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『3か月でマスターする江戸時代-NHK』に合わせて、子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の歴史認識を照らし合わせたくてヒストリーチャンネルで放送されていたので観ました。幕府と薩長の対立が深まり、戊辰戦争へ(ヒストリーチャンネルの『まんが日本史』より)内容について50話で、薩長連合が成立します。薩摩藩と長州藩は倒幕にかじを切ることになります。第二次長州征討薩摩・長州にはイギリスが支援し、幕府にはフランスが支援する形で対立を深めていきま
JamesSetouchi2024.11.29『江は流れず小説日清戦争』陳舜臣(ちんしゅんしん)中公文庫上中下1著者紹介1924年神戸生まれ。大阪外語印度語部卒業。同校助手や家業の貿易業を経て、作家に。1961年『枯草の根』により江戸川乱歩賞受賞。1969年『青玉獅子香炉』により直木賞。1971年『実録アヘン戦争』により毎日出版文化賞。1976年『敦煌(とんこう)の旅』により大佛次郎(おさらぎじろう)賞。1992年『諸葛孔明(しょかつこうめい)』により吉川英治文学賞。
〇明治天皇の御不礼発表と同時に博文館が談話を集め、一部を改変して発行したものと思われます。当時の新聞はある程度不正確なものでも平気で記事にしています。この中でいくつか談話を書いていくことにします。〇一部言葉を変えて表記しています。〇佐藤進1845-1921陸軍軍医総監男爵〇下関条約明治28年1895年日清戦争の講和条約交渉時に清国全権李鴻章が暴漢に狙撃された時の回想●これには至極もっともな理由も含まれ、かつ我々の実験上弾丸を抜かずして治療を施し、ずいぶん治った例もあること
〇明治天皇の御不礼発表と同時に博文館が談話を集め、一部を改変して発行したものと思われます。当時の新聞はある程度不正確なものでも平気で記事にしています。この中でいくつか談話を書いていくことにします。〇一部言葉を変えて表記しています。〇佐藤進1845-1921陸軍軍医総監男爵〇下関条約明治28年1895年日清戦争の講和条約交渉時に清国全権李鴻章が暴漢に狙撃された時の回想●ともかくも李鴻章の一行の旅館であった引接寺に赴き、石黒男爵と私は李鴻章の居間に案内を請い、本人に面会し我等
〇明治天皇の御不礼発表と同時に博文館が談話を集め、一部を改変して発行したものと思われます。当時の新聞はある程度不正確なものでも平気で記事にしています。この中でいくつか談話を書いていくことにします。〇一部言葉を変えて表記しています。〇土方久元1833-1918伯爵●ちょうど李鴻章の負傷の報告を受け取ったのは夜であった。しかもその夜は小松宮殿下が総督として広島を御進発せらるるにつき、当時余の秘書官たりし調度頭長崎省吾が御随行申し上げることとなりたれば、余はその送別の宴を余の宿泊所に開き
JamesSetouchi『江は流れず小説日清戦争』陳舜臣(ちんしゅんしん)中公文庫上中下1著者紹介1924年神戸生まれ。大阪外語印度語部卒業。同校助手や家業の貿易業を経て、作家に。1961年『枯草の根』により江戸川乱歩賞受賞。1969年『青玉獅子香炉』により直木賞。1971年『実録アヘン戦争』により毎日出版文化賞。1976年『敦煌(とんこう)の旅』により大佛次郎(おさらぎじろう)賞。1992年『諸葛孔明(しょかつこうめい)』により吉川英治文学賞。など、著書・受賞多数。
蒼穹の昴③浅田次郎講談社文庫2004年①と②の荒筋はこちら。『蒼穹の昴②』蒼穹の昴②浅田次郎1996年講談社文庫2004年①巻のあらすじと感想はこちら『蒼穹の昴』蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)①浅田次郎1996年講…ameblo.jp清朝末期の中国は、欧米列強による圧力により、その国土を侵食されていく一方で、日清戦争の敗北で、新興国日本にも欧米並みの権限を与えざるを得なくなり、西太后を推す后党と皇帝の親政により、維新を断行しようとする皇党との対立は増すばかり
