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6月18日に東福寺を参拝しました。時間がありましたので、東福寺からほど近い泉涌寺にも行ってきましたよ。御寺(みてら)泉涌寺東福寺は臨済宗の大本山、泉涌寺は真言宗の総本山では、大本山と総本山はどう違うのか?寺院には『本末制度』というのがあり、「本山」「本寺」「中本寺」「直末寺」「孫末寺」と階層がわかれていて上下関係があるそうです。本山は宗派の中で特定の位置付けにあり、総本山は本山を統括する寺院。その次が大本山ですが、宗派によって名称の使われ方が異なるようです。ですから、東福寺が泉涌
子供の頃から「一休さん」と「良寛さま」は有名だった。てか唯一知ってるお坊さん。皆に慕われ、伝記も数多い、、というけれど実は確認できている事実はたった二つ。宝暦8年(1758)、出雲崎の名主・橘以南の子として生まれたこと。そして天保2年(1831)73才での死亡のこと。記録が無い=無位無官なわけで、曹洞宗の禅僧なのに、僧としての公式な地位や立場の無い人なのだ。その代わり文芸に優れ、沢山の詩歌が残り良寛研究者たちは、その作品や各所の日記などから、徹底的に足跡を辿る。乞食
27-9寺請制度寺院について、江戸幕府は、寺院法度(じいんはっと)と本末制度(ほんまつせいど)(宗派ごとに本山(ほんざん)・本寺(ほんじ)の地位を保障して末寺(まつじ)を組織させた制度)による統制を図ると同時に、寺請制度(てらうけせいど)を整えていった。寺請制度とは、民衆を檀家(だんか)として宗門改帳(しゅうもんあらためちょう)(宗旨人別帳(しゅうしにんべつちょう)・宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)などともいう)に記載し、キリシタン・日蓮宗不受不施派(にちれんしゅう