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(すすむあきみどうしずまりおうぎひす)青蓮院は天台宗五か門跡の一つで、皇室、摂関家の方が住職を勤めてきました。現在は元宮家の東伏見慈晃門跡が、門主です。父は東伏見慈洽前門主で、香淳皇后の弟にあたる方です。親鸞聖人うへがみの御影親鸞上人が得度されたのが青蓮院です粟田陶隠木米記念碑
【食育クイズ:Vol.1877】「京都府」の「養源院」おさらいクイズ。血天井の霊魂を慰める為に描かれた「杉戸絵」の作者とは?↓↓↓↓↓↓問題は下記から↓↓↓↓↓↓∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞北海道大豆100%大豆ミートミンチタイプ200gAmazon(アマゾン)コッチラボ【国産大豆100%】大豆ミートプレミアムソイミンチ粗挽き鶏ミンチ風サラダ・スープに(1㎏)Am
京都浪漫江戸時代の美養源院にある俵屋宗達の杉戸絵「唐獅子図」同じく、俵屋宗達の筆「白象図」「唐獅子図」も凄いけど、「白象図」も独特な象の描写に引き込まれてしまいます。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
前回からの続きです次に向かったのは金閣寺その昔、金閣寺の方丈は特別公開の時で拝観したことがありますが、庭園とか撮り直したいなと行ってみることにしました嫁さんも久しぶりに見たいというのもありましたし😁・ダイジェストでも書きましたが、撮影は一切禁止でした😣・靴を脱いで上がります・解説あり何人かおられて、僕たちが聞いたのは女性の方でしたが、詳しく説明してくれて面白かったし、良かったです😊鹿苑寺の名称は、足利義満の法号から取られたもので、銀閣寺の慈照寺は足利義政の法号から取られたものだそ
智積院さんを出て京都国立博物館前を通り過ぎ三十三間堂さんの手前を左折して養源院さんへ以前お伺いした時は閉まっていたので初めての拝観です※養源院さんのInstagramに拝観日が掲載されています紅葉が美しい参道ですね~参道に白衣辨財天様養源院は文禄三年(1594年)戦国武将であった浅井長政の菩提を弔うために、長政の二十一回忌に長女·淀殿(幼名茶々)の願いにより、豊臣秀吉によって建立されました“養源院”の寺名は長政の法号から来ています。その後、元和五年(1619年)に火災
「ヨキモノヲツクル為ニ材料、手間ヒマヲ惜シマヌ事」を家訓に、220年の歴史をつむぐ京菓子の「鶴屋吉信」。本店1階に、日本画の上村淳之が描いた吉兆をあらわす杉戸絵の鶴と京菓子が絶妙なハーモニーを奏でていた。文・写真/渡邉雄二#鶴屋吉信#京菓子#220年の歴史#上村淳之#日本画#鶴の杉戸絵#絶妙なハーモニー
行く度に新たな驚きと感動を与えてくれます。始めは「三井八郎右衛門邸」。「杉戸絵」が素晴らしいです。(杉戸絵とは杉板に絵を描いた廊下の間仕切りなどです)可愛らしい鳥がそこここにいます。そして「襖絵」も。これは四条円山派の絵師によって描かれたそうです。江戸時代初期のお城にある狩野派の虎や松などの重厚な絵も好きですが、四条円山派の「花鳥風月」も素敵です。三井家と丸山応挙といえば「三井記念美術館」の「雪松図屏風」です。毎
多賀大社つづきです♫『多賀大社参拝と糸切餅購入♫』昨日は多賀大社へお参りしてきました♫境内には提灯がつけられていて、他にもポールが何本も立てられていました。8月3日から始まる万灯祭の準備のよ…ameblo.jp多賀大社は私の七五三の時からずっと参拝しているのですが一度も奥書院・庭園を拝観したことがなかったので今回初めて入ってみることに♫大人1人300円。PayPay使えました多賀大社のリーフレットも始めてもらいました入口から入る
