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秀吉はお市の方(信長の妹)が好きだった!とよくドラマなどで描かれます。が、そんな記録はありません(確か)。光秀「敵は本能寺にあり!!」迎え撃つ信長「是非に及ばず!!」という名シーンもよくありますが、そもそも誰も見たことがありません、、面白いもので何かのドラマなどで大ヒットすると、知らず知らずのうちに意識に刷り込まれていくように感じます。良くも悪くもフィクションですね。明智光秀の肖像画です。温和な性格そうに見えます
NHKのドラマ「京都人の密かな愉しみRouge-継承-」が放送されています。何年ぶりかなぁ~~~(^。^)y-.。o○ここしばらくは「ミラノ・コルティナオリンピック」開催中で番組はお休み中ですが・・・エンディング曲として流れているのが「MalTakéEbisu」(フランス語混じりの京都の通りの数え歌)です。その歌が聴ける装置が御池通りにあると知って出かけました。いつもは寺町通りから入る「本能寺」、今日は御池通りの方からお邪魔しました。
スチールタングドラム買いました本能寺の向かいの民族楽器屋さんふわりふわりと音が響きますmailto:piano.pochiko@gmail.comONETONEONETONEワントーンタングドラムDメジャースケール11音10インチNavyONETONEネイビーOTTG-10/NV楽天市場6,940円タングドラムスリットドラムONETONEOTTG(アクセサリ&楽譜集付き)【10インチ6インチ11音8音OTTG-10OTT
私みたいな人は「お金神社」、普通の人は「御金(みかね)神社」と呼びます豪華な金の鳥居お参り願い事はただ一つ軒瓦にも金絵馬も金絵馬がいっぱい奥にもあります御池通りを東へ大きな太陽のモニュメント直径12mあるそう京都市役所が見えてきました本能寺隣の本能寺ホテルのカフェでまたさんざん話京阪三条から帰りました
天正十年六月二日、夜明け前。織田信長は本能寺の奥の間で、外の騒音に目を覚ました。馬蹄の音、鬨の声、そして鉄砲の音が響いている。「殿!明智日向守の軍勢にございます!」森蘭丸が血相を変えて駆け込んできた。信長の心に、一瞬の驚きが走った。光秀が、あの光秀が己を裏切ったのか。「是非に及ばず」信長は静かに呟いた。四九年の生涯が頭の中を駆け巡る。常に死と隣り合わせだった。光秀の怨みか、野心か。もはやそれを問うても詮無いことだった。「蘭丸、弓を持て」信長は立ち上
庭に面した部屋は、無駄のないしつらえでありながら、戦支度の気配が薄く漂っている。甲冑の置き場、手入れされた槍の並び、緊張と静謐が同居する空気。利家らしい、武断と几帳面が同じ器に収まったような空間だ。その張りつめた座敷に、ひときわ柔らかな影が歩み出た。利家の妻、まつである。几帳面に着物を整え、深々と頭を下げる。その姿に、私はふと息を呑んだ。若い頃から武家の妻として生きてきた者だけがまとう気高さと節度。その両方を、彼女はひっそりと纏っていた。「濃姫様……まさか、このような折にお目にかかれるとは。
織田信長といえば、「天下布武」と「楽市楽座」。「天下布武」を実現させる強い軍事を支える経済の「楽市楽座」。堺を武力で屈服させて直轄領とするなどして高い経済力を自分のものとし、安土城下町に楽市令を出して、商工業の自由な営業活動を重視した。このようにして信長は天下統一を完成しつつあったが、独裁的な政治手法はさまざまな不満も生み、本能寺で明智光秀に背かれて敗死した。と、日本史の教科書に書かれています。対比して現在。高市首相が衆議院を解散、総選挙になりました。「私が総理でいいのか国民に判断
高市もいずれ迎える本能寺
