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村松友視著『猫ふんじゃった俳句』を読んでいる。読んでいるというより、何となく読み始めた。昨日、ノーベル賞作家のちょっと重い小説(アブドゥルザラク・グルナ著『楽園』)を読み終えたので軽いものをと思ってぱらぱらと捲ってみたのだ。その中に「猫に詠まされた句」「猫を詠んだ句」があると書いてあった。猫の子の尻から出づる炬燵哉百閒鼻先に飯粒つけて猫の恋一茶巡礼の宿とる軒や猫の恋蕪村この三句、詠まされたのか詠んだのか、私にはよく分からない。句会でも必ず猫の句は何句か出るので少し食傷ぎみだが、
4月10日がお誕生日の有名人・著名人1512年生(1542年30歳没)ジェームズ5世さんスコットランド王1583年生(1645年満62歳没)フーゴー・グロティウスさん政治家・法律家国際法の父1794年生(1858年満63歳没)マシュー・ペリーさん日本を開国させたアメリカ軍人、日米和親条約を締結1847年生(1911年64歳没)ジョセフ・ピュリッツァーさん新聞発行者、ジャーナリストピューリッツァー賞1909年生(1998年満89歳没)淀川長治さん映画
このたび、当館の定期刊行物の一つ、「軽井沢高原文庫通信」第102号を発行しました。2023年11月30日。A4判8ページ。200円。内容は次の通りです。作家の村松友視氏「我、喰い逃げを恥ず」、詩人の高貝弘也氏「信州のまぼろし」、正宗白鳥・子息夫人の正宗量子氏「私と信濃との深いご縁」、文芸評論家で北原白秋・子息夫人の北原東代氏「軽井沢文庫に想う」。そのほか「生誕100年記念遠藤周作展―『沈黙』から『深い河』まで―」展示資料全データ、資料受贈報告など。村松友視氏は軽井沢での野坂昭如氏に
(「なんだか言葉尻で直ぐに人を非難する変な時代になりましたねえ。僕は喋りませんけけど」とビーグル犬まろさんオス9歳)塩村文夏参院議員がXで書いた「最早、アンチのプロレス芸」と書いたことに対し、新日本プロレスが投稿の訂正と撤回を求める意見書を送付したとか、一部のファンが反発してもはや炎上状態だとか、プロレスを職業差別した発言だとか、さらにエスカレートして「塩村あやか氏を殺害し、首をノコギリで切断したいと思います。覚悟のほど宜しくお願いします」との殺害予告が届いたとか、なんだか変な時代になっ
『ことばの食卓』(武田百合子/野中ユリ・画/ちくま文庫/1991.8.22初版)原本1984年12月、作品社刊。私が読んだのは、ちくま文庫版の2013年の第20刷である。武田百合子は独自無類の鮮烈な感覚を持った随筆家として知られているが、その文学的出発は詩にあった。ただし百合子の才能が開花したのは散文作品の『富士日記』。だから、この日常茶飯の平凡な出来事をただ連ねて、玄妙にして不可思議な感興を生む才筆がどこから生まれ来たものか、当初はまったくの謎だったようだ。そのためか、この稀有な文学
本『ゆれる階(きざはし)』村松友視著村松友視プロフィールこちらからゆれる階きざはしという題名にひかれて読んでみました。祖父は村松逍遥・・・生まれてからの複雑な家庭環境を事細かく書いてあり目が離せなくなりとうとう一晩で読了・・・。寝不足ですな・・・。ある人生がキラキラと輝いてそこに在る・・・。自分の人生に思いを馳せ来し方を考えさせられる読了感満艦飾・・・。そ
『百合子さんは何色武田百合子への旅』(村松友視/筑摩書房/1994.9.5初版)私が読んだのは、95年の第6刷である。後に文庫化もされていたはずだ。どうも読む気を殺ぐようなカマトトみたいな題名がついているが、ずっとこだわっている武田百合子についての本だ。読まないわけにはいかない。作者はプロレスに関する著作で世に出た人物だが、その前身は中央公論社発行の文芸誌「海」の編集者である。そして、この仕事を通じて、作家・武田泰淳、また夫人・百合子を深く知ることとなる。本書は、その武田百合子の没後
