ブログ記事117件
wiKi貼り付けておきますhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB欧州人は「禅」が未知であり、逆説的な思考に感応するのだろうまあ、本来無一物など面白いエピソードで大好きだけど(笑)ところで、ヘリゲルがのナチスとの関係を指摘する方がいる、政治思想と生き方は同じだろうと思う私だって「北一輝
ほんらいむいちもつ本来無一物
懐讓禅師の師は六祖慧能禅師。慧能禅師の説法集『六祖壇経』は、おれが見た禅書のなかでいちばんおもしろかった。弟子の南嶽懐譲の法統から臨済宗、青原行思の法統から曹洞宗など、後の五家七宗全てが六祖の門から出た(ことになってる)スマナサーラ長老の禅語提唱(十一)本来無一物取り扱い注意の禅語www.youtube.com[感想]自他とも認める五祖の優秀な弟子、神秀上座の偈頌。身は是れ菩提樹心は明鏡台の如し時時に勤めて払拭せよ塵埃を惹かしむること莫れ
自分は決して会社人間と言えるほど真面目に仕事はしていないように思う。まぁ威張って言うことでもないが・・・良くある話で、体調が悪くても仕事を休めないと言うと、あなた1人いなくても会社は潰れないし仕事も廻る・・・なんて言われる。そりゃそうだろう。それでこそ健全な会社(組織)の姿である。1人いなくなるだけで仕事が廻らなくなるなんて組織として失格ですぞ!会社ですらそうなのだ。まして一般社会では???退職して隠居生活に入ったら、社会から切り離されたような気がすると言
本来無一物(ほんらいむいちもつ)「本来無一物」。もともと一物も無い。人は生まれる時、何も持たずに生まれてくる。そして死ぬ時も、何一つ持っていくことはできない。この当たり前の事実を、私たちは忘れて生きている。人生の途中で、私たちは様々なものを手に入れる。家、車、貯金、資格、名声。それらを「自分のもの」だと思い込み、守ろうと必死になる。しかし冷静に考えれば、それらは一時的に預かっているだけである。いつかは必ず手放す時が来る。この禅語は、虚無を説いているのではない。むし
国がしたことは国民に還りますよ持たないという幸せ本来無一物友情は、人数の多さではない死ぬこと以外かすり傷我慢してると後々後で大きくなるムリはある日まとめてかえってくる礼儀を意識しすぎない毎日喜び楽しく=幸せ日本治安はいいが利権だらけ人生の最後には地位も名誉も財産も何一つ持っていくことはできません削ぎ落とせば心は少しずつ自由になる
こんにちわ。今日は関大徹さんの「食えなんだら食うな」という書籍を読んで、感銘を受けたので、ブログを書きます。関さんは禅のお坊さんで明治36年に生まれ昭和60年に亡くなっています。この「食えなんだら食うな」は昭和50年(1975)に出版、2019年復刻版が再出版されました。禅とは何か。その定義に照らし世相をきっていく。痛快でとても良いのです。中でも感銘を受けたのは「無報酬ほど大きな儲けはない」という章で、正しい徳の積み方が記されていて、とてもためになりました。人は
譬へば考へれば鬱になるし考へなければ解決しない場合どうすればいいのだらう本当にさうだらうか考へても解決しないかもしれない考へなくても解決するかもしれない其れは判らないしかしやはり考へなければ解決しないのかもしれない親愛なる一遍上人に聞いてみようか「一切を捨離すべし」・・・「思考も鬱も解決も未解決も捨て去るべし」さう云ふ事をしたら私は途方に暮れて死んでしまふかもしれません「途方も途方に暮れるも死も捨て離れるべし」「本来無一物なれば諸事において実有我物(
身軽に生きるということ―愚者のカバンは本来無一物―みなさま、おはようございます。北海道・苫小牧にございます**『霊観占い大幸』**代表の峰ゆり子でございます。【苫小牧の今日の空模様】早朝外気温:氷点下8度/日中最高気温:2度/空気質:33昨日は、タロット勉強会の2回目でした。0番・愚者の想いから始まり、ワールドで終わる人生の語り。愚者は、小さなカバンを手に旅立ちます。そのカバンの中身は、人それぞれ。希望。不安。思い出。夢。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)人は生まれながらに何も持たない清らかな存在である、という禅の真理である。私たちは年を重ねるにつれ、地位や財産、評価や過去の成功といった多くのものを抱え込む。そして、それを失うことを恐れ、心を縛ってしまう。しかし禅は、もともと何も持っていなかったではないかと静かに問いかける。手に入れたものは、いつか必ず手放す時が来る。形あるものに自分の価値を重ねれば、失うたびに苦しみが生まれる。本来無一物とは、失うものがない境地に立てば、恐れも執着
ついに義実家へ法事で帰省。"反応しない心"でいこう。日々是好日放下著本来無一物を心で唱えよう。どうも禅と自分と相性いい気がする。