09:30丹羽亀山城から京都駅に戻り、バス乗り場D2に行くと大大行列!200人以上は並んでた噂には聞いてたけどこれは無理。バスに乗れません!京都駅から養源院まで歩いて行きました1.2km16分で到着しました💨※拝観日はInstagramをご覧下さい4月は水・木・土日祝のみ10:00〜15:00養源院【公式】[養源院の公式ウェブサイト]養源院は文禄三年(一五九四)戦国武将であった浅井長政の菩提を弔うために、長政の二十一回忌に長女·淀殿(幼名茶々)の願いにより、豊臣秀吉
2015年11月4日京都駅から市バスで博物館三十三間堂前バス停まで乗車しました。さらに4,5分歩いて養源院に来ました。この寺は伏見城を死守する徳川普代の将・鳥居元忠と380余名の将士が最後に自刃した床板を、供養のために天井に使用したとされ、血の痕と言う黒いシミが見える寺として名高いです。見た感じでは評判程の印象は受けませんでした。参道本堂創建は文禄3年(1594)ですが、元和5年に焼失し、2年後に徳川秀忠夫人・崇源院が伏見城の遺構を移して再建し、以降は徳川家の菩
9月22日金曜日出町柳で食事とパン活をした後は・・・『食パン宝箱と観光列車ひえい』9月22日金曜日あずきさん・オレンジさんと京都までお出かけしてきましたこの日はあずきさんのリクエスト、・修学院離宮の見学・叡山電車の特別列車に乗車・…ameblo.jp出町柳駅から、観光列車“ひえい”に乗車して修学院駅で下車し、修学院離宮を目指して歩きました。駅から修学院離宮までは約1kmの道のり。道中には黄金色に染まる田んぼ、古いお地蔵様や道標が~修
こんばんは、mmm(まーママ)です。7月16日(日)祇園祭をはしごの旅。その前にこちらに寄り道しました。鯨組主中尾家屋敷佐賀県唐津市呼子町呼子3750-3観覧料:一般210円無料駐車場は、建物の斜め前にあります。この天井のたかいおうちは、江戸時代に鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷として建てられた建物です。子クジラもいるよ中の間、座敷を囲むように、周囲3ヶ所に杉の戸板に描かれた障壁画(杉
銀座のポーラミュージアムアネックスで開催中の木村英樹展へ行ってきました斬新とは違いますが、思い切りのいいタッチ沖縄の紅型と似た感じ(技法ではなく、作品の雰囲気です)凄い!反対側に回ると全く違う世界観でカラフルこちらの作品は↓障子なのだそうです後ろの壁はこちらの展示準備の中に木村英輝氏が急遽描き加えたそうですこの絵の前で、うるさいアラフィフだかアラカンの女性グループがいてうるさいのなんのって、わたくしが言うのもなんですが、はしたないというか下品と言うか声が大きい、写真を撮影する
養翠園(ようすいえん)は和歌山市にある個人所有の池泉回遊式庭園で、国の名勝に指定されています。これは御三家のひとつである紀州藩10代藩主・徳川治寶によって1826年西浜御殿内に造営された広さ33,000㎡の大名庭園で、養翠園の名は三条実美の祖父・公修が命名しました。この養翠園は和歌山湾沿いにあり、海水を引き込んだ「汐入り」の池が最大の特徴で、潮の干満に応じて水位が上下します。この池に三ツ橋と中島を挟んで太鼓橋を渡した堤は、中国蘇州の西湖の堤防
今回の京都旅行のハイライト養源院。時節柄花の話題を先に入れたので、やっとたどりつきました(笑)。養源院を目指したきっかけは本文最後の方に記すとして、先に本日のブログタイトルの意味の説明から。こちら、俵屋宗達直筆の杉戸絵『唐獅子図』、『白象図』、『波に麒麟図』(および今回見られなかった襖絵『松図』)があることで知られますが、この杉戸絵などは博物館に移動したらまったく意味合いが異なってしまう、この場所にあるからこそ、絵に施した工夫が生きる、と気づいたのです。つまり教会の祭壇画と同じ
