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明日の準備万端‼️昨日のうちにスタッドレスタイヤ🛞装着‼️冬は四駆も便利だよなぁ(笑)スタッドレスタイヤにして良かった〜^o^行かれなくなるとこだったよ(笑)山形道ってけっこう雪で走りにくい‼️みんな慣れてるはずなのに大雪だと事故だらけで通行止めになるんだよね(T.T)今から軽油満タン、ウォッシャー液満タン‼️タイヤを増し締めして💕進路の面接を4人こなして早めに風呂入らなくちゃ(笑)朝、5時起きかなぁ❓雪道だからプラス1時間だね(笑)本間光丘の予習もしたし^o^
東北旅行・4日目最終日。ようやく待望の良いお天気☀青空はやっぱり良いねぇ、ホテルの部屋からも鳥海山がようやくバッチリみえました。ホテルからもすぐ、の本間美術館へ。美術館自体は大した事はありませんでしたが、奥にある日本家屋と庭園が物凄かった。池や盛り土のあるかなり作りこまれた日本庭園。アップダウンもあるので庭の散策は足の不自由な人には結構大変。この日は丁度、酒田港に外国籍のクルーズ船が停留中だそうで、海外の老人達が町に溢れていました。よって、この庭園も大渋滞。良い観光収入源なのでし
夏の庄内漫遊3日目。11年振り3度目の酒田へ。<旅の行程>1日目:羽黒山→湯田川温泉2日目:鶴岡→あつみ温泉3日目:遊佐→吹浦→酒田4日目:酒田時刻は14時過ぎ。最初に訪問したのは、日本最大の豪商と謳われた本間家の旧別荘地に建てられた美術館。酒田駅から北へ徒歩5分で到着です。◆本間美術館◆*入館料¥1,100(旧本間邸共通券¥1,700)元は文化10年(1813)、本間家4代当主・本間光道が建てた別荘と庭園でした。昭22和年(1947)に
秋の夫婦旅行。今回は二泊三日で山形県まず酒田市。米蔵として使われていた山居倉庫。建物の周りのケヤキと建物の様子がとてもいい。豪商の本間家旧本邸。華美さはないがしっかりとした佇まい。本間美術館の庭園と清遠閣。昭和天皇の皇太子時期に宿泊された素敵なところでした。土門拳記念館。中の写真展示もですが、建物そのものがすごい。建物の中からの景色。外からの建物の映え方。よかったです。羽黒山神社の国宝五重塔。杉並木の中の立派な姿でした。山形市の山寺。ボツボツと石段を登り奥之院まで。日本海沿いの
桃が終わり柿が始まる前の今の時期は行楽シーズン。2泊3日で山形へ行ってきました。東京から上越新幹線で新潟へ新潟から羽越本線で酒田へお〜!海だ!変化に富んだ美しい海でした。酒田駅近くでレンタカーを借りて市内観光へ。山居倉庫期待通りの素敵な所でした。周辺を散策本間美術館敷地内にある庭園と本間家旧別荘「清遠閣」が美しかったです。土門拳記念館広い飯盛山公園の一角にあります。展示内容もですが、建物自体が素晴らしい。お泊まりは湯野浜温泉へオーシャンビューですね〜♪海辺で夕暮れ
朝は、はじめての手稲にて札幌市西はずれ手稲山が背後に標高1000m超えますよね。そのおかげ?でフェーン現象起こることがあり、高温の場所として伝えられることがある。また!私の初スキーは手稲スキー場なのだ!大学卒業寸前!ボーゲンが踏めなかった。手稲はむかーしから駅あったな。初渡道のころは桑園か琴似の次がもう手稲だったように思うが記憶違いか?今朝は自由な状況・・・東の方か北の方へ行き何なら
2025.5.5酒田の本間家にやってきました。江戸時代、日本一の大地主と言われたお屋敷です。こっちは別館の旧商店だったほう。広々とした造りでした。こっちが本邸です。残念ながら中は撮影禁止でしたが、日本家屋によくある部屋を細かく区切って広く見せる手法でした。そして、日本一の大地主にしては、解説担当のひとが言っていたようにそこまで大きくはないものでした(それでも広かったですが)。今日はこのあとは、酒田のもう一つの名所・山居倉庫に向かいます。