以前お世話になっていたGooブログの記事2021年2月1日から2025年9月19日迄のものが、当ブログへの引越しが出来ないままで大変困っている。そのなかにこの「本能寺からお玉ヶ池へ」の1~24が入っていて大変申し訳なく思っている。幸い原稿が残っているので何らかの形で復元に努めたいと思っている。ご報告をいただいているのは、明智光秀の御子孫であり、東京調布市の吉祥寺病院にお勤めのDrである。病院の季刊誌に長く掲載を続けておられる。織田信長と明智光秀の御子孫が幕末以降手を携えて日本の医学に貢献され
真田幸村最期の地天王寺安居神社にてなんとなく撮った写真おわかりいただけただろうか?どーん。『真田幸村最期の地安居神社へ』天王寺へ安居神社⛩️へ安居神社少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社です。大坂夏の陣で戦死した真田幸村の記念碑が建てられています。osaka-in…ameblo.jp結構な確率でオーブが写ってる『本能寺が変⚠️霊感の強い人閲覧注意』ヒルトン京都でランチ始まるまで時間があったので近くの本能寺へ散歩がてら行ったらですよ本能寺が変♪本能寺が変♪本能寺
そうか、今週末は選挙とオリンピックが重なるから「豊臣兄弟」はお休みか。人質になって梯子を外された藤吉郎の運命やいかに、てゆうか松尾諭さんの次郎左衛門はどうなる、の話は再来週に持ち越しです。ところで、「どうして、信長の妻の帰蝶(濃姫)が一向にドラマに出てこないの?」と、界隈がザワついていますが。帰蝶は、「豊臣兄弟」には、出ないでしょう。だって、そのぶん「お市(宮崎あおいさん)」の出じろを増やせるから、です。今年のお市は、あきらかに、普通なら信長の「妻」がやるような役割を担っています。
歴史には同一局面は有り得ない。人も物も時々刻々に進歩し、変化する。時代は変わるのである。戦も、公共事業も、金融も、商取引も。くろうとはそれを知らない。いや認めようとしない。変化が怖いのである。池宮彰一郎著「本能寺」下巻より新しいスマホやPCを完全には使いこなせなくなった解らないことが多い必要な事だけ使用できれば良いと持っている新しいことにつて行けないのだ老いを感じる。若い頃は新しい変化を楽しんでいたのに変化が怖くなった。シーラ
本能寺の続き『本能寺が変⚠️霊感の強い人閲覧注意』ヒルトン京都でランチ始まるまで時間があったので近くの本能寺へ散歩がてら行ったらですよ本能寺が変♪本能寺が変♪本能寺の変やね。ここから注意⚠️おわかりいただけた…ameblo.jp本能寺にある信長のお墓ここではオーブ映らずそういえば家康の墓1月中に三英傑の2人の墓参りするなんて!!あと1人ゲットしたい!!豊国神社豊臣秀吉公を祀る豊国神社の総本社。北政所おね様を祀る貞照神社も鎮座し、出世開運・良縁成就の神様として崇敬されています
ヒルトン京都でランチ始まるまで時間があったので近くの本能寺へ散歩がてら行ったらですよ本能寺が変♪本能寺が変♪本能寺の変やね。ここから注意⚠️おわかりいただけただろうかもいちどなんとオーブが写ってるの。右上↗️はぼんやりだけど白いオーブ真っ黄色こちらは黄色い丸のオーブ参考までに写真お借りしました。はいーなんもなーいオーブは霊体が写ってるとも言いますが実は比叡山でもオーブ撮れたんですよね。(動画ではバッチリ)(信長と関係するなー)過去ブログ探したけど
異世界転生ゲーム始めました。ところが、続編というか、外伝というか・・・なんですよ。前編もやってはいるのですが、数年前の事で細かいことなんか覚えてない。それなのに、続編が始まった後は、「今、あの人はどうだった、この人はどうしてる」みたいな会話が始まって・・・その人がどんな顔と性格のキャラかなんて覚えてない!!出てこないキャラならスルーするしようかとも思ったが、今現在会話しているキャラとも「あの時はどうだった。この時はどうだった」という会話まで始まって・・・覚えて
