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東京都豊島区にある本妙寺は、江戸の歴史を語るうえで欠かせない寺院境内には名奉行として知られる遠山金四郎景元の墓があり、実在の町奉行として江戸の治安を支えた人物の足跡を感じることができます。また、1657年に江戸の大半を焼き尽くした明暦の大火(振袖火事)の供養塔も建立されており、未曾有の大災害の記憶を今に伝えています。江戸の都市史そのものが刻まれた場所。江戸の歴史を知るには、まずここを訪れたい寺院です。■住所東京都豊島区巣鴨5-35-6■アクセス都電荒川線「庚申塚駅」徒歩約5
7月23日木曜日清正公御正當大祭(頓写会)加藤清正は、慶長16年6月24日(新暦1611年8月2日)、熊本城で亡くなった。熊本県熊本市にある加藤家の菩提寺本妙寺では、旧暦の命日から1ヶ月ずらした7月23日に、毎年「頓写会(とんしゃえ)」と呼ばれる法要が営まれる。他には大暑鮮度保持の日カシスの日天ぷらの日文月ふみの日米騒動の日益子祇園祭上越まつりなどがあります。●兵庫区自転車修理●兵庫区自転車店●兵庫区自転車屋●兵庫区中古自転車●サイクルプラザ・イレブンのブログhttps://ameb
巣鴨~おばぁちゃんの原宿を歩く~④功徳院平和霊園~本妙寺~巣鴨庚申塚これまでのところ、巣鴨駅~慶喜公屋敷跡~真性寺(六地蔵)~高岩寺(とげぬき地蔵)~染井霊園~染井の里~勝林寺~慈眼寺と歩きました。今回はその4、功徳院(平和霊園)~本妙寺~史跡巣鴨庚申塚までを歩きます。番外として:巣鴨は鬼平さんが幼年~17歳まで育ったところ(池波正太郎さんによればですが)。その近くを通りました。<散歩ルート><地図番号>Ⓢ巣鴨駅~①徳川慶喜公巣鴨屋敷跡~②真性寺~③高岩寺・とげ
熊本城から歩きで30分加藤清正公のお墓がある本妙寺へなだらかな登り参道を行くと!巨大な隋神門がここで、下馬境内の参道(本妙寺)開創から約400年の歴史がある、加藤家代々の菩提寺の名刹です。天正13年(1585年)に、清正が父の菩提寺として大阪に建立したものを、肥後入国後、熊本城内に移し、清正の逝去後、さらに現在の中尾山中腹に移建されました。「胸突雁木(むなつきがんぎ)」と呼ばれる急勾配の石段を上ると、清正公がまつられている浄池廟(じょうちびょう)に行き着きます
虎がいなけりゃお前なんてちょろいもんよhttps://t.co/KNNV8ihUSnpic.twitter.com/HTPg3NGt46—虎崎@ざっきぃ(@zakkimerukari)July5,2026樹齢弐千年の檜の巨木から彫り上げた一本造りの世界最大の虎の木像が寄贈されたとのことで見に行ってきた一本造り!?!?!?と吃驚😲凄い迫力!いきなり大きいのが来て猫ちゃんも吃驚したかな清正公の銅像の足元でも猫ちゃんたち寛いでるのでそのうち虎さんの元でも寛
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊、加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年。時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録「清正現行録」の刻じゃ!〜虎と対面す〜此度、黒田官兵衛様、大村喜前殿と共に本妙寺へ出陣。開眼法要を終えたばかりの「世界最大の虎像」への参拝である。虎像を目にした瞬間、思わず息を呑む。樹齢二千年の檜より成る、一木造りの虎の木像。世界最大級と称される堂々たる姿が、眼前に迫る。大きい、という言葉では足りぬ。見上げた瞬間、全身で何
本日も熊本城御登城、誠に有難う御座った。本日、午前中に本妙寺へと昨日お披露目をされた一木造りによる世界最大の虎の像を見に行って参った。これで本妙寺には清正殿ゆかりのある動物が三種類となり、猿、馬、虎そこに清正殿。桃太郎の様になってきたのぉ。強そうな布陣じゃなぁ!非常に見応えのある世界最大級の虎の木造。是非皆様にも見に行って頂きたい。以上大村丹後守喜前がお送り致した
