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神社仏閣ネタがつづきますきに今朝はご近所の椿神社にお参り。今月もよろすこおみくじは大吉❤️ってことは…トリプル大吉やき❗うひゃひゃさて。前回のバリネタラスト玉生八幡さま。たもう。って読むのよね?やっぱり水軍の波動を感じる…船の会社が栄えているのも納得。愛媛の豪族のおかげですね✨もう5月…早いね~🌠
ツインとの前世の記憶と現生の繋がりある日しまなみ海道をバイクで渡りたいなぁ✨とインスピレーションが降りて来ました。早速ツイン旦那に話したら運転手の彼からゴーサイン!ワクワク😀旅大好き💕どんな出会いがあるか本当にワクワクします✨✨✨香川県から愛媛県に入りしまなみ海道の入り口今治まで行きます。実はわたしの父の母方の実家は愛媛県で、父は...という事はわたしは村上水軍の末裔です。ツイン旦那と出会った頃一気に色んな前世の記憶が戻って来ました。その時の記憶が
園尾隆司村上水軍その真実の歴史と経営哲学村上水軍その真実の歴史と経営哲学Amazon(アマゾン)600-800998込○○「村上水軍その真実の歴史と経営哲学」は、著者である園尾隆司氏によって執筆された興味深い書籍です。この本は、村上水軍についての誤った俗説を排除し、その真実の姿を明らかにすることを目指しています。以下は、この本の主な内容です:村上水軍の成立前史:村上水軍がどのように形成されたのか、その背景や歴史的文脈を探ります。海賊と水軍:村上水軍が海賊であると
今日は東京から大好きな松岡さんが広島へ来られたので、一緒にご飯へ行ってきました😁昨年末の忘年会以来でした✨いつも笑顔に癒されております♪お店は当院の患者さんのお店、村上水軍さん。お魚が有名です❣️イカ🦑稚鮎ごちそーさまでした😋松岡さん、長い時間お付き合いありがとうございました❣️またお会いしましょーーーー
オレは山口県の岩国市という所に生まれ育った。オレの祖父は岩国の通津という瀬戸内海の海岸沿いの地域で生まれ育った。だから泳ぎはうまいし、海の男として育ったのだろう。あれはオレが高校生の時だったろうか。祖父、父、そしてオレ、という3人が同席していろいろ話す機会があった。後にも先にもあの時が唯一の時だった。お茶、酒を飲みながら、とりとめもない話をしていた。突然、祖父が言った。「おお、祖先の一人に海賊になった人がおる。」「マジで?」父とオレの目
今日の東京晴れ昨日はいいお天気でしたね。お昼に外に出たらポカポカ陽気でこれは近所の千鳥ヶ淵の桜もそろそろ咲くかも?風がなければお花見もいいんですけどね。家に帰ったら名古屋の伯父の家の大家さんから電話がありました。同じ町内にお住まいなので伯父の様子をお知らせしてくれるのでありがたいです。来月また行く時にお会いする予定です。さて11月の広島旅行記の続きです村上水軍城の後は大好きな囲碁の天才棋士本因坊秀策の記念館に行きました。本因坊秀策について|本因坊秀策
〜しまなみ海道わたり瀬戸内海の周りをぐるり一周日帰り旅〜しまなみ海道付近に行くのを決めたのは今週はじめ。ただ、一周しようと決まった今朝、村上水軍(海賊)からのアプローチを感じてわくわく。大三島の大山祇神社⛩️は去年も参拝したのだけど、村上海賊が崇敬し大事にしていたことは今日知ったこと。中央構造線付近を走るのも意味のある一日でした。最近、地の活動がまた活発。それもあったのかと。大島にある村上水軍ミュージアムは楽しかったです。その前の能島水軍というお店も美味。広島の福山、岡山、瀬戸