「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」という俗謡に唄われ、江戸時代酒田の豪商本間家。殿様に年貢を納めるより本間家の小作になった方がよいと百姓衆が言ったとか。北前船で賑わった本間家旧本邸を見学。室内の撮影は不可だったので庭や建物の外観を。1768(明和5)年、本間家3代光丘が藩主酒井家のため、幕府巡見使用宿舎として建造した、旗本二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。その後拝領し、本間家代々の本邸として使用されたのち、1949(昭和24)年から1976(昭和51)年までは中央公民館、1
さて、夜通し動画を見たり、うとうとしていたら約8時間の長旅もあっという間(?)に終了。高速バスは早朝に田舎に到着天気がそれほど悪くなかったのでウチに戻る前に、ちょっと街中を散策してみることにした。東北の日本海側は10年に一度の大雪とニュースでさかんに言っていたからどんだけ降っているんだか…と心配していたがこの辺りの積雪はこんなもん。市役所前に展示してあるこちらは市のシンボルである大獅子「松」と「桜」。こうした獅子頭は16体あるそうで市内のあち
「土門拳記念館」の招待券をいただいたので山形県酒田市まで行ってきました。(土門拳さんは、昭和を代表する写真家です)土門拳記念館ホーム|山形県酒田市土門拳記念館www.domonken-kinenkan.jp前々回の記事土門拳記念館〜舟盛ランチ〜日枝神社『土門拳記念館(酒田市)』「土門拳記念館」の招待券をいただいたので山形県酒田市まで行ってきました。(土門拳さんは、昭和を代表する写真家です)土門拳記念館ホーム|山形県酒田市土門…ameblo.jp前回の記事『白ばら
本間家は鎌倉時代から戦国時代まで佐渡を支配した本間氏の分家筋日本最大の地主と称された大庄屋であり豪商で、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇った本間家ですが、戦後の農地解放により1750ヘクタールあった農地農地、本間家に残ったのは4ヘクタールのみとなりました。下の写真の右側に(半分しか写っていませんが💦)は樹齢400年以上の赤松。本間家では「門かぶりの松」とも呼ばれています。本間家旧本邸は、本間家三代、本間光丘が幕府の巡見使一行を迎
本間家能舞台の会7月28日、佐渡市吾潟にある本間家能舞台で「本間家能舞台の会」が行われました。「神月会」の皆さんが仕舞、舞囃子、素謡、能「半蔀」などを披露しました。佐渡の能楽、とても素敵♪(2024年7月28日)佐渡本間家能舞台本間家能舞台の会が行われました能「半蔀」
真野御陵など2009年6月1日(月)の佐渡旅行の様子をご紹介しています。佐渡・車中泊の旅2日目、2009年6月1日(月)道の駅「芸能とトキの里」にて6時起床、外気温15℃、天候曇りのち晴天。▲ジェンキンスさんは元気です起床して、トイレへ行く途中、こんな看板を見ました。北朝鮮の拉致被害者「曽我ひとみさん」の夫です。佐渡歴史伝説館で頑張ってると。調べて見たら、彼は在韓米軍の兵士で北朝鮮に亡命。曽我ひとみさんと結婚し、日本人拉致被害者の帰国とともに日本に帰って来た
酒田は北前船の交易で発展した湊町「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われた豪商本間家を訪ねました。旧本間家本邸は、本間家3代光丘が幕府巡見使の本陣として建て藩主酒井家に献上し、その後拝領し本間家代々の本邸として使用しました。書院造りの武家屋敷と本間家が生活した商家造りが一体となった全国的にも珍しい建物です。本間家の人は薬医門や長屋門の出入を憚り、日常は脇の木戸を使っていたとのこと。樹齢400年以上の赤松が玄関の屋根に覆いかぶさるように生えており、本間家では「門かぶりの松
