ブログ記事75件
【梨本宮桐華記念財団の月例行事(11月23日)への参加】参拝の詳細の様子は、下記のホームページをご覧ください。【報告】梨本宮桐華記念財団の月例行事(11月23日)【報告】梨本宮桐華記念財団の月例行事(11月23日)への参加2025年11月23日に「梨本宮桐華記念財団…peacefestival.jp2025年11月23日に「梨本宮桐華記念財団」が主催する月例行事に同財団代表理事・梨本勇氏、筆頭理事・安志榮氏、理事・渡邊和見氏が参加いたしました。また、梨本勇代表理事を
この度、梨本宮記念財団の公式行事に参加した内容を報告させて頂きます。梨本宮記念財団は、”日韓・日朝・日中・日台の間に横たわる心の傷跡を真摯に見つめ、東洋平和、世界平和を提唱していく”という崇高な理念の実現に向けて取り組んでいる財団です。同財団と共に、日本と朝鮮半島の平和を実現させるために努めて参ります。参拝の詳細の様子は、下記のホームページをご覧ください。【報告】梨本宮記念財団の月例行事(10月23日)【報告】梨本宮記念財団の月例行事(10月23日)への参加2025年
参拝の詳細の様子は、下記のホームページをご覧ください。【報告】一般財団法人梨本宮記念財団の月例行事(7月23日)【報告】一般財団法人梨本宮記念財団の月例行事(7月23日)への参加2025年7月23日に「一般財団法人…peacefestival.jp2025年7月23日に「一般財団法人梨本宮記念財団」が主催する月例行事に同財団秘書室長・安志榮氏が参加いたしました。また、同財団に準じる任意団体「朝鮮半島平和交流協議会」の理事である大嶋喜国氏が参加いたしました。「一般財
参拝の詳細の様子は、下記のホームページをご覧ください。【報告】一般財団法人梨本宮記念財団の月例行事(6月23日)への参加【報告】一般財団法人梨本宮記念財団の月例行事(6月23日)への参加2025年6月23日に「一般財団法人…peacefestival.jp2025年6月23日に「一般財団法人梨本宮記念財団」が主催する月例行事に同財団秘書室長・安志榮氏が参加いたしました。また、2025年2月26日に開催された「日韓文化交流記念公演」(主催:日韓文化交流事業実行委員会/後
詳細は、下記のホームページをご覧ください。【報告】一般財団法人梨本宮記念財団の月例行事(6月15日)に参加一般財団法人梨本宮記念財団の月例行事への参加この度は、2025年6月15日に「一般財団法人梨本宮記念財…peacefestival.jpこの度は、2025年6月15日に「一般財団法人梨本宮記念財団」が行っている月例行事に「一般財団法人梨本宮記念財団」の安志榮秘書室長が参席されました。その他にも、一般社団法人梨本宮記念財団に準じる任意団体の「朝鮮半島平和交流
2025年5月1日に英園で行われた懿愍太子英親王(李銀殿下)、懿愍太子妃(李方子妃殿下)の忌辰祭(追悼式)に参加して参りました。詳細は、下記をご覧ください。【報告】英園(懿愍太子英親王、懿愍太子妃)親享禮英園(懿愍太子英親王、懿愍太子妃)親享禮一般財団法人梨本宮記念財団の梨本隆夫代表理事の名代として、一般財…peacefestival.jpこれを機により、両国が、文化交流を通して、友好と親善を深めていけることを願っております。
5月1日が命日・忌日の有名人・著名人1837年(天保8年3月27日)45歳没(自決)大塩平八郎さん儒学者大塩平八郎の乱を起こした1873年60歳没(マラリアの複合症)デイヴィッド・リヴィングストンさん宣教師、探検家1904年満62歳没(脳梗塞)アントニン・ドヴォルザークさん作曲家交響曲第9番『新世界より』⇒『アントニン・ドヴォルザーク(1841年9月8日生~1904年5月1日没、作曲家)』1945年満47歳没(自殺)ヨーゼフ・ゲッベルスさんナチス・ドイツ
大韓帝国の最後の皇女の徳恵翁主は、大韓帝国の初代高宗皇帝の娘です。徳恵翁主の生涯を描いだ映画です。映画は、アマゾンプライムで無料で見ることができます。ラスト・プリンセス大韓帝国最後の皇女(字幕版)【予告編】今年は、日韓国交正常化60周年記念を記念する年です。どうか、日本と韓国が平和と友好で繋がる未来を願います。
一般財団法人梨本宮記念財団の梨本隆夫代表理事へのインタビュー記事を紹介します。梨本隆夫代表理事の取り組みを応援させて頂きます。真の「人類の敵」とは何か?無名ジャーナリストの仕事「出羽三山友好訪中慰霊行」と「全世界平和祈願大会」(その2)真の「人類の敵」とは何か?無名ジャーナリストの仕事「出羽三山友好訪中慰霊行」と「全世界平和祈願大会」(その2)本当の人間の敵とは?「戦争は愚者でも始めることができる。実際、しばしば愚者が始める。だが、それを終わらせるのは賢者の務めである
