男子54kg以下で優勝したれんた君ですいつものようにキレッキレの闘いでしたかっこいいよおめでとう!
1人ひとりに合った練習を考えていてある方は腕を「伸ばし切る」クセがあって、そこでテンションが生まれるような反対の腕は90度前後で「力みが出易く」なるクセがあるように感じます。その方は肘に炎症があり、それもここからきているような。10代空手を始めた頃、指導員が毎回違うのに大抵白帯に「正拳突きの時に肘は伸ばし切るな!」と何回も言われてました。「伸ばし切ることで肘を痛める」という理由です。しばしば子供空手教室の写真で突き出した子供の拳が反って肘が伸び切っている写真を見受けます。その状
【最終章】大道塾最期の晩餐⬆酒場放浪記長野編の途中なのですが、このテーマの最終回となります。最期に大道塾に触れながら酒を飲み、ご馳走してくださった先輩、後輩の方々、御礼申し上げます。ありがとうございました。m(__)m11月25日(金)16:42池袋駅東口ここは、空道創成期に練馬から引っ越した南池袋総本部へ通ったものなら、全員が見ていた風景。ここへ何故か再び来ることになったのは、退会翌日、11月1日寿司の日の電話から…最後に皇琲亭に向かう途中の着信のことを書いたが、その電話をか
そして、ラストサムライは、あの気狂い無差別級と同じ2003年公開、これも偶然ではない…と、言っても少し信じてくれる人も増えてきた。人生で…「あの時、反対に行ってれば良かった(^o^)」和多志もよく反芻してたけど、これは無意味、そんなもの存在しない時間と場所なのだから…それに例え別な道を選択していたとしても、そっちでは交通事故で死んでいたかも知れない。😇「そんな大袈裟な…」こう返す人もいるだろう。しかし、現実として交通事故での死者はかなり減少しているとはいえ、確実に最低でも、年間二千人以上
我々取材班は、瑞鳳殿を出て約束の地へ向かった。しかし、その道のりは困難を極めた。(о´∀`о)「よし、行くぞ!」ハットリ浩隊長と、我々日曜スペシャル取材班一行は、広大な広瀬川を超え、伝説としてのみ語られ、あるのかも分からないサンクチュアリを目指した。仙台市青葉区五橋は気狂いの怨念が封印されている…そこは今だに結界が張られ、現在でも陰陽師が定期的にパトロールする前人未到の魔境である。(о´∀`о)「周り気をつけろよ!」どんな毒動物、この辺りを生息域とするキチガエルの毒もこの二匹には簡単
芦原英幸・・・この名前を格闘技がお好きな方、特に私達の年代の人なら良くご存知だと思います。若い頃はケンカに明け暮れ、「ケンカ十段」の異名が有名で、劇画「空手バカ一代」の後半は芦原先生の物語として知られています。残念ながら、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を患い、1995年4月、享年50歳でお亡くなりになったものの、その強さや波乱に満ちた人生は今も伝説のように語られています。その芦原先生について、ネットでは会った事もないクセに勝手な事を言ってる御仁や、誰よりも芦原先生の事をよく知っ
審査会の組手、いよいよ下段ありのターン、寮生の意地を見せて石田圭一さんの反撃が始まる。前半の下段無しで、私の後ろ廻し蹴りを二発くらった石田圭一さんの先手の攻撃は、前蹴りから入って、私の組手の一本目の新見支部の道場生同様、防御しにくいように私の腕や肩を掴みながら下段蹴りを放ってきた。桂先輩國井栄二先輩、馬越さんの『掴んでいる!!』の声が道場に響く・・・極真ルールではモチロン掴みは反則だからだ。しかし、やっぱり私の後ろ廻し蹴りが上段にヒットする。下段蹴り無しのシバリから有りにな
1987年6月初めての審査会『飛び級する奴は必ず二本目に呼ばれる。』そして二本目の私の組手の名前が呼ばれた。その組手相手は・・・寮生の石田圭一さんだった。桂先輩、國井栄二先輩はじめ道場生の声援は判官贔屓で、寮生である石田圭一さんにではなく、高校二年生の私に集中した。先手は石田圭一さんだった。下段蹴り無しのターン、前蹴りを中心に攻撃してくる石田圭一さんに、前蹴りを捌いてからの後ろ廻し蹴りが、二ターン共に綺麗に上段にヒットした。歓声と驚きで盛り上がる道場。先手、