蒼穹の昴②浅田次郎1996年講談社文庫2004年①巻のあらすじと感想はこちら『蒼穹の昴』蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)①浅田次郎1996年講談社文庫2004年中国、清朝末期、燃料用の糞拾いをする貧しい少年春治(チュンル)は、かつて宮中…ameblo.jp官吏登用試験である科挙を最優秀(状元)の成績で突破した分秀(ウエンシウ)は次席合格(榜眼)の順桂(シュンコイ)と、三席合格(探花)の王逸(ワンフー)たち共に、高級官僚の道を歩み始める。特に長年に渡り腐敗した文治政治
4月29日の記事から続く。ホテルから車で准军公所へ。淮军公所是李鸿章为纪念淮军在镇压太平天国和捻军阵亡的“将士”而建的昭忠祠。清光绪十四年至光绪十七年(1888~1891年),李鸿章奉诏修建的“淮军昭忠祠”及“公所”(淮军办公驻地)合一的建筑群。淮军公所是中国北方保存较完整的一座清代徽式祠堂建筑和北方清式木结构为主体的古建筑群,集公祭、管理办公和公所为一体,建筑风格南北兼容,整体呈不规则矩形,占地面积约40亩,古建筑面积约5000平方米。淮军公所是一座具有南方和北方风貌的混合建筑体,
”公と私-②”司馬遼太郎清末にも同じような現象がおこった。太平天国の乱という一大流民さわぎがおこって、この勢いの前に官軍がじつに弱かった。このさわぎに対して、官僚の”曽国藩”が故郷で私兵を募り、太平天国軍を破った、この義勇軍が”湘勇(しょうゆう)軍”である。また、”曽国藩”の弟子である”李鴻章”が、故郷で”淮勇軍”を編成し、協力して内乱を収めた。”曽国藩”はのちに”李鴻章”に”湘勇軍”をゆずった。これにより、”李鴻章”の私兵である”淮勇軍”が強大になり、武装も洋式化して清朝最大の陸軍に成
朝鮮半島をめぐり日本と清は膠着状態。朝鮮半島を舞台に日清代理戦争が行われてきました。日本は清と天津条約を結び、何とか、引き分けに持ち込み、抜き差しならない状況は続いていました。天津条約では朝鮮に出兵する時はそれぞれ、通告することを旨とした条約で、基本的には両国の軍隊は朝鮮半島から撤兵するという決まりをしました。次に何かあれば、開戦という緊張状態です。そういう中で、朝鮮半島にまたもや火種が勃発します。1894年に東学党の乱が朝鮮半島で起きてしまいます。東学党は宗教団体とも、農民反乱とも言われてい
明治維新からの明治政府の国の運営は必ずしも、順調ではありませんでした。順調というよりも、産みの苦しみ、前途多難、苦難の連続でした。内政的にはごちゃごちゃで、一進一退を繰り返しながら、急激な国の発展をとげていたという状況です。結果的には上手くいったのですが、そのプロセスは常に苦難がつきまとういばらの道でした。そういう明治時代の中で、外交はどうだったのかというと、あの内政状態でよくやっているなという印象です。とにかく、朝鮮半島状況が本当にひどいので、頭が痛い状況ではありました。当時のお隣の国たちの
→モノの名前一覧チェック表(過去問)マテオ・リッチ1552年~イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭。中国名は利瑪竇(りまとう)フランシスコ・ザビエルの夢見た中国宣教に苦労のすえ成功し、明朝宮廷において活躍した。中国にヨーロッパの最新技術を伝えると共に、ヨーロッパに中国文化を紹介し、東西文化の架け橋となった。中国文化をヨーロッパ社会へ好意的に紹介しつづけた。当時、ヨーロッパの大学ではオラーレと呼ばれる口頭試問が主流であったが、リッチらの伝
「不要銭、不怕死」(金をもとめず、命をかける)曾国藩目次はじめにⅠ生い立ち1十九世紀2湖南3曾家Ⅱ北京1赴任2栄進3改元Ⅲ湘軍1太平天国2郷紳・団練3結成Ⅳ長江1緒戦2苦境3回生4転機5勝利Ⅴ晩年1督撫重権2苦闘3終焉Ⅵ棺を
白春岩著面白かった〜李鴻章、ちゃんと事実を見て政治をしてた人〜すごい👍周りにいたブレーン達もすごい👍その中の1人、馬建忠好きだわ〜この本には名前しか出てこないけど他のブレーン達についても知りたいな〜
