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あっという間に2023年になりました。新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます<(__)>。さて、昨年9月に善光寺街道(旧北国街道)の追分から上田までの区間を歩いた記事、2日目のその5です(シリーズはDay1その0の中山道~善光寺街道起点までの記事で、通算で19本目の記事となります。)ガイドブックは「山と渓谷社」の「ちゃんと歩ける伊勢街道・善光寺街道」です。今回の歩行ルートは↓。歩いた距離は、途中の寄り道や最寄り駅⇔街道の分も含めてジャスト
令和4年1月8日参拝上田たび最後のお参りです。本堂と一体化しちゃって見えてるけど実は四脚門(上田市指定有形文化財)がありまして、通称大門と呼ばれてきたそうです。その大門に掛かる功徳山の額を揮毫した増上寺大僧正在禅とは、文化5年(1808)芝増上寺55世に就任し晩年は芝妙定院に隠居したという、うちの近所で活躍していたお坊さんでした。願行寺は海野幸義が開いた海野郷(現東御市本海野)の一寺としてはじまりますが武田軍に攻められ焼失したのちに仮堂の形で幾度か再建を繰り返し、元和7年(162
長野県1日目は東御市カラオケラウンジANTさんでした、応援プロモーターのお陰様で度々と長野群馬お世話になり、本当に良くして下さります😆何人かれいかちゃんが来るからと応援に来てくれた方々も‼️嬉しい度々お世話になるのでアンコール、リクエスト等も頑張りました、踊る歌をよくリクエスト頂くものでアスリートなみに中々体力いります💪初めてお会いしたご夫妻なども今日から応援すると、ご縁の枝が広がりました✴️コロナで歌えなかった日々を思うと有り難く頑張れます、今月は毎日続くの
縦書の大家のクローズドアルバムが出てから何か月たったでしょうか。小生がJAPEX2002に出品した「明治時代の税済印」(ワンフレーム)の隣に展示されていた猪野知昭氏の「縦書丸一型印の型式」は、さまざまなバリエーションがしっかり盛り込まれたワンフレーム作品のお手本でした。その写しをいただいて津田沼徒然草にも掲示させていただきましたが、あの作品を見て、縦書丸一型日付印収集に取り組んだ方も多かったのではないでしょうか。ホームページも大先輩で、欧文印収集もされていたマルコフィリーの方でしたが、
平成29年7月8日参拝立寄る予定のなかったお寺さんなんだけど、国道18号の〝海野氏菩提寺〟という看板に誘われてしまった(*´ー`)海野氏といえば真田家の本家!これはお参りに行かなきゃです。総門偶然にも寺号がわたしの通ってた曹洞宗の幼稚園と同じだったのも気になった理由(๑⃙⃘˃◡˂)興善寺は曹洞宗の寺院で本尊は釈迦牟尼仏、開基は海野氏初代の海野幸明公です。静岡県袋井市の可睡斎を開いた如仲天誾禅師が海野氏の出自というご縁で永正3年(1506)可睡斎五世に開山を仰ぎ開創されました