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さてさて…………………『山の辺の道』をてくてく歩いている…………いつものように、【東乗鞍古墳】を目指していると…………んっ人がいる何かやってる『山の辺の道から’22発見③〜東乗鞍古墳〜』さてさて………静寂に包まれた布留の森を抜けて、少しばかり南に進むと到着したのは………【内山永久寺跡(うちやまえいきゅうじあと)】明治の廃仏毀釈で廃寺となり、4…ameblo.jp【東乗鞍古墳】のココロ過去ブログはこちらから【東乗鞍古墳(ひがしのりくらこふん)】奈良県天理市仙之内町字東乗鞍・乙木
五十瓊敷命の御陵に治定される和泉国の「宇度墓」拝所。*画像はWikiより◆「阿蘇ピンク石」~海を渡った棺~(9)敬神活動ができなくなり、およそ1ヶ月が経ちました。引きこもり生活にも慣れたかな?(笑)こんなことにならなければ、「阿蘇ピンク石」のテーマ記事にも取りかかれなかった…。なるべくしてなった?そう思っておきます。記事の方は徐々に核心に向かって進んでいきます。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事(1)…序章・「阿蘇ピンク石」石棺例一覧(2)…「
石上神宮から山の辺の道を南へ歩きます。僧正遍昭の歌碑内山永久寺跡の手前にある芭蕉の句碑。「うち山やとざましらずの花ざかり」宗房。松尾芭蕉が「宗房」と号していた頃の作。内山永久寺跡にある本堂池と桜。『内山永久寺跡』永久2年(1114)に鳥羽天皇の勅願により創建され、50ほどの堂塔が並ぶ大伽藍を誇ったが、明治時代の廃仏毀釈による破壊ですべてを失った。内山永久寺跡の見晴らし休憩所からの眺め休憩所にある「内山永久寺絵図」。早めのお弁当タイム十市遠忠の歌碑石
東乗鞍古墳のすぐ北東に全体が柿畑に覆われた小山が杣之内石塚古墳。76m×40mの楕円形の古墳。あるいは頂上に古墳が存在した可能性もあります。中央に見えるこんもりした墳丘。左側後方が東乗鞍古墳、手前右側が杣之内石塚古墳。墳丘東側。綺麗に全景が見えています。本来の墳形は不明です。墳丘西側。墳頂。
奈良県天理市杣之内町、乙木町にある東乗鞍古墳。杣之内古墳群に所在する前方後円墳。6世紀前半、古墳時代後期前半築造。墳丘南西側。大王墓に次ぐ有力豪族の首長墓であり、物部氏の説が有力。墳丘内へは墳丘南東角へと続くこの畔から入ります。直進(右)は墳丘東側への外周の道、左!墳丘南側を西へと向かう道へ進みます。竹藪を進むと・・・・・右手の斜面に見えてきました・・・■石仏南側開口部。現在は立入禁止。主体部の埋葬施設は、後円部にある右片袖式
さてさて………静寂に包まれた布留の森を抜けて、少しばかり南に進むと到着したのは………【内山永久寺跡(うちやまえいきゅうじあと)】明治の廃仏毀釈で廃寺となり、40余あった堂塔も現在は本堂池を残すのみ池畔には、松尾芭蕉の句碑が立つ『太平記』には笠置山を出た後醍醐天皇が、一時この【内山永久寺】に身を潜めたという記述が残されている南朝ゆかりの地なんだここからは、本格的なハイキングコースに入る【天理観光農園】少し立ち寄りました。そして、次に現れるのは………【東乗鞍古墳(ひがしのりくら
☆東乗鞍古墳大和国山邊郡奈良県天理市杣之内町大字東乗鞍・乙木町大字北山(無料観光駐車場が隣接)■形状前方後円墳(周濠有り)■全長83m■築造時期6世紀前半■埋葬施設横穴式石室■出土品円筒埴輪片、挂甲の小札、馬具の杏葉等(盗掘済み)■周辺の状況大和盆地の東山麓(「龍王山系」の西麓の丘陵を利用して築造)西乗鞍古墳が隣接石上神宮から南南西1km余り「杣之内古墳群」の一。北には「石上・豊田古墳群」、南には「大和古墳群」。■被葬者物部氏の首長級墓ではないかと考え
『伯耆国・大山歴史読本』刊行記念、「伯耆国・大山開山1300年の歴史と文化を知る」歴史フォーラム開催...PRTIMES(プレスリリース)株式会社KADOKAWA(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:松原眞樹)は『伯耆国・大山歴史読本』を刊行いたしました。これを記念し「伯耆国(ほうきのくに)・大山(だいせん)開山1300年の歴史と文化を知る」歴史フォーラム(主催:伯耆国「大山開山1300年祭」実行委員会)を2018年3月18日(日)秋葉原コンベンション...大嘗祭とは何
益生田古墳群88号墳山歩き古墳巡り-FC2久留米市田主丸町益生田益生田古墳群C群88号墳この古墳は、筑紫大地震の影響と思える遺構が残っていました。径16~18mの円墳で、現在は埋め戻...キトラ古墳壁画南壁の朱雀を見学、感動した!!!フォートラベル飛鳥でのshigechanさんの旅行記です。キトラ古墳壁画の公開(第四回)という記事をネットで見つけて、応募して、当選したので、愛知県から、往復6時間かけて、...歴史教室in江南南小学校ー埴輪・古墳を学ぶ