蒼穹の昴(4)/浅田次郎Amazon(アマゾン)781円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る★★★★★「蒼穹の昴」全四巻、読了。読み終えた後、じわっと感動が湧き出てくる、実に壮大なドラマであった。特に後期の清王朝、西太后、李鴻章、袁世凱、日清戦争などへのイメージが随分と変わり、想像が膨らんだ。英雄的に描かれている李鴻章が師事するのが冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、閑に耐え、激せず、躁(さわ)がず、競わず、随(したがわ)ず、以て大
蒼穹の昴(2)/浅田次郎Amazon(アマゾン)1〜4,819円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る★★★★★先の蒼穹の昴(1)/浅田次郎23063がとても良かったため、四巻まとめ買い。沖縄出張の旅路のお供に本書を。致知や安岡正篤先生の本に度々登場する曽国藩(曾国藩)が歴史上の偉大な先人として描かれ、その継承者である李鴻章や袁世凱、そして西太后など歴史で学んだ人物たちが生き生きと活躍。キーワードレベルで覚えている清朝後半が徐
「下関休戦条約」春帆楼で清側に日本の軍艦を見せつけたみなさん、おはようございます3月も残り2日今月の仕上げは進んでいますかさあ、今日「3月30日」の國史を学びましょう「下関休戦条約締結」明治28年(1895年)日清戦争の勝利となります清側の全権、李鴻章と対する日本側は内閣総理大臣の伊藤博文と外務大臣の陸奥宗光が交渉します陸奥は坂本龍馬の海援隊の出身ですカミソリ大臣と呼ばれるほどの切れ者でした下関の割烹、春帆楼で交渉は行われます陸奥は
【きょうの人】0215■聖宝(理源大師)生誕醍醐寺の開祖■李鴻章清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力■武田豊■一遍上人降誕会本日、ゆかりの人をご紹介します。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。■聖宝(理源大師)生誕醍醐寺の開祖しょうぼう天長9年2月15日(832年3月21日)-延喜9年7月6日(909年7月25日)平安時代前期の真言宗の僧、醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖でもあります。また、後に
【Q18721】マラソンの由来となったマラトンの戦いで知られるギリシャのマラトンと姉妹都市になっている、アメリカ・マサチューセッツ州のボストンの西約40kmにある町で、毎年4月の第3月曜日に開催されるボストンマラソンのスタート地点となっているのはどこ?【ホプキントン】【Q18722】「膾(なます)」と「炙(あぶ)り肉」は美味で誰の口にも合い多くの人に好まれることに由来する、物事が世間の人々の話題となり広く知れ渡ることを意味する慣用句は何?【人口に膾炙(かいしゃ)する】【Q18723】日本
張愛玲著張愛玲、李鴻章の外曽孫。激動の時代を生きた人。小説は、読んでみて不思議な感じを受けた。あの時代の中国をわかっていてこそ面白い小説だと思う。少ししかわかってないけど、面白かった!一気に読んでしまった😄小説だから読みやすいのもあるけどね〜張愛玲の人生が面白い❗️本出してそうだなぁ〜
【きょうの人】0105■李鴻章清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力■幡随意上人徳川家康が浄土宗法論奉行役を命ず■ジャン・バティスト・セイ経済学「セイの法則」独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。■ジャン・バティスト・セイ経済学「セイの法則」1767年1月5日は、フランス人ジャン・バティスト・セイの誕生日です。経済学者で「セイ
