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毎年の恒例。。。初釜1日目がスタート。親の怪我もありますので、朝から水屋、本席、寄付、外腰掛などを掃除。手焙り、火入、炉の種火を作成。初日とあってか、なかなかタイミングがわからない。10時半席入ですので、9時過ぎくらいからは用意を始める。宗匠のご自宅での稽古準備を思い出しつつ、進めていく。今回は本席の設えを変えて、何故か椅子と机を用意。しかも全員分ではない。席入から三客までが正座して、残りの方が椅子と考えたようで…御御足が良くない方にはいいが、、、懐石をいただく際だけでよくないかな
天理教の一般の信徒なら、ご本部の神殿を参拝して、東の回廊を経て、教祖殿に参拝することが習わしである。生前同様に教祖(おやさま)がご存命であるから、朝食、昼食、夕食、洗濯など、生前同様に本部婦人の方々が、目に見えない教祖に対して奉仕されているという。そして、不思議なお助けがあれば、教祖のお陰であると無垢な信徒なら発言するであろう。ただ、こうした「教祖存命の理」に対する現在の解釈には、限界がある。すなわち体制維持のロジックとして、ご都合主義の教理解釈をもたらす原因となり、一歩も踏み出せ
2025年令和七年乙巳(きのとみ)文月〜葉月7月26日(土)〜8月2日(土)特別稽古があり文月の稽古が8月に掛かりました。の立礼稽古を兼ねる待合に。色紙瀧の図涼しそうで良いではありませんか。文月の稽古③の本席へと流れ続く
本日は浅草演芸ホールさんにて朝から学校寄席!千葉県立千葉東高等学校の生徒さん。320人!ノリノリの生徒さん。やっぱ320人のノリノリって気持ちイイわ。学校寄席を終えて一旦帰宅。そう、本席は夜席なのだ。色々と用事を済ませ再び浅草演芸ホールさんへ。朝と真逆のお客様笑ご来場頂きありがとう御座いました。☆ホンキートンク弾☆
2025年4月10日(木)待合に卯の花の色紙を掛けました。色紙卯の花をすこし濡らして古志の雨観月本席は隅田川土手散る桜の元で茶箱「卯の花」しました。
本席様の刻限御話に以下のものがある。刻限話は人間の意思とは関係なく、神様の側から、決められた時刻に重大な思惑を明らかにするもので、伺いのさしづよりも重要度が高い。夜中でも、刻限の御用があった。神の館、神の屋敷としての地場に神意が発動していた時代である。神様は人間に何かを伝えたい、心に治めて欲しいことがあり、啓示が下される。前後の脈絡や背景が分からないと、今では不明なものが多いが、聞いていた人たちは、すぐに分かった何かなのである。明治26年1月13日夜2時45分刻限御話
2020年8月に投稿した記事が、結構読まれていたようなので、改めて改訂しました。『飯降政甚に掛けられた神意-「二代大工と許し置くほどに」(明治32年2月21日)』飯降尹之助先生が『復元』第3号(昭和21年9月)に「永尾芳枝祖母口述記」という貴重な記録を残されている。本席出直し後、40年祭に際に書かれたものであるが、こ…ameblo.jp大工の理とは、機械(啓示者)の意味であることを、掘り下げました。みかぐら歌12下り目の大工も同様な意味があり、地場には神の
前日巨大なお雛様を片付けてこちらは4月3日がお節句で1か月遅れです花は本席で路地にも咲いているのでこちらはやめました大久保橙青大久保武夫俳号は大久保橙青海上保安庁を設立初代長官に・・・田中内閣の労働大臣などとても立派な方のようで本も沢山書いていらっしゃいます優しい字ですこの花の咲くにつけまた散るにつけ橙青表具の裂地も桜色ですお稽古茶事ですのですべて生徒さんがされます本席は
3月30日(土)、炎天下(3月に使うなんて!)の中、午後1時より椿会館駐車場にて獅子神御祈祷神事本席が行われました。小獅子の舞での、口取さん(右)と後舞さん(左)。このあと小獅子役の後舞さんは、お客様の頭を噛みに回りましたこの日はお天気が良すぎて直射日光が続き…皆さん汗だくになって2時間無事に修めて頂きましたいつ見ても凛々しい御顔。惚れます。