尾道市街地からしまなみ海道を走って、気軽にアクセスできる因島。観光客の中にはけっこう外国人の姿も。風光明媚で歴史遺産あり、なかなか魅力的な島です。見所のひとつが、白滝山展望台。標高227mの山頂から、瀬戸内海の多島美を見晴らすことができます。因島の主幹産業である造船所も、いかにも瀬戸内らしい風景。1569年、因島村上水軍6代当主がここに観音堂を建立しました(因島観光のキーワードは、村上水軍!)その後、白滝山上に清浄なる世界を表現しようと、五百羅漢の石仏が造られました。大小700
大久野島からの帰り道、因島村上水軍のゆかりの地めぐりしました。しまなみ海道の広島側の島・因島を拠点に活躍した、村上水軍御三家のひとつです。昭和に建てられた櫓と本丸型の水軍資料館「因島水軍城」。隅櫓の中には因島水軍まつりの様子と城跡の説明があって。本丸入ったら村上水軍船です✨大型船の安宅(真ん中奥)と、中型の関船(右前)、小型の小早(左前)が勢揃い。能島沖で開かれる水軍レースは、小早の復元船で競われます。和田竜さんの「村上海賊の娘」のクライマックスは1
因島の気になるスポットはまだまだ続きます。◆HAKKOパーク。健康食品メーカー・万田酵素が運営するテーマパークです。館内には自社製品のショップやカフェ、栽培中のジャンボダイコンなどのSNS映えしそうなアイテムも。ここでお昼食べてもよかったんですけどねー。ちなみに工場見学もできたようですが、午後のスタート時間までかなり間があったので今回はパス。◆HAKKOガーデンには四季折々の花やテーマごとに区切られた広場、海が見渡せるデッキに足湯までありました。天気がいまいちでこの日は観光客は少な
一之宮を2社参拝したあとは、尾道駅で連れを拾って一路しまなみ海道へしまなみ海道で何処にも寄らないのもアレなので、こちらへ尾道市因島因島水軍城村上海賊について学びます南北朝時代から室町時代にかけて活躍した村上水軍の武具、遺品、古文書などの歴史資料が展示されています結構急な坂と階段を登っていかなければなりませんが、村上海賊の理解が進む小さい博物館です村上海賊、英語では、Piratesではなく、KAIZOKUと呼ぶそうです金品を強奪する「海賊」ではなかったということなんですね資料
ちょっと松山へしまなみ海道通って・・村上水軍の能島(のしま)は岩盤保全の為に桜の木を切ってからは軍艦のような島になってますあっかもめ・・偶然撮れてました松山道へ入ります正面は石鎚山うっすら雪をかぶっています西日本最高峰の1982mサービスエリアには枯れた木の実のオーナメントおひさま浴びてクローバーすくすくそしてトンカツ屋さんでレディース御膳をいただきました
※元記事は、2021年8月noteで公開していました。加筆、修正などを加えて再UP私の祖父は、宮窪のことを「よそくに」と言っていました。ついでに今治(いまばり)のことを「いまはる」と言っていましたが、昔は「いまはる」とも言っていたそうで今でも年配のかたは「いまはる」と言うそうですね。※宮窪町に余所国(よそくに)という地名があります。昔は余所国村で、大山村と合併のち、宮窪町余所国になったようです私の祖母や母が生まれ育ったのは、大島の宮窪町余所国(愛媛県今治市、しまなみ海道)。手元にある村
桜が咲き始めると腰の落ち着かないわたしです。駅でカンヒサクラを撮影しただけでは物足らないので今日は尾道市の千光寺と因島で今年造られた河津桜の公園を主な目的地に決めて出発しました。ご紹介したい事は色々有りますが、今日は因島に造成された河津桜の公園をとりあげます。此処は日本遺産に指定されている村上水軍の美可崎跡船隠し公園です。今年三月に地元の方々と中学生が力を併せて造られたもののようです。未だ樹が幼いですし、掘られた土も落ち着いてないようですから、年を追うごとにドンドン変化して素晴ら
