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京都十三佛霊場の第10番にあたる五位山法金剛院、蓮の花が有名ですね。平安時代に清原夏野が始めた双丘寺派発祥で、後に鳥羽上皇の中宮・待賢門院がこの世の極楽浄土を求めて都の製法に建立したのが法金剛院になります。京都十三佛霊場の第10番・阿弥陀如来は「三回忌」の守り本尊。十三佛信仰の元となったのは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王。十王は恵心僧都源信の『往生要集』に記載されており、源氏物語が書かれた頃に起きた末法思想・西方浄土思想で末法濁世の衆生は阿弥陀仏の本願力によってのみ救済されるとい
こんな過去最多は・・・・・要ら~ん。【速報】兵庫県で過去最多の5913人感染初の5千人超新たにこども園と老人施設でクラスター新型コロナ(ラジトピラジオ関西トピックス)-Yahoo!ニュース兵庫県は2日、県内で新たに5,913人が新型コロナウイルスに感染したと発表した(うち68人は疑似症患者)。新規感染者が5,000人を超えるのは初めて。1日の感染者として2日連続で過去最多となった。news.yahoo.co.jp咲いた・・・・咲いた・・・・コロナが最多(>_<)並んだ並んだフ
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。いよいよ2022年に入ります。2022年は、人類が三千年も待たされた特別な年です。それは千年間続いた末法が明ける年だからです。5年前に次のような記事を書きました。『末法が終わる!(続)』1年前に末法に関して記事を書きました。<末法が終わる!>末法の終焉が2019年、新たな時代の到来が2020年であるこをご紹介したのですが、少し修正が必要なこ…ameblo.jpここでもう一度、末法の意味を復習したい
立ち上がらなければ、この先、10波だの、20波だの、デタラメなことを彼らは続けようとするでしょう。経済は徹底して破壊されているでしょう。風邪が、ずっとずっと続くだなんて、ようやく、おかしいと、皆が思い始めてきましたか。私たちは、ほんとに、家畜のように扱われています。人間以下ですよ。↑抜粋です。全文はリンクしてね。仏法では、末法思想と言うものがあります。正法は仏が生存されている時代。像法は、仏が居なくなっても、ほぼ正しく教えが受け継がれていく時代。そして、末法
第七十三代堀河天皇は平安時代後期の天皇で、末代の賢王と讃えられた帝です。御父は白河天皇、御母は関白藤原師実の養女、皇后賢子。(実父は右大臣源顕房)御名は、善仁(たるひと)。承歴三年(1079年)生。在位、応徳三年(1086年)から嘉承二年(1107年)。堀河天皇の父白河天皇は、幼少時代その父(後三条天皇)が藤原家の権勢の中冷遇されているのを見、自身も冷遇の中育っています。その父、後三条天皇の御希望が白河天皇の異母弟達の即位であり、白河天皇の即位は中継ぎとしてのものでした。しかし異
日本自動車博物館のネタはちょっとお休み。7月17日に福島県いわき市の白水阿弥陀堂を訪れました。阿弥陀堂の佇まいが視界に入った途端あまりの美しさに目頭が熱くなってしまった。人は阿弥陀堂から生まれて阿弥陀堂に還るような・・・・・・・・・還暦も近付き、人生が佳境に入ると感動の度合いが深くなるのかもしれない。こういうもの(↑)にも感動しますけど???白水弥陀堂の詳細はあらためて。
5月初めに登った半田山の時のことです。登山後に、弘法大師堂にたちよってみました。まずは、桑折町の「弘法大師の清水」について。こんな伝説があります。「昔、弘法大師、伊達のこの辺り一帯を行脚したと伝えられ、あちこちにその足跡を記したと語られている。行脚は修行であるから、説法をしたり、人々の日常を知るということもあったであろう。睦合(むつあい)坂町あたりに来た弘法大師の姿は、長旅のせいでか、衣服は破れ、みすぼらしい姿をしていた。喉の渇きを覚えた大師は、小さな清水の湧く沢があ
