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いつも読んで頂き、ありがとうございます。昨夜の十五夜お月様。程よく雲がかかり、川面に写っていました。村田珠光のことば、「月も雲間の無きは嫌にて候」。不完全なもの、完璧で無い状態を愛する、侘びの心が表されていますね。奈良のお菓子屋、中西与三郎。2016年にこちらでお茶会をお手伝いした時、お干菓子の銘が「雲間の無きは」だったのです。懐かしい思い出です。お茶の輪、着物の輪が拡がっていきますように。
本日、10月6日は中秋の名月です。もとは中国から伝わってきた風習で、中秋とは旧暦の8月15日を指します。だから十五夜とも言います。月は新月から満月まで15日かけて少しずつ満ちていくことから、旧暦では新月の日から数えて15日目を十五夜と呼ぶようになったそうです。涼しくなってきて、虫の音が聞こえ出した今日この頃電車に乗れば下を向いているひとばかりですが、日々忙しく過ごす現代人も今夜ばかりは、上を見上げてゆっくり過ごす時間を作ってほしいと思います。何千年も昔から、エジプトのひとたちは月の満ち
「このはし、わたるべからず!」そんなトンチで有名な“あの一休さん”──実はただの賢い子どもじゃなかったって、ご存じですか?アニメ『一休さん』では、和尚様に叱られながらも、トンチでピンチを切り抜ける柔らかい少年僧として描かれていましたが、史実の一休宗純(いっきゅう・そうじゅん)は、れっきとした臨済宗のお坊さん。しかも、大徳寺派の超・ガチの禅僧だったんです。🧘禅と茶のつながり一休さんの時代、禅の教えとお茶の文化は深〜く結びついていました。というのも、茶道のルーツである「わび茶」
今日は、奈良の「称名寺」で「珠光忌」が営まれる日。お参りするのを楽しみにしていましたが、急な要件が出来したため、お参りに行けなくなりました。誠に残念です。「村田珠光」さんは、「千利休」さんの師匠である「武野紹鷗」さんの師匠に当たる方。それまで高位高官・富豪の遊興の具であった「飲茶」を、精神性の高い「侘び茶」へ導かれた礎、方向性を確立された御方です。また、将軍・足利義政公の指示で、銀閣寺・東求堂の同仁斎(4畳半)に、初めて日本建築に畳を敷き詰めた部屋を作られ、現在までの和室の
序の舞上村松園画【か】kaze『かぜ』「風」「風」と言えば、落語(舞や能・歌舞伎なども)では「扇子(せんす)」の事。「風」は邪を祓い運を呼び込む其の「風」を起こす道具と謂う意味も有る。(尚「手拭」は落語では「マンダラ(斑・曼陀羅)」と呼ぶ落語の世界では、舞台を「高座」、他にも「前座」など仏教用語が遣われる。江戸初期の浄土宗の僧侶「策伝」の『醒睡笑』は、僧侶の説教の「種本」とされ「睡り(ねむり)を醒まして笑わせる」の意味から落語でも「頓知話集」と並び「ネタ本」の一つである…
*理論段階での自然の形式から実践段階での人間の思想へ*文化(芸術・スポーツ)堪能の流儀*日本人の美意識*千利休の待庵(妙喜庵茶室)/黄金の茶室*後鳥羽上皇の柿本衆(有心)/栗本衆(無心)~・~・~「目利(めき)き」とは、その物の価値を知る人が、本物か偽物か(真贋/しんがん)・良し悪し(良否)等を見分け・鑑定することをいい、他人の評価によって、すでに開発・発達しているので(既発)、内向き(内包的)で、博識(博学多識)・客観的な、解の世界といえます。ただし、文化を評価するのは、
創始したのは誰か?足利期に流行した闘茶会や茶寄合など贅沢な茶会に対して、簡素な「草庵の茶」を創始したのは、村田珠光である。僧侶である珠光は、一休宗純の弟子とも云われている。能楽師・金春禅鳳(ゼンポウ)の『禅鳳雑談』には「月も雲間のなきは嫌にて候」と珠光の言葉が記されている。完全性を否定する美意識によって、四畳半の様な狭い茶室で、一見粗末に見える道具を用いて茶会を催した。
