ブログ記事31件
吉祥寺駅北口風景北海道・東北の車中泊の旅のご紹介を終えてネタ無しになった平蔵の散歩シリーズをお届けしています。マクロ散歩の次は井の頭公園散歩です。なるべくならば、ブログを切らさず続けたいので炎天下にも関わらず散歩します。今回は井の頭公園・文化園てす。▲JR吉祥寺駅北口風景吉祥寺へはバスで20分ほど。シルバーパスがある平蔵はとりあえず無料で行けます。無料と言ってもこのパスは2万円で購入するのですが・・・十分元が取れます。▲吉祥寺駅北口風景くら寿司が
92年前の昭和7(1932)年5月。ヤセタ男女スグ試よ手軽に――。当時の健康体のシンボルふとるを教えてくれる野村商店(東京市青山北町)の新聞広告。痩せるのではなく、あくまで「太る」ことを目的としている点が、現在の感覚からすると斬新だ。僅かの回数で肥満に効あり……というのはよく分かったが、とりあえず、このスポーツ大佐(by団地ともお)を太らせたような外国人男性の正体が知りたい。一体、誰なんだろう?
私が生まれたのは東京都中野区新井町。現在はそう呼ばれていますが、当時はまだ東京が「都」ではなく「市」だった時代。「区」の数も35あった頃のことです。それ以前は、今の山手線内の区域だけが東京市で「区」の数は15。そのまた前の「市」になる前は「東京府」で、今の中野区や杉並区の辺りは豊多摩郡と呼ばれていた全くの田舎だったのです。「市」が「都」になったのが終戦の2年前、更に35区が統廃合されて現在の23区になったのは戦後2年経った1947年のことでした。私が物心つく頃から住んでいた家は10歳
■甲武鉄道施設の周辺は、日本貨物の車両センター跡地に建物が建設されたとの事でしたが聞けば更に歴史は明治時代にもさかのぼって1904年に東京府東京市麹町区飯田町の住所に驚きながらも昔の名残を歩道にレールを敷いている。時々、宿泊ゲストからも線路だったのかなと関心もたれる方々も居て面白い。
しばらく前に…と、かつて自ら書いたところを検索してみれば2022年の2月でしたか、武蔵国分寺跡の界隈を歩き回ったことがありました。その時に歩き出したポイントはJR中央線の西国分寺駅で、すぐ近くの東山道武蔵路の跡をたどっておりますと、これに面して「ああ、こんな施設もあったのか…」と気になったところではあります。お隣にある東京都立多摩図書館には何度かイベントに出かけてきてはいたものの、お隣の建物までは気に留めておらず…。どうやら元々は港区にあったものが、いっとき世田谷区で間借り状態になり、最終
ナガエコミカンソウサンジソウ枝分かれした細い茎の先に、小さなピンクの花をいくつも咲かせ、花が開くのが午後三時ごろなので、「サンジソウ(三時草)」とも呼ばれます。一休橋の由来を読んでいたら・・・ここ文京区は昭和10年はまだ、東京市だったのですね。タマスダレ
10月1日は「都民の日」でした。ところで,東京都の都庁所在地はどこでしょうか?東京都民でありながら,しかも「社会科のセンセイ」でありながら,実はモヤッとしていまいます。なぜならば,「東京」「新宿」――2つの答えがあるから。東京都以外の46道府県にこんなところはございません。ちなみに,あなたは「東京派?新宿派?」すべては1991年の都庁移転から始まったこと。それ以前は,東京都の都庁所在地は「東京」で決まりでした。(旧都庁舎)当時渋谷区民であった少年ボクは,都庁なんぞ眺