仁和寺の次は、元々行こう!と思っていた、お買い物散歩へ。まずは、立派な京都市役所前までやって来ました。この辺りで、ランチしておけば良かったのすが、、、市役所の目の前に気になる寺院が!!!すぐ目の前が、本能寺。えーっ、あの織田信長の!?本能寺歴史の教科書で習った事柄の舞台が、街中にフツーに存在する・・・ホントに京都って、すごい街だ!参拝後は、徒歩何秒?(笑)にある「鳩居堂」へ。銀座の店舗は、一坪いくら!でニュースに出ることがありますが、京都の店舗は新しくて広い。お腹空いたのも忘
「そなたら……ただの旅人ではないな。ふむ、その眼差し……まして、この娘の立ち姿も……」視線が蘭丸へ移った瞬間、侍の喉がごくりと鳴った。粗衣をまとっていようと、蘭丸の立ち姿は武家そのもの。百姓娘には見えない。私のことを“農婦らしくない”と申しておったが、どちらも同じように、身についたものは隠せぬということだ。侍はしばし思案し、やがて決断したように頷いた。無理に押し返しては禍根を残すと判断したのだろう。「……よろしい。主にお取次ぎいたす。こちらへ」門がきしみながら開き、私たちは前田家の敷地へ
御池通を歩きながら、ついにたどり着いたのが「本能寺」。織田信長が最期を迎えた場所として知られるこの寺は、京都の歴史の中でも最も有名な“転換点”の舞台です。##■現在の本能寺は、事件の地ではない現在の本能寺は、**寺町通御池下ル**に位置していますが、実は「本能寺の変」が起きた場所とは異なります。-本能寺の変(1582年)は、油小路蛸薬師付近で発生-現在の本能寺は、豊臣秀吉の都市整備によって移転されたもの-旧本能寺跡には石碑が建てられている(別章で紹介
こんばんは🌛もう少しで旅行3日目が終わり、明日はいよいよ最終日です😭本能寺からホテルに戻り、部屋でまったりしていましたけど、夕食を食べていなかったのでまず風呂🛁に入ってさっぱりしてから食べに行きました😊ホントはしゃぶしゃぶを食べるか、または居酒屋に行こうと思っていました。しかし、ホテルのすぐ近くで気になるお店を発見👀早速入ってみることにしました🤗「なかよし」という焼肉屋さんです🤗こちらに入って大正解💮💯めちゃくちゃ美味しい焼肉屋さんです🥰和牛なので肉質が柔らかく、いくつでも入りそう
今日はまず、ホテルから程近い京都御所に行ってみました🤗京都御苑は行ったことありますけど、御所の内部に入るのは初めてです。聖護院にも行ってみました🤗こちらも初めてです。京都に来たら清水寺に行きたくなりますね🥰もちろん行ってきました🥰清水寺、観光客多すぎ💦修学旅行生もたくさん来ていましたね😊修学旅行がいい思い出になってほしいヽ(●´ε`●)ノホスィ清水寺に行った後は祇園でバスを乗り換える前に八坂神社に行き、休憩のためにホテルに戻りました(っ°、。)っツカレタ…ホテルに居るのももっ
今日は、移動図書館·まちかど号が来る日初めての利用です😊1ヶ月に1回廻ってくるから4週間後に返却すればいいので7冊借りました歴史作家の城巡り女たちの本能寺日蓮·立正安国論読むのが楽しみです✨↑↑の4冊は健康のために借りてみました☺️私が、毎日欠かさず食べているもの昔ながらの製法で作った味噌(マルカワ味噌など)で作る味噌汁自分で作った糠漬け無添加梅干し(龍神梅)納豆(こだわっています)玄米(無農薬)を家庭用精米機で三分搗きにしたお米日本人には和食が1番良いと思っているか
風は次第に冷たさを増し、稲葉山の頃とは明らかに異なる“戦の後”の空気が流れていた。世の者たちは「世が変わった」と囁き合いながらも、混乱はいまだ渦の底に沈み切ってはいない。道沿いでは武装した兵が物々しく往来し、村人たちは息を潜めるように日々の営みに戻っていく。霧雨を受けつつ平野道へ出ると、三日の旅路を過ぎた頃、ようやく北陸道の要と呼ばれる広道へ辿り着いた。ここは越前の山中とは別世界のように人の出入りが激しく、商人たちの荷駄が頻繁に行き交う。眼下には北辺の村々が連なり、その向こうにはうっすらと加賀