河出書房新社『アリと猪木のものがたり』村松友視猪木さんを語る時、避けて通れないアリ戦だが、誰しもが避けて通りたい事象ではある。何故なら、あの時の感覚、つまりはリアルタイムでの思いというものを、消化できていないとでも言おうか。猪木さんを擁護できなかった者、擁護はしたけれど根拠はもちろん説得力を持つ言葉を持ち合わせていなかった者がほとんどだったろうから。当の自分はというと、アリをプロレスのリングに挙げたということが、どれほどの事象なのかも分かっていない程度のレベルだったんで
『目まいのする散歩』(武田泰淳/中公文庫/1978.5.10初版)原本1976年初版。脳梗塞の予後思わしくない泰淳が、全篇、妻・百合子に口述してなった作。あくまで随筆の体裁をとるが、解説の後藤明生が断言しているように、これは小説と言ってよかろうと思う。泰淳の文章術の一例で、現実の出来事に材を採りながら、悠然たる詩的世界に踏み込んでいく有り様は、表面的には百合子との自動車紀行の形をとる『新・東海道五十三次』と同様だ。のっけに脳梗塞の予後と書いたが、じつはこの時、泰淳は癌にとりつかれており、
降り出す前にとあせったのに、午後には晴れ出しましたね。おかげでげんきはしっかりと二回のお散歩が出来たのでよかったのですけどね。晴耕雨読母さんは、読書しました。図書館で読み終えたので、借りては来なかったのですが、おすすめの本はこちら!イスとイヌの見分け方―犬がおしえてくれた本Amazon(アマゾン)38〜13,795円そして、今夜の夕食には、岩手県産の牡蠣を頂きました。美味しく頂きました。鮮度の鬼生食生牡蠣12個入りスマートオイスター生かき刺身Amazo
普段使っている風船が、左。サイズを大きくすると、右。極端に大きくなる感。途中のサイズがあると良いのだけど、馴染みの風船屋さんにはないそう。そもそも無いのかな。大きいと結ぶのが結構手間がかかる感じ。―昨夜、NHKさんのクローズアップ現代で、『アントニオ猪木とは何者だったのか!?』を拝見。作家村松友視さんが猪木さんのプロレスを、「耐えの美学」と表されていたと思いますが、昨夜の内容にも同じような表現が。耐えてからの反撃
フリー・アナウンサーの古舘伊知郎さんと作家の村松友視さん。アントニオ猪木さんを言葉で表現してきた、代表的な2人です。旅立つ前の猪木さんは2人に同じ言葉を伝えています。ファンにはおなじみの、馬鹿です。古館さんには「馬鹿の一本道」村松さんには「馬鹿のひとり旅」猪木さんが2000年に出版した詩集のタイトルが『馬鹿になれ』。引退後はリング上でも度々、「バカヤロ~ッ」と叫んでいましたね。馬鹿はとことん深いです。僕も旅立つ日まで、でき
https://youtu.be/1Hww8gYGh2sしょっぴーその57~60プロレスファン向け#村松友視プロレスファン向けしょっぴーお絵描きです。プロレスファン向けの動画ですので、一般スピ系の方は、スルーしてください。#猪木#山下洋輔#プロレスこのお絵描きを通じて、メーターによるセルフ・トーク・セラピーへの理解が深まるとうれしいです。youtu.be猪木さんと聖書について描いてみました。よかったら、しょっぴーの四コマ漫画を見てみてください。https://youtu.be
猪木さんが、ラッシャー木村さんに、フロント・インディアンデスロックをかけたまま、何回も、右手、左手を使って、張り手をしたことがあります。壮絶なシーンで、やられている木村さんは、仕事とはいえ、たまったものじゃなかったでしょう。つい最近、それを、思い出して、「そうだ、これを使えばいいんだ‼️」と思いました。現代人は、我慢を美徳として、本当のことを言わない傾向にあります。その為、ストレスがたまり、私が思うところによると、それによって鬱的な不安感に襲われ、内