酒田駅からスタート清亀園へ行ってきました。本間家と並び大地主、伊藤四郎右衛門氏の別邸として明治時代に建てられたお屋敷と庭園。山田挿遊によって作られた庭。庭園は、自由に見学できるようですが、現在予約した時しか建物の中は、見学できないようです。池には、鯉が泳ぎ〜歩いてさんぽ〜。まだ知らない車では、気づかなかった場所が
3日目はかなり長距離の旅になります。花巻から秋田方面へ横断し、横手、大曲をへて高速を降りて、日本海方向の由利本荘に向かいました。楽しみにしていた霊峰鳥海山がさっそく出迎えてくれます。この画像は仁賀保から見えた鳥海山の雄姿です。まだ秋田県です。山形県に入り吹浦というところに十六羅漢岩がありました。岩に仏様が彫られているのです。当時、地元漁師の供養のために彫られたのだそうです。よく見ないとわからないかもしれません。そして、いよいよ庄内らしい風景が見えてきました。遊佐町付
皆様、ご機嫌YOです!戊辰戦争において不義の徒とも言うべき西軍は江戸を落とした後、奥州にその毒牙を露わにしました。それに対し奥羽越の諸藩は奥羽列藩同盟を組んでその野望に立ち向かうも、錦の御旗と物量作戦に勝てず、長いものに巻かれた裏切者まで出る始末でした。そんな中で西軍に戦術的には勝ち続け、奥州の意地を示したのが庄内藩です。そんな庄内藩の強さはいったいどこから生まれたのでしょうか?今回は庄内藩の強さの源を一緒に見ていきましょう。
日枝神社天明4年(1784年)本間家3代当主本間光丘によって建立されました。今の季節花と言えばサザンカだけです。色の無い世界にひとり気を吐いています。美味しいパンやパスタがいただけます。映画「おくりびと」のロケ地にもなりました。リフォームされて美しくなりました。日和亭日枝神社の向かいにあります。
*12月10日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは幕末の庄内藩。本日がシリーズ最終回、庄内藩始末のおはなしです。あんみつ「しらたま先生、九月八日に改元が成され、慶応四年(1868)は明治元年になりました。仙台、米沢に続いて九月二十三日、会津藩降伏。これを受けて二十五日に庄内藩も停戦します。奥羽越列藩同盟の戊辰戦争は終結しました」しらたま「幕臣の抗戦は、
江戸時代北前船の拠点として栄えた酒田豪商として名だたる酒田本間家本間家旧本邸へ建築様式は武家造りと商家造りが一体となっており珍しいらしい・・・かなり広いお屋敷deビックリこの松の木は樹齢400年以上らしいギフトショップでは商いに使用さ
お子さんの生徒さんとの関係性で指標にしていることがあります。それはトイレに行きたくなった時素直に言い出してもらえるかどうか。私は子どもの頃、「渡る世間は鬼ばかり」というドラマが大好きでした。(敬語は、渡鬼から学んだと言っても過言ではないほど)その中で小学校へのお受験で試験中に子どもがトイレに行きたいと申し出てママは絶対落ちた…と思ってるんだけど学校側は、はっきりと自分の意思が言えることを評価して合格になるという回があるのですが。(リアルお受験で、実際にあったエピ
羽黒山を出て酒田でお昼と思いましたが、もう一時頃なので途中のお店で良いやって入りました。羽黒高校の隣りでした。俳優さんの名前は忘れたけど、ルパンの娘のお爺さん役をしていた方のような強面の店主さん。二人で冷やしラーメン🍜にしました。私は限定カツ丼を頼んだけどご飯がもう無いって言われ冷やしラーメン🍜にしました。お話しすると強面こら優しい顔になり話しやすかった。隣に飾ってある法螺貝の話をして教えてくれました。山伏さんとも記念撮影した後でしたからね。本間美術館でお庭を見て、その後旧本間邸
ブラタモリセレクションNHK7月20日(木)23:50~0:35『山形・酒田~山形・酒田はなぜ日本の中心!?~』「#113山形・酒田」(2018年9月29日放送)追記…*ブラタモリ#243【7月22日(土)は「山形」。こちらもお楽しみに】「山形~山形は何度も生まれ変わる?~」山寺はなぜ信仰の聖地に?山形初代藩主の最上氏は全国有数の大名だった?▽新生山形の立役者は紅花と明治の都市計画19:30~20:15*番組内容…*川沿いの倉庫(山居(さんきょ)