GWの時の話しです。田束山の経塚群。ツツジが咲いてなくて、ズッコケたのですが、田束山(たつがねやま)は、経塚を埋めている所で有名です。なぜ、私はまたここに戻ってきたのでしょうか?こればっかりは、自分で答えを出さねばならない。震災前に一度、田束山にきたことがあります。でも、この時は、退職届を出し(震災の日にだよ)秩父に帰る予定だったので、もうここに戻ることはないと決めたのだったが・・・震災前の田束山(山頂)過去のブログ記事に「再び美しい東北に
一昨日、寝ている時に、ぱっと目が覚めて、その時に「観音堂3番」と浮かんだんですね。そのまま寝たのですが、朝起きても覚えていたので、なんで観音堂の3なんだろう?と思い。益子神社の話しで、急に3の話しをしたのも不思議だったので、たぶん、333という事になるんだろうか?奥州札所三十三観音のことかと思い、調べてみたら、一番と二番は参拝したことあったけど、三番は行ったことがなかった。天気がいいので自転車で行くことにしました。ママチャリ探訪~。田んぼには水がはってます~。高
悪人は死後、地獄で罰を受けるという。業火に焼かれ、極寒に晒され、無数の針を刺され、折られ、切られ、潰され、砕かれる等の苦痛が延々続く。嘘つきは舌を抜かれるとか。昔から色んな事を訝しんで、疑いの目を向ける捻た性格の私は5歳の時、地獄の存在が信じられず、しかし確証もなく、(母方の)祖父に聞きました。「地獄ってホントにあるの?」「地獄が有るかどうかは分からないけど、有っても大丈夫な生き方をしなさい。人に対して恥ずかしくない生き方をすれば地獄が有っても関係ないから」そう言うと、祖父は道端に落ちて
乱世をどう生きるのが良いでしょうか?癒し王ふじです乱世というのは、経済や社会、あらゆるものがジェットコースターのように上下にブレることです。そういった外界の環境の中で必要なことは、自分の軸をもつこと。つまり、自分の考え方、人生哲学、価値観をしっかり確立することだと思います。これは学校の勉強や、誰か他人が答えを教えてくるものではなく幅広い勉強をしていく中で自分の頭で考えて答えを導きだすことです。文章にして発信することで自分の頭の中が整理され自
八柱神社令和3年(2021年)2月13日参拝御祭神御由緒室町時代の創建と伝わります。江戸時代には八王子社と呼ばれていましたが、明治の神仏分離令により八柱神社に改称されました。遠江国風土記伝によると「八柱神社は雄踏往還に接し、入野中最も西側に位置し広い畑中に樹木繁茂し、老松木路にそびえて太古の趣ある社なり」と記されています。境内に「草堂の杜」とあるのは、念仏聖や修験者達が勧化の足場とした「草堂」と呼ばれる草葺の御堂があったからなのだそうです。※念仏聖(ねんぶつひじり)とは=平安時代中
多摩区中野島を南東へ向かって歩いています。用水路の暗渠が合流してきました。今は下水道でしょうか。暗渠が歩道となって続きます。こうしてコンクリートの蓋がされている暗渠は、都市部では珍しくなりました。開渠になりました。水が綺麗なので、現役の農業用水かもしれません。中野島という地名は、嘗てこの辺りが多摩川の中州だったことに由来します。その意味では、もしかしたら川中島という地名になっていたかもしれませんね。これは分かりやすい。日中なら赤は目立つし、「とまれ!」を平
そう言えば年間パスポートを持っている東京国立博物館の常設展をブラブラと見てきたのですが源信という人物の関係する末法思想(“呪術廻戦”ではゴジョウさんを封印する為の道具獄門疆(ゴクモンキョウ)に関係する人物として名前が出ています。)この末法思想の展示を偶然見ましたよ。しかも日光の男体山🏔が関係していてね。日光を旅した後だからビックリ致しました⭐︎まず末法思想って何?かというと。→現代なら”ノストラダムスの予言”みたいなものが平安時代に流行ったのです。
