ブログ記事702件
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»異説徒然日記【5】(第八段)世の人の心惑はす事、色欲しきよくには如かず。人の心は愚おろかなるものかな。匂にほひなどは仮かりのものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米くめの仙人の、物洗ふ女の脛はぎの白きを見て、通つうを失ひけんは、まことに、手足てあし・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。【現代語訳】
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»「異界彷徨の事」都の栄達を捨て、また親族をも顧みず、鄙(ひな)びた荒れ野に庵(いほり)を結びたる若き男ありけり。この男、ある時、信じがたきさまを目の当たりにせり。住まひ、装束、食(もの)を始め、主従のさま、言の葉まで、さらに同じからず。ここにて男、その時のわらはべに出あひて、おのづから友となりぬ。聞けば、怨霊の祟りによりて、都の住みわづらひ、人々逃げまどふといふ。男、若き男と議(はかり)をなして、怨
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»異説徒然日記【番外版】第一章:呼び覚まされた日記漆黒の闇から解き放たれたような解放感が、吉田兼好の意識を包み込んだ。最後に覚えているのは、……そうだ、修学院の庵で静かに筆を執っていた時だったはずだ。しかし、目を開けた先は、見慣れぬ光景だった。ハガネ(金属)と瑠璃(ガラス)でできた巨大な建造物が立ち並び、空には光の筋が駆け巡っている。そして、陰陽師のもっとも忌む負の気の充満。ここは、蓬莱?いや、夢
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»異説徒然日記【3】兼好が筆を走らせていると、庵の外から再び、遠慮のない足音が近づいてきた。先だっての女房のしとやかな響きとは違う、地に足のついた、無骨な音だ。「主の方は、いらっしゃいますか!?京から参った、市井の者ですがっ」戸の外から聞こえてきたのは、脂ぎった、図太い男の声だった。かつて兼好が蔵人所(くろうどどころ)で耳にした、貴族たちの洗練された、だが薄っぺらな声とは対極にある、生々しい響き。
本日は、午前中にシステム関係の設定作業があり、親会社に行っていました。システム設定や変更作業は、ユーザーが休日となる土日や長期の休日に実施することが通例で、昨日アップデートしたシステムのマスタ設定を、親会社のシステム担当者と2人で行いました。昼は、近くの街中華へ。中華料理「味悟空・三国店」の麻婆豆腐定食無事作業も終わり、昼過ぎに引き揚げました。今回は、11月26・27日の東京出張と、そのついでの散策(出張、東へ!、大阪へ帰ります、浸水・着底した月島橋の「青い船」、越中島に現
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»異説徒然日記【2】京の北のはずれ、修学院。その荒れ野に立つ、庵。湿った土と腐った葉の臭いが立ち込める庵の内で、卜部兼好は一人、墨を磨っていた。外では、夕闇に紛れて誰かが笹をかき分ける音がする。持明院統からの刺客か、それともただの獣か。「………フンっ。来るなら来るがいい。この庵には、奪うべき財も、守るべき矜持も、何一つ残ってはいないのだからな。」兼好はザンバラの髪を掻き揚げ、机に置かれた一冊の草
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»異説徒然日記【1】徳治三年(1308年)、晩夏。京の夜風には、死の臭いが混じっていた。「カネヨシ……。朕の影が、また一つ消えた。次は、お前の番かもしれぬな。」病床の後二条天皇は、透き通るような手で、卜部兼好の袖を掴んだ。大覚寺統の支柱である若き帝の命は、持明院統が放ったとされる「呪詛」と「毒」によって、今まさに潰えようとしていた。「主上、滅相もございません。我が秘術を尽くし、必ずや逆賊どもの邪
