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大野雄大(中日ドラゴンズ・投手)郭源治(元中日ドラゴンズ投手)川上憲伸(野球解説者)小松辰雄(野球解説者)杉下茂(元中日ドラゴンズ投手)鈴木孝政(野球解説者)服部受弘(元中日ドラゴンズ投手)星野仙一(元中日ドラゴンズ投手)三沢淳(元中日ドラゴンズ投手)山本昌広(野球解説者)中日ドラゴンズの歴代投手勝利数だそうです♪1:山本昌広:219勝2:杉下茂:211勝3:星野仙一:146勝4:鈴木孝政:124勝5:小松辰雄:122勝6:川上憲伸:117勝7:服部受弘:
あなたは日記帳持ってる?▼本日限定!ブログスタンプ無いです…(*^^*)「アンネの日記の日」1942年(昭和17年)ユダヤ系ドイツ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められました。日記は、1942/6/12から1944/8/4までの約2年間が記録されています「バザー記念日」1884年(明治17年)鹿鳴館で第1回婦人慈善市という日本初のバザーが開催されました。上流階級の女性たちが手工芸品を持ち寄って開かれたそうです「恋と革命のインドカリーの日」日付けは、
杉下茂1925年9月17日~2023年6月12日右投右打投手中日ドラゴンズのエース、そして、日本で初めてフォークボールを投げた名投手。杉下茂投手は1952(昭和27)年61試合、25完投、6完封、32勝14敗勝率.696、355.2回、160奪三振、防御率2.331954(昭和29)年63試合、27完投、7完封、32勝12敗勝率.727、395.1回、273奪三振、防御率1.39以上のように2回シーズン30勝を達成しています。杉下茂は192
今回の伝説のシーズン30勝投手列伝は中日ドラゴンズのエース、そして、日本で初めてフォークボールを投げた。と言われている杉下茂投手です。杉下茂投手は1952(昭和27)年61試合、25完投、6完封、32勝14敗勝率.696、355.2回、160奪三振、防御率2.331954(昭和29)年63試合、27完投、7完封、32勝12敗勝率.727、395.1回、273奪三振、防御率1.39以上のように2回シーズン30勝投手を達成しています。杉下茂は1925(
NASCARオフシーズンは、タイ・カップとホセ・カンセコの自伝を読んだ。直近では、ベーブ・ルース自伝、マリアーノ・リベラ自伝を取り寄せている。ルースの自伝には、ベースボールマガジン社から数多くのメジャー・リーガーの自伝が同社から出版されていて、いつになったら全部読めるのだろう?なんて思っている。NPB選手の自伝は、なかなか出てこないが、自伝そのものを残さないという、「文化の違い」もあるのだと思う。慶応大学の創立者で江戸幕府なき後、明治政府に出仕せず、教育者として生涯を終えた福沢諭吉(183
おーいお茶足羽川・足羽山公園(2017年)4月9日は○食と野菜ソムリエの日日本ベジタブル&フルーツマイスター協会が制定。四(し)九(く)で「しょく」の語呂合せ。アボカド、アーモンド、銀杏、ドリアン、全て果物で、農水省の分類ではスイカ、メロン、イチゴは野菜になるそうです。回転寿司の「エビアボカド」や「サーモンアボカド」が美味しいので、いつも食べています。○よいPマンの日「P」の文字が「9」に似ていることと「よ(4)いP(≒9)マン」の語呂を合わせて、ピーマンの生産が盛んな、茨城県
天知俊一1903(明治37)年12月30日~1976(昭和51)年3月12日兵庫県西宮市出身。下野中学(現作新学院)を卒業後明治大学へ入学、野球部に入部し、大正時代から昭和初期の明治大学野球部黄金期の捕手として活躍。後に毎日オリオンズ監督になる湯浅禎夫投手とバッテリーを組んだ。1927(昭和2)年卒業後、大学、中学の審判として活動し、甲子園でも審判を務めた。同時に大毎球団でもプレーし、その後報知新聞記者として勤務した。戦時中に旧制帝京商業学校で監督をしていたとこ