今日も隣町の門祈祷・本席を終え、先ほど帰られました。今日はすごく暑かったとおっしゃってました。そうですよねー…お疲れ様でした。獅子神御祈祷神事、皆さまにご覧いただける機会はあと2日となりました。・3月30日(土)午後1時~椿会館ロビーにて本席・4月12日(金)午後2時(予定)獅子堂前にて本席・舞納式本席は2時間以上になります。最初から最後まではなかなか難しいと思いますが、全7段の物語、見ごたえ
現教団が『おさしづ』を軽んじ、天啓継承の可能性を無視しながら、教祖(おやさま)のひながたの道をたどりなさいと諭達四号で、強調されております。存命の理をはきちがえて、教祖(おやさま)は存命であると言っても筋が通りません。改めて、存命一つの理について、『おさしづ』にどのような書かれているのか、復習してみましょう。本稿の参考資料として、植田義弘氏の『おさしづに啓示された理の研究第一部天の言葉』(なるほど編集室、昭和52年改訂4版、42頁)に引用された、『おさしづ』を利用します。
令和4年10月26日、ご本部秋の大祭にて、真柱様から、諭達(ゆたつ)第4号が発せられた。脳梗塞か何かで倒られた真柱様であるが、公の場でのご発言に、天理教の信徒達からもかなりの親愛の情が寄せられたことであろう。この中で、存命の教祖(おやさま)を慕うこと、教祖の御生涯がひながたの道として、信仰の原型(モデル)であることが改めて、開示されていた。諭達(ゆたつ)とは、天理教の教団指導者トップである真柱(しんばしら)が全教にむけて、発する公式の指示書で、現在の神意がわからない中で、教団として最高
前回の続きが遅くなりました。明治40年6月9日午前9時の本席様の最後のおさしづを改めて引用します。明治四十年六月九日(陰暦四月二十九日)午前九時昨日分支教會長普請の事に付會議を開き、本席の御身上も普請の上から御苦しみ下さる事でありますから、部下教會長一同わらじの紐を解かず一身を粉にしも働かさして頂き、毎月少しずつでも集まりたるだけ本部へ納めさして頂く事に決め申しました、と御返事申し上ぐ「一寸一言々々、どういう事聞かすなら、これまで初まりからだん/\年限追うてある。この道、皆
本席、飯降伊蔵さんによる最後の啓示は『100日さしづ』と呼ばれる。その連続した啓示は、この道の真理とは何か、この道が教祖(おやさま)から始まって70年たったその意味の総括を語り、そして今後10年間の展望を与えたものである。世界救済の真理を教祖が説き始めて50年、さらにその天啓は本席様によって継承されて20年たったのが明治40年であった。当時の天理教の隆盛は政府の弾圧にも表れほど、勢いがあった。その頂点にあって、本席様の啓示の指導で、教団体制は組織化されて、道が広がってきた。そして、翌年の明
天理教の信仰の眼目の一つに、教祖(おやさま)は存命でおられ、今でも、生前同様に働かれているという信仰がある。兵神大教会の大教会長の最近のエッセーにも以下のようにあった。「教祖が、現身を隠されて後も、存命同様に元の屋敷に留まってお働きくださっているという理解は、天理教の信仰者ならば周知のこととなっています。」【出典:『芳洋』R185.2月号「風」より】風の便(先月号以前のもの)[天理教兵神大教会]heishin.1net.jpこれを書かれた、清水慶政会長は『おさしづ
天理教には多くの教会がありますが、人から人へと伝播しているのですが、とりわけ大きく布教した人も中にはいます。天理教の伝道史では、河原町大教会(斯道会系)から分かれた大教会が36カ所もあり、今でも斯道会の別席団参もあるそうで、歴史を感じさせます。天理教秩父大教会の青年会のブログから。http://titibuseinen.seesaa.net/article/404601204.htmlhttps://titibuseinen.up.seesaa.net/image/E696A