以前のぶログで載せているとおり、昨年(2025年)末の12月29日(月)は『京都謎解き街歩き』を楽しんできたわけですが、途中立ち寄った「寺町商店街」沿いにある、こちらのお寺にも参拝してきました。『本能寺』言わずと知れた「本能寺の変」で知られるお寺です。「本能寺の変」後に”豊臣秀吉”によってこちらの場所に移転・再建されたため、実は「本能寺の変」があったのは別の場所だったんだそうです。それでは境内へ。「本堂」結構大きくて立派です。「信長公廟」”織田信長”が祀られてい
TVの大河ドラマ「豊臣兄弟」を見ていて、若い頃読んだこの本を思い出したので読み返すことにした。「人の運というのは、一種類ではない。出世運、名誉・名声運、財物・金運、肉親運、知己・友人運、仕事運、家庭・夫婦運等々、分類の仕方で数限りない。その運を一つも持たないという人間はいない。浮浪者となっても僥倖があるから食物にありつける。すべての運に見放されたら死ぬしかない。逆に、すべての運を併せ持つ者もいない。運は往々にして相剋する。仕事運に恵まれれば家庭運を損なう。金運と
(本能寺の変さえなければ……このような日々が、今も続いておったのかもしれぬ)蘭丸が横目で私を見て、小さく声を潜める。「お方様……どうか、ご無理だけは」「案ずるな。私はは大丈夫。……少しばかり昔を思い返しただけじゃ」夕刻、山里の宿場屋で握り飯と干し肉を買い求めた。宿には泊まらず、裏の林で焚き火を起こし、簡素な夜食をとる。火の粉が風に舞い、蘭丸の横顔が揺らめく光に染まった。「蘭丸。そなたは……利家がどう動くと思う?」「利家様は……秀吉様に従っておられるように見えます。しかし、信長様への忠
おはようございます🌹戦国時代、天下を取らんとする者は文武両道を学び芸能も嗜んでいたようです。その中でも有名なのは織田信長の幸若舞。「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」と戦の前に幸若舞の【敦盛】を舞ったと「信長公記」にも。現在は福岡に大頭流幸若舞が継承されています。ちなみに、戦国時代のドラマの本能寺のシーンで信長が燃え盛る本能寺の中で「人間五十年…」と舞っているのは、現在福岡に継承されているものとは別で、ドラマ毎に能楽師の方が振付をされていることが多いです。
話題も多く人気も高い、徳島の大塚国際美術館に行くことにしました。徳島空港から路線バスで30分ほど。大塚国際美術館徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦福池世界中の美術館に行ったような感じこれで3000円なら、飛行機代考えれば安いかもしかも写真だって取り放題触ることもできる!火炎式土器もあるんだ。持ち上げました、こんな重さだったのか。現代美術に(ようやく)たどり着きました中世から1000点?近くの西洋絵画を見て確かに時代の移り変わりを感じますそれにして
明智光秀は三日天下ではなく、十二日天下でした。数年前に明智光秀が「鳥羽。鳥羽口」にひかえていたことがわかっています。本能寺は120メートル四方だったそうです。大きさは今回はじめてしりました。織田信長が逃げれる方法が一つあったそうです。「密集隊形。」畳で織田信長を囲い裏口下京区に出る方法です。織田信長勢は100人、下京を警備していたのは2000人の内200人だったそうで可能性はあったらしいです。12日の間に明智光秀は次期天下人に任命されたそうです。それを伝えたのが吉田兼見です。明智光秀
ベルサイユのばらが、先日行われた大学入学共通テスト問題に登場したというニュースがありました。『世界史』です。正式には、『歴史総合,世界史探究』というんだそうです。土曜日の朝刊に試験問題と解答が掲載されていたので早速、見てみました。確かに、「敵は本能寺にあり」ならぬ「敵はブルボン王朝にあり」と言わんばかりに、オスカル様が、片手を高々と掲げて、王家の支配の象徴であるバスティーユへ!という漫画のシーンが掲載されています。設問も解いてみました。私は、毎