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東大大学院時代、インパクトの強い人たちをよく見ました。討論会で何かの話が出ると、「それは〇〇年の『サイエンス』で〇〇大の〇〇教授が論じていましたが、△△年の『ネイチャー』で△△大の△△教授が反論をしていて・・・」などと自然科学系の学術誌の内容は何十年分も脳内図書館にストックされている院生。英語の分厚い学術誌をパッと開いて数秒後にハイライトをして、ページをめくって数秒後に数か所ハイライト。読めてるの??と聞くと、全部読めてるとの返答をする院
(「世の中をまっすぐな目で見ることが大切です」と語るビーグル犬まろさんオス11歳)もう数日前になりますが、東京大学医学部の准教授、松原全宏(まつばらたけひろ)氏が収賄容疑で逮捕されました。(教員の逮捕について|東京大学)ニュースとしては少し古いのだけれど、いつまでも心に引っ掛かってしまいます。この方、医療機器を選定する権限があって、医療機器メーカー「日本エム・ディ・エム」の製品を使う代わりに病院の口座に「奨学寄附金」として計80万円を振り込ませ、そのうちの約70万円を賄賂
以前こんな記事を書きました。『インターナショナルスクールで出来た日本人パパ友の職業から学んだこと』私、ここ、日本だよね?って時々疑わしく思うことがあります。ママ/パパ友が皆外国人。でも今年に入ってから2人日本人のママ/パパ友が出来ました。2023年の最大の…ameblo.jp医師は偉大で尊い仕事。何らかの思いがあって志す人には尊敬しかない。他方、やみくもに偏差値だけ気にして医学部を目指したり、さらには「医師になってお金持ちになろう」などと壮大な勘違いをして進学すると(いや、この人がそうだ、
金丸達郎08017388599宮崎県宮崎市吉村町大町甲1935-40
昨日書いた胃腸科の先生の話、待合室に貼ってあったプロフィールに「2013年東大医学部卒」と書いてあったのでもしかして甥っ子と同期なんじゃないかと思い、甥っ子にメールして聞いてみたところやはり同期だったようで。殆ど話したことはないけど同期で間違いないって返事が来ました。いや~そんな偶然もあるんですね、ビックリ。ちなみに甥っ子はビザの延長ができたため、まだアメリカにいるんだそうです。さてさて、もう日本中のみ~んな言ってることですが、急に寒くなりました。(+﹏+)うちでもコタツは2
昨日はエコー検査の結果を聞くのと、膀胱炎用に処方された抗生物質がなくなったのでもらうため胃腸科に行きました。この前朝一で行った時めちゃめちゃ混んでたので(私は検査だけだったのですぐに帰れたけど)、遅い時間の方がすいてるのだろうと思い、午前の診療受付は12:30までとなってたので11:45頃行ってみました。受付の人に待ち時間を聞くと1時間ぐらいだと言うので、待ってる間近くの電位治療の店に行って時間をつぶすことに。電位治療の店はそこから距離にして40~50mほどのところにあるのです。
♡お金大好きさくら♡鬼滅の刃にハマっているJr私に似て、お小遣い使わない貯めこみ型の子なんですが鬼滅の刃の漫画を新刊で3冊も買ってました中学受験に落ちたころに小学校では優等生だったのに悔しかったのでしょう「東大に行く!出来たら医学部を目指す」と言い出したJrでしたそして中学校に入ってから進学塾に行きはじめましたそして、塾の模試で、1回上位層の冊子に名前が載ったのです全教科総合順位だけです
(「僕は血統が良いしルックスも良いので真面目にやれば賞を取ったかもしれないけど、やる気がないのでその道はなくなりました」と語る元ショードッグの道を歩いていたビーグル犬まろさんオス11歳)大阪大学栄誉教授の坂口志文(74)さん含む3名にノーベル生理学・医学賞受賞が贈られました。他の2人はアメリカ合衆国のシステム生物学研究所のメアリー・ブランコウ(64)博士とバイオ企業ソノマ・バイオセラピューティクスのフレデリック・ラムズデル(64)博士だそうです。授賞理由は「末梢性免疫寛容に関する発見」で
