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ネットで見つけて立ち寄った信濃川大河津資料館。土木分野は全く分からないが、中々面白かった。上は越後平野の変遷。大昔は海で、砂丘が出来て土砂で埋まり、潟が残った。深田。湿地帯で葦を刈り、腰まで浸って稲を植え、船を使って収穫する、無茶苦茶大変だったろうなあ。鳥も食わぬマズい米と言われたらしい。現代コシヒカリと比べると信じられん。大河津分水をやっぱり作ろう、と必要性を再認識させた1896年の横田切れからの大洪水。50名近くが亡くなり、4ヶ月水が引かなかったらしい。大河津分水がなければ各地がどう
今日は戊辰戦争のお話です。奥羽越列藩同盟について調べるのを趣味の一つとしているわたしなのですが、そういえば「越」六藩のことよく知らないなー、と思いまして書籍を探していたのです。長岡藩は最も有名で、長岡に米百俵くれた三根山藩、あとは村松藩、新発田藩(ココはいわくつきだが)、黒川藩、そして村上藩ですか。その中で見つけた村上藩の小説。なんと河合敦先生の著作?河合敦先生はTVの歴史番組で解説とかもされている歴史研究家です。何故よりにもよって選択が村上藩なのか?どうやら、村上藩家
映画大名倒産ある鮭売りの町侍が実は藩主の庶子だった。徳川家康の地を引くその藩主が隠居。そして3人の兄が諸事情により跡を継げない。こんな理由で急遽藩主となってしまうが、その藩は100億円も借金があった。藩を倒産させて借金を幕府に肩代わりさせるか。借金をなくさないと切腹となるのか。こんな感じで、笑いを交えながら楽しめるストーリー。今年昨年の大河ドラマに出たメンバーが出ている点も楽しい。主演は朝ドラの槙野万太郎(神木隆之介)その他、鎌倉殿の13人からは、上総広
赤字財政に苦しむ江戸時代の小藩を舞台にした浅田次郎の小説『大名倒産』が6月23日から映画化される。越後北部の村上藩を基にした3万石の丹生山(にぶやま)藩が、25万両の借金返済を迫られる。足軽の家で育った4男の松平小四郎(21)は、維新間際の文久年間に急に丹生山の藩主に迎えられた。糠喜びする小四郎こと松平和泉守信房だが、それは25万両もの借金を返済できないので、「計画倒産」して小四郎を責任者として切腹させるためだった。切腹の道具にされていた小四郎はそれを避けるべく、庶民育ちの知恵を活かしてあ
おはようございます「夏」を思わせる暑さも一段落です。今日は一日曇り空の予報。明日から雨マークも出ています。先週末植えたお花たちにも嬉しい雨になりそうです。NHKの「ブラタモリ」大好きです。ゆったりとした流れと、タモリさんの知識に、毎回見入ってしまいます。先週末の放送、東京の大名屋敷の跡地を巡ってました。そこでびっくりしたのが、首相官邸がある場所、江戸時代は、村上藩内藤家の屋敷があったそうです。譜代大名の内藤家、村上には立派なお城が築かれていました。今は
藤基神社新潟県村上市三之町11-12ここは前に春の桜の時期に行きました今回は御朱印が変わったのでまたおじゃましました村上藩祖、徳川家康の弟内藤信成を祀る神社最初は江戸で創建1849年江戸から分祀して現在の藤基神社が建立井戸ですね春は桜できれいでしたが今は銀杏で真っ黄色でした子を抱く狛犬まだあ
5月の連休に新潟旅行の御土産にもらった新潟県村上市【千年鮭・きっかわ】の鮭箱には『皇后御即位記念』の帯がかけられている。雅子皇后様のご実家・小和田家のご先祖は村上藩の藩士で、村上はご成婚まで本籍があったゆかりの地。寛永三年創業「きっかわ」現在の御当主は十五代目。店内では『鮭の塩引き』が吊るされている光景を一年中見られるとのこと。<鮭の焼漬&鮭の味噌漬>どちらも加熱済なのでそのまま、いただける。賞味期限は先なのでまだ置いていたが
令和元年5月3日。新潟県御朱印巡りは村上市へ。かなり久し振りの村上市です。村上市は皇后さまゆかりの地。電車を降りたら直ぐにお祝いムードが!ご成婚の時も村上市はかなり盛り上がっていた記憶がありますこのタイミングで村上に行きたいなぁ、と。駅から真っ直ぐ暫く歩いて藤基神社へお参りに行きました。初めての参拝です。御祭神は村上藩主内藤家の開祖内藤信成侯です。徳川家康公の異母弟なのだそうです。彫刻が素晴らしいです!挑戦してみました!何と
近くまで来たので行ってまいりました。姫路城桜が満開です。素晴らしい時期に来れました。姫路と白河は昔からご縁があるのです。1649年白河藩主であった榊原忠次さんが姫路へ姫路藩主の松平直矩さんが村上へ村上藩主の本多忠義さんが白河へと三方領地替えを行なっております。桑名行田白河で三方領地替えの縁で姉妹締結を結んでますが、それ以前に行われていたのがこちらの領地替えでした。またその後1741年には、白河姫路越後高田での三方領地替えも行わ
〇和綴じ本、毛筆で書かれています。十年ほど前会津の古書店で購入しました。新潟に関係のある冊子だけ抜いて購入したものです。〇毛筆で一字一字丁寧に写しています。この原本は藩の公式記録として保存されたものと思います。〇新潟町での戦いのその後を伝えています。しばらくこれを書いていくことにします。原文は漢文読み下し調で旧仮名遣いもありますので、分かりやすく一部を改めました。また地名は「」で囲み、明らかな誤記はことわらずに書き改めました。注を()で表しました。●米沢藩写本戊辰戦争
〇和綴じ本、毛筆で書かれています。十年ほど前会津の古書店で購入しました。新潟に関係のある冊子だけ抜いて購入したものです。〇毛筆で一字一字丁寧に写しています。この原本は藩の公式記録として保存されたものと思います。〇新潟町での戦いのその後を伝えています。しばらくこれを書いていくことにします。原文は漢文読み下し調で旧仮名遣いもありますので、分かりやすく一部を改めました。また地名は「」で囲み、明らかな誤記はことわらずに書き改めました。注を()で表しました。●米沢藩写本戊辰
本稿では、堀直竒の「より」の字は、「奇」の異体字である「竒」に統一している。「より」については、書物によって表記する字体が異なる。古文書からは、村上藩主以降に「直竒」と署名していたことが明らかとなっている(『堀家文書』(家老堀主膳家))。坂戸藩主時代には丹後守と署名する場合が多く、元和以前の記録も少ないことから元々はどの字体で署名していたかは明らかとされていない。江戸期の書物には「直寄」との記載が多く見られる。「寄」は直竒の死後、軍記物や由緒書きなどで記述されるようになり、慣用的に使用され