十二月今年最後の茶道のお稽古でした🍵🍡一年は本当にあっという間できたこともできなかったこともどちらもあっての一年だったなぁ〜いつもお茶のお稽古の時間は心を整える大切なひとときです茶室に入るその時間がいつも心を落ち着かせてくれました掛け軸は「本来無一物」何も持たず何も足さなくてもすでに満たされているということ素敵な書です一服のお茶を味わいながら頑張りすぎず比べず今
本来無一物(ほんらいむいちぶつ)本来無一物とは、本来、執着すべきものは何もなく、すべては空であるという意味である。私たちは生まれた時、何一つ持っていなかった。そして死ぬ時も、何一つ持っていけない。この単純な事実を、禅は静かに告げるのだ。人生は所有の歴史である。知識を蓄え、財産を築き、地位や名誉を手に入れる。しかしどれほど多くのものを得ても、それは本来自分のものではなかった。ただ一時的に預かっているに過ぎないのだ。本来無一物は、何も持つなということではない。む
茶道具の修理品を届けに先生宅を訪問今日のお軸は「本来無一物」、この世に存在するものはすべて空で執着すべきものは何もない…らしい😛無以外は読めました。輪島塗のお椀で暖かい汁物をいただきラッキー
映画「ソーゾク」を観た。https://sozoku-movie.com/遺産相続の話である。タイトルの「ソーゾク」がどうしてカタカナなのかは、松本明子が登場したときにわかる。演じた相続診断士の柊貞子の話には、いくつか役に立つところがある。遺産相続で揉めるのはお金持ちではなく、普通程度の遺産がある場合で、というのも、金持ちはあらかじめ遺書を弁護士に預けたり、公正証書遺言書を作成したりと、生前にきちんと準備している。対して庶民は何も準備しておらず、亡くなってからの対処になるから、揉めるとの
「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)もともと何もない、という意味である。禅では「執着を捨てろ」と繰り返し教えるが、この言葉はさらに深く、そもそも最初から何も持っていないという真実を指し示している。生まれたとき、私たちは手ぶらでこの世にやってきた。そして、死ぬときもまた、何一つ持っていくことはできない。では、今握りしめているものは何だろうか。物質的な財産だろうか、それとも名声、地位、愛情か。どれも幻想にすぎないと、この言葉は言う。執着しているそれらは、まるで夢の
本来無一物や知足といった掛物や銘は、拙宅では8月の盛夏の時期に床を飾ります。盛夏の時期は、ガラスや国内外の珍しいもの、見立て道具を使うことが多く、今年の8月は飯後の茶事形式で行いました。今あるもので、よしとする。今あるもので楽しむという、このような道具組が「本来無一物」「知足」にふさわしいように思っている、個人的なイメージからでした。さて、たいして調べたことがなかった「本来無一物」ですが、関連することとして、9月の同門に猶有斎宗匠が「時々勤払拭」について、寄稿されています。前略如心斎が
人の欲にはきりがありません。お金をいっぱい持っていても、常にあれが欲しいこれが欲しいと思い、服を買ったらそれに合うバッグやアクセサリーが欲しくなったりします。こうして執着が生まれます。禅の言葉に「本来無一物」と言うのがあります。達磨大師から数えて六番目の祖、慧能禅師の言葉とされています。慧能禅師は、師匠の言葉に対し、「迷いの向こうに悟りなど無いし、心も無い。本来何も持っていない。」と説きました。禅においては、私たちは何も持ってないことになります。何も持たずに生まれ、何も持たずに死んで
ほりさん(参)禅…こころの道『一🍓一🖼️』(一期一会)言葉R25.6−26【人生は一生に一度の出会い…大切にしよう】を感じ思いをお届けします。《心に響く…禅のことば》【美しい四季…『一🍓一🖼️』禅】《夏もの語り》6月〜7月、8月夏〜花ひらき…秋〜紅葉…冬〜白き足跡…春〜わかば萠え…【無季の香り…こころ禅】(季節を感じさせない禅のことば)🪷本来☆*~🧘♀☆*~🪷無一物☆*~『本来無一物』(ほんらいむいちもつ)【生まれながらに持って
さわさわさわさわー心地の良い風が通るさわさわーお外ご飯をしたけど、写真が撮れてなかった食べ終わっちゃったー鶏もも肉と厚切りの豚バラをグリルしていただきましたサニーレタスでお肉を巻いて、コチュジャンをつけてサムギョプサル風にご馳走様でした料理の写真を撮り忘れたけど、よるのお庭散歩は忘れない重なり合う色んな形の葉っぱが、ライトに照らされて複雑な模様今、ただ息をしてる。緑たちも息をしている。今ここにいるだけ。ここにあるだけ。存在してるだけ。今、この瞬間、たまたまここにいるだけ。
本来無一物(ほんらいむいちもつ)「本来無一物」とは、「もともと何も持っていない」という意味の禅語である。人は生まれたとき、肩書きも財産もなく、空っぽの手でこの世に現れる。つまり、本来の自分には執着するものなど何もない、という教えだ。しかし、成長するにつれ、私たちは多くのものを手に入れる。学歴、地位、名誉、お金、人間関係と、気づけば、それらに縛られ、失うことを恐れて生きている。けれども、ふと立ち止まり、この言葉を思い出すと、すべては後からついた「飾り」にすぎないと気づく。
