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おはようございます。現在、大原で、大原女まつりが行われます。今では観光としてでしか見られない大原女です。【大原女(おはらめ)とは】○大原女「おおはらめ」ではなくて、「おはらめ」と読みます。女行商人の一種。平安中期、11世紀ころから、京へ近郊から日常の食品や雑貨を行商にくる女性、つまり販婦(ひさぎめ)(販女(ひさめ))が多くなってきました。その一つに京の北部の大原(おおはら)(京都市左京区)から炭、薪(たきぎ)、柴(しば)などを頭にのせて売りにくる者がありました。これを大原女(小原女)
泉涌寺塔頭西国三十三所霊場の今熊野観音寺を無事に発願…泉涌寺山内には幾つが塔頭寺院が有るのでちょっと寄って見ます塔頭寺院の来迎院の寺号標と山門が見えて来たので立ち寄らせて頂きます来迎院の縁起案内板弘法大師像独鈷水井戸独鈷水井戸の弘法大師独鈷水井戸は、弘法大師が独鈷という仏具で掘り当てた井戸本堂と宝篋印塔真言宗泉涌寺派泉涌寺塔頭寺院の来迎院は、明応山来迎院と号します寺伝によると、大同元年(806年)弘法大師空海が、唐で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされます
来迎院(らいごういん)は、左京区大原来迎院町にある天台宗の寺院、山号は魚山、本尊は薬師如来です。大原のバス停から三千院に向かう参道を三千院の脇をさらに登ったところにあります。平安時代前期に慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建したのに始まると伝えられています。1109年、融通念仏の祖とされる聖応太師良忍がこの寺に入寺して再興しました。それにより勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て付近一帯は「魚山大原寺」と総称されるようになりました。以来、大原で伝承されてきた声
宝泉院の続きです『宝泉院』こんにちは´ー`)ノご来店ありがとうございますオーナーのヴェルニー綾瀬ですここは、京都市のかなり北のほうディ・モールト北のほうで…ameblo.jp「音無の滝」というのがマップに書いてあったので、行ってみることにしました来迎院への参道を行きますが、今回は来迎院は通り過ぎ、その先へ向かいます
こんばんは今日は久しぶりにごろごろ水を汲みに行ってきましたいつものように氏神さんへおはようございますいい天気ですごろごろ水を汲みに行ってきますプップー🚗途中桜が咲いてます🌸満開です🌸駐車場に到着してテクテク桜と巫女さん大峯本宮天河大辨財天社鳥居の右側にお稲荷さんおはようございます日本三大辨財天の一つ龍さん久しぶりにジャーできましたおはようございます橋を渡り鳥居をくぐり階段テクテクテクテクキラキラ五十鈴を鳴らしておはようございます
思っていましたが、ミゾレに遭うとは思いませんでした。更に春の景色が楽しみになりました。#京都#大原#三千院#来迎院町#魚山#天台宗#一隅を照らす#薬師如来#雨#ミゾレ#春の景色が楽しみ#日々是好日#春よ来い
再興された、大原の天台声明の道場に始まる寺院は何処か?大原の天台宗・魚山「来迎院」は、薬師・弥陀・釈迦如来の3尊仏を本尊とする。来迎院は円仁(慈覚大師)が、平安初期に天台声明の道場として開山したと伝わる。一時は衰えたが、天仁2年に良忍(リョウニン・聖応大師)が再興した。「来迎院」の寺号が定まったのは良忍による再興時かと思われる。同じ大原にある魚山「勝林院」と共に声明の中心を占めて来た。
19.07.31#逗子「#天台宗医王山来迎院神武寺」参拝#逗子市沼間https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2019-08-01/#医王山来迎院神武寺#神武寺#逗子市沼間#神武寺ハイキングコース
さてさて…………………【後鳥羽天皇陵・順徳天皇陵】から徒歩すぐに次の目的地があった……………到着したのは………………【勝林院(しょうりんいん)】京都府京都市左京区勝林院町187「受付」にて拝観料を納める御朱印帳もここで預けます【本堂】【勝林院】は、承和2年(835年)円仁(慈覚大師)によって開かれたと伝えられる。円仁は唐で経典などに独特の旋律を付けて唱える声明を学んできており、この地にそれを伝えた。しかし、その後【勝林院】は荒廃してしまう長和2年(1013年)、寂源によって
