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さくらんぼの実る頃Letempsdescerisesアナザー・ストーリーLetempsdescerises(さくらんぼの実る頃)は、最初はさくらんぼの実る季節を歌った恋愛がテーマのシャンソンだった。ところが、1871年樹立のパリ・コミューンが政府軍との戦いで崩壊し弾圧が始まり、参加者が多数虐殺された(血の一週間)ことから、その犠牲者を悼む思いを込め、政府に批判的なパリ市民がしきりに唄ったことで、このシャンソンは有名になり、恋の歌からコミューン参加者への追悼の歌へと変わっ
昼食後、雨が降ってきましたが時間があったので、維新の偉人の生誕地めぐりへ大久保利通生誕地西郷隆盛生誕地へ横には勿論、西郷従道の生誕地も。大山巌元帥の生誕地この鍛冶屋町付近て維新の偉人たちは産まれています。村田新八生誕地東郷平八郎元帥の生誕地ご覧になった方は1票の投票をおねがいします。下の3つのうちいずれかに読んだよのクリックご協力よろしくおねがいします。クリックすると画面がきりかわり、順位があらわれます。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
鹿児島市内に戻って急ぎ、バスに乗って西郷南洲顕彰館へなんとか16時までに入館中はほとんどが、ジオラマでしたが、撮影禁止。ここからは南洲墓地明治維新で亡くなった明治の偉人が祀られています。墓地からは桜島が、一望出来ます。村田新八、篠原国幹の墓桐野利秋の墓西郷隆盛の墓ご覧になった方は1票の投票をおねがいします。下の3つのうちいずれかに読んだよのクリックご協力よろしくおねがいします。クリックすると画面がきりかわり、順位があらわれます。にほんブログ村にほんブログ村
午後イチに市役所で打合せの予定。午前中の出先から一度戻るほどの時間はなかったので、コンビニ弁当を買い、市役所にも近い南洲神社の駐車場で昼食をとることに。この南洲神社、西郷隆盛をはじめ西南戦争で亡くなられた方々が眠っています。僕が通っていた小学校は、すぐ近く。最短の通学路ではありませんでしたが、ちょっとだけ遠回りして南洲神社を通って帰るのがいつものルートでした。今でもたま~に訪れることがありますが、たいていは裏の駐車場へ車で。久しぶりに神社への階段をのぼってみます。
小学生時代、何もすることのない日曜の午後は、ベランダから取り入れたばかりの布団に寝転がって本を読むのが何よりの楽しみだった。小学三年生のとき、貸家から自宅を手に入れた我が家だったが、その時に父が購入した「少年少女世界の名作文学」(小学館)を何年かかけて読み進めた。とりわけ印象深かったのが、エーリッヒ・ケストナー作『飛ぶ教室』である。本を読んで泣いたのはこの作品が初めてだった。あれから四十年、再読してまた同じ箇所で泣いている。ドイツの寄宿学校を舞台とする群像劇だが、軸となるの
朝7:10『たいわんが』午前中の掃除中『どんぱち』午後の車運転中帰宅時14:00頃記録し忘れてしまったことを思い出して、『どんぱち』だったことをやっと思い出したとき『さくらじま』と浮かびました。このふたつを、帰ったら、記録しなければ、と思いながら運転しました。他にもふたつくらいは来ていたのですが、今日は忙しい状態だったので、うっかりしてすっかりと記録することもできずそのまま忘れ去ってしまいました。三つの言葉は、先ほどすべて調べましたが全部別々だと思いました。
夕の八坂神社。賑わってました。八坂神社の喫茶で厄除ぜんざいがあったので、つい入ってしまいました。また間食。奥まっていてとても静か。夕の八坂神社は混んでたけど、ここではのんびりできました。小豆が大きめでふっくらしてて美味しかった!祇園さんの厄除箸はお土産に。前回に続き、漢字ミュージアムを通りかかってみたら、去年の漢字が増えてる!ちなみに前回応募しまして。私は「令」じゃつまらないだろうと「和」にしたのですが、同じように考える人が多かったのか3位でしたね!京都駅に戻ってお気に入りのお店