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊、加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年。時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録「清正現行録」の刻じゃ!〜本妙寺に新たな咆哮〜本日、令和八年六月十四日、午前十一時。我が菩提寺「本妙寺」にて、新たなる虎像の開眼法要が執り行われた。樹齢二千年の檜、一木造り。世界最大級の虎の像が、ついにお披露目と相成った。多くのお客人も集い、誠に盛会となったようじゃ。本妙寺は、亡き父・清忠の菩提を弔うべく建立を命じた寺。そ
代務されている本妙山経王寺(宮城県仙台市)様において受けられます。
城南宮本妙寺善法律寺正福寺
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊は、加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年。時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録『清正現行録』の刻じゃ!〜全国より、援軍集う〜いよいよ明日、「ゴーゴーラリー」が始まる。唐沢寿明殿が主催し、今回で七度目を数える「クラシックカー」なるものの一大催しである。此度は花畑広場を起点に、三角西港・天草・五木・人吉などの各地へ。熊本の大地を、一台一台が走り抜けていく。今年も全国より、復興を後押しせんとする心強い援軍が
☆本妙寺本妙寺へ足を運びました。同寺は、明治44年に本郷から移転。「振袖火事」と呼ばれる明暦3年の大火の火元といわれるが、事実は本妙寺の隣の老中阿部忠秋の屋敷が火元だったという説もあります。境内には明暦の大火の供養塔、江戸町奉行遠山金四郎、北辰一刀流の開祖千葉周作、本因坊代々の墓などがあります。墓には案内サインがあるので助かりました。本妙寺住所:東京都豊島区巣鴨5-35-6電話:03-3917-1558営業:自由参拝料金:無料
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊は、加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年。時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録「清正現行録」の刻じゃ!〜緑の日、城に人満つ〜けふは黄金週間も中頃、「緑の日」。誠に多くの客人が登城してくれた。民の笑顔が城に満つる時、この熊本城も最もよく映える。石垣も天守も人の目があってこそ、その重みが輝くものじゃ。此度は我が隊に一二を争う「緑」なるモノノフ、島津さまと共に出陣の叶った一日であった。もともとこの熊本城は
春日局の兄に斎藤利光(のち利宗)がいるが、加藤清正の家臣でもあったことから熊本とは馴染みがある。利光は秀吉の命を狙ったとして召し取られた。その折細川忠興が預かっている。細川家家記「綿考輯録」は柚木のように記している。今年(天正十七年)斎藤伊豆公義の囚人と成、忠興君御預り被成候て、河北石見に御預ケ被成候処、無程御免ニ而加藤清正江被下候、(以下略)その後嫌疑は晴れ、加藤清正家臣となった。私は利光が清正の菩提寺・発星山本妙寺に宛てた書状(巻子)を持っているが、内容からすると加
熊本市内で「夜景も見たい、でも人混みすぎる場所は避けたい」と思ったとき、本妙寺公園はかなり気分に合う場所です。派手な観光地というより、加藤清正公ゆかりの本妙寺を歩き、その先で熊本の街明かりを静かに眺める場所。昼は歴史散策、夕方から夜は熊本市街のきらめき。旅の予定に入れると、熊本の印象が少し深くなります。本妙寺公園を楽しむなら、日帰りで急いで帰るより、熊本市内に泊まる旅がオススメです。夜景を見たあとに、中心部で郷土料理や馬刺し、熊本ラーメンを楽しみ、翌朝は熊本城や上通・下通をゆっくり散策で
