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盛重のゆかりの地巡り、鳥取県東伯郡琴浦町へ八橋城杉原盛重に限らず終焉の地へ来ると物悲しくなってしまう命を受けたとはいえ、生まれ育った広島県福山市の備後国から山陰の小さな町へやっとここまで来ることが出来ました道もコンクリートになってます…すぐ横にある看板もしっかり読めますトントントンとあがって行きます何の花でしたっけ?階段をつきあたって左へと進むと八橋城山稲荷神社こんなところに来てどんな気持ちだったんだろうと考えていたんですが海が近く、美しい風
毛利元就に仕えていた杉原盛重その盛重に仕えていた忍者は一番、有名なのは佐田彦四郎そしてその兄弟の甚五郎、子鼠その他に●安原神次郎●別所雅楽允●徳岡久兵衛今まで上記の三人を知らなかったので関係性を調べてみようと思う何か情報があればいただきたいですよろしくお願いします。
今回からしばらくは城巡り系は「ほぼ」オンタイムネタをご提供できます。写真撮影の日付からも約2年ぶりの城探訪に行ってきました。何回も目指して宿を予約しながらも公私両面で何かが起こり、頓挫してきた地域への出陣であります。初回は広島県福山市の神辺城跡です。旧備後国の城巡りをするなら絶対外せない激戦の地、名城であります。今の福山城が江戸初期に築城されるまでは、この地域の中心地でありました。ただ、以前までは守護府が置かれていたとされていましたが近年の研究ではそうではなかったようですが。
こんにちは、城跡で日本を元気にする「城跡で地域活性する活用専門アドバイザーで「日本マイナー歴史研究専門家」の原一六四(ひろし)です。さて、本日も「謀反・反逆・裏切りから見る戦国史」です。【前回の確認】尼子家復興を諦めない尼子勝久と山中幸盛(鹿之助)は、鳥取城を諦め因幡私部城を奪う戦略に出たが毛利家に阻まれる。だが再び、鳥取城を奪う事に成功する。だが、鳥取城を任した山名豊国が毛利家と通じていたため再び鳥取城を追われた尼子勝久と山中幸盛(鹿之助)。だが不屈の闘志で立ち上が
備後国の山城跡訪問シリーズです。広島県府中市(備後国芦田郡)から国道486号を西進すると芦田川と御調川の合流点の父石(ちいし)に至るが、ここから芦田川左岸にある県道24号に沿って上下町へむかって約7km進と落合という集落に達する。写真①、落合付近の芦田川でここに至るまで左岸は県道、右岸はJR福塩線が通っているが両岸には山が急に迫っている。下図は、これから向かう府中市久佐町(備後国芦田郡久佐村)の朝山二子城付近のイメージ位置図です。県道24号の落合から
飯山城(真庭市藤森)正保書上五四城の一で、「古城之覚」は真島郡藤森村の「飯山」として、城主不詳とする。「作陽誌」は「飯山城」として、山の背は桑瀬村に属し、安芸盛重という人が居城と伝えると記す。「美作鏡」は「飯ノ山城」とする。天保国絵図に「古城跡」とある。『真島郡誌』は城礎・空堀などが残るとする。『二川村史』は、城跡に城主を祀る飯山大明神があり、明治中期以後は黒杭地区の妙見堂境内に移され、高さ八寸ほどの木彫の素朴な鎧武者の立像が神体として残り、藤森地区の飯田氏・田口氏は城の落人と称しているとする
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【問題】杉原盛重とは、次のうちどの国の国人であったか?【選択肢】常陸国能登国阿波国備後国【正解】備後国【解説】杉原盛重は元は備後国の国人である。後に、毛利家の力が強まると吉川元春に見出されて重用され、主に伯耆国方面での合戦で功績を上げた。
伯耆国の尾高城に登城してきました鳥取県米子市尾高別名は泉山城米子市指定以前、夏前あたりに登城したら、すっごい草ボーボーで本当に草すごいんです、ココ。結構町の中だし指定だからお手入れちゃんとされているのかと思ったら…人が入れないレベルでした冬でこんなに草が残ってますからねせっかくの空堀がもったいないですよ土塁萌えしてしまいますね!素晴らしい空堀ですね夏は…草が尾高城といえば、山中鹿介が捕らわれて中の丸廓のトイレから脱出するお話が有名です遺構
上総国・久留里城日本百名城の旅-FC2里見氏の居城・久留里城』お盆休み山城めぐりの2城目は、上総久留里城に行ってきました。1535年(天文4)里見義堯はこの地を本拠とし、改めて古久留里城(..高松城の天守復元目指して署名活動高松城の復元を進める市民の会高松城の天守再建を目指しているNPO法人高松城の復元を進める市民の会は28日、高松市の丸亀町壱番街ドーム広場で、復元に向けた機運を高めるため、...赤穂でゆかりの義士展NHKでのドラマ放映前に神戸新聞赤穂城の二
標高284m・比高150mの江美城(日野郡江府町江尾)調査報告書の縄張図は、東西の表記が間違っており、実際には線路の東側に存在する。江美城は蜂塚氏初代の安房守の築城と伝わる。その後、二代三河守、三代丹波守、四代右衛門尉と、八十有余年に渡って続く動乱の時世に処し、堅固な要害と有力な武力を保有し、殊に城下領民を育て、鉄山と開田の技術を家業とする、和戦兼備の特色ある蜂塚氏一門の居城であった。尼子毛利の攻防続く中で、毛利の吉川元春は、軍勢3000に鉄砲隊を差し向け、その采を杉原盛重に命じた。この日