昨年の大河ドラマ『西郷どん』最終回が放映されたのは、今頃だった。最終回では、故郷鹿児島の城山に立て籠もった西郷隆盛ら一党の傷ましい最期を描いたが、彼らが戦死したのは明治10(1977)年9月24日、である。ドラマで西郷は、政府軍の銃弾に倒れて最後に死ぬが、実際は脚を撃たれて負傷、最後は別府晋介が介錯して首を切り落とされた。この日の最後の戦いで、西郷軍の幹部はほぼ全員が戦死・自刃した。別府も西郷の介錯の後、切腹して果てた。西郷軍幹部でただ1人の洋行帰り戊辰戦争で、会津藩
2018年8月17日の鹿児島市内散策の続き。「南洲墓地」の続き。南洲墓地・南洲神社・南洲公園(その2)のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12444431892.htmlhttps://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42277077.html「南洲墓地」を更に進みます。石段を上ると、正面と言いますか、「南洲墓地」の中央になりますが、この御方の墓石があります。西郷隆盛の墓石!西郷隆盛に向
(見えない仕組みを見る670)大河ドラマ「西郷どん」で好きな人ベスト3は。鈴木亮平さんの西郷どん、大野拓郎さんの中村半次郎、そして堀井新太さんの村田新八。村田新八は、子供の頃から西郷どんを慕っていた郷中仲間(町内の仲間)。史実では、西郷どんより8歳下で、西郷どんを警護しながら、戦でも交渉でも才能を発揮して活躍する。明治政府では、西郷どんの推挙で天皇にお仕えする宮内省の役職につき、欧州視察もしてる。大河ドラマ「西郷どん」では可愛い弟分という印象でしたが、実際は切れ者で評価は
ついに終わってしまいました先々週位から号泣しっぱなしでした史実を知ってるから先の展開はわかってるんだけど、やっぱり悲しかったです久武様ぁ〜井戸田が意外にも時代劇にハマってました。半次郎ぉ〜新八どーん新八どんだけが最初から最後まで一緒だったなぁ。吉之助さ〜みんなお星様になってしまいました歴女な私は特に幕末が大好きなので西郷どん終わって楽しみがなくなってしまいました次の大河は時代劇ではないので興味nothingです再来年の大河は明智光秀なのでそれを楽しみに待ちます
今日の"西郷どん"で、軍服を着ていないのは村田新八だけ。なぜかと言うと村田新八だけ宮内大丞であって、軍人でないからです。西郷軍は幕末の戦いで全然全勝の軍団だから頭に"負ける"と言うものがなかったと言われてる。負かすために政府軍も、あの手、この手を駆使した。最後は、トム・クルーズのラストサムライ同様、西郷軍200数名に対して政府軍団50,000人の圧倒的な数で制した。
いよいよ西郷どんも残り2週。気持ちを整理して見なければならない段階まで来た。近年で大河を全部観たのは「龍馬伝」「真田丸」悲劇的な最期を遂げた主人公だった。2、3日喪失感があった。明治の歴史は面白い。まざまざと思い知らされるドラマの終盤になった。実は先週まではこう思っていた「もっと明治に尺を取るべきだったのでは」大久保利通が欧米を視察して、考えが変わっていく様子をもう少し描いてほしかった。でも今になってこれで良いのだと思い直している。今年のドラマはあくまでも「西郷ど
第3841回「「村田新八」桐野作人則村一卯月かいな著洋泉社」「村田新八」桐野作人則村一卯月かいな著洋泉社村田新八は、よくわからない人です。薩長同盟や江戸無血開城といった維新の重要な局面に名前が出てくるのですが、村田について書かれたもの本人が残したものが少ないため、一体彼が何を考え行動したのかがわからないのです。維新の後、村田は岩倉使節団の一員としてヨーロッパを歴訪するのですが、その任務が終わった後も自費でフランスに滞在します。ちなみに村田は洋行中に風琴と呼ばれたアコーディオ
