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今日は広島因島にある本因坊秀策囲碁記念館に行って来ました行きは福山駅からシトラスライナーに乗って因島大橋に行きました。因島大橋にて。いざ島内バスに乗り換えです着きました本因坊秀策囲碁記念館-碁聖の生誕地、広島県尾道市因島外浦町広島県尾道市因島外浦町は、碁聖本因坊秀策の誕生の地であり、本因坊秀策の生涯について詳しく触れて頂くことができます。honinbo.shusaku.in公式。1度訪問したかったので嬉しか
ヒカルの碁原画展行ってきたよ!いやーーーーー満足満足!!すごいね、色々すごいね、原画って。自分漫画描いたことないからさ。こんなことしてるんだの連続で。えっこれ週刊誌でですかって感じ。ほんとに。『ヒカルの碁原画展』ヒカルの碁原画展!ふん!!ランダム怖い!!無事コンプリートで心穏やかです!!金色の袋かっこいい。クリアカードは名刺入れ(A4サイズ)でぴったり入るよ。めっちゃ…ameblo.jpアニメイトを8階からふらふら下って。外国人多いね。地元で特装版、3店舗目(協力足したら6店
これまでに人生で一番のめりこんだ趣味といえば囲碁であり、特に人格形成期である中高時代の熱中ぶりはその後の人生感や感受性を決定づけることになった・・・いい意味でも悪い意味でも。その辺りを振り返って昔のブログを引用する。(2011年04月03日作成)数年前の阿含杯(アマチュアの参加枠もある唯一のプロ棋戦)で手合わせしていただき、完敗を喫した『囲碁の阿含杯に出ます・・・鈍感力と弱者の戦略』2007年02月02日作成阿含杯の手合通知が来た。一流プロと真剣勝負ができる数少ない場であ
旅のチカラ×プロジェクトのなぎです今日で終わるANAのセール旅行中に始まったので今回は人気の場所や時間は満席でも昨日は鹿児島に若干の空きがあったのでポチ知覧特攻平和会館に行こうと思います********************************さて、昨日の続きで向島の次は因島へ入ります↓『2025/2月/極寒のしまなみ海道②~向島の洋らんセンターと後藤飲料水工業所~』旅のチカラ×プロジェクトのなぎです広島空港から
theme:ヒカルの碁よく行くパチンコ屋に漫画コーナーがある。少年漫画が多いのであまり読まないが、ヒカルの碁を読んでみた。藤井聡太くんのこともあり、少し将棋に興味を持ったことから碁ってどんなの?って興味から~。それに今年の大河ドラマが平安時代舞台で何十年ぶりかでちょっと視てるから~。1巻を読んで、え?オカルトなの?ってところから読みやすかった。と言ってもまったく碁のルールは分からずじまいだったけど。出てくる本因坊秀策の霊が可愛くて最後まで
宝泉寺跡目の前を流れる賀茂川広島県竹原市の宝泉寺が本因坊秀策が囲碁の修行をしていた地である事を紹介したが、以前訪れた際に、秀策の時代の宝泉寺は別の場所にあったという情報を得た。元の場所は川沿いにあり、度々水害に見舞われた事から現在地へ移転したそうだ。その場所は竹原町下野町の賀茂川沿い。竹原病院の南側で、川の対岸には安田病院があるあたり。採石場の脇に墓地があるが、そのあたりがかっての宝泉寺跡で、石垣が僅かに当時を偲ばせている。【囲碁史人名録】十四世跡目本因坊秀策
宝泉寺山門広島県竹原市にある宝泉寺(浄土真宗本願寺派)は、碁聖・本因坊秀策の修行の地である。三原城主浅野忠敬は、秀策の将来性を期待して、自分の囲碁の指南役で、芸州一の碁豪と言われた宝泉寺の葆真和尚に指導を依頼する。葆真和尚は漢学や画道にも秀で、秀策は囲碁と共に学んでいる。修行の結果、秀策の棋力は、葆真和尚を凌ぐほどになり、忠敬は江戸の本因坊家への入門を取り計らい、世に知られていくことになる。本堂葆真和尚は浅野公に厚遇され、七条袈裟や、寺の庫裏の玄関などの部材とし