日蓮宗立正山本妙寺の御首題(御朱印)(北海道網走郡美幌町西2条北1丁目)突然伺いましたが快く直書きで拝受出来ましたありがとうございます
膝の手術をして50日、退院して24日。そろそろ東京観光再開しても大丈夫かな??と不安はありながらも、今日のあまりのいいお天気に、家にいられず、出来るだけバスと電車を使って出掛ける。場所は巣鴨。お初の巣鴨。おばちゃんの原宿とも言われている巣鴨に一度行ってみたいと思っていて、散歩地図を持参して夫と二人で出発。「本妙寺」明暦の大火の火元と言われている寺だそうで、南町奉行所の遠山の金さんのお墓もありました。遠山の金さんのお墓で「今の世の中がよくなりますように」と手を合わせる。その
本日、本妙寺仁王門健脚行2026の参加料の一部を寄付させていただきました。まだ参加者数が多くないこともあり、心ばかりの寄付ではありますが参加者のみなさまのご協力もあり今年も寄付が出来たこと大変感謝しております。今後も本妙寺仁王門健脚行が続く限り寄付を続けていきますので、みなさまご協力をお願いいたします。
えー、今日は妖怪談義と怖い日本史が混じったような話です。まともに書くと1冊本ができてしまいそうな内容なんですが、そうもいかないので、できるだけすっ飛ばしていきます。興味を持たれた方はWiki等で検索してみてください。さて、下に妖怪画を2枚掲げましたが、左は竹原春泉画、『絵本百物語』より「飛縁魔(ひのえんま)」で、右が竜閑斎画『狂歌百物語』より「小袖手(こそでのて)」です。ではここでクイズ、ちょっとこじつけを含みますが、この2作から連想されるものは何でしょう?・・・答えは「火事」ま
皆様、日々ご健勝の事と慶び申し上げまする。沢村大学助にござりまする。本日もこの大学の武録に御目をお運びくださり、誠にありがとうございまする。この大学、皆様と日々の学びを分かち合えるということを、大変喜ばしい次第と存じておりまする。本日は清正様・忠興公と共に一日、城下各所で行われておりました催しに参列致しました。即ち先日より告知しておりました。【水前寺成趣園まつり】【本妙寺さくらfunまつり】【本妙寺桜灯籠】でございまする。それぞれ非常に賑わっておりまして、誠に楽しく、学びの
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊は、加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年。時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録「清正現行録」の刻じゃ!〜本妙寺、桜と灯籠の宴、無事終わりぬ〜先の武録にて告知致した本妙寺の宴が、つつがなく幕を閉じた。昼の「本妙寺さくらfun祭り」では、牧崎城見台公園に笑い声と音曲とに満ち満ちた。舞踏に和太鼓、漫才、そしてくまモンもぼるたんも馳せ参じ、子らの顔はまるで春の陽のごとく輝いておった。夜の本妙寺桜灯籠。幽玄なる
皆様方。此度は儂の“直往邁進記”を御覧頂き、誠に感謝致しまする。本日は「さくらの日」とのこと。肥後熊本は桜の花がどんどん咲き始めておる。他の地域でも桜が咲き始めたり、寒い地方でも桜の気配が徐々に感じられる季節ではないじゃろうか?儂も開花に合わせ、開門時には自慢の桜の陣羽織を着たり致しておる。桜は春を感じられる日ノ本ならではの風物詩、誠に良いものであるなぁ。春の祭りも各地域でも行われておるじゃろう。今週末…明日明後日も祭りは展開されるぞ!我等は、午前は水前寺成趣園にて開催の「水前寺成