養老孟司「真っ赤なウソ」(2004年)という文庫本を読み終えた。養老孟司氏の著作は、何冊もこれまで私は読んでいる。いつも殆ど疲れることなくさらっと読め、読書時間が余り掛からない。養老氏の話や考えについては、どれもこれも滅茶苦茶面白くて堪らない、という感じではないが、養老氏の本を読んでいると、何気なしに自然とページを速く繰っている自分に気付く。やはり、知的な面白さが随所に鏤められてあるからだろう。よって、最後まで素早く読み終え、疲労感もない。東大医学部出身のお医者さんだが、そういう立
小4男児のサピママです。本日の朝勉★算数基礎トレ6月分の間違えた問題解きなおし&過不足算★国語デイリーの間違え問題見直し(漢字&知識問題)★理科植物演習の間違え問題見直し★社会復習テスト範囲の間違えた地名の漢字チェック(阿蘇の蘇とか)先日某御三家出身&東大医学部卒のママ友とランチをしました。日程決めからランチ予約まで秒でした。才女って素敵。お互いの子供の年齢が近いので、教育の話を
筑波大学附属駒場高校略して筑駒を卒業、大検を経て、9浪の末、東大理3に合格、ストレートで卒業するも、国試に7回落ちていると言う鬼のような男ルシファーと金子裕介くん。やっと国試に受かるもん今は研修先がなくて話題になっていた。TwitterやYouTubeを見ると明らかに変。こういうキャラや先日の溝口勇児一派のように基本的に散々おちょくるのだが、どうもこのルシファー君は何かが違う。個人的にやりとりしたのだが、いいやつすぎる。(溝口一派も演技派の単なるいい人でしたよ)なんでこんなきもいことをして
1977(昭和52)年刊。「ノーベル賞に一番近かった天才作家」の作品は、いつもながら理解に苦しむ。今回も3回読み返して、なんとなく判った様な気がしている(が、たぶん不完全なんだろうな)。安部公房作品がなぜ難解なのか?あまりにも突拍子もない、あり得ない不条理なストーリー設定の奥底に隠れる、作者が意図する何かが説明されておらず、物語がすんなりと読者に入ってこないからだと思う。加えて、ある登場人物を作中に登場させた意図、起こった事象の意味を推測しながら読み進めても、最後まで判明しなかった
医師国家試験の合格が先日発表された受験生のみなさまお疲れ様受かった人は晴れてお医者の仲間ですなぁ落ちた人は地獄の一年間になると思うけど医学部出ただけではただの人だからなんとか受かるように頑張ってほしいね医師免許持っているけど医者をやらない奴はカッコいいけど医学部出たのに国家試験受からない奴は正直カッコ悪いからねそれはそうと一般的にはあまり知られていないけど天下の天才集団である東大医学部の医師国家試験合格率は決して高くない20
地元でも有名な、お金持ちのお医者さんの家庭がある。(久しぶりに外食したYO!)もちろん旦那さんは開業医、お家は田園調布のお屋敷のように広く豪華で、3人いる息子さんは全員とても背が高くて185以上、そして3人とも東大の医学部に進んだのだった。ある時、我が母は、その奥さんにお世辞のつもりで言ったそうだ。「息子さんたち背が高いから、頭が天井についちゃいそうね〜」そしたら、奥さんは憮然として答えた。「うちの天井はそんなに低くありません!」そんなにいろいろ恵まれてても、簡単
NHK第一AMラジオ。周波数は666kHz。午前5時20分過ぎのコーナー、1月29日の『今日は何の日』です。【歴史上の日】1872年(明治5年)人口調査記念日1872年のこの日、日本初の全国戸籍調査が行われた。当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人だった。1940年(昭和15年)大阪でガソリン列車事故大阪府の国鉄西成線・安治川口駅附近でガソリンカーが脱線転覆し炎上。死者181人。以降ガソリンカ