大日本囲碁姓名録(天保11年)初段に宝泉寺(井上門人)とある。碁聖・本因坊秀策の師として知られる広島県竹原市にある宝泉寺の十世葆真は、幕末期から明治にかけて活躍した芸州随一の碁打ちであった。宝泉寺には服部因淑、井上因碩(幻庵)と書かれた碁盤が二面残されている。天保六年(1835)に葆真は因淑と対局し、その強さに感服した因淑により本因坊丈和への推薦が行われて初段の免状が与えられる。葆真和尚は書家としても秀で、江戸時代中期の書家・趙陶斉の門人であったと言われている。趙陶斉は、長崎で
山門看板尾道の街並みや尾道水道を一望でき、日本百景にも選ばれている千光寺山(大宝山)は、山頂まで千光寺山ロープウェイで登ることが出来る。千光寺山ロープウェイふもと側の、山麓駅のすぐ脇にある慈観寺(時宗)は、貞治元年(1362)慈観上人の開基と言われ、4月末頃には庭一面に牡丹が咲き「ぼたん寺」として親しまれている。本堂説明版本尊の阿弥陀如来が安置されている本堂は木造瓦葺きで二重屋根。記録によると檀家である幕末期の尾道の豪商・橋本吉兵衛(竹下)が、天保飢饉による
先月、親子3人で出場した女流秀策杯の記事と写真がたくさん載っています。本因坊秀策囲碁記念館では、館長の木村さんが丁寧に解説をしてくださって木村さんとは以前、囲碁番組でご一緒して以来11年ぶりにお会い出来てバスの中で思い出話に花が咲き、秀策先生のこと、記念館の歴史や因島のこと、たくさん教えて頂き遠足に来たみたいにワクワクして、とても嬉しい時間でした。尾道市囲碁のまちづくり推進協議会-第76回本因坊秀策囲碁まつり・第9回女流秀策杯碁聖本因坊秀策の生誕地であり囲碁を市技に制定している尾
爽籟軒入口明喜庵江戸時代の広島藩では政治は広島、経済は尾道と言われ、北前船が寄港し大阪、九州との交易地でもあった尾道は経済の拠点として大いに発展してきた。その尾道の豪商たちは、江戸時代後期から大正時代初めにかけて斜面地や海岸沿いの風光明媚な場所に「茶園(さえん)」と呼ばれる別荘を建て、文人たちの交流の場となる。日本庭園として一般公開されている「爽籟軒」(そうらいけん)は、尾道を代表する豪商橋本吉兵衛家(角灰屋)の茶園で、これを造った橋本竹下(七代橋本吉兵衛徳聰)は、本因坊秀
糸崎神社本因坊秀策顕彰碑広島県三原市の三原駅から国道185号(旧国道2号)を東へ約4kmほど行った国道沿いにある糸崎神社には本因坊秀策の碑が建立されている。三原は秀策が故郷の因島を領する三原城主浅野甲斐守忠敬に見いだされ、その支援によって本因坊門となるなどゆかり深い地。文久二年に亡くなった秀策の遺徳を偲び、明治期に同じ芸州出身で弟弟子の石谷広策が中心となり顕彰活動が行われ、地元広島、三原、尾道、江戸とゆかりの地を駆けまわり、浄財を集めて糸崎神社へ顕彰碑が建立された。広策
ボウズ(中学2年生の息子)がクラブを「囲碁部」に変更したので囲碁ボードを買ってみた将棋はルールが判っているが囲碁はイマイチ判っていない
西福寺山門本堂三原市西野にある曹洞宗・西福寺は元亀年中(1570~)安田新兵衛忠信氏により創建された寺で、当初、安田家だけの氏寺であった。安田家は代々庄屋を務める名家で、幕末期の当主の次男で因島の桑原家に入り婿した桑原輪三という人物が、碁聖本因坊秀策の父親である。境内から眺める西野文政12年(1829)輪三の二男として生まれた虎次郎は幼い頃に母から碁を習い、六歳の頃に尾道の豪商橋本竹下(吉兵衛)に才能を見出され、その紹介で三原城主浅野甲斐守忠敬と対局。その後も
三原城跡。上部は新幹線駅舎天守台三原城図面(駅構内)碁聖・本因坊秀策ゆかりの広島県三原市にある三原城は、天主台跡にJR西日本三原駅および山陽新幹線の三原駅がある全国的にも珍しい城跡である。明治期に全国で鉄道建設が始まると用地買収の容易さから海岸沿いに線路が敷設されるケースが多く発生し、三原でも現在は埋め立てられ海岸まで300mほど離れているが、当時の海岸線に鉄道が敷かれ、海に面していた城跡に駅が造られている。三原城は戦国時代に毛利元就の三男、小早川隆景により整備された
