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生まれも育ちも奈良県で、古墳が好きなみくるです。いま見頃を迎えている天理市杣之内町のひまわり畑の周囲は、「杣之内古墳群」という古墳が点在するエリアです。ひまわりの背景にある古墳についてご紹介したくて、「みくるの森」で記事を書きました。「杣之内古墳群」は、ヤマト王権の中枢に近い場所にありながら、大王墓にも匹敵するような規模の古墳がいくつも残されています。たとえば、西山古墳は、最大級の前方後方墳としても注目の存在です。誰が眠っていたのか?どんな時代背景があったのか?歩いてみると、教科書で
『峯塚古墳』(古墳時代終末期)杣之内町の円墳で南向きに開口する横穴式石室を有する墳丘は3段築直径35.5m高さ約5m上段は切石の葺石横穴式石室は11.11m天理市教育委員会期待が高まります六地蔵ですね手前もお地蔵さんでしょうか沢山のご加護がある古墳ですねよろしくお願いしますやな予感やっぱり入れないのですね見たいです峯塚古墳の文字がありますこの中に確かにあるようですが、墳丘がさっぱりわかりません柵がうらめしい手前の木だけでも刈り込んでくれれば嬉
天理市の古墳に関するブログの記事が増えてきたので、まとめてみました。◎天理市北部の古墳をあるく天理市北部の古墳をあるく①~櫟本墓山古墳~天理市北部の古墳をあるく②~和邇下神社古墳~天理市北部の古墳をあるく③~赤土山古墳~天理市北部の古墳をあるく④~岩屋大塚古墳~天理市北部の古墳をあるく⑤~ハミ塚古墳~天理市北部の古墳をあるく⓺~ウワナリ塚古墳~天理市北部の古墳をあるく⑦~石上大塚古墳~天理市北部の古墳をあるく⑧~別所大塚古墳~天理市北部
前回の続きで、奈良県の古墳巡りについてです奈良県天理市杣之内にある杣之内古墳群を、レンタサイクルで回りました約80基ある古墳群です今回は、この杣之内古墳群から4基をレポートしますね東乗鞍古墳に行った後、すぐ横にある西乗鞍古墳を見学墳丘100mを超える前方後円墳ですまず西乗鞍古墳ですが、道もあり見学可能です見た目は森ですけどね西乗鞍古墳は、墳丘約118mの前方後円墳で、掘割も含めると全長約190mになります5世紀末の築造墳丘に上がる道あり写真左側の平坦な部分には、周濠と
西乗鞍古墳から道を挟んだ向かい側、天理市の浄水場の奥に二つの丘の高まりがみられる。これが、小墓古墳と言われる古墳で、6世紀の前半、古墳時代の後期に築造された前方後円墳である。墳丘は三段築成であり、現在は全長80mほどであるが、本来は、周濠等を持つ全長95mを越える古墳であったと考えられている。航空写真などを見ると、墳丘の周りに周濠の跡が残っているのがわかる。小墓古墳は、過去2回ほど天理市教育委員会により発掘調査がなされており、周濠跡から多量の埴輪や木製品が出土している。特に
東乗鞍古墳から元来た道を戻って駐車場の方から西側に向かって歩いていくと、田んぼの中に西乗鞍古墳の姿が徐々に見えてくる。西乗鞍古墳は、全長118mの二段に造られた前方後円墳である。航空写真などで見てわかるように、後円部に比べて前方部が大きく広がっており、古墳時代の中期の後半、5世紀末に築造されたと考えられている。途中、天理環状線に交わり、そこで左折をして、南へ少し下ると公衆トイレがあるポケットパークがあり、その横から墳丘に登っていくことが出来る。古墳の中を登っていくと、平坦地
峯塚古墳からは、再び元の道に引き返したのち、杣之内の集落の中を横切って、2022年3月に開業したばかりのなら芸術文化村に立ち寄って、昼食を取る。以前、ここに来た時に、これからめざす東乗鞍古墳の3D体験をさせてもらった。なかなか巨大な横穴式石室で驚いた記憶がある。周辺の古墳に関する企画展なども開催されており、これからちょくちょく立ち寄ることになりそうな施設ではある。(今は、「山辺の古墳文化―大和古墳群と柳本古墳群―」を開催している。)昼食を取った後、幾坂池のほとりを歩いて、芸術文化村の臨