スポーツ報知が選んだ歴代ベストナインだそうです先発投手:杉下茂中継ぎ投手:浅尾拓也抑え投手:岩瀬仁紀捕手:木俣達彦一塁手:落合博満二塁手:高木守道三塁手:立浪和義遊撃手:宇野勝外野手:中暁生福留孝介大島康徳野球殿堂博物館競技者表彰プレーヤー表彰得票数川相昌弘:254票:得票率74.5%小笠原道大:47票:得票率13.8%山﨑武司:26票:得票率7.6%競技者表彰エキスパート表彰得票数谷沢健一:35票:得票率23.3&大島康徳:1
中日ドラゴンズ※1952年~1953年は名古屋ドラゴンズホーム用・ビジター用1952年~1959年略年表1952年《ホーム用・ビジター用共通》ドジャース型の縦縞からライン無しのユニフォームを変更。帽子のマークがNになる。1953年まで。1954年《ホーム用・ビジター用共通》中日ドラゴンズに改称に伴い、左袖に中日新聞社の社章が入る。ビジター用がこの年のみ、胸ロゴがNAGOYAのものと併用する形でDragonsロゴのユニフォームを導入。1956年ビジター用のみ。胸ロゴが以前
どうしても?9月は?メモリアル?ええと少々?「コークオン」「コカコーラ」ともかく、、、メモリアルは?モノレール?イタリア料理?だけど生誕は?フォークの神様?黒のカリスマ!ええと、、、ガッテム?えっ、、、どうしても9月?メモリアル少々だが!生誕祭は?フォークの神様?カリスマなガッデム?#コークオン#コカコーラ#ドリンクチケット#モノレールの日#イタリア料理の日#杉下茂#蝶野正洋#バースデー#2025年9月17日pic.twitter.com/
あなたは日記帳持ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう持ってないです、ブログが日記帳のつもり…😁「日記の日」1942年(昭和17年)ユダヤ系ドイツ人のアンネ・フランクが「アンネの日記」を書き始めた日です。アンネ・フランクの一家はナチス・ドイツに追われ2年もの間、オランダ🇳🇱アムステルダムの隠れ家で生活していました「恋と革命のインドカリーの日」1927年(昭和2年)東京・新宿に中村屋が喫茶部(レストラン)を開設し日本で初めて「純印度式カリー」を売り出し
杉下茂1925年9月17日~2023年6月12日右投右打投手中日ドラゴンズのエース、そして、日本で初めてフォークボールを投げた名投手。杉下茂投手は1952(昭和27)年61試合、25完投、6完封、32勝14敗勝率.696、355.2回、160奪三振、防御率2.331954(昭和29)年63試合、27完投、7完封、32勝12敗勝率.727、395.1回、273奪三振、防御率1.39以上のように2回シーズン30勝を達成しています。杉下茂は1925(大正
ひとつ前の当ブログで触れましたが、5月25日の楽天VS日本ハム戦で、浅村栄斗選手(楽天ゴールデンイーグルス)が2000本安打を達成しました。日本プロ野球史上、56人目の達成者ですが、「平成生まれ」の選手では初ということです。「2000本安打」達成ということで、「名球会」に入れるわけですが、この「名球会」の発足時の名称は「昭和名球会」でした。今はどうなっているのかなあ。「昭和名球会」のままだったら、浅村栄斗選手は新たに「平成名球会」を立ち上げないといけないですね。この「昭和名球会」、何でわざわ
左から杉浦清、天地俊一監督、坪内道則助監督兼任1950(昭和25)年のプロ野球は8球団からセ・リーグ8球団、パ・リーグ7球団の計15球団と倍増近くになったことで、野球選手のランクの差や前年から採用されたラビットボールと呼ばれた「飛ぶボール」の影響でホームラン狂時代となった。セ・リーグの覇者、松竹ロビンスの打線は「水爆打線」と言われその打棒で、中盤から一気にぶっちぎり勝率.737という高率で優勝した。水爆打線の破壊力は凄すぎる~記録から見る松竹ロビンス1950年し