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊は、加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年。時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録「清正現行録」の刻じゃ!〜馬揃えへ出陣〜此度、『自転車交通安全パレード』へと出陣致した。四月一日より施行される新制度の周知が、此度の戦さの目的なり。熊本市や熊本県警を始めとした有志と声を枯らして行進したが、実に意義のある馬揃えとなった。呉子に曰く。「必死則生、幸生則死」。死を覚悟した者こそ生き、生に執着する者は死を招く。
皆様、日々ご健勝の事と慶び申し上げまする。沢村大学助にござりまする。本日もこの大学の武録に御目をお運びくださり、誠にありがとうございまする。この大学、皆様と日々の学びを分かち合えるということを、大変喜ばしい次第と存じておりまする。本日は朝より降雨。大村様・南条様と共に、示し合わせたかの様に以前の陣羽織で出陣と相成りました。城彩苑では親水空間の屋根の下、演舞叶うかと思いきや……。余りの雨足の強さに、親水空間へと駆け込む御客人多数。大村様のお優しさ
皆様方。此度は儂の“直往邁進記”を御覧頂き、誠に感謝致しまする。いよいよ今週末!弥生(三月)二十八•二十九日の土曜•日曜に“水前寺成趣園”や周辺地域を含めて開催を予定しておる「水前寺成趣園まつり」初日は我等熊本城おもてなし武将隊より清正殿と大学助、そして儂の三名にて九時半頃より開始の「開会式」に出陣致す予定である。細川文化に学ぶ、遊ぶ二日間!是非皆様方もこの機会にお越し頂き細川家の展示•伝統文化の体験を楽しんで貰いたい!そして同時期、牧崎城見台公園にて開催の…
天気がよく暖かかったので桜の開花状況の観察方々、本妙寺周辺を散策してきた。(熊本市西区本妙寺)参道の端に桜並木。まだ咲く感じではなかった。(2026年3月20日現在)もう満開の桜もあった。山桜???本妙寺本院の桜も満開中。(五輪桜?)4月上旬には市内のあちこちで花見できそうだなー。楽しみ楽しみ(^.^)。
皆様こんばんは、本日は晴れのお天気でした。富士山は雲掛かりながらも見る事出来ました。昨日、撮影させていただいた物です。富士駅東海道本線朝の富士駅からでした。おまけ今夜の本妙寺の夜桜本日は以上です。ありがとうございました。感謝申し上げます。
本妙寺文楽の会場は、熊本市肥後本妙寺本堂。がねさんは、本妙寺本堂は、長い参道の階段を上りきった高いところにあるものと思っていたら、真ん中くらいというか、中央部分に位置する。いやはや歴史と伝統のある本妙寺の社殿というのは、国宝級というのか、ちょっとお目にかかれるものではなく、荘厳にして壮大なものである。ちょうど、枝垂れ桜が咲き始めている。文楽公演の最中においては、写真撮影が禁止されているため、始まる前と終わった後に許された範囲内での写真が残った。演
息子とふたり旅、二日目は山登りに行きました。この日は月曜なので、学校はお休みさせました。息子は12時間寝てましたよ。毎日よく寝てます。平均10時間は寝ていると思います。すでに学年一背は高いですが、もっともっと大きくなってほしいものです。熊本市の登山と言えば、金峰山です。私は数年前に一度登ったことがあります。確か武道家日野晃先生の熊本ワークショップに参加させていただいたときのことです。その日は朝からワークショップがありましたので、暗いうちに登り、山頂で日の出を迎えるという計画でしたが、生憎の曇り
3/17(火)宇城文芸誌「しらぬい」の会、の中の、かつて朗誦の会と呼んでいたサークル仲間が集まる。雨読さん、朱判さん、そしてがねの3人が宇城市から熊本市本妙寺に出かける。本妙寺で行われるのは文楽。そう、あの文楽。本妙寺文楽実行委員会代表が“しのぶたけ”さんこと古木さん。その“しのぶたけ“さんから誘われたので、3人の”お出まし“と相成った。さて、人形遣い、太夫、三味線など、文楽の演者は正直なところよく知らない。それほど文楽に慣れ親しんでいるというわけではない