碁盤の看板新入川橋碁盤の脚の装飾碁盤の脚の装飾本因坊秀策の故郷で旧因島市が囲碁を市技として制定した因島には囲碁に関するモニュメントや看板が見られる。因島北部の因島中庄町・因島大浜町と因島外浦町を結ぶ新入川橋の欄干には碁盤の脚を逆さまにしたデザインの橋柱が設置されている。因島外浦町は本因坊秀策の生誕の地で記念碑や記念館もあることから、その入り口となる橋に碁盤の脚の装飾を取り入れたそうだ。碁盤の脚の形は梔子(くちなし)の実を形どったという通説があり、これは対局中
石段地蔵院山門本因坊秀策の墓碑因島の本因坊秀策囲碁記念館の正面山手、歩いて数分のところにある地蔵院には秀策の実家である桑原家の墓所があり、そこには秀策の墓碑も建立されている。秀策は東京巣鴨本妙寺にある本因坊家代々の墓に遺骨が葬られているが、故郷にも墓碑が建立され、お墓へお参りすると棋力が上達するといわれ、今なおファンのお参りが絶えないという。【囲碁史人名録】十四世跡目本因坊秀策【住所】地蔵院·〒722-2213広島県尾道市因島外浦町795★★★★☆·
しまなみ海道碁聖・本因坊秀策の故郷、広島県尾道市の因島は、かつて毛利元就を支えた村上水軍が拠点とした瀬戸内海の島で、現在では西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で本州および四国と結ばれている。本因坊秀策囲碁記念館因島では文政12年5月5日〈1829年6月6日〉に秀策が現在の因島外浦町で生まれているほか、昭和期に全日本アマチュア本因坊戦、朝日アマ囲碁十傑戦などを連覇したアマチュアの強豪、村上文祥の出身地でもある事から、旧因島市が平成9年に囲碁を市技として制定。その後因島は囲碁ブ
本因坊秀策江戸時代の碁打ちの中で、傑出した囲碁の名手に対する尊称「碁聖」と称されているのは、四世本因坊道策、十二世本因坊丈和、そして当主となる前に亡くなった十四世本因坊跡目秀策の三人だけである。秀策は江戸時代末期の文政12年(1829)5月5日に、瀬戸内海に浮かぶ現在の広島県尾道市因島で商いを営む桑原輪三の次男として誕生、幼名は虎次郎。父、輪三は現在の広島県三原市西野で代々庄屋を務める安田家に生まれで桑原家の婿養子となる。教養に富み人格者で、尾道の財界人とも親交を深めていたという
女流秀策杯の決勝戦で娘の聖良が対局をさせていただいた辰巳茜さんとは小さい頃から緑星学園でずっと一緒に勉強をしていたので、大盤解説を聞きながら昔を思い出して、懐かしく幸せな時間でした。【速報】第9回女流秀策杯大須賀聖良初段が優勝第76回本因坊秀策囲碁まつり・第9回女流秀策杯の優勝決定戦は、大須賀聖良初段(日本棋院)と辰巳茜三段(関西棋院…shusaku.in表彰式の時の動画です。聖良が運の良さについてコメントしていて、私も先日の女流アマ優勝のときに「運が良かったです」とコメントした
広島の尾道で行われた本因坊秀策囲碁まつりプロアマ戦第9回女流秀策杯で娘の聖良が優勝しました。今回、嬉しいことに親子で出場することができて、2回戦目で私が勝っていれば娘の聖良と対局できたのですが力及ばず…でも決勝まで娘が勝ち上がってくれて、大盤解説会ではドキドキしながら観戦をして優勝が決まったときには感無量でした。頑張ってくれて嬉しかったです。
何度か妻に碁を教えようとした。でももう諦めた。何が解らないか聞いてもそれも答えられずに座っている。碁盤と碁石を見て、天球儀でもみているような眼の焦点だ。私は学生時代の友人の影響で囲碁を覚え、説明すると長くなるけどスペインの棋院へ親善で行くことになったりして、数年のうちに、ある程度強くなった。今でもそうなんだけど、思考するときには頭の中に碁盤がある。囲碁のことを別称「手談」ともいうように、これは会話するときのリズムなんだ。「耳赤の手」という伝説の一手がある。江戸時代末期、本因坊