酒田に期待したのは、郷土料理、本間家での茶、相馬楼の舞妓さん、、、観光案内書で地図をもらって、ランチを取りながら、スケジュールを詰めた。酒田着が12:24、本間美術館、本間家旧本邸の最終チェックイン16:30、相馬楼、15:30、、、この3か所は、思ったより離れていて、初めてのところということもあって、徒歩移動30分ずつ見積もった。時間があまりないことに気が付いた。本間美術館の清遠閣での抹茶は良かった。お庭(鶴舞園)を見ながら、、、鳥海山を借景に設計されたも
明日からの東北旅行、、、米沢、酒田、盛岡は、初訪問、、、宿と列車の予約が完了、、、お天気は、いまだに気になっている、、、酒田が雨になりそうだ、、、初日は、米沢、、、上杉家墓所に行く。会津若松の松平家墓所に圧倒されたからだ。二日目は、酒田、、、本間家に行く。昔の凄い資産家だったらしい。家、庭を見て、茶が飲めたらと思う。ついでに、美術品、、、三日目は、盛岡、、、ニューヨークタイムズ紙で、2023年に行くべき52か所として、ロンドンに続いて、2番目に紹介さ
山が田のヤマガタ米どころ、酒田の女性は力持ち五・・・五俵ですよ~。300kg背中にひょいと乗せてすたこらさっさと歩く真似はできても、欽ちゃんらコント55号もできないよ。一俵でも60kgだからね。こんな事を毎日やらされていたら身体はボロボロを通り越してしまう。寝込んで早死してしまうと思うよ。これをやらせていたのはあの「本間家」かオネーサンの山形弁講座㉔#Shorts#どすコイ#どすコイやまがた#TUY#テレビユー山形#大塩由起#勝手
小林綾子さんと2人で、ユニットを組みました。toa-toaとあとあ。朋子の「と」綾子の「あ」2人で楽しい事したいと、ずーーっと考えてた私。朝ドラで注目されて『渡る世間は鬼ばかり』に家族として登場したふたりは誰?って、まるでクイズになりそうな私たち。本業の女優として、2人で出来る事を楽しく実現させてゆきます!朗読と、そして、おしゃべり。長子と由紀で、何すんの⁉️って感じでしょ😆裏話は、たーくさん持ってる私たち!ご来場の方にだけ、そっと話しちゃいます。そして、少し、2人の
2018夏の旅新潟北部~山形中西部(8/9~18)その39山居倉庫8/16(木)③今日の天気は大荒れ、突然雨が激しく降ってきたかと思うと、今度は突風に見舞われ、酒田ってのはこんなところだったかと、驚いた。予約したグリーンホテルは、山居倉庫から川を隔てた向かい側にあった。窓からは倉庫の並ぶ様が見渡せる。素泊まりのルームチャージが八千円程度の安宿だが、中は二部屋あり、これでほとんど不満はない。部屋で一息ついている間にどうやら雨も上がり、橋を渡って倉庫の見物に出かける。歩行者専用のこ
植草克秀くんが初演出の『ターキー・ザ・ストーリー』を観てきました。水の江瀧子さんの青春を描いたレビュー作品。なにせ、日向子こと、大谷玲凪ちゃんが出てるのですから観ないわけにはいきません。バレエで培った踊り。素晴らしかった。美しかった。これは親バカではなくて、本当に。所謂、ダンサーさんのような身長はないけれど、手や足のしなやかで、メリハリがあり、歌詞とリンクした動きは、本当に素晴らしかった。大人になってからの玲凪ちゃんの演技を舞台で見るのは初めて。ドキドキしていましたが、こちらも
「本間さまには及ぶもないがせめてなりたや殿様に」江戸後期。西の堺、東の酒田とその繁栄を誇った山形県、酒田市。この頃、物資を運ぶメインは船。東北の豊かな幸を、日本海を経て瀬戸内海に入り、大阪へ運ぶ。大陸に近い日本海側が表玄関であり、海が荒い太平洋側を通り、江戸に行くよりも穏やかな瀬戸内海つたいで天下の台所、大阪に向かうのが常。酒田は、その寄港地として物資が集まる大拠点。その酒田の繁栄を支えたのが、日本一の大地主、と呼ばれた酒田家。始まりは、鎌倉時代で、