保昌塚古墳から天理環状線を北東の方角を向いて歩いていくと道路脇に峯塚古墳の説明板があった。こんな場所にあるが、近くに峯塚古墳の姿はどこにも見当たらない。ここが峯塚古墳の侵入路の出発点にあたると考えた方がいい感じ。天理環状線から右に折れて、コンクリートで舗装された道を歩いていくことになる。しばらく歩くと道が二手に分かれる。ここは左に曲がる。遠目のお地蔵さんらしき石仏が見えるので、それを目標に少し登りになっている道を進んでいく。ここまで来たら、今度はこの道を
西山古墳から天理大学クラブハウスの横をすり抜けるようにして構内を出ると、天理環状線がちょうど目の前に走っており、道沿いにある天理高校のグラウンドの前に小さな可愛らしい形の良い土饅頭のような古墳が眼に入った。近寄ってみると何の説明板もなく、畑の中にポツンとある。塚の腰高な感じから古墳であることは間違いないと思われるのだが・・・。改めて奈良県の遺跡地図を確認すると、径13mの円墳であるらしい。しかし周囲にはこれと言って古墳らしきものはなかった。保昌塚古墳という名称が印象的で、一
天理市の天理大学を中心としてその周辺に杣之内古墳群があり、その中の古墳で、石舞台古墳に匹敵するほどの巨大な横穴式石室を有する塚穴山古墳を見学に行くことになった。塚穴山古墳は天理高校の敷地内にあり、古墳を見学する際には、天理高校の事務所に連絡を入れて、事前に承認を得ることが必要である。今回は、天理高校の事務室に連絡を入れたうえで、鍵を借りる。しかし、天理高校の校舎の立派なのにはびっくりした。これが高校なのという校舎である。ここからぐるっと裏に回って、目的の塚穴山古墳に向かう。
さわやかな秋晴れの一日、いつもの学友と山の辺の道の北半分(石上神宮から長岳寺まで)を歩きましたそこは、小さな古墳がたくさんある場所で、道を外れて寄り道ばかり、なかなか前進しない散策となりました(進まないけど、楽しかった)今回のスタートは天理駅↓天理駅前には、鏡のレプリカが飾ってありました近くの杣之内火葬墓から出土した海獣葡萄鏡のレプリカのようですさすが天理!山の辺の道はJR万葉まほろば線に平行して南北に走りますそのため、今回の起点となる石上神宮にむけて、
☆西山古墳(天理市)大和国山邊郡奈良県天理市杣之内町・勾田町・御経野町(南東の案内板前に停め置きスペース有り)■形状前方後方墳(特異な形状を有す、本文に詳細記述)(周濠有り)■全長183m■築造時期4世紀前期(古墳時代前期)■埋葬施設竪穴式石室■出土品道鏡片、碧玉製鏃、管玉、鉄剣、鉄刀片鰭付円筒埴輪、家形埴輪■周辺の状況「杣之内古墳群」のうち最古で中核の一基。■被葬者物部氏一族のものか天理市東部の「布留山」を中心とした山塊から流れてきた「布留川」が、
☆東天井山古墳・西天井山古墳(天理市杣之内町)大和国山邊郡奈良県天理市杣之内町天井山(アクセス、駐車は下部写真参照)天理市東方の山塊より西に延びた丘陵(天井山)に築かれた古墳。「杣之内古墳群」の一。「東天井山古墳」は径37mの円墳であるが、「北からの眺めは独立丘陵上に築かれた古墳の観を呈し、見かけの墳丘の規模は実際より大きく見え、視覚的効果を上げている」と実測調査に携わった天理大学歴史研究会はみています。墳丘頂付近からまとまった量の円筒埴輪片が出土、埴輪列が存在したと考えられます