前話からの続きです。向島から予定していた因島に移動します。我が家と氏が一緒なのでお参りしたいと思っていた神社です。弟の嫁様が村上水軍の子孫だという縁もあります。神社の縁起に拠れば伊予国大三島の大山祇神社に773年分霊を勧請して大山神社を名乗るようになったらしいです。本社で声に出してお願いをさせて頂くと身の引き締まる思いがしました。奥の院から太鼓の音が聞こえてきて、佳き時間を過ごせました。生口島に続きます
当地も先週来ぐずついたお天気が続いてたんですが、先日、ようやく青空が見られそうだということで久しぶりの遠出を敢行!実は河津桜がずっと気になってはいたんですが、うっかり時期を逸してしまってて💧慌ててネット検索してみたら、先々週末に早くも見頃を迎えてたとのニュースが💦お祭りも既に終了したとのことで💧それって、私が梅の花にルンルンだったあの日のお話?いくらなんでも早過ぎでしょう💦もう一週間以上も経ってしまってるし、散ってしまってるのかなぁ~、と思いながらもやっぱり行ってみることに。往復2
本日は三原市民ギャラリーで開催中の企画展「みはらコレクション展~守り・伝える古文書・古典籍~」に行ってきました。新発見の大友宗麟書状が展示されているということで、展示期間が終わる前に行けて良かったです。原本が散逸していなくても、写本が残っている場合の信憑性を裏付ける意味で非常に重要です。今回はその原本が見つかったので、写本の価値も高まることになります。
ふっとみた夢の瞬間。『メッセージ』という映画があり、大きな宇宙人みたいな姿がうつり、下にテロップが流れている。どこかの都市名らしく、英語の地名の中に「愛媛」があった。む~ん。これから書く話だからなのか・・・西洋の叙事詩に関わる海賊の姫おもしろすぎる。かねてから気になっていた皆鶴姫の伝説。義経の恋人と言われるのは、義経に兵法を教えたため。一応、義経がその情報をしりたくて姫に近づいた設定。(だいたいそう)あれは、バイキングの風習である舟葬だと思うが。こ
天海(83)「敵がわざわざ、この狭い海峡に大船で乗り込むとは思えませんね。」と宋汝淙は言った。「うむ、賊は恐らく北に向かう潮流に乗り、多くの中船で攻めてくるだろう。我らは、それを板屋船で食い止める。ここは頻繁に潮目が変わるのだ。我らにこそ地の利がある。潮流が南に流れれば、その時にこそ早船を繰り出そう。」と李舜臣は言った。この時の様子を『豊臣水軍興亡史』(山内譲)は、豊後佐伯藩毛利家に伝わる注進状を紹介している。「大船は河口に残して小関船ばかりで出撃した。「水営」とい
ずいぶん間が空いてしまいましたが、みちのくの「クシフル」、反響がけっこうありましたので、これからも何かわかれば探ってみたいと思う。必ず阿部氏にいきつくことがあるので。そして、そこにフルフルする白鳥という存在。阿部氏と物部氏がいる。平泉の白鳥館。また、石巻がヒタカミであったことは、上品山に祀られる神は、ニニギとコノハナサクヤヒメ。一関の六芒星の中心に位置するといわれる神社も、ニニギとコノハナサクヤヒメ。天孫降臨地にニニギがあるところには、大綿津見神も(オオヤマツミも)
行くぜっ!怪盗少女は、14年前の2010年の5月に出たももクロ(ももいろクローバーZ、その頃はZなしを含めて)のデビューシングルですデビューした頃は6人であり、ヒャダインこと前山田健一くんが作った曲の1つですSTU48がもしこの曲をカバーするとしたら、「怪盗少女」じゃなく、海にちなんで「海賊少女」というのはカッコいいなと思います室町時代に活動した愛媛県側の瀬戸内海に存在した村上水軍みたいな感じのイメージが誕生したらいいなと思いますこのグループ内のユニットである新・瀬戸7がこの曲をカバー&
本日もら沢山のご予約ありがとうございます。運気の上がる龍の絵馬🐉村上水軍の徳利🍶本カワハギの活き造り!!