皆様、一般社団法人の梨本宮記念財団は、ご存知でしょうか。日本と韓(朝鮮)半島は、勿論、アジアと世界の平和のために尽力されて来られた財団です。ご縁があって、この財団で活動されている方から、紹介を受けました。梨本宮記念財団の梨本隆夫代表理事のインタビュー記事を紹介されていたので、リブロします。現在、梨本隆夫代表理事は、86歳で、高齢の中、自らのお体を顧みず、精力的に平和のために尽くされています。平和を願い活動しているのにも関わらず、仲間は、少なく、理解者も多くはあり
2024年11月17日(日)。天気曇り後晴れ。11月とは思えない暑さになりました。昨日、小田原城に行った後、熱海で宿泊しました。宿泊した「東横イン熱海駅前」。熱海駅前には足湯があります。4年前に熱海に来た際も立ち寄りました。足をつけてしばらく休んだら、とてもリラックスできました。「熱海駅」には、伊豆急行の8000系電車。元東急8000系です。熱海-伊東間は、JR伊東線ですが、熱海から「伊東駅」以南の伊豆急行線に直通運行しています。私は、東海道本線の各駅停車で三島に向かいます。315系30
日本と朝鮮半島の平和のために貢献されている方々の動画を紹介します。梨本宮記念財団の梨本隆夫代表理事と表博耀氏の対談動画です。梨本隆夫代表理事は、陰徳を旨とし裏方での仕事に徹する梨本宮殿下の功績と、梨本宮家の由来を語っておられます。第一話:【梨本宮殿下対談】ついに真実を明かす時が来た第二話:【梨本宮殿下対談】因縁解消への最終ラウンド最終話:【梨本宮殿下対談】恩讐を超えて陰徳を積べ是非、東アジアの平和のための取り組みが成就することを願っております。
李方子妃殿下、李垠殿下の生涯を紹介している動画です。大日本帝国と、大韓帝国の間で、両国と両家の平和のために生きられた事に感動しました。この方々が残された意志を引き継ぎ、平和を実現させるために貢献できれば幸いです。
ブログ先の動画を見て、感動しました。激動の時代、平和を願い生きられた姿に感銘を受けました。この方の願われた平和の実現のために貢献したいです。
2つの世界大戦の最中、両家・両国の平和のために人生を捧げた方を紹介します。李方子(梨本方子)妃殿下は、生涯を平和のために捧げられました。
1924年9月の「番地界入東京市拾五区区分図」の「麻布区」に「李王世子邸」の記載がある。現在の地図と重ねると、東洋英和女学院小学部の敷地がその場所にあたる。鳥居坂李王世子別邸この地図のこの場所が、1907年12月に日本留学の名目で東京に連れてこられた李垠イウンの住まいとなった鳥居坂李王世子別邸である。1912年8月6日付の『毎日申報』に次のようなキャプション付きで写真が紹介されている。東京鳥居坂李王世子別邸東京鳥居坂の別邸は数年前に大行天皇(明治天皇)の特別なご配慮で李王
李垠李垠-Wikipediaja.m.wikipedia.org李氏朝鮮李氏朝鮮-Wikipediaja.m.wikipedia.org李王家李王家-Wikipediaja.m.wikipedia.org李方子李方子-Wikipediaja.m.wikipedia.orgOperaTheLastQueenOperaTheLastQueenlastqueen.net高宗高宗(朝鮮)-Wikipediaja.m.wikipedia.
私が、この女性の存在を知ったのは下記の記事を拝読させて頂いた時だったと思います。その後、その事は綺麗さっぱり忘れておりました。悲劇の女性・閔甲完。一時、皇太子妃に『悲劇の女性・閔甲完。一時、皇太子妃に』時代の波に翻弄させられた女性がいる。釜山で、朝鮮王朝第26代王・高宗の4男、純宗の異母弟である李垠(イウン)と結納まで済ませていた女性である。しかし、約束…ameblo.jpなのに、たまたま見つけた別の記事で、この女性の名前を見つけたのです。それが、この記事になります。忘れられた韓国
深沢潮著「李の花は散っても」を読みました。李の花は散ってもかつて後の昭和天皇の最有力妃候補と言われながら、自身の李王世子・李垠との婚約を新聞の紙面で初めて知り、梨本宮方子は頽(くずお)れた――皇族でありながら政策によって李王朝に嫁いだ李方子王妃の数奇な運命…publications.asahi.com梨本宮方子(李方子)の話です。李方子については晩年に昌徳宮の楽善斎で暮らしながら福祉活動をされたということくらいしか知りません。あとは自分が朝鮮王朝の皇太子李垠と結婚することを新聞で知