叔母が他界した際に必要となった戸籍謄本ですが戦災により焼失してしまっていました。近間重五郎さんは母の祖父なのですが、彼の家族構成を知る術はもうありません。東京がまだ東京市だった頃、赤坂は赤坂区だった。そして青山南町にはその昔、南町奉行所があったのだと母が口にしていました。(母は歴史音痴なので信頼度は低いです)代々木あたりに広大な土地を所有していたらしいのですが、戦後GHQの施設として土地が利用されその後国の管理地となってしまったそうです。「返しやがれ!」チキショー・・・。
井の頭公園・自然文化園2022年8月31日(水)、心なしか少し涼しいと感じた朝、井の頭公園に足を向けました。朝の散歩で近所を一回りのつもりでしたが、たまたま吉祥寺行きのバスが来たのでそのバスに乗ってしまいました。シルバーパスが、こんな時便利です。▲東京市・井の頭恩賜公園公園の入り口にこんな石碑が立っています。東京市だって・・・いつの話?「恩賜公園」とは、皇室から賜った公園と言う意味ですね。昔は皇室専用の公園か何かだったのでしょう。恩賜なんて聞くと「恩賜の煙
このブログの表題にした・・・”僅か5分で、震度7が3回も起きた史上最悪の災害を知っていますか?”と言うものですが・・・1923年9月1日に発生して10万人もの犠牲者を出した『関東大震災』と言うと大多数の人が分かると思いますが・・・1923年9月1日11時58分に『関東南部』に位置する『相模トラフ』上(震源は神奈川県西部・震源域は神奈川県から千葉県南部に達しました。)で、当時の『東京市』でも震度7と言う強い揺れが感じられた、M7.9とされる『巨大地震』が発生しました。これが後に言われる『関東
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう※2015年公開の劇映画東京の日、東京都制定の7/1.都民の日10/1とは異なります。1868(慶應4)年7/17※旧暦、明治天皇の詔勅(しょうちょく)により、江戸が東京に改称。翌1869年東京府内15区が東京市として分立。のち1943(昭和18)年7/1.東京府と東京市が廃止統合して、東京都となる。
先々月、広島県呉市に2日間通ったRieruです★2日目は、広島駅⇒新広駅⇒御手洗港バス停⇒御手洗休憩所⇒天満神社⇒御手洗弁天社⇒北川家住宅⇒新光時計店⇒御手洗昭和館⇒村尾昌文堂⇒乙女座⇒恵美須神社⇒七卿落遺跡⇒住吉神社⇒潮待ち館(いつか島CAFE)さん⇒若胡子屋跡(外観)⇒この日2度目の天満神社⇒満舟寺⇒大東寺⇒御手洗幼・小・中学校跡地⇒くの字路地⇒この日2度目の住吉神社⇒千砂子波止⇒旧柴屋住宅へ。『再び『旧柴屋住宅』にお邪魔したかった理由は!』先月、広島県呉市に2日間通ったRieruです★
みなさん、今晩は!ヽ(^。^)ノコロナ禍で働き方改革が進んだ影響で、東京の人口が減り続けているようです。昨年は5万人近く減少、長年続いた東京都市部への一極集中が収まるのか、関心が集まっています。今年は、1932年に東京市の区域が広がり、ほぼ現在の23区の地域が区部となってから90年を迎えます。この時の区数は、今より多い35だったそうです。それ以前の東京市は15区で、江戸市中とほぼ同じ狭い範囲でした。西の端は「四谷区」で、その先は「豊多摩郡千駄
今回のコースで唯一の観光名所はここらしいです。池田山公園。岡山藩主池田家の下屋敷跡だとか。すさまじい高低差の底に池がありました。池田山から望む風景。下のグラウンドからフンが飛んで来たらきちんと取ろう。すぐ110番されそうなあやしい集団が住宅地を散歩していました。鉄筋に挟まっている歯車っぽいのは何でしょうね。水玉模様のようなおしゃれ面格子。外国語のローマ字表記のやつ。ローマ字って言ってたかな?toppuhaituさすがに何かの意図を持ってこう表記し