天理教との所縁も深い佛性山善福寺です。境内や墓域にかけて塚穴山古墳が重なっています。■寺号標■六地蔵1999年(平成11年)六地蔵覆屋改築。■山門1999年(平成11年)改築。それ以前は内山永久寺塔頭の門でした。奈良時代(710-794)行基(668-749)により頭光山西光寺を開山。1175年(承安5年)浄土宗に改宗。■本堂本尊:阿弥陀仏1984年(昭和59年)再建。■行基菩薩報恩碑当山開基と伝わります。茶色に変色し
東天井山古墳は杣之内古墳群にある円墳。径25-37m。墳丘斜面に葺石が露出しています。円筒埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪などを採集。1977年(昭和52年)天理大学歴史研究会が墳丘測量調査。■杣之内古墳群国道25号バイパス沿いにあります。道の駅なら歴史芸術文化村や、フェアフィールド・バイ・マリオット奈良天理山の辺の道などが近隣に新設されています。墳丘北側。■西天井山古墳円墳。径25-28m。円筒埴輪が出土。墳丘北東側。
東乗鞍古墳のすぐ北東に全体が柿畑に覆われた小山が杣之内石塚古墳。76m×40mの楕円形の古墳。あるいは頂上に古墳が存在した可能性もあります。中央に見えるこんもりした墳丘。左側後方が東乗鞍古墳、手前右側が杣之内石塚古墳。墳丘東側。綺麗に全景が見えています。本来の墳形は不明です。墳丘西側。墳頂。
大王墓クラスの石室を持つ大型円墳・・・・・物部氏の首長墓と考えられています。奈良県天理市杣之内町峯堂にある峯塚古墳。杣之内古墳群に属する大型円墳。7世紀中葉、古墳時代終末期の築造。古くに盗掘され、副葬品や棺は残存しません。峯堂の塚、墓山、大墓などとも呼ばれ、舒明天皇陵の改葬陵と推定されたこともあるとのこと。南の農道より六地蔵を目指します!■六地蔵石仏、宝珠など石造物が集められています。内山永久寺の遺物でしょうか・・・・
鎌倉時代の刀の名工、保昌五郎の墓という言い伝えが由来。天理市杣之内町森にある保昌塚[ほしょうづか]古墳。杣之内古墳群に属するこんもり腰高な円墳。墳丘北西側。保昌塚古墳は、布留川が形成した扇状地の河岸段丘状の地形に位置し、東から西に広がる緩斜面に築かれています。東では墳丘の高さ3m、西では4m。墳丘のすぐ北側を内山永久寺の参道が通っており、削平を受けている可能性は高いとされます。墳丘西側。墳丘の現状規模は径16.8m、高さ4mの円墳です。
奈良県天理市杣之内町、乙木町にある東乗鞍古墳。杣之内古墳群に所在する前方後円墳。6世紀前半、古墳時代後期前半築造。墳丘南西側。大王墓に次ぐ有力豪族の首長墓であり、物部氏の説が有力。墳丘内へは墳丘南東角へと続くこの畔から入ります。直進(右)は墳丘東側への外周の道、左!墳丘南側を西へと向かう道へ進みます。竹藪を進むと・・・・・右手の斜面に見えてきました・・・■石仏南側開口部。現在は立入禁止。主体部の埋葬施設は、後円部にある右片袖式
西乗鞍古墳は2段築成の前方後円墳。周濠(内濠)、外堤を含む全長は南北165m。掘割(外濠)は二重周濠とも考えられ、更に大きな全長を持つ可能性もあります。墳丘長118m。後円部径66m、後円部高さ15.5m。前方部幅88m、前方部高さ16m。■天理大学親里ホッケー場入口南側の外堤。■シダーローズヒマラヤスギの松ぼっくり。ヒマラヤスギはその名と異なり、マツ科です。■ヒマラヤスギ国際大会も開催される日本ホッケーのメッカ。天理大学ホッケー
奈良県天理市杣之内町にある西乗鞍古墳。国史跡指定。5世紀末頃築造。杣之内古墳群では西山古墳に次いで2番目の大きさ。同時期の古墳としては、大王墓に次ぐ規模を誇ることから、有力豪族の首長墳とされます。■奈良県道51号天理環状線後円部北西側。後円部西側に墳丘への入口があります。少し登ると・・・墳丘西側には広大な平坦地が広がっています。周濠と外堤が埋没して同じ高さになっているものと考えられます。墳頂へと登る道が整備されています。ま