建水に名物はあまりないのですが、珠光所持の建水に名物があります。それが「甕蓋」です。https://www.etchuya.com/sumidogu_haiki_nanban_kamenohuta.htmlこれは南蛮甕の蓋を転用した建水で、大きいものは水指に、小ぶりのものは建水に用いられたそうです。甕蓋とは、東南アジアで道々に、旅をする人や僧侶がいつでも渇きを癒せるようにと、置かれる水甕の蓋に用いられていました。大きな水甕には常に新鮮な水が溜められています。この皿
【食育クイズ:Vol.1786】「京都府」の「草庵の茶」おさらいクイズ!室町時代末期に禅の精神を取り入れ「草庵の茶」を創始した茶人とは誰?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞コッチラボ国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)大豆コーヒードリップパックAmazon(アマゾン)
村田珠光(ジュコウorシュコウ)大和の出身で、禅を一休宗純に師事した。足利義教・義政の同朋衆(ドウボウシュウ)の能阿弥に唐物の鑑定や茶湯の作法を学び、京の六条堀川に4畳半の草庵茶室を開き、わび茶の先駆をなすとされ、「象牙の茶杓を竹の茶杓に変えた」のは、珠光だったと云う。武野紹鷗紹鷗は、若狭の守護大名・武野氏の末裔。父・信久は和泉の堺で皮革業を営み成功して産をなした。紹鷗は京に出て三条西実隆(サネタカ)に和歌を学び、茶の精神に触れた。村田珠光に師事し、侘茶を学び、室町四条に茶
今日は長年の念願が叶って、大徳寺の塔頭「真珠庵」の特別拝観に出掛けていた。大徳寺の塔頭の中でも、さほど広くはない、むしろ小さ目のお寺である。このお寺は、あの〝一休さん〟一休宗純を開祖として、没後10年となる1491年に、堺の豪商・尾和宗臨によって建てられた。一休宗純は、後土御門天皇の勅命で1477年に大徳寺の第48世住持となり、1467年から10年余り続いた「応仁の乱」で荒れてしまった、大徳寺の再興に尽したとされている。(大徳寺山門「金毛閣」)ただ本人
北九州でスタイリッシュテーブル茶道で教室、イベントを行っております木本桐綾です。お茶が伝わってから、鎌倉、室町時代に次第に武家社会にまで浸透してくるようになってまいりました。それにより、薬だったものが、徐々に嗜好品として飲まれるようになり書院茶として絢爛豪華に飾った部屋でお茶を喫する会にまで発展してきました。さらに、かけ事の対象として、行われることが繰り返されます。遊興的になると、爆発的に流行り出しましたが、世の乱れを生むようになり幕府によって禁止されることとなりました。
昨夜の満月🌕(フラワームーン)は皆様、ご覧になられましたか?曇の合間から見えたり、隠れたりでとても、幻想的でしたね✨利休の詫び茶の祖、村田珠光(むらたじゅこう)は「月も雲間の、なきはいやにて候」と言ってます。明るく煌々とした月ではなく、雲間の月が「詫び」の趣が、あると言っているそうなのです。昨夜の満月は、まさに「雲間の月」でした✨とても、素敵でした♥今日は、明後日の茶会で使う「芍薬(しゃくやく)」の花を買いに花屋さんに行って来ました。実は、
五月十五日は京都三大祭の「葵祭」が行われます「風薫る茶会」は葵祭をテーマに取り入れました葵祭の歴史は古く、「源氏物語」にも描かれています賀茂祭(葵祭)で禊の行列に加わる光源氏の姿を見に来た、六条御息所が乗る御所車と葵の上が乗る御所車が場所取りで争うお話…印象に残りますまた、五月十五日は「わび茶」の創始者村田珠光の「珠光忌」「月も雲間のなきは嫌にて候」の言葉が残ります不完全の美、心の目で美を見出す…古くからの事が、大切に伝えられている尊いことにお客様と感じ入りました