田口和美博士と森鷗外・北里柴三郎との接点ベルリン留学中の写真に一緒に写っていて、雰囲気からしても鷗外や北里を教えたと言っても不思議でないように思われる。加須市内でも田口博士の説明文に、鷗外や北里は教え子だと明記するものもある。田口博士の最初の研究者、山岸一平氏はその点にははっきり触れていない。田口博士研究プロジェクトチームは調査できる限りにおいて、はっきりつきとめようとした。結論を言ってしまうと、北里についてはその可能性はなし。鷗外については、わずかに可能性ありということ
今更にしてふと思うと、わたくしの頃に、雙葉学園から東大理Ⅲ現役合格は、いらっしゃらなかったんですよね。やっぱり理Ⅲ行きたかった❣️が、本音です。医科歯科大(東京科学大学)、慶医迄は、駿台模試でいけたのに、勇気と自信が無く、安定をとりました。うちの直ぐ上の兄貴が、筑⭕️からの理3組。一番上は、早稲田理工から仮面浪人を何年もして旧帝医学部へ。私には厳しくないかーw父親は、私がメチャクチャかわいいらしく🩷家から通える国公立大医学部以外は、嫁にイケー👰♀️🔔👰中1より赤🟥チャートは、
12/24(火)ご遺体の前でのピース写真が炎上養老孟司さん養老先生、がんになるAmazon(アマゾン)【献体写真SNS炎上】東大医学部の解剖学教授だった養老孟司さんは「年に1回、供養に行きます」…女性美容外科医の“不謹慎”解剖実習が物議不用意な投稿で炎上、というのはもはや日常の光景となっているが、このケースの場合、撮影場所がかなり珍しいことで注目度も高まったようだ。きっかけは東京美容外科に勤務する女性医師のブログ(現在は削除済み)。グアムでの「解剖実習」の際、献体、つま
東大医学部の先生たちが下半身に関する不祥事を起こしたそうです。「高級ソープなど「接待額」は年間1500万円、共同研究者が被害届を提出する騒動に」らしいです。https://news.yahoo.co.jp/articles/76444ce3a30ebc68ebd0f704ae5ae885e00691a8先生たちも好きですね。昨日、金スマで、社交ダンスの競技会の様子を放映していました。キンタローさん、子供を産んで、6年前より18キロ太ったそうです。ブランクがあっても、「リードがあれば踊
(柿と紅葉今年は柿が大不作だという)和田秀樹先生の最新刊「医者にヨボヨボにされない47の心得」(講談社新書)を読んでみた。私はこのセンセイを大層尊敬している。ひとつは氏が糖尿病をはじめとする病気持ちであること。「医者の不養生」というが、病気持ちの医師の言うことには説得力がある。もうひとつの理由はこのセンセイが東大医学部卒という点である。高校1年の時のことだが、「赤頭巾ちゃん気をつけて(庄司薫)」に触発されて柔道部に入部したことがあった。部長は1コ上の関西
この前さ東大医学部の医者と話していて収入の話になった東大医学部の医者って講師レベルになっても大学からの給料は年収1000万前後アルバイトの収入は大学からの収入を超えてはいけないっていう謎ルールがあるからどんなに増やしても年収2000万前後しかいかないらしいまぁ一般的には安くは無いんだろうけどその額で都内で子育てしようと思ったら楽ではないよね東大医学部に行くくらいだからみんなすごい高校を出ているわけだけど高校の同級
こんにちは、達哉です!実は僕にはちょっと変わった?兄がいまして…東大理三を卒業して、今は研修医として働いているんですけど、なんと大学時代に起業までしちゃって、今はタワマンに悠々自適な一人暮らし。いや、ほんとできすぎですよね(笑)。小さい頃から、何をやっても兄には勝てませんでした。将棋やオセロ、スポーツでもいつも完敗。中学受験では兄はSAPIXのαクラスをキープし続けたのに、僕はBクラスに落ちて一度は諦めたくらいです。兄にはずっと劣等感を抱いていて、勝手に嫌ってる時