下関市阿弥陀寺町3−9李鴻章道参考日清講和談判と下関日清講和談判は下関で行われた。明治二八年三月二〇日、李鴻章は清国講和全権大使として百数十人の随員を従えて下関に着いた。日本側は、首相伊藤博文、外相陸奥宗光であった。三月二四日第三回目の会見が終って李鴻章が宿舎の引接寺に帰る途中、小山豊太郎から、ピストルで撃たれた。(写真集明治大正昭和下関より)(彦島のけしきより)下関の地で李鴻章の治療にあたった陸軍軍医総監・佐藤進医学博士李鴻章道と受難地点
この雪組『蒼穹の昴』…なんと専科から6人も参加されているんですね!(そもそもポスターインしている人たちの「中心」にいるの、専科のカチャこと凪七琉海さんですものね…^^;)それだけ、劇団がこの作品に入れ込んでいるってこと?!この作品を、原作に負けない重厚なものにしようという意気込みが感じられます。そして、それに見事に応えた専科の皆様方…本当にすごい!この方々が登場するたびに舞台が引き締まり、この時代ならではの緊迫感や重厚さを醸し出していたような気がします。どなたも威厳と迫力に満ち、
岡本隆司著馬建忠、すごい人〜✨✨✨中国にこんなにすごい人がいたとは。。いや、今も昔もいるんだろう。だけど、色々な要因で目立つことなく一生を終える人達がいる。岡本さんが書いていなかったら、読まなかったかもしれない😅目に止まらなかったかも。。。岡本さんの「歴史のおもしろさは、人物論にきわまる」の言葉にとても共感😆中国の歴史を知りたくて色々読むけど、最近読みたくなる本は、1人の人物に焦点を合わせた本だから😄馬建忠の文章を全訳して載せてるって、ほんとにすごい!こういう本、少ないんじ
9月8日、イギリスの女王エリザベス2世が逝去された。96歳だった。エリザベス女王の在位期間は、イギリス史上最長の70年間にわたった。※エリザベス2世(エリザベス・アレクサンドラ・メアリー)在位期間の長かったエリザベス女王には、いろいろな逸話が残っているが、“フィンガーボウル”のエピソードというのがある。西洋料理の宴席で、指を洗うのに使用する器=フィンガーボウル。ナイフとフォーク使用が基本の西洋料理において、どうしても直に手を使わざるを得ないもの(スペアリブ、オマール海老、フル
教会の長椅子に李鴻章と春児が腰かけている。神父と修道士そして支那人の子供がチェロやバイオリンを弾いている李鴻章「今の曲は何と言うんだね」神父「これはメンデルスゾーンの『イタリア』です。何だか聖地に向かう巡礼のようでしょう閣下」李鴻章「閣下じゃない。もうただの隠居じじいだ。春児、こっちに来て一緒にコーヒーでも飲もうじゃないか」春児「はい、李将軍」春児コーヒーを一口飲んで顔をしかめる李鴻章「初めてかね。最初はみんなびっくりするが、じきに好きになる。西洋とは
康有為が初めて光緒帝に謁見し、変法改革を説く機会がやってきた光緒帝「康有為、変法改革の要点につき、きたんなく意見を述べよ」康有為「謹んで申し上げます。我が国四百余州のうち、すでに三百余りは列強の手に落ち、現在政の及ぶところはここ中原の地のみでござりまする」光緒帝「それはまことか」康有為「旧臣たちは真実を申しません。我が国はすでに列強の餌食となった国と同じ道をたどっております」光緒帝「どうすればよい、どうすればこの国を保つことが出来る」康有為「一気に大変法を
白太太の予言通り、死の床に伏す恭親王。文秀、順桂、タンストンが見守っている文秀「恭殿下」恭親王「こうして見ると満州族は予と順桂だけじゃな。予は老いた。だが太后もまた老いておる。よいか、たとえ太后が頤和園に退かれても栄禄は謀の限りを尽くして光緒帝のご親政を阻まんとするぞ」宦官「李鴻章閣下、お見えになられました」李鴻章「申し上げます。イギリスとの談判につき香港の租借ということで決着いたしました」恭親王「それはよい。国を失わぬことが何よりじゃ。さすがじゃ。のう李鴻章、予は
白太太が旧知の李鴻章に会いにやってきた兵士「物乞いが閣下にどうしてもお目通りしたいと、座り込んだまま帰ろうと致しません」窓からのぞくと白太太と気づく李鴻章「かまわぬ。ここへ通せ」白太太入ってくる白太太「ああ、これは夢かの」李鴻章「夢ではないよ。あんたはいくつになったんだい」白太太「おなごにいきなり歳を聞くとは、相変わらず武骨者よのう。お役御免になって都へ戻ったと聞いて火車(ホウチャ:機関車)と言うやつに乗ってきたが、あの煙は何じゃ、わしゃ怖ろしゅうて天津