続きまして、5月5日は茶の湯三井記念美術館で「茶の湯の美学」展を観たんだ。サブタイトルは「利休・織部・遠州の茶道具」!まさに茶道のメインストリームにして茶道の歴史では超有名な三人!タイプは異なるけど時代はほぼ同時代の「信長・秀吉・家康」と同じくらい茶道の世界では重要な三人なんだなので、説明は割愛サブタイトルを俺が付けるならば「不当に価値を与えられた茶碗道具達」かな茶道と武士道の精神的な共通性により武士に茶道が広まったって素地があるなかで、信長さ
2023年春、称名寺と璉珹寺(れんじょうじ)に行ってきました。称名寺は村田珠光(侘び茶を完成させたと言われる茶人)が出家したお寺として知られています。普段は完全非公開の檀家寺ですが、毎年5月15日の珠光忌の日だけは一般公開してくれます。お堂内に入ると受付があるのですが、その傍に須弥壇があります。内陣に入ってもお参りします。(撮影もOKです!)平安後期の仏師定朝(じょうちょう)系の阿弥陀仏と釈迦如来が安置されています。左の阿弥陀仏が格別美しく、眺め飽きることはありません。(それに比
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先日の八勝館のお庭にあったものです右上の竹で編まれたものに注目してくださいこれあれに似ていませんか?あれとは「茶筌」のことです「茶筅」とも書きますが今回は上記の表記のほうが話がはやいかと・・・写真のこれはランプシェードの役割を担っている竹細工ですこれは「筌(うえ・うけ)」という魚をとる道具の形を真似て作られたもののようですこちらが筅写真お借りしています川底に置くように仕掛けて中に入った魚たちが逆戻りできない構造になって
風炉の季節を名残惜しんでよく風炉は夏に炉の熱を客から遠ざけるためのものと説明してあるが、元は炉というものは存在せず、一年中風炉で茶を点てていた。炉は寒い季節に訪れる客をもてなすために、村田珠光が茶室に取り入れたものである。奈良称名寺で僧侶として育った珠光にとって、囲炉裏の周りで一日を過ごし、あるいは囲炉裏を囲んで家族や客と語らう民家の暮らしは、生活様式を異にするものだったが、隠遁者となって小さな庵を訪れる客をもてなす炉壇は、民家の小さな囲炉裏そのものであったであろう。インターネッ
先日のお稽古のお菓子は茶友から頂いた亀屋万年堂のお干菓子を盛ってみました月がぽつんとしていましたので“月も雲間のなきは嫌にて候”ですよね!と雲として柚子琥珀をたなびかせ“秋風にたなびく雲のたえまより漏れいづる月の影のさやけさ”になったでしょうか自己満足なのですが生徒さんは情景よりお味で「美味しいです!」ということでした
…創始した人物は誰か?茶ノ湯は、「草庵の茶」つまり「わび茶」を起点とする。その先駆者として語り継がれたのが「村田珠光」である。とは云え、その経歴は謎に包まれている。奈良の人で、はじめ称名寺に入り、その後上洛して室町幕府「同朋衆」である能阿弥に学び、足利義政の茶ノ湯を指南する様になったと云う。又、同時に大徳寺の「一休宗純」に参禅し、宋代の禅僧・圓悟克勤(エンゴコクゴン)の墨蹟を与えられたと云うが、いずれも確証はない。その名も「殊光
【Q19345】名前は仏教の経典『観無量寿経』の一節「一一(いちいち)の珠、一一の光」から採られた、8代将軍・足利義政の茶道師範を務めたともいわれる室町時代の茶人で、茶の湯に禅の精神を採り入れ「わび茶」を創始したのは誰?【村田珠光】【Q19346】副業としても注目されている虫の飼育業界。「クワカブ業界」といえばクワガタとカブトムシですが、「ワラダン業界」といえば何と何?【ワラジムシとダンゴムシ】【Q19347】秋田大学医学部を卒業後、長野県の佐久総合病院で内科医として勤務する傍ら作品を発