1987年(昭和62年)、1989年(平成元年)発掘調査時に多数の木製埴輪が出土し、全国報道された古墳です。木製埴輪とは・・・・・・笠形・盾形・刀形・翳形・鉾形など墳丘上や周囲に並べられていた木製品。コウヤマキ製の笠形は85点出土。■人物埴輪盾持人。顔には刺青。■人物埴輪頭部奈良県天理市杣之内町にある小墓[おばか]古墳。杣之内古墳群を構成する古墳です。墳丘南東側。墳丘は後世の耕作により段状に改変され、墳丘裾も後退しています。航空レーザ
天理大学構内にある古墳です。多くの前方後方墳とは異なり、下段のみが前方後方形、中段上段は前方後円形という類を見ない形状です。墳丘規模は全長183-190m。三段築成。全国最大の前方後方墳。下段は後方部90-94m四方、後方部高15-16m。前方部長90m、前方部幅72-87m、前方部高10m。中段の後円径72m、墳頂の上段平坦部径30m。■標柱「史蹟西山古墳」墳丘北東側。後方部墳頂にはかつて板石(柏原市芝山産)が散乱し、竪穴式石室が存在したと考え
国内最大の前方後方墳です!杣之内古墳群内では最も古く、4世紀、古墳時代前期の築造。奈良県天理市御経野町、勾田町、杣之内町に跨ります。国指定史跡。別称はナガリヤマ、勾山[まがりやま]。後方部東側に墳丘への入口があります。■説明板後方部東側。後方部墳頂は平坦。後方部南東端。下段は方形、上段は円形なのが見て取れます。後方部南西角を東より。樹木に囲まれた下段の角がくっきりわかります。前方部の尾根を東より。前
奈良県天理市の天理大学附属天理参考館で開催中の企画展「物部氏の古墳杣之内古墳群」のチラシです。9/16まで。天理市の市街地には、日本最大の前方後方墳である西山古墳や、西乗鞍古墳・塚穴山古墳など古代豪族物部氏の首長墓と考えられる大型古墳が残っており、杣之内(そまのうち)古墳群と呼ばれています。また明治時代以降の記録によると、杣之内周辺にはもっと多くの古墳があったことがわかります。さらに近年の発掘調査によって、群集墳もみつかっています。本展は天理市教育委員会と天理大学附属天理参考館が共同で
久しぶりに、奈良県天理市の古墳めぐりウォーキングを楽しみました。今回は保昌塚古墳です。西山古墳から東へ、地図を頼りに山の辺の道方面へ進むと、小ぶりな古墳・保昌古墳が見えてきました。杣之内古墳群エリアにあります。ネット検索では詳しい情報は見当たりませんでした。この日の天理めぐりのルートは、こちらをご覧下さい。『がっつり天理・古墳めぐりウォーキング(2021.3.7)』この日、会期末が迫ってきていた天理参考館の「天理山の辺の古墳」に行こう!その足で古墳もめぐろう!と朝から出かけ
☆東乗鞍古墳大和国山邊郡奈良県天理市杣之内町大字東乗鞍・乙木町大字北山(無料観光駐車場が隣接)■形状前方後円墳(周濠有り)■全長83m■築造時期6世紀前半■埋葬施設横穴式石室■出土品円筒埴輪片、挂甲の小札、馬具の杏葉等(盗掘済み)■周辺の状況大和盆地の東山麓(「龍王山系」の西麓の丘陵を利用して築造)西乗鞍古墳が隣接石上神宮から南南西1km余り「杣之内古墳群」の一。北には「石上・豊田古墳群」、南には「大和古墳群」。■被葬者物部氏の首長級墓ではないかと考え
☆西乗鞍古墳大和国山邊郡奈良県天理市杣之内町字乗鞍(100mほど東に無料観光駐車場有り)■形状前方後円墳(周濠有り)■全長118m(周濠を含むと165m)■築造時期5世紀末(資料により6世紀前半とも)■埋葬施設(推定)横穴式石室■出土品大量の埴輪片(円筒・朝顔型・人物等)、須恵器片など■周辺の状況大和盆地の東山麓(「龍王山系」の西麓の丘陵を利用して築造)石上神宮から南南西1km余り「杣之内古墳群」の一。北には「石上・豊田古墳群」、南には「大和古墳群」。■被