«Pourlescons,ilsnepigerontquedalle.»品川駅。別名、社畜回廊。繰り返す幻夢の再生産は、モノノアハレを映し出す今鏡。700年も昔、今と同じ感慨を持ったヒトがいた。自ら選んで世を捨て、部屋に引きこもった。そのヒトの遺伝子は、自分だけの哲学に殉じる真摯な現代の穴熊さんらに受け継がれる。ブログやインスタを通じて発せられるその声は、令和の『徒然草』だろう。僕は、そんな声に静かに耳を傾ける。年の瀬だからこそ、深夜の静寂がとても愛おしい。さ
宇宙好きの皆さん、こんにちは!デジタル化推進アカデミーの岩田敏彰です。2025年11月に札幌市で開催された第69回宇宙科学技術連合講演会のセッションの紹介をしています。測位システムは前職で関わっていた分野であり、発表されている方々の名前を見ても懐かしく思う方もおられます。19件紹介します。・内閣府が、準天頂衛星システム「みちびき」の7機体制構築の状況と、将来の11機体制に向けた検討状況を報告しました。みちびき(準天頂衛星システム:QZSS)公式サイト-内閣府みちび
実は、12日の夜から息子が帰ってきています。先々週も推し活で帰ってきていたのですが、今回も推し活で、インテックス大阪でイベントがあるそうです。13日、14日ともにほぼ家におらず、まさに「ホテル」として実家を活用しているようで。朝食付き、洗濯もしてもらって宿泊費ゼロ円!何と良い宿だ。話は変わって、今回は2025年11月27日の東京出張(越中島に現存する国内唯一の「鉄船」)の続きです。この日は東京海洋大学・越中島キャンパスに「明治丸」を見に行きました。東京海洋大学・越中島キャンパ
令和7年12月9日は、僕が誰よりも、誰よりも、そして誰よりも世界で1番に最も敬愛しております夏目金之助漱石先生の109回目のご命日にあたります。前回100周忌(2016年)のときは、先生の御縁の深い熊本県に、僕は埼玉県庁から被災地派遣(熊本大震災)で阿蘇市(=熊本県県北地域広域本部阿蘇地域振興局)に赴任しておりまして、一時帰省して先生の墓前に参らせていただきましたですね。先生は、旧制第五高等学校(現・熊本大学)に英語担当教授で赴任され、新婚間もない鏡子夫人とともに数年を過ごされたのでしたよね
【さらば、白瀬南極探検隊】汽笛が鳴り響く品川芝浦埠頭。漁藤の乗った機帆船「開南丸」がゆっくりと岸壁を離れていく。開南丸は、先の戦争で敵方から接収した機帆船を半払い下げしたもので、南極用に角材と鋼鉄板で補強するなどの改装が施された。吃水重量204トン、長さ33.5メートル、幅7.9メートルの木造船だ。エンジンは小馬力の18HPで、出入港用の補助動力程度に過ぎなかった。よって基本は帆走、すなわち風まかせ波まかせに頼るしかなかった。白瀬を隊長とする南極探検隊27人(隊員9人、船員18人)は、19
「はぁ?引き取らないって、どういうことだね?」春浪は、さる中堅出版社の応接室で声を荒げた。目の前の編集部担当は、困り果てたような顔で眼鏡を押し上げている。「いや、押川さんの才能は疑いようもございません。しかし、この『海底軍艦』、いささか……時代が早すぎると申しましょうか。壮大すぎて、読者がついてこられるか…」手許に置かれた担当者の名刺に目を落とす。「長井代助君か……君はどこの学校の出かね。」「帝大法科を…」「そこまで優秀で、こんなちっぽけな本屋の使いみたいなことしていて、毎日が
【山嵐、来たりて去る】多田健蔵が満州へと旅立ち、神楽坂界隈の活気が幾分衰えてしまったように思えるのは何も近頃センチメンタルに傾斜しがちな春浪ひとりの錯覚でもあるまい。秋が深まり、食欲は増すものの向上心は停滞している。不定愁訴のようなモヤモヤ感がなんとも居心地良くない。理由は、分かっている。その一歩、その一筆がなかなか踏み出せていない。それにすべてが尽きる。ところが、だ。その日の神楽坂はいつもの静けさとは打って変わって、朝から激しい嵐に見舞われた。春浪が身を置く家作の戸が乱暴に開け放たれるた。