『【日高見国】貞観の神々の昇格天孫降臨の舞台に封じられてきたモノたち』本気のヒタカミ。ここ数年の出来事、貞観の頃が集まっているような。貞観年間とは、平安時代の859年から877年まで、清和天皇、陽成天皇の代の元号。だから、ここ…ameblo.jpただし、当時の日高見とは、東北地方の広い範囲のことをさしていた。ヤマトタケルの東国征伐についてこんな神話がある。「蝦夷を平定した後、日高見国から帰って常陸(茨城県)を経由し、甲斐国(山梨県)に到着し、酒折宮(さかおりのみや)に来た。その際、
Mr.都市伝説関暁夫から教える話【この世の始まる前の物語】村上水軍-Wikipediaja.wikipedia.org能島-Wikipediaja.wikipedia.org日本史上最強海賊【村上水軍】海賊伝説を解き明かす!日本史上最強海賊【村上水軍】海賊伝説を解き明かす!日本一の海事産業のルーツは日本最大の海賊。潮流激しい瀬戸内を支配していた謎多き村上海賊の歴史に古舘が迫る。村上水軍そのルーツに迫る!村上水軍の活動文献史料上、最も古い記録は南
続いて今治のマンホールには、龍頭船の勇ましい村上水軍の帆船が描かれていて素敵。そして向上寺の三重塔や尾道の街並みは赴きがありました。さて晩御飯は“かつ丼城下町”さんでデミヒレカツ丼とデミロースカツ丼を美味しく頂きました。それからお土産は、イコちゃんの20周年アニバーサリーぬいぐるみコーヒーポストカードジャコ天、おまんじゅう職場へのスイーツ頂いたプレゼント。ところで今回もお天気☀️に恵まれ楽しい旅行となりました。
竹原市内を歩きました案内図に礒宮八幡神社の裏手の山に鎮海山城跡とありました調べると能島の村上武吉の城とわかりびっくり(小説『海賊の娘』の父)村上武吉は能島・来島・因島の三島村上氏の宗家にあたり毛利元就の厳島合戦や織田信長に対抗する木津川口の戦いなどで活躍しかし天正13年(1585)小早川隆景に攻められ能島城を明け渡しその後この竹原の地が与えられ築いたのが鎮海山城近くには浦宗勝の賀儀城跡(かぎじょう)もあり竹原は海の交通の要衝だったことがわかりま
今回は今年の山始めをしてきた広島県福山市内海町前から登ってみたいと思っていた場所だったなかなかハードな所もあって楽しめた今回は島の山だから山の中でも船の音が聞こえた⛴そして今回から初参加のmont-bellアルパインクルーザー800✨✨これで富士山登るぞ~(≧∇≦)b最初の眺めの良い場所から📷瀬戸内の眺め😊途中、次のピークが見えるこんな所に城があったんだ(゚д゚)!村上水軍かな?やっぱり歩かないと分からない☺️ここから次のピークまでいったんくだって…からの猛烈な登りっ
※元記事は、2021年8月noteで公開していました。加筆、修正などを加えて再UP『愛媛県先祖|中卒おばさんブログ』https://ameblo.jp/iyo-110/theme-10118940840.html愛媛県先祖|中卒おばさんブログ伊藤千之丞♀中卒のおばさんさんのブログテーマ、「愛媛県先祖」の記事一覧ページです。ameblo.jp・祖父のシベリア抑留期間は、母らが生まれた時期を考慮すると長くて2年?それでもかなり大変だったと思います。食べ物もロクになく、お風呂は水風呂だ
戦国のお話ですが、皆様タイトルの漢字は読めましたか?陶晴賢(すえはるかた)本日のお題は、広島にゆかりのあるお方を厳島の合戦と共にご紹介。しばらく前から「信長の野望」のウォーキングゲーム/位置ゲームが始まりましたね。2023年12月~はなんとイベントの舞台は、「厳島の戦い」だそうです。※ちょっと前にゲームは引退しました。どんな人でも広島へ観光を考えたときに、海に建てられた赤い鳥居と神殿の宮島(厳島神社)を思い浮かぶのではない
地元神社へ年末のご挨拶参りのラストです。ラストは同じ町内の小さな神社。“山神社”兵庫県明石市大久保町高丘5丁目5-19-4神社は住宅街の中にあります。周囲は一戸建て住宅が建ち並んでいます。神社の敷地は住宅一戸分!神社の名前は『山神社(やまじんじゃ)』です。○○山神社ではなく、山神社という名前。(某金運神社がなぜか頭に浮かぶ・・・)現在地に来られるまで、この地で2度引っ越しをされたそうです。この神社とのご縁を結んでくれたのが村上水軍の末