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江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。1725年5月19日死去。享年69ht
皆さん、こんにちは。いつもありがとう。一時休止しているテーマ「早慶大受験・正誤判定新研究」の目次(問51~問60)です。【目次】問1~問50までの目次は、以下をご覧ください。早慶大受験・正誤判定新研究72(目次1~10)早慶大受験・正誤判定新研究73(目次11~20)早慶大受験・正誤判定新研究74(目次21~30)早慶大受験・正誤判定新研究75(目次31~40)早慶大受験・正誤判定新研究116(目次41~50)【参考】「日本史の基本6(演習の方法論①-文
かんなべえきまえH05(1993).04.12〜菅茶山(朱子学者)の私塾・廉塾、菅茶山旧宅、黄葉山
問52標準レベル18世紀前半の一時期、政治の中枢にいた朱子学者が記した自叙伝の一節を示す史料として正しいものを、次の➊~➍のうちから一つ選べ。➊自業自得果して無力の事か。将軍此の如き犬死、古来其の例を聞かざる事なり。➋前代の御時、歳ごとに其出る所の入る所に倍増して、国財すでにつまづきしを以て、元禄八年の九月より金銀の製を改造らる。➌当時ハ旅宿ノ境界ナル故、金無テハナラヌ故、米ヲ売テ金ニシテ、商人ヨリ物ヲ買テ日々ヲ送ルコトナレバ、商人主ト成テ武家ハ客也。➍蛮