p160「珠光や紹鴎のコレクションでは、掛け物の収集に関しては多くを唐絵が占め、墨蹟少々という塩梅で、それはそのまま足利幕府と同じ傾向にあったと理解しておきたい。」「珠光、紹鴎共々、禅を守り本尊にするという茶の湯ではありますが、禅を絶対視することもなかった様です。茶の湯で墨蹟を重視する様になったのは、後の利休の唱導があまりにも強く働き墨蹟愛好熱が高まった事に起因している様です。」私見補足)珠光や紹鴎は前にも書いた通り、元々家の宗旨は禅宗では無いですね。コレは、言わばジョアンロドリー
『重要』常に念頭に置きたい一文です。この道第一わろき事は、心のがまんがしゅう也。こふ者をばそねみ、初心の者をば見下す事一段無勿躰事共也いか様の手とり風情にても、なけく所肝要にて候。(意訳)この道すなわち茶の道に於いて一番いけないのは心の慢心と物にこだわる妄想で有る。我こそ俺こそと、人を人とも思わない事で有る。自分より上の練達者をねたみそねみ、自分より下と思う初心の人に対しては見下す様な態度をとるなどと言う事はあってはならない。道具が如何にも手取り風情が粗末なありふれたものであっ
【食育クイズ:Vol.1337】「京都府」の「茶の湯」文化おさらいクイズ!「四畳半茶室」で知られ、千利休の師匠的存在であった戦国時代の茶人とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞国産大豆100%大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに大容量サイズ1kgAmazon(アマゾン)2,041円Eco&Art太陽パネルの元で育った大豆のコーヒー(浅煎り
「村田珠光」は、生涯僧侶として市井で「茶ノ湯」の工夫を行いつつ、金春禅鳳ら能役者との交流を通じて芸能の精神的な深さに影響を受け、茶会で亭主とが同座し、客の前で茶を点てる事を最初に行ったと考えられている。
「千利休」侘び寂びの道を究めるみなさん、おはようございます2月は今日で終わり笑って過ごしましょうさあ、今日「2月28日」の國史を学びましょう「千利休、没」元正19年(1591年)千利休は豊臣秀吉から切腹を命じられ武士の如く切腹します堺の商人本名は田中与四郎、号は宗易茶道のトップになります茶道は村田珠光が始め武野紹鴎が侘びの精神を確立し三畳、二畳半の茶室をつくります千利休は武野紹鴎に弟子入りし侘び茶を確立します不完全が
お善哉をいただいた後は、一休寺の境内を散策します。一段と目をひく、菊の透かし彫りの扉。こちらが一休さんの墓所です。享年88歳、最期の言葉は「死にとうない」。およそ僧侶らしくない、かなりぶっとんだ方でした。お正月には、杖の頭にドクロを付け「ご用心、ご用心」と練り歩いたり。男色はもとより、飲酒や肉食、嫁や子供がいたり。狂人と見紛うような奇行の数々も、禅宗の教義における風狂の精神の表れで仏教の伝統や権威、世間の常識に警鐘を鳴らしたものだったと言われています。一休さんは、後小松
【食育クイズ:Vol.1136】「京都府」の「茶人」おさらいクイズ!「京都」で活躍した茶人の年代順で正しいものはどれ?∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞【食育クイズ:Vol.1135】(「京都府」の「歌碑と寺社仏閣」おさらいクイズ!「京都」にある歌碑と寺社仏閣との組み合わせで間違っているのは?)の↓↓↓↓↓↓正解と解説↓↓↓↓↓↓【解説】「吉田兼好」の「歌碑」や「墓」があるのは「仁和寺」では無く
…を取得、侘茶を大成したのは誰か?珠光利休村田珠光から武野紹鷗(ジョウオウ)、千利休に至って侘茶が大成された。利休は「侘び」の思想の下、茶会での振舞い方やそれに相応しい茶室を創造。茶道具についても本来茶道具ではない器物を茶道具に見立てたり、更に、樂茶碗など、侘茶に適った茶道具を自ら創作するなど、後にそれらの道具は「利休形」として「侘茶」の指標となった。