2022年10月に行った京都旅行記を綴っています。京都旅行3日目本能寺を訪問した後は旦那さんが行きたい所に行く時間。まずは京都御所を訪れました。2人とも初訪問です。入門する前に私は駐車場で気になるものを発見。きのこ。色はナメコみたいだけどぬめりが無い。何のきのこかわからないけど道端でこんな風に株で生えてるきのこ見たことないので記念撮影。きのこの上には大量のどんぐりが生ってました。幼少時代野山でワイルドに遊ん
寺院でよく見かける戸板に描かれている絵。京都の歴史ある寺院だと国の重要文化財に指定されているのも多い。哲学の道沿いにある南禅寺塔頭の「光雲寺」には、以前紹介した俵屋宗達の兎が描かれた戸板の他に、室町時代に狩野派2代目として活躍した狩野元信が描いたアオサギの大杉戸絵がある。この杉戸絵が目に焼き付いて離れないほど印象深い。杉の強烈に浮き上がる木目とアオサギが見事に調和され描かれている。木目が水面の波紋のように見え、せせらぐ川の中でアオサギが餌を探しているかのよう。たかが戸板だが、絹本や紙本とおな
江戸初期に活躍した絵師俵屋宗達は本阿弥光悦と並んで琳派の祖といわれている。俵屋宗達の絵でまず思い浮かぶのは、「風神雷神図」であろう。その他にも数々の絵が残されいまに伝えられている。その一つが南禅寺の境外塔頭の光雲寺にも杉戸絵として存在する。公開はされていないが、令和五年の干支である癸卯の兎が杉戸2面に描かれている。1610年代か20年代のものと思われるが、両面に白兎、黒兎など数羽が楽し気に戯れている。昨年、光雲寺を参拝する機会があり、仏殿や方丈などにある、日頃目にすることはない貴重な文化財
なんと、2日連続で美術館・博物館カテです。今、名古屋城では名古屋城秋まつりの最中で、様々なイベントが順次開催されています。そこで、私も先日、ぶらっと名古屋城公園へ行ってきました。名古屋城自体へは現在入られませんが。公園内にある「西の丸御蔵城宝館」がこの日の目的地です。いつもメインの正面入り口ではなく東口から入る私はずっと歩いて反対側まで行かなければなりません。途中、こんな看板が出ています。そして目的の場所へ着きました。昨年の秋にオープンしたばかりの、新築の建物で
(21日、日曜日のこと)三十三間堂のすぐ近く。洛東の名刹【養源院】俵屋宗達筆の杉戸絵が有名ですが、唯一現存する宗達筆のふすま絵、岩に老松図寅年俵屋宗達筆白象図デフォルメされて杉戸サイズ目いっぱいの白象唐獅子図(寅年限定)と白象図の特別な御朱印もいただきました。きっと豊かなご利益あります★◆★
No.10今日の1枚のアート。今日のワンコ(←勝手に名付けた)展示場所は東京・上野東京国立博物館《朝顔狗子図杉戸》円山応挙1784年今から約240年前の作品。杉の扉に描かれています。朝顔と戯れている、子犬たち。江戸時代でも、カワイイさって、変わらないんですね。●《朝顔狗子図杉戸》部分▼部分写実の技の冴える、円山応挙の作品。青と緑と白の展開が、夏らしい雰囲気が出ています。子犬たちの姿の「かわいさ」は言葉にで
…俵屋宗達の杉戸絵「白象図」や客殿の「血天井」で知られる寺院は?東山・三十三間堂(蓮華王院)に近接する、かつての天台宗寺院は、「養源院」。秀吉の側室・淀殿が文禄3年に父・浅井長政の菩提を弔う為に建立、長政の法号を寺名とした。元和5年に焼失するが、淀殿の妹・崇源院(スウゲンイン・徳川秀忠の妻)が秀忠に願って伏見城の遺構を移築・再建した。客殿(本堂)の血天井は伏見落城の折、鳥居元忠らが自刃した廊下床板を天井にしたもの。「白象図」など杉戸絵は
杉の板に日本画を描く杉戸絵を日本画家の先生に教えていただきました。図案は描きたいものを選びました。。。。こちらを描きたいです!シュッと差し出しますと先生は「ああいいですネー!」とおっしゃり続けて「この絵の向きはこうですよ。」シュッ。錦谿「梔子に冠郭公」日本画の知識0ゼロです私。第1日目。杉の板に下書き。最初は白を