北斗旗が終わり、寮生がやって来ていよいよ6月審査会が迫ってきた。初級稽古から上級稽古を誰よりもやってきた私の一番の課題は、ウエイトのノルマだ。規定の重量は上がらなかったが審査は受けられることになった。というか、ほとんどの道場生はウエイトノルマが上がらなかった。※そして、次回の審査からウエイトノルマは見直されることになった。審査当日、東先生がやって来て審査は行われた。道場に机を置いて審査用紙を並べるのだが、先生にはこだわりがあるのか、机の配置に色々と注文を付けていた。見て
そんな先生との初めての稽古で驚愕したことは・・・まず基本の号令の速さでした。(雨の信号はいつも横断歩道のわきでぱっくり口をあけていましたね・・・)先生は峯岸昭夫先輩と同じ速さで号令をしていましたね。そして、その速い号令での上段前蹴り、上段廻し蹴り、上段後ろ蹴りを綺麗に正確に蹴ることに驚きました。自分が号令を掛ける立場になったときにもいつも、この時の先生の綺麗な、上段廻し蹴りと上段後ろ蹴りの基本稽古をイメージしていました。『先生の様な号令スピードで、綺麗に先生の
真四角の物体・・・!?ノソノソと貫禄十分に勿体付けながら道場に現れた先生は、手に持ったタオルを開けた窓のサッシに掛けてから、準備運動の動作の意味等を説明しながら始めた。そして汗が出ると窓のサッシに掛けたタオルで汗を拭きながら『やっぱり、こっちは暑いな~』と、関西に来るたびに、兵庫にいても、奈良にいても『やっぱり大阪は暑いですよね』と言いながら、エアコンの強度を全開にする平塚洋二郎みたいなことを言っていた。私は稽古の基本中なのに、インターバルのたびに、タオルで汗を拭く先生をみて
4月の審査は無くなり、予定通りに6月に審査は行われることになった。そして平野区の大阪支部での東先生の稽古会が行われることになった。私よりの21歳上の先生は、当時37歳だ!!今の基準からみれば若造の部類だ!!その当日・・・道場に入りきらない程に満員の道場生で溢れた道場では、各々が道場の隣の平屋の関西本部の寮から、東孝が出てくるのが『今か今か』とソワソワしながら稽古前の柔軟をしていた・・・すると・・・!?真四角の物体・・・!?東孝がノソノソと貫禄十分に勿体付けながら道場に
初級。中級、上級と進み一般部に上がり・・・少しすると4月に東孝先生が来て審査会をするとの告知があった。しかし・・・出席日数も(7級に飛び級するには一般部40回の出席日数が必要だった)この春から導入された色帯のウエイトノルマも全くクリアできていなかった。自主トレでウエイトをしても全く既定の重量が上がらないのです。導入最初のノルマは・・・ベンチプレス90kg(体重の1.5倍)スクワット120kg(体重の2倍)という、白帯に無茶なノルマ設定だった。そして初めての審査で
自分自身がそこそこいい年齢になってくると昔よく見た芸能人だったり、作家だったり、スポーツ選手などの訃報に触れる機会が多くなります思い入れのある人だどその都度、その時の思い出がオーバーラップし肉親でもないのになんとも言えない寂寥感を感じてしまいますねそんな時この悲報に触れてしまいした私にとっては単に悲報と言う事で整理できない事実でした大道塾塾長「東孝」先生が今年の4月3日にご逝去されていた!と言う…なんと3か月もして知った…この情勢なので知っていたとしてもせん
兎に角、このところの再放送は、小生の好みばかりで忙しい事、極まり無し・・・その1は、TOKYO-MXテレビの「空手バカ一代」コミックの創刊50周年記念との事。原作主人公は、国際空手道連盟極真会館の大山倍達総裁ですが、テレビでは何故か飛鳥拳なる人物画風も原作のつのだじろう寄りの星飛雄馬風挿入画面の試割は、極真会館の方々1969年の第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会王者の山崎照朝先生の雄姿エンドテーマの「男道・からて道」も自ら歌われています。先日、他界されたキッ
Памятинашегосенсея—АдзумыТакаши«Самаяглавнаяфилософия—этовоспитатьсильнымисвоесердцеисвойдух,ипривноситьэтовмирвокругсебя».АдзумаТакашиwww.youtube.com