山手線散歩のスピンオフ企画?として目黒駅西側を少し歩きました。大体この範囲。まずは目黒新橋の交番裏にある府蓋を表敬訪問橋にこ排氣弇があるのは忘れてた。頼りなさげな文字と穴の感じがいい蓋。東京の川も悲しい色やねかつて在りし者たち先の記事「山手線散歩恵比寿~大崎その6東京市電延長計画」に登場した柳通りを辿ってみました。防火水槽かな?裏面を見たい。宣告どう用心すればよいのか?さっきの防火水槽を直して水をはっておく?例の電氣局境界石が柳通
ちょっと麺が伸びてる?楽しい乗り物5年前にも撮っていました。ほとんど変化なし。お口の恋人。今でもこのコピーのようですね。たこ薬師成就院福をすいよせるというよりも金をかき集めているように見える。(罰当たり発言監禁部屋(だからやめなさい左のカエルは何をしようとしているのか。この庚申塔の売りは邪鬼と三猿の表情でした。ヘタウマというんでしょうか。いいな、これ。失礼の数々お許しください。いかにも歩きそうと思ってよく見たら足がこちら側にしかつ
1月25日(火)まん延防止等重点措置が実施されています。お出かけも自粛中。運動不足では体の調子も悪くなる。そこで、人の少ない所を歩いて来ました。と言っても、コロナ禍を避けて行ける所は限られます。今回出かけた場所は、お馴染みの津久井湖城山公園の城山登山です。割と人が少ない公園ですが、それでも温かくなる昼頃は人出も増えてきます。早めに出発し、9時20分に到着。今日も寒いが、風も無く太陽の光が暖かかった。歩いたコースを今回は先にご紹介。今回のポイントは
“宇宙(そら)”の和音♪通信/9月30日☆今日は何の日?【東京市35区になった日】1932年のこの日、近隣の82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)を合併して新たに20区を置き、35区となりました。東京市(とうきょうし)とは、1889年から1943年まで東京に存在していた市で、現在は東京都と東京都特別区が東京市の機能を分担しています。1889年5月1日、東京府の中心部(東京府内15区)が東京市として発足。当初は東京府知事が市長を兼ねる変則的な自治体で、市役
清澄(きよすみ)庭園というのはどのぐらいの知名度があるのだろう?私は聞いたこともなかった。この庭園をネットで見つけるまで、「清澄」はセイチョウと読むのかと思っていた。私が住む地域に走る東急田園都市線は、渋谷から半蔵門線になり、近年は東武に繋がって埼玉県まで行く。乗り換えたくない、歩きたくない、というカテゴリーで、半蔵門線の駅至近距離の見所を探していく。それで、見つけたのが、清澄白河駅で降りてすぐの清澄庭園。調べるとウェブ予約をしなくてはいけない。予約して、入場料は現地で払う。
2021.4.7一日一季語花水木(はなみずき《はなみづき》)【春―植物―晩春】花水木市花と決めたる街に住み稲畑廣太郎1912年、日米友好の印としてアメリカ合衆国にソメイヨシノの苗木を寄贈した返礼として、北米原産であるハナミズキの苗木が日本に贈られました。尼崎市では、「市の木」に、市民アンケートの結果などをもとに平成5年、花水木が制定されたそうです。このような市の景を詠んでいるのでしょう。⇒画像をクリックするとブログ記事が読めます。2021.