「なんだこのやろう!」は、よく猪木さんが、試合中に言っていた言葉です。その時の猪木さんの表情は、般若の様になり、私は、猪木さんの世界へと惹きけられたものです。思えば、猪木さんは、不敵な笑みを浮かべたり、怒ったり、ダーとやって達成感を表したり、・・いつだったか、jrの藤波さんが、怪我をしながらも「試合をする。」と言い張った時は、リング上で泣くこともありました。それを見て、「猪木さんでも、泣くことがあるんだ…」と、大人の世界を感じました。とにかく猪木さんは、リング上で、いろいろな感情表
今週の一冊「俵屋の不思議」村松友視世界文化社1999年初版京都の老舗旅館「俵屋」を支える職人衆と、女主人佐藤年さんの、”攻めながら、守りながら、伝統を護り続ける“物語。村松さんの素朴で控えめな語り口が実に魅力的。硫酸の入った溶液を舐め、塩梅を確認しながら風呂を洗う”洗い屋“という、170年も続く職人の存在を知ったのもこの本。畳屋さん、障子屋さん、和紙屋さん・・・旅館経営の継続が、こんなに多種多様な職人さんたちの存在によって成り立っていることに驚かされた。出版当時は外資系ホテル
猪木さんは、苦境に立たされれば立たされるほど、猪木さんは、いわゆるM的な発言をされています。会社でクーデターが起こった時、「坂口でも誰でもこい、俺の首を刈っ切ってみろ‼︎」とか、80年代藤波選手との試合で、4の字固めでギブアップ寸前まで追い込まれていた時、あえて藤波選手に向かって、「折れーー」と何度も繰り返し言ったりとか、藤原選手が、アキレス腱固めを決めて完全に決まっているのに、「そうじゃない」と締めるポイントを指示して、「締めろ、締めろ!」と言ったりしまし
No.18の絵を少し変えてみました。枠の中の私が消えて初めて、枠の外に出られ、無意識さんとつながれるのだと思います。大嶋信頼先生は、枠の外に出る為に、瞑想ではなく、催眠や呪文を使っておられます。修行も、苦行もいらず、観察者に最短時間でつながる技法だと思いました。大嶋先生の呪文で、意識の枠を超えて行く人が増えています。無意識さんの領域に踏み込むことがアセンションだと思います。
先日、なにげにスピリチュアル動画を調べていたら、「サーンキヤ哲学」というタイトルを見つけました。「サーンキヤ哲学」って、なんだろう?と気になったので調べて見たら、なんと!その哲学には、今まで、ブログで説明しようとして説明できなかった「観察者」のことが、詳しく説明されているではありませんか❗サーンキヤ哲学には、「プルシヤ」という存在のことが説明されていて、細かくは違いますが、それは、まさしく漫画で描いてきた「観察者」のことなのです!細かくは
大嶋信頼先生の言われている「無意識さん」と「観察者」が同じものではないか?と思って、漫画を描いてみました。よかったら、見てみて下さい。追記観察者は、色々な呼び方があります。私、本当の私、魂、スピリット、観照者、不動のもの、セイタン、大いなる自己、無意識さん、アラヤシキ、、、、他色んな言葉で表されておます。そして、意識の枠から出て、観察者の領域に行くことを、アセンションと言うのだと思います。
高次の思考の捉え方について、捕捉したいと思います。観察者からのメッセージは、高次の次元からのものであり、それは、あまりに速すぎて、普通の人では、捉えきれないと言います。瞑想中、せっかくいいアイデアが浮かんだのに、瞑想が終わったら、すべて忘れてしまった経験がある人は、多いと思います。夢もそうです。夢の中で、アイデアのヒントを得たのに、起きたら、思い出せないのは、それが高次の思考の可能性があるからです。映画「君の名は」で、主人公の二人は、あれだけ多くの
全ての人は、本来、観察者と繋がっています。しかし、それを忘れてしまっているので、観察者のパワーを使えずにいます。観察者と繋がるということは、世界の中心にあれることを意味します。一休禅師は、こう言われています。一つ目は、仏陀に助けを求めるのは愚かだ、ということ。二つ目は、彼は助けない。三つ目は、我々はすでに仏陀だから、助けられる必要がない。(一休道歌(下)著OSHOP250で、三つの事柄を重要視しています。)仏陀とは、観察者と繋がりを持つ人