★31日薫風自南来お花はクロモジヒルザキツキミソウショウマビロードソウ(フランネルソウ)ムヒトリナデシコです。今、お庭のお花が綺麗に咲いています。我が家のお庭、1番いい季節です。草との戦いですが…来て下さっている皆さんに楽しんで頂けたら💕と思って沢山入れました。今日のお稽古は初炭貴人清次薄茶茶通箱入子点でした。茶通箱は風炉だと分かりやすいですね。★9日本来無一物お花はシャクヤクです。今日のお稽古は盆略点前でした。★15日本来無一物お
今の茶室です。軸は「本来無一物」タカポン先生のお好みで、このなんともダイナミックな字がいいそうです。書かれたのは、立花大亀師以前にもこの老師の書を紹介しました。花を弄すれば、、の軸です。花は傷みやすく立て続けに変わりました。八重のドクダミと紫のホタルブクロ、シマアシ。花入は有馬籠。アスチルベ、サラシナショウマに変ります。灰型作りも大変そうです。これは先日行われた私の家の菩提寺の
社会に出たばかりのことを思い出してください。仕事に必要な知識も経験も能力もほとんどないに等しかったのではありませんか?「本来無一物」―「人は生まれながらにして持っているものは何もない。和が身一つでこの世に生まれてきた」ということを意味するこの禅語は、まさに人間の本質を突いたもの。社会人になりたての頃は、誰もが「本来無一物」だったのです。しかし、だからこそ頑張れたと思いませんか?それは「無一物中無尽蔵」という禅語があるように、何もないということはつまり、そこに無限の可能性があ
一年くらい前まではカッコつけて「人間本来無一物」なんて禅の言葉を使ってたりしたのですが、今は座右の銘は?って聞かれたら、「まぁ、どうせなんとかなります、なにがあっても」風さんの受け売りですが、こう答えます。昨夏の日産スタジアムのライブ配信で(8月24日分です)終盤にのんびりした声で言われた言葉です。(私にはそんな風に聴こえた)歌って踊って、相当な体力を使っているだろうに、若いとはいえ、何と落ち着いた言葉だろうか・・・もうね、撃ち抜かれました!
今日も目が覚めた😊有難い🙏『本来無一物』人は元々何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく。大切なものを失ってしまっても、それは本来の自分に戻っただけの事。失う恐さに怯える事・失った事を嘆く必要もないという教え。執着が邪魔をし、恐れに支配され、動けない事の方が、まずい事なのかも😊今日も良い日だ有難う(*^◯^*)
読売新聞(北海道版)では、読売書法会北海道展の理事揮毫による色紙プレゼントを行っています。本日2月19日(水)は私の担当です。拾得の漢詩から「本来無一物」を揮毫しました。↑は寒遊会書道の小筆課題です。毎月、漢詩を選び楷書の課題にしています。「物事はすべて本来、空」執着することの戒めでしょうか好きな漢詩です。
引き続き下記のサイトからの引用です:『毛利純一郎百匹目の猿』小説とエッセイ投稿してます!毛利純一郎百匹目の猿小説とエッセイ投稿してます!さんのブログです。最近の記事は「今日の禅語どうぞ「上品」(じょうぼん)(画像あり)」です。ameblo.jp・「平常心」(びょうじょうしん)心が平時から平安で変わらない様。不動で安定した心持ちが、すべてのことの基本的な態度だ。・「福寿」(ふくじゅ)幸福で長生き。心身の平安を保ちかつ無常の世に正面から誠実に対応していると、自然と
自分が極端な考えをもったときなるべく、できる範囲で反対からも考えてみるようにしています。わたしたちは世界中の誰もが宇宙にひとりの素晴らしい存在。と、同時に世界中の誰もが宇宙のなかでは、ほんのほんの1部にすぎません。禅語に「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉があります。禅宗の「無」は有と無の両方を超えた次元を意味し有も無もそこに存在している「根源的」な意味をもっています。「本来無一物」は事物はすべて本質的に空 (くう) である
「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)もともと何もない、という意味である。禅では「執着を捨てろ」と繰り返し教えるが、この言葉はさらに深く、そもそも最初から何も持っていないという真実を指し示している。生まれたとき、私たちは手ぶらでこの世にやってきた。そして、死ぬときもまた、何一つ持っていくことはできない。では、今握りしめているものは何だろうか。物質的な財産だろうか、それとも名声、地位、愛情か。どれも幻想にすぎないと、この言葉は言う。執着しているそれらは、まるで夢の中