いわゆる大阪都構想、大阪市の廃止と特別区の設置を問う住民投票の結果が再度否決と相成り、大阪市の存続が決まった。大阪の将来を考えると残念なものとなったものである。このような「都構想」がぶち上げられた背景には大阪が大きく衰退していることが挙げられよう。この衰退は単に東京一極集中が進展したことに伴うものなのではなく、元来大阪市が抱えていた構造的な部分にその主因は求められるものである。「都構想」は大阪の欠点を補う代物であった。近代に於ける大阪の最盛期は大正から昭和初期に掛けての時期で、関東大震災の影
ざっくりブログる。『大阪府庁』は「大阪府の『庁舎』」の意味だ。略称『府庁』。それが「大阪『都庁』」に変わる。大阪人は拒絶反応を示す。『都役場』と通称するやろな。「大阪府立⚪⚪高等学校」が「大阪『都立』⚪⚪高等学校」に変わる。そんなこと実現するワケがない!「大阪市立⚪⚪中学校」が「⚪⚪区立⚪⚪中学校」になってしまう。ええ加減にせー!『都』構想とは府民の耳目を集めるだけのアドバルーン広告・表現にすぎない。構想が実現しても大阪府の名称は据え置きにするんやろ!言い出しっぺはわかってやってるんとち
「我が家の、プチプチお宝」『東京市牛込区箪笥町「武田商店」(自転車屋らしい)の、「日本手拭い」』押入れの奥の、古い箱の中から出てきました。江戸から東京になった下町のお店が、盆暮などにお得意さんに配った物のよう。調べてみると、戦前。私が生まれる前。80年ほどの昔のものが、新品のまま眠っていました。だから、お宝。プチプチだけど。「東京市」は、1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)まで存在していたそう。知りませんでした。「牛込区」は、
両国にある江戸東京博物館で開催中の特別展に行って来ました。市民からのおくりもの。昔は江戸だった東京都ですが明治初期から戦後まで東京市だったのは知っている方もいるはず。ま、その市民からのおくりもの。の展示会でした。面白かったですよ❗無料なんで興味のある方行ってみて下さいな
『さいたま市岩槻区府内2-22-25』白山神社樋堀【ひぼり】でGoogleMapを眺めると、旧岩槻市府内【ふない】の白山神社が最もが近いクルマで向かったが渋滞が激しく予定した時間の倍以上を要した更に府内白山神社の周辺道路は甚だ狭く入り組み駐車は不可能だ少し離れたビバホームに駐車し買い物をしてから徒歩で向かった一応、さいたま市なので久し振りに電柱の住所表記が在った少し離れた場所に西飯塚集会所が在るが、昔は集会所近くに白山神社が在ったらしい鳥居を眺めると「明治四十四年四月四日」「東
東京市の水道紋章については日本水道史に掲載されているものについてずいぶん前に記事にしました。(→「日本水道史」に出てくる紋章の水道蓋~その1~東京市)東京市水道(局?)にはもう一つ紋章があったようです。それがこの境界石のもの。都立第一商業高校の垣根にあり東水と読めます。この紋章、以前、東京と水道歴史館で開催されていた特別展でどこかの浄水場だったかの起工式か何かの行事の写真が展示してあって、それに写っていた幟にこの紋章があったと記憶しています。その起工式がいつ頃行われたものかを調べておけばよ
1933年の室内装飾ー全てが最先端かつ一級品!ニコニコニュースアール・デコの館が今ここにあるのは、朝香宮鳩彦王が留学先のパリで交通事故に遭い、看病のために允子妃が渡仏されたことから始まります。夫妻が滞在中...迫力、日本武尊の物語島根の石見神楽、観客魅了/平城京天平祭47NEWS古都奈良の夏を彩る「天平たなばた祭り—平城京天平祭夏」(平城宮跡にぎわいづくり実行委員会・県・奈良市主催)は25日、同市の平城宮跡歴史公園で、最終日...伊賀、名張いせや明治から餅が自慢
信州・大町に移住して8年が経つ。書籍類は大分整理して越してきたが、こちらに来てからも、相変わらず県内の市史・村誌、そして辞書・辞典を買い込むし、結局増えてしまった。百科事典(今は、もう全く開かない)や、辞書類の並ぶ古い本棚の片隅に、大学受験の際に使った「コンサイス英和辞典」が出てきた。懐かしい!革表紙だが、もう、ボロボロ。革も破れて、セロテープで貼っていたから、それも劣化して剥がれている。一浪したから、いや、一浪してからの方がこの辞書を
東京で1番好きな場所は?中学の修学旅行が最初、電車通勤と講座受講で行っていたくらいで東京のことはほとんど知らないと言っていい~▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう雑学ネタ帳https://zatsuneta.com/archives/107173.html東京の日(7月17日記念日)1868年(慶応4年)のこの日、明治天皇の詔勅により「江戸」が「東京(とうけい)」に改称された。「西の京」の京都に対して「東の京」。初めは「とうきょう」