同じく、国会図書館のデジタル資料で、天理教撫養大教会編纂『おさしづ』(昭和11年)が下記のサイトにありました。https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000610218-00おさしづ-国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館デジタルコレクションは、国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービスです。dl.ndl.go.jp明治21年旧暦11月1日に、6名がそれぞれ、本席様からおさづけの理を渡さ
現在は、DXの時代で、天理教の珍しい文献が国会図書館(NDL)でもデジタル資料として公開されています。研究者はよく利用していて、私もデジタル化の恩恵を受けて大変感謝しております。歴史的な実在としての教祖や本席様の実像とはどうだったのか。キリスト教でも史的イエスが近代的に探究され、神話や虚飾を超えた、真の姿が探究されています。教祖や本席様の直弟子の一人で、兵神大教会の初代である清水家に伝来した教祖のご真筆や本席様の写真が冒頭にありますので、御紹介します。清水与之助さんは、信仰熱心で教会
天理教の二代目の啓示者である、本席様(飯降伊蔵)が出直す(亡くなる)直前の最後の啓示は「百日さしづ」と呼ばれており、教祖(おやさま)から始まった世界の救済の道の継承における根幹的なことが集中的に諭されている。道の継承とは、教祖(おやさま)から始まった理の教えがいかに継続的に伝えられるかという問題である。神が見定めた特定の人物が機械(啓示者)となるが、その際、月日の社(やしろ)である教祖の魂が、別の人間の肉体を借りて、その思惑を伝えるという意味である。ただ、本当に教祖がその者を使
天理教の教規で、中山家(の長男?)の中から候補者が本部員会議で推戴されて、天理教の真柱になることが定められているようだ。真柱(しんばしら)と読んで、建築用語で、建物の中心となる柱のことを意味して、教団の対外的なトップリーダーを意味する。会社でいえば、CEO。国でいえば、大統領とか首相に相当する。いわば特定の組織の代表者である。「真の柱を早く入れたい」という教祖から明治7年に『おふできさき』で預言があって、最初の真柱となったのは、梶本家から来た外孫の真之亮である。かれが中山家の家督を継
前回の本席様の御啓示である刻限のさしづに続いて、同じ夜に引き続き、以下のようなおさしづがありました。どちらも刻限話なので、神様の方から、積極的に理の仕込みがあったことがわかります。長い、ご啓示ですが、全文を以下に引用しました。明治二十四年一月二十八日夜九時刻限さあ/\口説き掛ける/\。残念口説き/\、残念々々の中から道が付く。樂しんで聞いてくれ。口説き掛けたら、どういう事口説くやら分からん。さあ/\苦労の中でかくれたものを連れて出るで。細かに書き取れ。中にも話を聞いた者少ないか
本席様の御啓示からの引用をします。明治二十四年一月二十八日夜八時半刻限(前おさしづに基づき中山會長へ御願い致しました處、會長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話傳えました。)さあよく/\聞き分けるなら、一つの話をしよう。分かりてあるやろう。分かりてあるだけでは運ばん。前々以て一つ尋ね出る處、中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう處より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。押して願さあ/\洗い替えて速やか。日々の處から
天理教の歴史は、教祖の50年の天啓、そして本席様の20年間にわたる合計70年の天啓による指導精神によって、発展してきたことは周知の史実である。明治40年に本席様が出直された時の、天理教内の失望感は今では想像することもできないものであった。その中から天啓の再来の期待が他宗教との比較の中から、盛んに意識の高い信徒たちによって、考察されたことも事実である。今では地場に天啓は無いのが当たり前で常識となっている。そして、あったとしたら、それは即異端だという断定のもとに、教会中心の天理教として人間一