JamesSetouchi『朽ちていった命被曝治療83日間の記録』NHK「東海村臨界事故」取材班新潮文庫20061概要:2002年(平成14年)岩波書店から出た本を改題し2006年(平成18年)に新潮文庫から出た。東海村「臨界事故」は、1999年(平成11年)9月30日に茨城県東海村の核燃料加工施設「J・C・O東海事業所」で起きた。核燃料サイクル開発機構の高速実験炉「常陽」で使うウラン燃料の加工作業を上記加工
悪い病気で、手抜きの柳の下に、『2匹目のドジョウ・・・』の愚を冒させて頂く・・・(汗)否・・・、これも、漱石ファンなら、『識って措いて損は無い・・・!』と想う故の、『些か長い余計な親切・・・』と想って頂ければ幸いだが・・・(汗)【その1・・・】序(つい)での序でに、鏡子夫人の回想録(「漱石の思い出」・夏目鏡子述/松岡譲筆録・文春文庫刊)の最後の方に引用掲載されている「面白い書き物」にも触れておこうと思う。それは、「62解剖」という項に掲載されている「
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『予習シリーズが魔の回続きで金縛り。』※幽霊的な事は書いていないので怖くないです。最近たまに金縛りにあうことがあります。会社員で働いていた時ほど頻繁ではないですが。あの時は全身が金縛りで、叫んでも…ameblo.jp金縛りにあった理由。日曜日の午後、東大の五月祭に行き、ヘトヘトに疲れていたからでした。まぁ雰囲気だけでも味わおうとふらりと無計画に…ものすごい人、人、人!本郷三丁目の駅から人類大移動。スタートが遅かったのもあり、参加してみたい企画は予約が埋まってたり。当日いただい
実際の進級状況を、間接的ではあるが学生員数から追ってみたい。ここに示した表は『日本帝国文部省年報』から該当する東大医学部の年報抄録に掲載された学生の人数と、『東京大学医学部一覧』に掲載された名簿を集計した人数をまとめたものである。『一覧』が学年度の途中に発行され現在進行中の状況を記述するのに対し、『年報』は学年度終了後にその実績を報告したものである。報告内容は同じはずだが、年報には甲乙の区別はない。学年度の早い時期に発刊される『一覧』は、当該年度の初期の人数を反映している。年報はそ
預科四五等の甲乙の別を明確に記した資料は見つけられていない。進級状況を見る限り甲を上席とする序列があったことは疑いない。これは同じ等のうちで、乙から甲へ進んだものは多いが、その逆が皆無であることからも裏付けられる。したがって単なるクラス分けではなく、習熟度が反映されていたに違いない。しかし、多くが一階ずつ進む中で相当数が二級先へ跳んでいるのもまた事実である。そのあたりの事情について先に紹介した宮入慶之助記念館にご教示を乞うたところ、山口明館長から何件かの先行研究や資料を懇切にお示しいた
松田蔵雄が居た頃、すなわち明治十年代前半の東京大学医学部予科の修業年限は『東京大学百年史』や当時の出版物である『東京大学医学部一覧』(以下一覧)の記述を見る限り五年である。しかし、一覧に付された学生名簿には四等と五等、つまり下の二学年には甲乙の区分が有る。甲乙は単なるクラス分けのようにも思えるが、そうではなくやはり等級であって、標準はそれぞれに一年を費やすとする説がある。これについては、先に紹介した石井氏の長大な論文(「佐藤碧海の詩と生涯(上)、学林75巻、2022、及び同(下)、同76巻
以前、松田天山の遺稿出版にまつわる話を書いた際に、土肥鶚軒の卒業年次の記憶が混乱しているとか、松田蔵雄の進級が遅いなどと述べたが、調査不十分による誤りと判明したので、ここで訂正を記しておきたい。以下の殆どは、国会図書館のデジタルコレクションに収められている当時の『大学一覧』中の学生生徒名簿を参照した結果である。関係するのは松田蔵雄(天山)と、その死後に詩集を編んだ友人呉秀三、同じく森篤次郎(三木竹二)、土肥慶藏(鶚軒)と佐藤勤也(碧海)である。結論から言えば、ここに挙げた松田を除く