遠くに行く用事があったのでウオーキングを兼ねて歩いていると立派な寺院が目に入りました参道の先にある山門も歴史を感じます山門横には出羽三山(羽黒山月山湯殿山)の百番供養塔が立っていました中に入ってみると狭山三十三観音霊場2番奥多摩新四国霊場八十八ヶ所73番の『佛蔵院』とあり山口貯水池に沈んだ旧勝楽寺から昭和初期に現在地へ移転したとのこと本堂には江戸後期の画家『石川文松』が描いた杉戸絵があるようですが時間がないので次回ゆっくり鑑
姉妹旅行の続きです日光田母沢御用邸記念公園、しっかり堪能してきました今回は杉戸(板襖)絵です邸内にはたくさんの杉戸絵がありました多くの襖絵や杉戸絵は紀州徳川家の江戸中屋敷から移されたとの事です岩二波舞鶴(いわになみまいづる)これらの障壁画は紀州藩お抱えの絵師ばかりではなく、月二梅(つきにうめ)狩野家や住吉家、幕府御用絵師など多くの絵師が参画して描かれたとの事です高砂画題も松竹梅などを扱った吉祥図や物
元興寺の近くにあります、築100年を迎えた町屋、今は、にぎわいの家として、町屋の良さを伝えるコミュニティの場、イベントもいろいろされているようです。玄関上がり框、竹ですね。引き違い戸が舞良戸だ!茶室。掛込天井。網代天井に竿縁天井。落し掛けは、名栗仕上げ、と数寄屋風フルスペックの天井です!こちらの町屋、何がすごいって、絵です!絵と言っても、障壁画、と言っていいのかな。これは、床脇の地袋。杉戸絵です。ええ!すごくないですか。天袋
縁切寺満徳寺の南側に位置する天台宗医王山和光院永徳寺は大同元年(806年)宥海上人(天台宗の開祖最澄の弟子)によって創建された関東初の天台三道場らしい薬師如来を信仰していた新田義季がこの地に居を構えたときに祈願所としています本堂(脇の小さなお堂は子育地蔵堂)ご本尊:薬師如来本堂内の杉戸の絵は53枚もあるらしい不動尊堂境内にあった徳川家康公を祀った権現堂は徳川東照宮の拝殿として移築境内の石塔・石仏庚申塔お勧めはさつきの季節「さつき寺」と言われているのも分るよ
伊居太神社から歩いて約10分呉服神社にやって来ました。呉服と書いて〝くれは〟と読みます。~御縁起~大阪府呉服里(くれはのさと)池田市にかしこくも鎮座まします。日本最初「繊維の祖神・呉服大神(くれはおおかみ)」の御由緒を申述べます。人皇第15代応神天皇の御代に猪名津彦命(いなつひこのみこと)を中国の呉の国に遣わし、機織裁縫(はたおりたちぬい)の工匠をおもとめになりました。その時、久礼波(くれは)・久礼志(くれし)の二人を案内役として呉の国に趣き、呉王に乞うて呉服(くれはとり)・綾織(
6月某日、京都を通過し行く用があったので途中下車し、昨年来マイブームの俵屋宗達作品巡りをして来ました。まずは白い象の杉戸絵がある養源院。関ヶ原前夜の伏見城の戦い時の血天井も見所です。しかし、この日はまだコロナによる拝観停止中でしたまあ、ここは国立博物館の直ぐ近くなので、またセットで観に来ます。昨年、三十三間堂に来た時に、『直ぐ近くなんだろう』と思ってましたが、近くというより、お隣振り返れば、三十三間堂の朱色の門でした。養源院の隣は法住寺だし、
みなさま、こんにちはヽ(・∀・)ノ☆ワタシです。最終日、はじめに来たのは「養源院」過去2回、開いてなくて入れなかった養源院。開いてる!!やったー!血天井で有名なお寺ですが俵屋宗達の象の杉戸絵が見たいんだよねー。秀吉の側室「淀殿」のお父上浅井長政の菩提寺で「養源院」とは、長政の院号なんですって。と同時に、火災の後、徳川秀忠夫人「崇源院」が本堂を再建したので徳川家の菩提所でもある珍しいお寺です。残念ながら、中のお写真はありません。杉戸絵のポストカードくれたので、見てください♪