金丸夢斗(中日ドラゴンズ・投手)黒田博樹(広島東洋カープ・球団アドバイザー)杉下茂(元中日ドラゴンズ投手)西川史礁(千葉ロッテマリーンズ・外野手)藤本英雄(元東京読売ジャイアンツ投手)村山実(元阪神タイガース投手)若林忠志(元毎日オリオンズ投手)大相撲初場所横綱・照ノ富士が両膝に不安を抱えたまま強行出場するそうです!そろそろ引退かな?どうでもいいけど。。。金丸夢斗(中日ドラゴンズ・投手)5高橋宏斗(中日ドラゴンズ・投手)3大野雄大(中日ドラゴンズ・投手)2
中日ドラゴンズ歴代龍図版変遷図中日がニックネームにドラゴンズを採用したのは1947年♪日本野球連盟が各球団にニックネーム導入を提案したのが切欠!ドラゴンズの命名は当時親会社中部日本新聞の社長だった杉山虎之助の干支が辰だったことがその由来とされているそうです♪球団OBの杉下茂さんによれば杉山社長は当初ワシは虎だからタイガースにせい!と言ったそうなのだが社長タイガースはもう大阪が使っています!!と説明されそれじゃワシの干支は辰だからドラゴンズだ♪と鶴の一声な
本日放送された「サンデーモーニング」の『墓碑銘2023』に関連する私のブログを以下にてご覧下さい。↓http://blog.livedoor.jp/artmania_3-artmania_3/archives/92010519.html【『墓碑銘2023』と私】:artmania_3のblog本日(12月24日)TBSで放送された「サンデーモーニング」の『墓碑銘2023』に刻まれた方々に関連する私のブログを以下に。(鬼籍入り以前の記述もあります。冥福をお祈りします)2023年02月
今日紹介するのは元中日杉下茂さんです。フォークボールの神様と呼ばれ、戦後のプロ野球界で活躍されました。引退後は多くのチームでコーチをされて、90歳を超えて春季キャンプに参加されていた姿は忘れることができないと思います。返信は2年前にいただいたものです。墨を使って丁寧に描かれていてこの努力の文字を見るたびに背筋が伸びる気がします。今年亡くられたというニュースを見てとてもショックでした。これからもOBの方々は杉下さんのように1日でも長く元気な姿を見せてほしいです。ではまた明日。
プロ野球中日で2リーグ制の直後にエースとして活躍し中日にとって初めての日本一に大きく貢献した杉下茂さんが亡くなりました97歳でした1950年代に活躍したという事で、自分が産まれるずっとずっと前です現役時代を生で見た事はありませんそれでも多くの話が語り継がれていますから、名前は多く知られている大投手の1人です杉下さんといえば有名な愛称と言いますか、言われるのが「フォークボールの神様」ですよね日本で初めてフォークボールを投げたと言われたのが杉下投手です後に監督と選手(杉下
2023.9.17一夜明けて🏨を出てからこの日もバンテリンドームナゴヤへ向かいましたが半旗に。というのも、この日は6月に亡くなられたドラゴンズOBの杉下茂さんの追悼試合でした。入場時にはチアドラデーでもありましたので、オリジナルクリアファイルが来場者に配られゲットしました。なお、試合はドラゴンズ先発で、杉下茂さんの明治大学の後輩柳裕也投手が好投したものの…。試合終了後には今池にあるピカイチへ向かいましたが、今池まつりで賑わってました。いつもとはちょっと違う感じのメニューを、
この日は当初、ナゴヤ球場に行くつもりでしたが、推し売り子が出勤していなかったため、バンテリンドームに切り替えました(笑)この日は杉下さんの追悼試合であり、チアドラデーでもありました。チアドラのDステージを少し見て、ドームの中に入りました。座席はパノラマAの3塁側でした。この日は当日券がなく、満員御礼でした。バンテリンドームグルメ↓食べかけですが、チアドルチェ♪かなり甘〜い♪最初に食べたけど、これはシメで食べるべきでした(笑)#バンテリンドームナゴヤpic.twit
杉下茂(元中日ドラゴンズ投手)柳裕也(中日ドラゴンズ・投手)SUGISHITA20のマウンドで柳熱投実らず杉下さん追悼試合白星で飾れず遠ざけていたフォーク…高校時代に爪が取れ人差し指の感覚が…ワーストタイ11敗後半戦全9試合で援護点は1点以下8回4安打2失点117球3年連続で規定投球回数まったく・・・言葉が無いわ!!立浪和義(中日ドラゴンズ・監督)66高橋宏斗(中日ドラゴンズ・投手)36石川昂弥(中日ドラゴンズ・内野手)32大谷翔平(ロサンゼルスエンゼル