視える。突然視える。何の前触れか。神に祈るエノク。異端の書として、外伝となった記実。エノク書エノク書-Wikipediaja.wikipedia.org私に視えるのは、天に向って祈るエノク。「神よ。私は、これからどうしたらいいのでしょうか?」膝をついて、天を見上げ、問う姿。それはまるで誰かのような。見たことのある人物。神は答える。「もっと上がってきなさい。もっともっと上がってきなさい」そう伝える。更に聴こえる。神の声。「あなたが苦し
「チェリーピッキング」という言葉があります。自分の考えを補完するような内容の話ばかりを「つまみ食い」して、ゆがんだ事実認識をすることです。世界は終わりだ、と思う人は、チェリーピッカーなのでしょうか。悲観的なことばかり語る人は、しばしばチェリーピッカーです。根底には、「変わりたくない」という動機が存在していると思います。意識的にせよ、無意識的にせよ、現実と自分自身とにうんざりしているとき、悲観的な情報ばかりを選んでしまうのだと思います。しかし、今日の世界が破滅に近付いているとい
WANDSの曲に「世界が終わるまでは…」という大ヒット作品があります。また、私は全く聞かないのですが、「世界の終わり」略して「セカオワ」なるグループがいます。一説によると、こういうことを表立って表現する人は「中二病」とも揶揄されるそうですね。確かに「大人になる」ということは、「清濁併せ呑む」ということと言えなくもないので、現実の矛盾を他者のせいにして、世界の破滅を夢想しているというのは、幼稚なことのように思えなくもありません。しかしながら、世界の終わりを予感している人は、実は大昔
★日本は、劣化しているのか。僕は、いくつかの面で日本の劣化は進んでいると思う。日本の衰退、劣化、凋落という言葉が浮かぶ。◇まず政治、経済、教育、産業における劣化について考えてみよう。①政治安倍内閣が行なってきた政治を振り返れば、政治の劣化は明らかである。政治家の劣化、安倍政権を支えてしまった国民の劣化、マスコミの劣化。②経済20年以上、労働者の賃金が上がっていないのは先進国では日本だけである。株価を上昇させることしか考えていない日銀の
今回の動画は、【平安時代#4】「武士の出現末法思想と浄土教」です。釈迦の教えが通用しなくなる末法思想が伝わり、世の中が不安定になったころ疫病が蔓延し、さらに人々を恐怖に追い込みました。こうした時代背景の中で、当時まだ身分の低かった武士が活躍する時代へと進んでいきました。仏教の本を調べてみると、現在でもなお「末法の世」であると言います。この世の危機は千年、二千年と続くのでしょうか。平安中期、折からの疫病「天然痘」に対する恐怖と相まって末法に対する人々の恐怖が増幅されました。そこに現れた
日本に伝来した仏教ですが、各時代ごとにエピソードがあり、その時のスーパースターが活躍して、仏教をお盛り上げるということが起きています。伝来してきた仏教の流れを分からないで、いきなり鎌倉仏教の話をしても、ただの暗記作業になってしまいます。そうなると、面白い話が入ってこなくなり、興味が薄れてしまうのが現状でしょう。歴史や流れを知ることで、今まで見えなかったものが見えてくるのも、また違う角度で見れることも僕にとっては重要だと考えています。ですから、今回、僕の理解していた、僕の考えをお話しします。当然
時は白河法皇の院政の時代。やりたい放題がさく裂している時代です。鳥羽天皇の父、堀河天皇が崩御すると、鳥羽天皇は5歳で即位します。1108年の話です。その後、白河法皇の子供を身ごもった藤原璋子を中宮にします。1119年に子供が生まれます。これが後の崇徳天皇になります。鳥羽天皇は1123年に白河法皇の命により、4歳の崇徳天皇に譲位して、上皇になります。白河法皇はやりたい放題でした。院政を手放す気はありません。鳥羽上皇も全く白河法皇には逆らいませんでした。なぜならば、中宮も白河法皇のスパイですし、周