来島又兵衛、思った通りのハマり役。豪快に暴れて散って、かっこよかった。同じく散ってった久坂玄瑞にも、も少し触れて欲しかったけど、そうすると吉田松陰も高杉晋作もって、長州側のストーリー広げなきゃなんないから、まとまんなくなっちゃうか。中村半次郎(桐野利秋)と川路利良も登場。後に初代警察トップとなる川路利良が来島又兵衛を撃つ。薬丸自顕流の達人、人斬り半次郎がバッサバッサ斬りまくる。最後、大久保に付き西郷の敵となる川路利良と、西郷と共に戦い、壮絶な最期を迎える半次郎、対比
日曜日に初めて喜界島にいってきました。奄美諸島にあります。穏やかな気候に豊かな自然、さらに暖かい歓迎をしてくださる島人。もう最高の一言。住みたい。今度はゆっくり泊まりでいきたいものです。村田新八の島流しされたところ。そして修養の地にもいきました。実際ここに住んでいたってわかるとなんだか胸が熱くなりました。ビリビリっと、凄いパワーが押し寄せてきた。この良いエネルギーを芝居に活かせたらと思っております。また喜界島に行くでごわす。もちろん本土にも。ここらでよかろ。チェストー。きばれ新太
久しぶりに土方歳三のコラージュ写真を作ってみました。ちょっと顔細くしすぎたかな。ちなみに、ブロとものミントオイルさんが紹介していたFaceAppというアプリ。写真を自動で加工して若くしたり異性化したり出来るのですが、かなりのスグレモノで古写真でも自然に加工してくれます。上の土方写真も若くしたものを使用しています。他にも色々試してみました。笑顔の近藤勇。同じく笑顔の山岡鉄舟。同じく笑顔の渡辺一郎(京都見
木戸は明治九年、なおも憤慨していた。鹿児島県のことだ。版籍奉還以降、県の人事は旧幕、長州、薩摩といはゆる木戸の持説…立憲主義への布石として各県が刷新していく。この中で薩摩のみが太政官側の意見を相手にしなかった。「長州も、各県の自治に閥はとっていない、なのに、薩摩のみがなぜ、島津久光公のみならず西郷殿も中央政府のいうことを聞き入れないとはいかがなものか?」明治八年の地方官会議において、木戸は最高職の議長をつとめていた。この最中に、神風連
あんまりモエません。大河名物選挙速報は山口県知事選。長州か。あと長崎。斉彬治世になって、明るくなったとこから。で、相撲。御前相撲。賞品は米十俵!吉之助たちはテンション上がる。相撲の協力は早稲田。於一の北川景子さんは、前作の氏真の辺りか。「謎の男」とかいうので劇団ひとりさん。伊藤博文の次は薩摩勢か。席順高いな。相撲の件で盛り上がる吉之助たちの前に糸。糸の用事は正助に紙の差し入れ。ちょくちょく来てくれる糸に、大久保の女衆は茶化す目。相撲騒動になんとも言えない表情の正助。彼は出
桜島よ、さ~よ~う~な~ら~またまたバスに乗り車窓から。↓大阪の経済の父・五代友厚さん。「あさが来た」のおディーン様素敵でした↑↓西郷隆盛の生誕の地。↓村田新八西郷どんの弟分として西郷の最期まで共にします(ネタバレ)大河ドラマ「西郷どん」では堀井新太さんが演じられます。↓西郷さんの従兄弟の大山巌さん。元陸軍大尉。西郷の弟分的な存在で、すごく仲がよかったのに時代の荒波に飲まれます↓東郷平八郎の生誕地です。日清・日露の海軍大将です。原宿に東郷神社があります。維
西郷軍は、鹿児島に帰って後、城山に立てこもりました。政府軍に包囲されて猛攻を受け、洞窟にこもるなどして抵抗した西郷軍は20日以上の戦闘むなしく負けます。明治10年9月24日、西郷さんは洞窟から300メートルほど出て歩いて敵弾を受け「晋ドン、もうここらでよか」と言い、東を向き皇居を伏し拝んで自刃します。その西郷さんを別府晋介が介錯したのです。享年51歳でした。ずっと副官として西郷さんを支え続けてきた桐野利秋も、その死を見届けたのち自刃しました。ここに明治維新以降の最大の内戦となった西南戦争
尊敬できる立派な人とは?普遍的原則として、すべての人は、生まれた時代の子どもだから、時代と環境から自由にはなれない。全ての思考は、手段として使う言語により制約されている。要するに人の考えは、強いバイアスがかかっている。釈迦やキリストも、時代の子ども。現在は、過去に比べ、格段に情報公開が進み、個人情報についても透明性が高まっている。従って、無条件に尊敬される人物もいなくなった。総理大臣といえど、多くの欠点が露呈している。芸能人に人格の高潔さを求
