ブログ記事16件
わが友に贈る2023年1月29日仏法は「本因妙」。常に今ここからだ。「さあ、頑張ろう!」「まず自分から!」と行動を開始しよう!
生きている限り、常に一(いっ)瞬(しゅん)一瞬が仏(ほとけ)と魔(ま)との戦いだ。『日蓮大聖人は、仏道修行と三(さん)障(しょう)四(し)魔(ま)の関係について、「この妙法を語っていけば、必ず魔があらわれる。魔が競い起こらなければ、正(しょう)法(ほう)であると知ることはできない」(御書1087ページ、趣意)』(SOKAnet「新会員のために」仏法を学ぶ「難」や「魔」とは、なんですか?)ともいわれている。“魔が競い起こってきた”ということは、自分は正しい仏法を行じている、という確信にな
脱益と下種の十妙について脱益の十妙👉本果妙が主体下種の十妙👉本因妙が主体脱益の本因妙=色相を帯びた本果仏の因行。下種の本因妙=凡夫即極の即座開悟を示すものにして、末代凡夫の成仏の教え。「本因妙」にそなわる、「境・智・行・位」の四妙。「境・智」の二妙は、人法一箇の本門の本尊。「行」は本門の題目。「位」は本尊の在所、唱題行の処の戒壇。すなわち、本因妙とは、事行の三大秘法の修行。迹門十妙の前半五妙は自行の因果。後半五妙は化他の能所。
僕には夢がある。僕たちには夢がある。世界はより良く変わる。絶対によく変わる。未来は僕たちの手の中にある。僕たち次第だ。現実を見るとイヤなことも多い。理不尽なことも多い。相変わらず癒着もある。権威主義、縁故主義、門閥主義。悪いことを悪いと思ってしてる人は少ない。殺人犯にも、正当な(?)理由があるものだ。嫌気が指すこともある。でもきっと、そうじゃない。今だけ見ていると、そう見えるし、そう思ってしまうかもしれない。でも、そうじゃないよね。そのままで終わるはずは、ないんだ
11月4日に開催したこどもお会式、こちらにもアップしましたが、大盛況でした。本泉寺と本泉寺ファンが一心同体となり、地域の子どもたちの笑顔見たさにがんばりました。あとから知りましたが夕香菜が自腹でミルクティーをご有志してくれていて、余った分は惜しげも無くご奉公者に持ち帰らせてました。また私の父である青谷さんは翌日早朝に来てお借りした近所の歯科医と医院の駐車場を掃除してくれて、御礼のご挨拶にも行ってくれました。ちなみに青谷パパは奈良在住ですが、駐車場を借りるためだけに近くの歯科医に変わりまし
2019年2月28日(木)名字の言〈名字の言〉2019年2月28日優れた科学者に必要な力とは何か――ノーベル生理学医学賞を受賞した利根川進博士は語った。その一つは、自分の予測と合わない実験結果の中から、新たな仮説や実験計画といった“重大な鍵”を見いだす能力だと(『精神と物質』文春文庫)▼科学者に限らず、人はうまくいかないこと自体を悩むもの。しかし思い通りにならない物事を、どう捉えるべきかと考え、そこに活路を見いだせば、不遇や試練の“意味”は変わる▼順風満帆の人生を送っていたある婦人部員
一読して、涙が溢れた、体験を転載させていただきます。正境たる御本尊様の大功徳。北原白秋さんのお父様も、代々の宗旨である念仏を捨て、日蓮正宗に入信されて、信心に励んだ結果、失明状態だった両目の視力が回復しました。「この御本尊には無限の不思議なお力が備わっている。ゆえにこの御本尊を信じて唱えたならば、あらゆる祈りが叶い、あらゆる宿業が消滅し、因果の道理に基づいた本当の幸せがもたらされる」(日寛上人観心本尊抄文段)大白法平成6年3月1日号より日寛上人が加賀
富士山本門寺本門正宗富士山本門寺山号:富士山院号:久遠常在院宗派:本門正宗寺格:総本山本尊:本因妙大本尊創建年:1288年(正応元戊子年)開山:日目上人開基:後醍醐天皇正式名:富士山久遠常在院本門寺所在地:神奈川県横浜市戸塚区小雀町1260富士山本門寺は、旧鎌倉郡・現横浜市戸塚区小雀町殿ヶ谷にある本門正宗の総本山である。山号を富士山、院号を久遠常在院、寺号を本門寺と称する。本尊は日蓮の魂魄「
懐かしい夕暮れの小径。まるで雪の結晶のような思い出たちの一コマ、一コマ。喜びの凝縮。悲しみの涙の雫。怒りの拳。氷解を待つ心の礫。この人生、まるでショーに魅せられている気分。だけど、どうしてもたどり着きたい場所がある。生老病死など幻想に過ぎなかった。この世界や命の奥にあるもの。それをキリストは神と呼んた。お釈迦さまは仏性と悟った。日蓮大聖人は太陽に向かって南無妙法蓮華経と叫んだ。ある人は普遍意識だと言った。真実の愛、大いなるもの。森羅万象はそこから派生、あるいはそこに
「我が身をくだりて人をたて徳は人にゆずりて苦労は我に引きうくるようにするを本因妙と申候」この佛立開導日扇聖人の御指南こそ、常に離さず拝見し、現実現在において実践しなければなりません。身を下ること。上から言うな。見下すな。人を立てる。自分を立てず。徳を譲り苦労は引き受ける。このように努める。これが末法相応の仏道修行、本因妙の修行である。「自分大好きで人を見下し、面倒は避けて人にさせ、手柄は自分、失敗は人のせい。そんな人間になったら終わり。」逆にしたら、こんな風になるでしょうか。永