観察者とつながるヒントになりそうなものを、あと3つご紹介したいと思います。これは、あくまで、ヒントで、大嶋信頼先生の心理技法になります。まず、「心に聞く」です。そして、「中指ビンゴ」そして、自分にかける「YES」セット×三回です。「心に聞く」と「中指ビンゴ」、「YES」セットは、たくさんの人がブログにやり方を書いておられますので、検索して参考にしてみてください。実はあともう一つ「呪文の作り方」というのがあるのですが・・今のところ、これはブログなど
「わからない」を通り抜けると、枠の中の私が消滅し、枠の外の領域にいる「私」、つまり観察者と繋がる可能性が出てくるというお話を、前回させて頂きました。今回は、「場と一つになる」ことで、観察者と繋がる方法をお話させて頂きます。プロレスは、外に比類なきジャンルと言われています。そう言われるのは、おそらくプロレスが観客不在では、成り立たたないからだと思います。プロレスのリング中では、色々な創造が行われ、観客は、それを見て楽しみます。野球でも、ボクシングでも、ファ
No.10の補足です。普通、観察者とつながる為には、相当な努力を必要とします。努力して、努力して、超努力してもたどり着けないのが、観察者です。であるのに、猪木さんは、どのようにして観察者とつながるコツを得たのでしょうか?ここに猪木さんの本があります。タイトルは、「最後に勝つ負け方を知っておけ」というものです。この本のp156に、「いつも断崖絶壁にたたされていた」と書かれています。猪木さんは子供の頃に、ブラジルに渡り、大変な苦労をされ、又プロレスに入門し
No.8の補足です。観察者のことを再度、整理したいと思います。観察者のことを、ある人は、「私」ある人は、「本当の私」ある人は、「魂」ある人は、「宇宙」ある人は、「無意識さん」ある人は、「・」ある人は、「仏性」ある人は、「もの見」ある人は、「不動のもの」ある人は、「スピリット」ある人は、「大いなる自己」ある人は、「セイタン」ある人は、「ソース」ある人は、「マインド以外の領域」ある人は、、、、、と呼びます。言い方は、違いますが、それぞれの言葉の定義を
プロレスは、禅問答のように、考えれば、考えるほど、解らなくなってしまいます。それは、まるで、底無し沼のようです!禅問答の底無し沼は、底が見えず、答えがわからないのですが、プロレスの底無し沼は、同じ底無し沼でも、底が丸見えなのだそうです。答えも、丸見えなのだそうです。しかし、その為、さらに答えが解らなくなるそうです!確かに、対戦カードを見たら、勝敗がわかってしまうことがあります。しかし、それでも、何故そういう結果になるのかが解らず、惹き付けられるのです。レ
No.6の漫画の説明を、再度させて頂きます。一つに見える体験は、人が、夜眠っている時に夢を見ている👀体験と同じだと思われます。夢の中では、ハラハラ・ドキドキします。さらに、その夢全体を見ているものがいます!それを見ていながら、自分は、夢の中の空間を自在に動きまわり、色々なことに、ハラハラ・ドキドキしているのです!しかし、全体を見ているものは、手も足も出せません。ただただ見ているだけです。そして、何かの拍子に、その夢が破られたとき、その空間から外に出て来
「猪木さんと観察者」について、さらに考察して行きたいと思います。かつて、猪木さんは、NHKのお昼の番組で、「なりたいもの」と聞かれて、ホームレスと答えられていました。これを聞いた時、もしかしたら猪木さんにとって、この三次元の世界は、借り物のような感覚でおられるのかもと、思いました。又、猪木さんは、このホームレス発言をすることで、日本全体に、「枠の外で考えよ❗」と禅問答を仕掛けたのかもしれません。今、しょっぴーは、「私」=「観察者」であるところまでやって来ました。