↑2.54のところはおかしいと思う。ロシアの日和見はわかる。それから、今の北朝鮮の動きから『北中国』『南中國』も理解できる。ただ、軍管区の兼ね合いで、尖閣を占領するのは南中国のはずです。それから、北中国にかんすることがはっきりと書かれていない。ジョンタイターとは違います。ややおかしい予言だ。アフガニスタンとインド、ブータンのことも書いていない。あと、イエメンざます。未来人やったら知ってるって。いいねボタン、ありがと。thankyouverry
山本文緒の『パイナップルの彼方に』って今も読み返してるし。あれはドラマにもなってたけど、原作もものすごくハマったし。『君の名は』もよかったけどなあ。『眠れるラプンツェル』とかむちゃくちゃええんですが。どうせやったら、ラプンツェルを漫画にしたらええんですよ。もったいないくらい名作なんですが、なんせ今は本の紹介する人いないし、どうしても、『桜の園』の続きの時代ですね。『桜の園』は二つあるし。一個目なんですよね。今年は『坊ちゃん』の解説が
嗚呼、天なり村田新八の最期の言葉。村田新八は日本の幕末の武士(薩摩藩士)であり、明治の政治家です。村田は年少のときから西郷隆盛に兄事し、尊王の志を抱いていました。村田は、戊辰戦争で多大な功績を上げ、明治新政府では村田は西郷隆盛の推挙で宮内大丞に任命されました。その後、岩倉具視が派遣されることになったとき、その使節団の一員に加わり、欧米視察をしていましたが、欧米視察から帰国し、西郷隆盛が下野して帰郷したのを聞くと、辞職して鹿児島へ帰ってしまいました。西南戦争が勃発す
こんにちは、私です。雨上がって、ぽかぽかして気持ちいい天気になりました。今日は昨日雨で途中で終わった、ランニングの続きができそうですわ。話変わりまして、私のマイメンと言えば…中嶋いっきゅう平八。しかし、今日の主役は…↑『武士の碑』伊東潤レペゼン薩摩藩、村田新八です。村田新八は幕末から明治初期にかけて活躍した武士です。同じ地元の西郷、大久保の少し年下で、目をかけられていました。日本の将来を背負って立つ人物になるはずでしたが、やんぬるかな…西南戦争で薩軍側として戦い、死んでしま
鹿児島に『大警視』というひなびたバス停がある。これはほとんど知られていないが、薩摩士族は西南戦争中に、『東京獅子』のことで憤激の頂点に達していた。そのため、現地の薩摩士族は川路大警視(別働第三旅団)のひなびた小さな生家を打ちこわししている。ある意味、腹いせである。で、ここに『大警視』という地名に、いはば当てこすりにして命名したという。西郷暗殺部隊に西南戦争は間違いなく端をはっしている。西郷隆盛の死をさかのぼる、三月中旬、東京の氷川
皆さんこんばんは!不妊相談ひとすじ20年宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー薬剤師の金丸です。昨日は、筑後産クロレラの研修会で鹿児島に行ってきました。勉強会はお昼からでしたが、朝早くに宮崎を出発して鹿児島の史跡を少しだけ見学しました。今回、どうしても行きたかったのは、西郷隆盛さん最後の地“城山(しろやま)の洞窟”でした。西郷さんの激動の一生の49年間を、自分の年齢が超えたことで、改めてこれからの自分の人生をどう世の中に役立たせるこ
田原坂を抜け野津鎭雄の第一・二旅団は、土嚢を運び込みながら『立岩山から瓜生田』に、いはゆる…縦深陣地を構築していく。資料にめを通していくと、熊本から島原にゆくと、これがある↓ちなみに都市伝説では天草四郎は豊臣秀吉の孫だという。あれは知らなかった。あまり知られてないが、江戸期に『木下藩』という小さな藩があった。ここが一応、木下藤吉郎の血縁者が藩主になっていた。昭和期にはちゃんと資料が残っている。山県有朋の戦略は、