泉涌寺方面に向かった私たち。時間がどれくらい必要か読めないこともあり,オススメの場所から。まず訪れたのは来迎院。――人がいないんですよねえ…。まあ,確かに紅葉の名所として知られているかというと,そうでもないからだと思いますが。あとは,単純にわかりづらい場所にあるから,観光客がわざわざいくことがないってことかも。来迎院は泉涌寺の塔頭寺院。大石内蔵助縁の茶室があります。建て替えられたものだけれど。何度も訪れていますが,昨年まで茶室の存在はおろか,御朱印をいただけることもまったくわ
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今年は、2日の夕方から、大阪へ。🚙💨💨💨今日は天河大弁財天社にお詣りに。⛩️お向かいの来迎院です。師のいわ子先生が大峰山で修行の時、この来迎院の僧侶の方とお親しく過ごされたそうです。こちらのパワーも凄いそうです。機会のある方は、是非お詣りください。合掌
12月14日に行きました。大石内蔵助が建てた茶室があります。
来迎院(らいごういん)泉涌寺の塔頭の一つで鎌倉時代に建てられたお寺です来迎院の山門大石内蔵助が討ち入り前に身を寄せていたというお寺さん弘法大師銅像来迎院の山門をくぐり左へ忠臣蔵で知られる、大石内蔵助が建立した茶室大石内蔵助ゆかりの「含翠茶庭」(京都府東山区泉涌寺山内町33)
京都の来迎院に行ってきた日記の続きです。ここ庭園もあるのですね。とにかく、ここは紅葉がとっても綺麗です✨拝観料が掛かります💦中は茶室になっていて別料金でお抹茶と和菓子が頂けるようです🙏紅葉マジで綺麗ですね✨こんなに綺麗な紅葉が鑑賞できただけでもここに来た甲斐がありました🎵いるるは、この日は次に行くところがあり時間が押していたので残念ながら含翠庭でゆっくりとしていません💦恐らく、中に入れば縁側に座って、抹茶と和菓子を戴きながら紅葉鑑賞を楽しめるのではない
旧暦の12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日。と言うことで、今日は京都の大石内蔵助ゆかりの場所の紹介です。大石神社(おおいしじんじゃ)京都市山科区大石内蔵助を祭神とする神社です。境内の提灯には大石内蔵助の家紋が描かれています。「忠臣蔵宝物殿」には、大石内蔵助の持ち物だったものや赤穂の義士達を描いた書などが数多く展示されています。岩屋寺(いわやでら)京都市山科区大石内蔵助が隠棲していた場所が岩屋寺です。「大石神社」から南へ徒歩数分のところにあるお寺で、通称「大石寺」とも呼ばれていま
京都にある来迎院に行ってきました。来迎院の中にゆな荒神社が鎮座されていました。こういう看板を見ると、ついつい寄ってしまいたくなるんですよね^^紅葉がとっても綺麗でした✨説明看板です。(クリックで文字が大きくなります)石標院内はめっちゃ紅葉が映えて綺麗でした✨三宝荒神堂荒神堂左側奥にお人形さんがいっぱい…💦末社お稲荷さん拝殿ホンマに紅葉が綺麗でした✨弘法大師独鈷水このお水で目を洗えば目が見えるようになると言い伝え有。この
京都の来迎院へ行って来ました日本最古の三宝荒神像があります。『忠臣蔵』の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が建立した茶室があるのです「含翠軒(がんすいけん)」です。来迎院に涌(わ)き出ている独鈷(とっこ)水(空海が掘ったと言われている)を使って、大石内蔵助は、茶を楽しんでいたようです。内部の撮影はOKをいただきましたが、茶室にあがることはできませんしかも、この茶室で敵討ちのための密会を仲間としていたのだとか。はからずも、観劇前に『忠臣蔵』の世界に触れることができました。お抹茶と
おはよう!週明けの月曜日、天気は曇りさてと今週もぼちぼちはじめましょふぁいと~12月2日の京都東福寺ちょこっとのあとはてくてく歩いて泉涌寺エリアへ毎年恒例の泉涌寺の塔頭めぐりです。戒光寺から(即成院も綺麗な紅葉が1本あるんやけど今年は終わってました)ここのは真っ赤真紅って言ったほうがいいかな来迎院この橋から山門までちょっと幻想的
天河神社へ。駐車場から歩いて行く。来迎院へ。大きなイチョウの木。階段あります。ここから月の神殿(船岡テラス)に行くのかな?今から工事が始まるという。船岡山にテラスが建つそうです。これはなんだろうと写真撮ってみた。ギンナンでした。天河神社に戻ります。入り口に祀られてるお稲荷様をお参りしてから拝殿へ。天石初めてご祈祷中にお参りしました。ご祈祷中は鈴鳴らしはできません。静かにお参りして外に出ました。南朝のところにお参り。今年一年ありがとうございましたのお参りできました
こんばんは、iaです暦の上では12/7に「大雪」を迎え、いよいよ雪の降るくらい寒くなる時期になりましたねそして、私ごとながら7日にまたひとつ歳を重ねました。今年もこころ安らかに無事新しい歳を迎えることができて安心しています。いつもiaのブログを見に来て下さる方も本当にありがとうございますさて、そんな7日ですが、熊本市の来迎院で開催されている大人のための書道サークル「お寺で書楽」に行ってみました。今週頭に「そういえば木曜日は誕生日だけど一日家で過ごすのもなぁ〜」と思ったこと、また今年の1