1日の終わりに哲学で運命愛を深めるひと時。令和哲学者Noh先生とチームで開催している第716回令和哲学カフェ。「韓関係のアモール・ファティ!〜日韓兄弟国家宣言でワンワールドになる〜」弱肉強食の経済戦争から、尊厳・信頼関係を築ける道がある。今ここ、感動溢れるエンターテイメントな人生がはじめられる。月曜日:長野広樹さん火曜日:黒田麻衣子さん水曜日:大川真さん木曜日:堀江直樹さん金曜日:長岡美妃さん30年単位で日韓の関係性を解釈していきます。昨
📕李方子自叙伝流れのままに図書館で見つけて読みました。https://t.co/YiV3aV8IZA—Thanks😊✨🌷(@cafe_umineko)2022年11月16日伊藤博文の墓李垠と李方子の墓は#武蔵野陵と同じような形状です英園の入り口に鳥居が建っています流れのまゝに―李方子自叙伝写真集(1978年)Amazon(アマゾン)7,500円ソウル旅(7/21~7/27)の記録を綴っていきたいと思います。まずは今回の旅で一番行きたかった所場所は京義(キョ
2019年5月1日、新元号「令和」がスタート新元号「令和」のスタートは2019年5月1日でした。2015年に天皇陛下が「生前退位の表明」をされたので時間は十分にありました。普通は、1月1日、あるいは新年度開始の4月1日から施行じゃないですか?当時、「どうして5月1日(メーデーの日)なの?」と不思議に思っていたのですが、なんと!李氏朝鮮に関係があるのです世界平和統一家庭連合の創立記念日は『5月1日』(※世界平和統一家庭連合のwikiには1954年5月まで記載)ハイ、
今回ご紹介する本は、明治から昭和にいたる時代を舞台に、宮家(皇族)の縁談の内側を描いた小説です。軸となる縁談の二人は女性皇族と朝鮮の李朝の李家の男性です。この二人の結婚は、日韓併合下であったことから、両国の関係を強化を目的に女性皇族が犠牲的に嫁がされたものとして、女性皇族に同情的な目が向けられてきたそうです。ところが、その女性皇族の母である梨本宮伊都子(なしものとみやいつこ)妃の日記や関係者の発言記録から、宮家から勧めた縁談だったと作者林真理子が知り、この小説の誕生に至ったそうで
裏神道「陰陽道」その17<別稿:韓国・北朝鮮編その2>昨日書いた「池口恵観」(いけぐちえかん)氏に関する記事について、知り合いから直接質問が届いた。その質問というのは以下のようなものである。・北朝鮮との関わりは分かるが、韓国の方とのつながりが見えないがどうなんだろう?・在日韓国人・朝鮮人による日本支配が強まっているとはいえ、安倍晋三は韓国とは仲が悪いがそれはなぜなんだ?・北と南が一緒に日本を支配しようとしているのか?まぁ質問に答える企画ではないのだが(笑)。この連載
「李王家の縁談」林真理子文藝春秋梨本宮伊都子の日記を元に創作(部分的)された小説娘の方子とは従姉妹にあたる久邇宮良子女王が皇太子妃に内定我が娘に皇太子妃の可能性がなくなった伊都子は方子の嫁ぎ先にはそれ相応の身分の男子を探さねばならない維新の後、仏門に入っていた親王などが還俗して新宮家を立て宮家の数は増えては行ったが、年の釣り合う良い人材となるとなかなか見つからないそこで、はたと思い付いたのが朝鮮王朝の王世子(皇太子)李垠イ・ウン10歳で来日し、学習院から陸軍中央幼年学校、陸軍士
去年から楽しみにしていた、林真理子さんの📕【李王家の縁談】が出版されました🎊この本扉の🖼装画は↓3年前の誕生日にフレンチを食べに行った🏨赤坂プリンスクラッシックハウス(旧グランドプリンスホテル赤坂🏡旧館)https://akasakaprince.com/1930年に造られた「旧李王家東京邸」で梨本宮方子(まさこ)様こと、李方子(🇯🇵リ・マサコ=🇰🇷イ・バンジャ)妃と、その夫韓国世子李垠(🇯🇵リ・ギン=🇰🇷イ・ウン)の新居でした🏠昨年11月に📕出版されたので、12月に近くの本
この方のお写真、特に伊藤博文と一緒に撮った少年期の物は歴史の教科書にも掲載される程、有名でしたよね。李垠李垠-Wikipediaja.m.wikipedia.org李方子李方子-Wikipediaja.m.wikipedia.org王公族王公族-Wikipediaja.m.wikipedia.org李王家李王家-Wikipediaja.m.wikipedia.org李氏朝鮮李氏朝鮮-Wikipediaja.m.wikipedia.org大韓帝国
地下鉄3号線「安国アングク」で降りて4番出口を上がり、そのまままっすぐ行くと左手に「雲峴宮ウニョングン」の塀が続き、その先に入り口がある。敷地の奥に韓屋の建物が並び、その屋根越しに洋館が見える。この洋館は、今は徳成トクソン女子大の施設になっているが、もとは「雲峴宮」の一部だった。「雲峴宮」が一般に公開されたのは、1996年10月26日。1980年代には、まだ敷地内には建造物がゴタゴタと立て込んでいた。徳成女子大の横の路地を入っていった奥に1989年まで伝統韓屋を使った「雲堂ウン