ひとつ前の当ブログでちょっと触れましたが、中日ドラゴンズの大エース・杉下茂さんは215勝をあげていますが、「名球会」に入っていないのは「昭和生まれ」ではないからです。「名球会」というのは昭和以降に生まれた選手に限っているのです。ですから、「打撃の神様」こと川上哲治さんも通算2351本の安打を放っていますが、大正生まれですから「名球会」には入っていません。結局「昭和」生まれ以降に限定したのは、金田さんが一番偉い立場にいたかったから、年上の人を排除したかったように見えますね。この「名球会」について
ひとつ前の当ブログで、6月12日にお亡くなりになった杉下茂さんについて書きました。杉下茂さんの代名詞になった「フォークボール」は、投げるご自身も「キャッチャーが捕れる範囲を超えていた」とおっしゃるのですから、バッターが容易に打てるわけはありません。それでも「フォークボール」で打ち取るのはゴマカシだと思って、そんなに放っていなかったというのもスゴいですね。杉下茂さんは通算215勝をあげていますが、「名球会」には入っていません。というのは「名球会」は正確には「昭和名球会」なのです。昭和生まれ以降
このところの当ブログで、6月16日に亡くなられた北別府学投手の背番号20は「永久欠番」にしてもいいのに……という話を書きました。同じく、現役時代に背番号20を背負った大エースが6月12日にお亡くなりになりました。杉下茂さんです。97歳で亡くなった杉下茂さんは「フォークの神様」と呼ばれ、訃報を伝える新聞記事も軒並み、この呼称を見出しに使っていました。ところが、後年の杉下茂さんのインタビューなど読むと、それほど「フォークボール」ばかり投げていたわけではないようです。杉下投手はあくまで「ストレート
6月16日のドラゴンズ、バンテリンドームナゴヤで北海道日本ハムファイターズと日本生命セパ交流戦の試合、その3連戦の第1戦が行われ2-1でドラゴンズ敗戦。先制してるんですが逆転されての負け、決勝点となる2点目の取られ方が凄く悔しい。そういう失点で先行されても試合前半でのこと、残りで追い付き追い越せでしたけど抑え込まれてしまう。ほんと悔しい負け方になった、この失点シーンは夢でうなされるレベルだ、ちょっとの事で防げた可能性もあるが、そう出来なかったのは残念だった。その場面、2死3塁1塁での重
プロ野球ファンの皆さんこんちは。既に先週のNEWSではありますが、往年の名選手の訃報が相次いで報じられたですな。「フォークの神様」杉下茂さんが12日に97歳で、「精密機械」北別府学さんが16日に65歳で、それぞれお亡くなりになりました(-_-)まず杉下さん。現役は主に中日で実働11年、通算215勝。最多勝、最多奪三振各2回、最優秀防御率1回。何より、昭和41年は阪神の監督(3位)そして、フォークボールを教えた投手は数知れず。「ボールの縫い目が見えた」「捕手が取れない
先日、「フォークボールの神様」と呼ばれた元中日投手の杉下茂氏がお亡くなりになられました。私はもちろん現役時代をを知り得ない世代で「伝説」として語り継がれていた投手のひとりでした。その杉下氏といえば、西武黄金期の1993年から2年間投手コーチとして西武のスカイブルーのユニフォームに袖を通した時期がありましたね。伝説の大投手が西武ライオンズの一員になった事を、当時の私は嬉しく思った記憶があります。写真は日刊スポーツより杉下氏をわざわざ縁もゆかりも無かった西武が招聘した理由の一つに森繁和
杉下茂氏、北別府学氏の訃報が届いた。杉下氏の現役時代は知らない。自分の中では読売の投手コーチという印象が一番強い。北別府氏は、打っても打っても得点出来なかった印象がある。記憶違いかも知れないけれど、神宮で12安打完封負けを喰らった事があったような(笑)。とにかく、コントロールが良かった。スライダーよりも、カウントを稼ぐ内角の真っ直ぐとシュートのコンビネーションが秀逸だったような気がする。球速は140㌔くらいだったと思う。投手はコントロールだという事を認識させてく