こよなく桜を愛し、流浪行脚の法師として悟りを求めて生きた西行。己の内面を見つめ続けた真直ぐな和歌ゆえに誰もの共感を呼ぶ、俗や欲を離れられないイメージが流布している、日本各地にある西行の足跡。長い旅路は西行の心の旅路そのものであったかもしれない。今一度、その生涯を見直してみよう。西行は、元永元年(1118)、父-佐藤康清、母-源清経の娘との間に生まれた。俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)という。藤原秀郷を先祖とする名家であり、義清は容姿端麗、文武に秀で、鳥羽法皇のエリート護
非不支持率(未投票率+投票率のうちの得票割合)89%を3期目でキープしたスーパー知事の森田健作知事の出番だと思う世間は外出自粛だの緊急事態宣言だのオーバーシュートだのロックダウンだの騒々しくなってるが要は人類が克服策がないわけではないけど克服策の不足や遅れや偏在がおきているもっというと命の選別ステージ助かる人と助からない人がいるという状態だということ貧困個人の基礎体力国、地域の医療設備の充足国、地域の研究開発力などの差はどうにもならない世界は末
3月26日キリスト教徒じゃないけど、ヨハネの黙示録の一節にありますし、仏教の末法思想にもあるんですが。人類滅亡の危機は戦争や核だとばかり、大半の人が思っていたに違いない現代。それが21世紀の今にあって、中世を彷彿させる疫病によって混乱や危機にさらされるとは。それは映画じゃなく、「リアル」。だから筋書きのないシナリオ。佐野市葛生にて。早速使うことになるとは。
曇り空の金曜日。今日は1月の17日。下弦の月。熱海では今月今夜の月は涙で曇るそうですが、本当に今夜は雨か雪になりそうです。でもって、明日は終末週末であります。終末で思い出したのだけれど、末法思想ってありますよね。修業して悟りを得られる正法、修業しても悟りが得られない像法、修業もしなくなる末法で三時。三時のおやつは○明堂。:-)どこからこういう発想になるのかがよくわからないのですが、この末法思想ってかなり悲観的な発想じゃないかな、などと思ったりします。当時も景気の悪い
雪のクリスマス↑これから、WINTERSONG→映画「めぐり逢えたら」に辿り着き、ちょっと浸ったwこの方の歌声もまたステキ。トム・ハンクス×メグ・ライアンこの頃のメグ・ライアンはぶっちぎってCUTE♡ベタだけど、素敵な映画だった。ふと思うが、クリスマスって、お祭り騒ぎとか恋人たちのロマンティックな日でないんだよな。恋人たち、二人のなんらかの記念日のほうがよっぽどロマンティックだと思う。アゲアゲ気分もたいせつなんだけど、最近、ハロウィンとかクリスマス
気が付けば来週は師走月です。10月に入り大阪→高知→福岡→大分→大阪三週間の長旅。さすがの私もクタクタでした。事柄の確認のために撮った動画オーブはそのうちにUPします。11月は名古屋・滋賀・京都・兵庫様々な案件とかかわるうちに、人間として生きている期間がとても貴重であり、それらが、いずれ自らが移行する死後の世界に多大な影響を及ぼすということ、また今の自分の行いや価値観が必ず来生の種になるということなど、ここでは書ききれないほどに深く・・・どんどんと深く嫌で
『末頂面(まっちょうめん)』世は平安時代後期、武士の台頭と治安の乱れにより厭世観が民衆に広まりつつあったが、最澄や伝教大師は(注)、この世相を仏教における末法思想、つまり「末想(まっそう)の世」であるとし仏教の教えが廃れるため、個々人が己の力により困難を切り開く必要があると説いたことがわかっている。鎌倉時代となると、この末想を仏像により表現しようとしたのがかの有名な運慶(うんけい)、快慶(かいけい)らの仏師である。彼らの代表作である東大寺南大門の金剛力士像(国宝)は筋骨隆々であり非常に力