ランチの後は皇室ゆかりの「泉涌寺」へ。今年二度目です。新緑も紅葉も綺麗なお寺ですが、いつもそんなに人がいません。その後、お隣の「来迎院」へ。途中の札所も綺麗です。「来迎院」は大石内蔵助ゆかりの茶室があるお寺です。弘法大師がひらいた井戸もあり、今も水が湧き出ています。ここでお茶をいただけます。いろは紅葉が綺麗なお寺で、大好きなお寺です。この日も誰もいませんでした。この後「今熊野観音寺」へ。お隣お隣と歩いて行きます。このコースは人も少な
来迎院客殿からの眺め(202312.5撮影)インスタグラムを見ていて、この来迎院を知った。泉涌寺の近くにも素敵なところがいっぱいある。今熊野観音寺へ続く道の途中、道を右に曲がると来迎院がある。落葉は始まっているが、十分美しかった。客殿からの眺めが美しい。一人拝観されていたが、その方が帰られると、この素敵な空間を独占できた。忠臣蔵で知られる大石内蔵助とも深い縁があるようだ。東福寺の紅葉は残念ながらもう終わり近づいてい
いつも紅葉時期はそれほど混み合わない泉涌寺周辺泉涌寺から少し入ると余り知られていない素敵なスポットがあります。今までは人がほとんど見なかったところも、今年は数名すれ違ってびっくりでした。2023.11.26来迎院泉涌寺
とろりんonInstagram:"#イツカノモミジ#来迎院#泉涌寺#塔頭#紅葉#京都#寺院#庭園#日本庭園#京都紅葉#klk京都フォトコン2023#そうだ京都行こう"25likes,0comments-kangeki.kangekionNovember29,2023:"#イツカノモミジ#来迎院#泉涌寺#塔頭#紅葉#京都#寺院#庭園#日本..."www.instagram.com
大原三千院の奥に位置する来迎院は平安時代前期に慈覚大師円仁が天台声明の道場として創建したのに始まると伝えられる。1109年に融通念仏の祖とされる聖応太師良忍がこの寺に入寺して再興。それにより勝林院を本堂とする下院と来迎院を本堂とする上院が成立し、この両院を以て付近一帯は「魚山大原寺」と総称されるようになり、以来、大原で伝承されてきた声明は「天台声明」や「魚山声明」と呼ばれる。大原三千院辺りは昔から観光の名所として、年中ある種の活気に満ち溢れている。特にこの時期、想像できない人出が
天河大弁材天社こちらもようやくたどり着いた神社さん⛩到着して鳥居を見た瞬間、ふるえた・・過去生のご縁により導かれてきました。一日中ゆっくりと参拝し、まわりをめぐっているといろいろ思い出す感じ。温泉にも入り宿泊をして天川のエネルギーをいただいてきました。山の上のエネルギーは清らかであたたかい。お友達に教えていただいた禊殿もご挨拶をしていたら宇宙の真理にであう。目の前にある来迎院も素敵な場所でした。この辺はゼロ磁場があるとのこと。感じてみましたがたぶんこの辺かな、という感
月輪陵で御水尾天皇のお墓参りを済ませ、寄り道しながら深草へ向かいます。さっき、今熊野観音寺へ行く時に通った橋が見えています。善能寺祥空殿。立ち寄りたくなる美しさ。境内の奥に池のような石組みしんと静かな美しいお寺でした。さて、この辺は陵墓が多く、他の陵墓にも行ってみます。なんと言ってもこの美しい道を行きたいっていう気持ちになります。後堀川天皇観音寺陵宮内庁の看板真横のシダがあまりにも美しい!階段を登って更に登りますありました。次に孝明天皇後月輪東山陵。けっこう山の中です。来
東福寺を後にGooglemapに案内されて路地裏を進みます(;^_^A15分くらいで今熊野観音寺に到着しました(*^^*)見頃ですね(#^^#)綺麗に色付いていました(*^^*)人も数名しか居ないのでのんびりできました。鳥居橋を渡って左折して怪しげな道を少し歩くと来迎院に着きます(#^^#)僕意外に1人2人と立ち代わりに訪れる人がいるくらいです(#^^#)日に照らされて綺麗です(^^♪目と鼻の先には泉涌寺があるのですが、ちょうど団体さんが居たのと体
週1の貴重な休みは心に栄養あげるDAY長男テスト中につき帰るまでに車でザーッと巡ります今回は市内北の山のほうへ寂光院京都大原寂光院京都大原の地に優しくひっそりとたたずむ寂光院。聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる尼寺です。www.jakkoin.jp市内より紅葉が縮れてなくて綺麗でしたこちら1度焼失してはりまして、再建17年だそう小さいながらも整ったお寺でしたお次はド定番三千院奇跡的に人が写り込んでませんが観光客が多いチャイナスマホがもどかしい