表題のテーマ「本部員に方針の違っている事を深く深く戒められる」の刻限話が大正11年12月14日にありました。その刻限話をもとに、私なりに現代において必要な理の教えを考察します。天理教の中枢から「すてものほかし者」にされた茨木基敬さんは、お地場の三島詰所から富雄の地に移った。啓示は引き続きあり、筆にとられ、膨大に残されている。追い出された立場から、ひがんだ視座で本部を眺めているのかといえば、そうでもない。神の残念な気持ちがもちろん語られる。そして本部が勝手な人間心の方針でものごとを決
天理教幡多分教会の起源は、おそらく、明治26年3月22日に設置が許された出張所だと思われます。その時、本席様から下された、「おさしづ」を以下に引用します。明治26年3月22日幡多出張所設置願「さあさあ尋ねる事情事情、所という、事情という、さあ治まりかた無くばならんならん。」「さあさあ事情事情許し置こう、さあ許し置こう。」【『おさしづ三』p.2562ロ】柿谷さんが四万十川流域で布教する中で、信徒集団が形成されてきた。日本全国で教会設置が増大するなかで、明治26年2月20
天理教には多くの教会があります。高知県の高知大教会の部内、現在の幡多(はた)分教会のおそらく初代会長に与えられた本席様の「おさしづがあります。Googlmapを見ると、現在の住所は、四万十市中村上小姓町11に所在していて、中堅どころのかなり大きな教会だと分かりました。四万十川からも近い高台にある教会でした。おそらく高知大教会の部内でも大きな有力教会だと思われます。こちらの初代会長が何か病気(身上)となられて、神様に伺い、その際下されたおさしづの一節を引用します。明治38年12月13日
2月11日、午前中の舞初式を終え午後2時から獅子堂前で本席が行われました。※本席・・・全7段、約2時間30分に及ぶ祈祷神事7段の中でも一番内容が多いのが「扇舞」です。扇を咥えるシーンと、放つシーンも見所です。お互いに敬意を払いお辞儀。口取役のお湯立ての舞。後舞役の、子獅子さんの舞。
<天理教の立教:神と人との組織化原初形態>10月26日という日は、天理教が始まった日として永遠に記憶され、もっとも重要視される日とされる。それは、この日に、教祖の天啓が夫の善兵衛に受け取られた日なのである。実は天啓そのものは、10月23日から始まっていたが、神人問答が繰り返され、飲まず食わずの教祖の肉体が限界となるなかで、主人が妻を「神の社」として承諾したのが10月26日である。いわゆる立教の元一日とよく言われる。神の一方的な啓示があったとしても、それを受け入れる人間側の都合があり
天理教の啓示書である『おふでき』は和歌体で筆記されたもので、啓示書が和歌体で書かれた意味についてどのように考えればよいのだろうか。『和歌文学大辞典』の編集委員の一人である、東京大学文学部の渡部泰明教授は、和歌が800年続いた理由として、「演技」「連想」「祈り」「境界」の4つの言葉をキーワードとされている(参照:800年続く和歌を追究すれば、我々自身と日本文化を知ることができる―文学部・渡部泰明教授|キミの東大高校生・受験生が東京大学をもっと知るためのサイト和歌はなぜ時代を超えて続いて
ご本部の月次祭は信徒を避けて、関係者だけで11月26日も実施されたことだろう。パンデミックの平癒と世界平和が祈られたことは間違いない中、感染拡大は国内でも海外でも懸念されている。ヨーロッパでは第二波の急拡大の山が下り坂へ、アメリカはまた拡大へ、日本・韓国では夜間の飲食時間が制限へ。女性の引きこもりに注目が集まり、家庭内暴力の増大、自殺者の増大、失業者の増大、ホームレス化した人、社会的弱者のさらなる困窮など、救済を望む人たちが一層増えていることは確かである。不安で外出ができなくなって、精神