4/6㈫先生に御礼を言った後、長田先輩と話をしたかったが道場を出ると、小寺先輩、古川、榎並の三人がいた。食事でもと誘い,[五人で高田馬場の居酒屋へ道中、『靖国神社へ行こう』と小寺先輩が言ったのだが、古川と榎並は指導があり行けなかった。私が古川に『夕方の指導って?少年部の指導?』と聞くと古川『いいえ一般部です。』東孝先生の奥さん曰く『ややこしい人』の私にも面倒くさがらずに、真実を誠実に話す古川に感動する。なんでもないことだが、普段生活していると、たわいもないことを『ああ、そうです』で
1987年2月28日(土)入門して家に帰り、稽古日誌の最初のページに書いた先輩達岩崎弥太郎西良典長田賢一佐和田亮二山田利一郎峯岸昭夫岩崎先輩、西先輩、長田先輩は当時無差別を制した3名の先輩佐和田先輩は、中量級でKOを量産していたパウンドフォーパウンドの一人に挙げられていた先輩。山田先輩は体力別の重量級を制した、次期無差別王者候補のホープ。(※実際にこのあと、チャンピオンカーニバルと言われたこの年の無差別で優勝する)そして・・・馬越さんが『うちの道場の先輩
4/6㈫東京へ向かったのですが・・・なんと!?携帯を忘れたのに気付いてまさかのスタート(家!!)からやり直し(涙)90分から120分のロスです・・・早くも泣きそうになりました。『馬鹿コノー』あの声が聞こえます。我に返り『全ての道はローマに通ず』慌てるのをやめてやっと新幹線に乗ってゆっくりとしますしかし・・・このタイムロスのおかげで会いたい人に会えました。先生が会わせてくれてんですかね
なんとなんと本日(4月06日)午後7時30分から東京MXテレビにて、アニメ『空手バカ一代』の再放送がスタート。関東圏での地上波(再)では、おそらく昭和52年春の日本テレビ、夕方5時30分からの(再)以来ではなかろうか?私の記憶が正しければ、関東圏の地上波(再)は44年ぶり。昭和52年起点に「44年前」といえば、昭和8年!ヒトラーがドイツの首相になったり、『蟹工船」の小林多喜二が特高警察の拷問で虐殺された年だ。つまり、そこまで遡ってしまうほど間隔が空いたということだ。このアニメが『
奈良・談山神社大阪日日新聞桜井市はまさに歴史の宝庫である。日本最古の神社と言われる大神(おおみわ)神社、明日香の石舞台、邪馬台国説の箸墓(は...「終活」にも取り組んでいた橋田寿賀子さん遺産は財団で活用自身の墓もすでに冨士霊園にある...中日スポーツ・東京中日スポーツ新進脚本家らを育成する「橋田文化財団」の運営にも力を注いだ。近年は「終活」にも取り組み、遺産は財団で活用することを決め、自身の墓もすでに...【追悼】橋田壽賀子さん、生前に語っていた「私がお墓に入るとき」
押忍!Tシャツで過ごしてます。らんらん小僧です。日曜日なのに4時起床。ルーティーンをこなしてから、筋トレタイム。大きな部位を中心に。上腕三頭筋を集中攻撃。脂肪燃やしに走りました。5時半すぎで、ちょうど朝焼け。ノマドランドの世界は一瞬だ。約50分ラン。耳からは逸材のタナポを聴きながら。今夜は両国大会ですね。マダ、サクラ、サク。朝ごはんを食べから、パソコンでNetflix。映画「マ・レイニーのブラックボトム」を観戦。アカデミー賞にも、いろいろノミネートされてま
古賀稔彦、沢村忠に続いて、飛び込んだ訃報が東孝だった。71歳だった。柔道出身の極真空手の選手として何度も上位入賞し、他の選手と比較して年齢を重ねてからも大会にエントリーして結果を残し続けた。その後、大道塾を設立し、北斗旗を開催した。『はみだし空手』と言うタイトルの著書を残しているが、まさか本当に「空手」のジャンルをはみ出して「空道」を提唱するとは予想できなかった。以前にも書いたことがあるかもしれないが、『格闘技通信』が発刊された1980年代半ばに、梶原一騎の呪縛を逃れた新し
MBSラジオ金曜深夜月イチのお楽しみ小薮、笑い飯の土020前回11/29『グロい話』で採用されたブログ12/20(金)メールテーマ『エロい話』で採用されました。むちゃくちゃ面白い一流の人達がメールを読むと、むちゃくちゃ面白くなります。私のエロい話が聴けるのは『土020』だけですよどんなエロい話をメールしたのでしょうか?ラジオ楽しいですよ♪