西日本で行ってみたい場所は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう修学旅行では大分から神戸に入ってしまって広島行けなかったので行きたいです(。・ω・。)長崎の平和公園は行ったので原爆ドームとか(゜ω゜)路面電車乗りたいし宮島も行きたいです(●´∀`●)あとヒカルの碁に出てきた本因坊秀策記念館とか( ̄∇ ̄)昨日家に携帯忘れて時間わからなくて大変でした(-ω-;)おまけ今日2月4日は貴家堂子さん生誕祭(๑'ᴗ'๑)貴家堂子
おはようございます。今日はいい天気ですね☀️連休最終日ですよ…まぁ、だからといって何かするわけではありませんが、ぼちぼち楽しくいきたいです🌱棋譜並べ、たのしいです。秀策の棋譜です。いちばん分かりやすいことで有名✨今日も元気に参りましょう☺️
囲碁関連の寺社をまとめました。囲碁は、吉備真備が中国から日本に伝え、囲碁の名人の本因坊は、京都寂光寺の塔頭本因坊の僧侶でした。210515山陽新聞「吉備寺(倉敷)に碁盤保管」「江戸後期の囲碁四哲井上幻庵因碩奉納」吉備真備が中国から囲碁を伝えました。吉備寺は、吉備氏の菩提寺です。●倉敷市吉備寺『【倉敷市】吉備寺』寺社No.19御朱印No.103鏡林山吉備寺岡山県倉敷市真備町真言宗御室派吉備四国56番、吉備氏氏寺1998年10月3日吉備真備ゆかりの寺ameblo.
江戸時代後期、碁聖と云われた本因坊秀策の因島の生家です。写真①、本因坊秀策碑(1926建立)生家は、元々ここにあったが老朽化のため記念館の奥に復元されている。写真②、本因坊秀策囲碁記念館2007年当時の因島市と尾道市が合併した時の記念事業として計画されて2008年に開館した。記念館には、秀策ゆかりの碁盤、碁石など多く保管展示してある。写真③、展示物の中に江戸時代の囲碁棋士・家元安井家九世の安井算知(1810~1858)の「佳致精局」があり一枚だけ拝借しました
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日は囲碁の日〜っ実は囲碁、好き好きいぃな、受付スタッフです。暇な時アプリで詰碁してますと、いうのもあれはそう私がうら若き乙女の頃世間では「ヒカルの碁」が大ブームでありました。(週刊少年ジャンプの漫画です〜。デスノートやバクマンと同じ作画の方ですよ!)当時インターネット通信料がまだ高く父母に小言言われつつもネット碁にハマりまくった日々楽しかったなあ。で、奇遇にもここ最近ヒカルの碁を全巻読み直してたんです。そしたら!もう!もーみ
今はヒカルの碁を観ている。7~8年前に一度漫画で全巻読んだ。自分が高校生~20歳くらいの頃に週刊少年ジャンプで連載していた気がする。その頃は囲碁の漫画なんてまるで興味が無かったのだが、大人になると面白く感じる。そして今は再びアニメで観ている。↑[FULL]ヒカルの碁01話-HikarunoGoKodochaTVのチャンネル↑オープニングとエンディングもあるよ。今再び平安時代から1000年の時を越えて藤原の佐為が蘇る!正確には江戸時代に一度、本因坊
私が今までに国内各地で参拝してきた寺社仏閣を、都道府県ごとで紹介する記事を続けておりまして今回は広島県編の第3回めです前回は尾道市で参拝した寺社を紹介しましたが、引き続き今回も尾道市内で参拝してきた寺社を紹介させていただきます尾道市内、といっても今回は「坂と猫の街」である尾道の中心部から少々離れた「島」のほうです尾道市の「因島」を訪れた際に当地で参拝した寺社を紹介いたします「島」といっても、道路で繋がっておりますので自動車で渡れます5.因島石切神社(尾道市・
天使と前世はそこにある!ふわふわしない行動できるスピリチュアルをお伝えしています。2年前に見えるようになりましたスピリチュアルカウンセラー岡田陽子です。♦はじめましての方はこちら**********スピリチュアル雑誌anemone(アネモネ)2020年11月号に紹介されました。**********天使×前世潜在意識の書き換えセッション6月枠は満席となりました。(ありがとうございます!)岡田陽子のセッション