【悶々するは身から出た錆】夏目金之助から無期限の出入り禁止を妻の鏡子を通じて申し渡された春浪には、この「無期限」の意味するところが解せなかった。どうせなら、ひとおもいに【破門】を申し渡してくれたほうがスッキリする。土台、金之助先生と自分とは水と油、書斎派の天才と無駄吠えばかりの野良犬の天地の隔たりだ。先生の方から「もうお前さんは要らないよ」と、どぶにうっちゃってくれたほうがマシだ、とさえ思った。今のままでは、金之助先生を恨むにも恨みきれない。肛門から出かかった大便のキレがくて、粘りっこく長く垂
【雑司ヶ谷の下宿にて】夏目金之助から漱石山房への出入りを禁じられ、春浪は雑司ヶ谷の下宿で失意の日々を送っていた。まだ1行とて文章をカタチにして著したことのない春浪は、作家になる理想ばかりが先に立ち、何を書きたいのか自問自答を繰り返していた。従って山房に出入りして文学修行の先輩らと交わるにも、「門下生」を自称する我が肩身の狭い思いをすることばかりだった。しかし、先輩連中からすれば春浪のその豪放磊落な気性と、まず行動ありきの習性が皆から可愛がられる美点でもあった。鈍感な春浪は、そうした自分に対す
夏目門下に居住まいを正しゅうして、研鑽に励むようになった春浪と漁藤の二人。春浪は早稲田で政治を修めながら、漁藤は越中島で遠洋マグロ漁業の効果的運用を実践研究しながら、合間を見ては、足繁く千駄木の漱石山房に顔を出していた。【邂逅、そして手桶の洗礼】多田健蔵は、東京物理学校を卒業し、四国の松山中学で数学教師を務めた後、例の「生卵」事件で辞表を叩きつけ帰京していた。現在は街鉄技師(都電の運転士)として、婆やの清と神楽坂の裏路地でつつましくも平和な日々を送っていた。しかし、その気性は相変わらずの
三浦の浜で全裸になり、開放感に浸る春浪と漁藤。地元巡査らの職質と制止を振り切り、堂々とその場を後にしようとした二人を「挙動不審、公然猥褻」の咎で巡査らが捕縛しようとする。気が短い春浪は堪忍袋の緒が切れ、浜辺での押し問答の末、春浪が巡査の一人に手を出したことで、一気に大きな騒動へと発展してしまった。【静かなる介入、そして運命の出会い】騒ぎを聞きつけ、野次馬が集まり始める中、その場に不似合いな、涼しげな顔をした一人の男が静かに近づいてきた。盛暑にも関わらず、男は英国仕込みの洒落たスーツに身を包み
「おう、漁藤!約束通りだ。今日は俺の行きつけの洋食屋でうまいもんに舌鼓を打とうぜ!」漁藤の寄宿する越中島に行くのは初めてだった。3階建て木造の寄宿舎の中庭から春浪は声を張り上げた。一斉に窓があき、怪訝な坊主頭たちが春浪を見おろした。漁藤が慌ててオモテに飛び出した。ひどく迷惑そうな顔をしている。しかし、春浪は意に介さない。漁藤の肩を抱き、意気揚々と行きつけの洋食屋・煉瓦亭へと向かおうとしたが、漁藤は少し困った顔をして笑った。「すまんな、春浪。その前に一つ、俺の頼みを聞いてくれんか?夏は海
先日、東京海洋大学の学祭「海鷹祭」に行ってきました!生き物大好き息子くん。大興奮の1日でした。グソクムシ焼き、鯨汁、鯨の竜田揚げ、メカジキバーガー、マグロのホルモン焼、パンガシウスバーガー、亀煮、亀の竜田揚げ、亀の卵クッキー、蟹汁、ニジマスの塩焼き…留学生の母国の料理…ここに書ききれないほどのマニアックなフードが並ぶ中、息子が自分のお小遣いで購入したものは亀(タイマイ)の竜田揚げでした!「お肉みたい〜!」とのことです。手芸や雑貨が大好きな娘ちゃんは藻類学研究室のブ
明治三十年代も末の東京は、古き良き時代の名残と、西洋から押し寄せる近代化の波が混沌と入り混じる、活気に満ちた街だった。早稲田大学の学生である押川方存(おしかわ・まさあり→後の押川春浪)は、その最前線で「新時代」を謳歌する気鋭の青年の一人だった。とにかく血気盛ん、精力の塊のような男で、高田馬場から箱根まで一昼夜通しで歩き、そのまま休まず帰路を歩き抜くような偉丈夫である。天狗倶楽部なるスポーツ愛好団体を拵えて、六大学野球の端緒をつけ、同門の金栗四三の陸上競技への道を開いたのも押川の後援によるところが
第63回東日本カッター競技大会の結果について、お知らせします。日時:令和7年12月7日(日)場所:千葉県浦安市高洲海浜公園沖優勝東京海洋大学海洋工学部11分50秒2位防衛大学校12分10秒3位東京海洋大学海洋科学部12分22秒東日本カッター競技大会では初となる浦安沖での開催となりました。晴天で風浪もなく絶好のカッター日和の中、オープン参加の高校2校を含めた6チームが出場しました。予選レースは、タイムレース方式で第2レースの防衛大学校が11:38、第3レースの東京海
