明治三十年代も末の東京は、古き良き時代の名残と、西洋から押し寄せる近代化の波が混沌と入り混じる、活気に満ちた街だった。早稲田大学の学生である押川方存(おしかわ・まさあり→後の押川春浪)は、その最前線で「新時代」を謳歌する気鋭の青年の一人だった。とにかく血気盛ん、精力の塊のような男で、高田馬場から箱根まで一昼夜通しで歩き、そのまま休まず帰路を歩き抜くような偉丈夫である。天狗倶楽部なるスポーツ愛好団体を拵えて、六大学野球の端緒をつけ、同門の金栗四三の陸上競技への道を開いたのも押川の後援によるところが