本日は、午後からお出かけしメガネを新調しました。旧メガネ(左)と新メガネ(右)旧メガネは見た目は不具合はないのですが、先日仕事中に長尺のHDMIケーブルの端子が跳ね左目に飛んできました。メガネのおかげで眼への直撃は免れたのですが、レンズに傷が入ってしまいました。旧メガネの左レンズ・黄緑色の丸の中がレンズの傷視野の中心あたりなので、気になって仕方がない。最初はレンズ交換をお願いしようと思っていましたが、買い替えても費用は変わらないようなので、新品を購入しました。歳も歳
高校生の頃、現代国語のオマケで学ばされる「文学史」の中で、その後も永く僕の記憶に残った不思議なジャンルが幾つかあった。その中のひとつが「明治武侠小説」と分類される一団である。40年前、日吉の大学図書館で誰も借り手のないホコリの被った「明治武侠小説選集」を探り当て、その文語調を残した読みにくい文章と格闘したことがある。「三国志」に代表される中国の武侠小説の影響を大きく受けていると見え、講談や歌舞伎、擬古物草子の類で庶民文化の中に脈々と受け継がれてきた中国古典が、明治時代の社会状況や国民精神と結び
♪港の酒場でピアノ弾いてる懐かしいパパに会いにきた仕事が済むまで壁にもたれて古びたJAZZを聴いていた昔ママと別れた頃はハリウッドスターに似てたけどすこし老けたね、wowowo、Daddyけれども腕は落ちちゃいないわアナタの娘は、wowowo、Daddy遠くの街へ嫁いでゆくの…………………♪いいね。毎年今頃になると、この歌詞が口を突いて出てくる。この曲を歌ってた女性のJAZZシンガーが亡くなって、もうすぐ16年になるんだ。40年近く昔、ヨコハマの老舗のJAZZバーに通っ
久しぶりに投稿してみます。以前ほどには連続しては書けなくなりました。生物学的ボルテージがダウンし、多分このまま終息(→死ぬことじゃないよ!)に向かうのでしょう。仕方ない、寿命ってやつからは誰もが等しく逃げることはできないのです。弟アベルをあやめて、人類の最期を見届けるまで生かされるカインじゃあるまいし、ね😭なので、とりわけ僕にとってトピカルな出来事を不定期に投稿します。以前は日刊「海洋大❄️品川Journal」てしたが、今日からは「海洋大🐟️品川Letter」に看板の書き換えです。
東京出張の続きです。都営地下鉄大江戸線の勝どき駅から、東京メトロ有楽町線を経由し、新木場駅へ。ここから国道を渡って北に向かうと、「夢の島公園」の入口が見えてきます。「夢の島公園」の看板そして、公園の奥の方に進んでいくと、特徴的な建物が見えてきます。「第五福竜丸展示館」「第五福龍丸」は、昭和29年3月1日に米国軍が太平洋上のビキニ環礁で行った水爆実験により、放射能を含む「死の灰」を浴びた静岡県焼津港所属のマグロ漁船で、この地で展示されています。ある意味「世界一有名なマ
東京海洋大学にある明治丸が一般開放されていたので行ってきました最近、舟づいてる(笑)12時だいたい10分をお知らせします
今回の出張の目的地は、幕張と西新宿。昨日、東京品川駅までは新幹線。窓側が取れなかったので、デッキからの富士山の頭。東京品川駅に着いたあと、まずは寄り道。夢の島公園ここで昼御飯にしたあと、向かったのは幕張。幕張メッセ用を済ませ、取って返して西新宿へ。東京都庁(左)二件目の仕事の後、お相手していただいた方々と夕食会。赤羽駅裏?の宿に着いたのは22時前。本日は、10:00からweb会議。JR京葉線のとある駅の近くで参加します。web会
会合の様子(海運ピルで)我が国は、海洋国家であり、海事産業は国の基盤であり、担い手育成は急務です。令和7年11月26日㈬、海運ビルにおいて、山本順三参議院議員を統括とし、私が座長を務める海洋教育推進プロジェクト32回会合を開催しました。海洋教育推進プロジェクトは、9年目を迎えており、学習指導要領改定による教科書充実による海洋教育の推進、各地の教育関係者との意見交換、海事関係学校の施設整備、商船高専5校の練習船の更新等々を、取り組んできました。今回の会合では、東京海