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この方法で末期癌から生還でいるなら私だったら本気でやると思いました。でも私が「こうして」と父に言ってもやってくれないだろうなと思います。民間療法の難しさです。以下自分のメモ用にスクショで貼らせてください
治療?ではないですね💦痛みの軽減や少しのやる気を出すお薬で日々過ごしています痛みどめとステロイド長生きを願うより痛みと怠さをとってあげたいあっ!それと下剤!これは欠かせない!一応、トイレまでは歩けるのですが自分では中々難しいのよ毎回トイレでお湯を流しながら綺麗に結構、腰にきます!寝た状態の方が私は楽なんですけど自尊心を大切に今日はYouTubeを観ながら歌を歌っていたので少し痛みがないのかなあ、、、
うーん、、、久しぶり過ぎて何から書こうかしら、、、じつは、母、、、ターミナルケアに入りまして自宅介護中去年の夏に10日くらいは入院したのですがそれだけ、ずっと自宅介護中4月からはデイに行ける体力もなくなりゴールデンウィークまでは、、、なんて言われたので入院も断念でも、ゴールデンウィーク入ったなあやるしかないけど愚痴を言いたくなった、、、これ以上ないと思う自分で褒めて鼓舞してる中々甘くはない
車に乗り高速道路をとばしてお菓子を買いに行きました日頃から、お菓子は食べない私ですが、これだけは別物ですやっとゲットできましたやめられないとまらないお菓子をご紹介しますね機会があれば一度食べてみる価値ございますよ大阪にただ一軒行列が並ぶお菓子屋さんです粟玄なかなか買うのが大変です前日に電話予約して、翌日に指定された時間に店頭で受け取り電話もなかなか繋がりません人気は「和洋」というお菓子ですお味が和でもなく洋でもないのでこの名前がついたとか現金オンリー個数制
22日に母方の伯母が末期癌で3年間の闘病の末、亡くなりました。幸い、病院ではなく、自宅で家族に看取られながら息を引き取ったようです。7日にお見舞いに行ったときはまだ話しも出来て元気そうに見えたんですが・・・とても残念です。安らかな永眠を心から祈ります。伯母さん、さようなら合掌追記今日はお葬式で終日大牟田です。高齢の両親を連れていきます。火葬が終わってから帰宅します。お手数ですが〝ポチッ〟と押して
姉はすぐに駆け付けてくれましたが、24時間体制の看護師さんにかけた電話は繋がりませんでした。(そりゃそうだよな。24時間体制っていってもずっと起きて待機しているわけじゃないし・・)いつもと違う様子の父に何をしてあげたらいいのか分からず、私達は父の体をさすり続けました。しだいに声掛けにも反応しなくなってきました。ただ、いつもと違う呼吸をしてるだけです。看護師さんからの着信があり、父の様子を説明し今すぐ来てくださいとお願いしましたが、「落ち着いてください。もしかしたら最後の時
10月中旬。余命1ヶ月と宣言されてから2か月が過ぎました。父と喧嘩をして、挨拶もしないまま帰宅した私がまた実家に戻った日。貼る麻薬テープの影響でうつらうつらしていた父。義兄の誕生日ということもあり、姉夫婦が来て久しぶりににぎやかな夕食でした。朝からほとんど何も食べていない父の口元に母が「お祝いだから」とケーキを持って行きましたが、首を横に振って食べませんでした。義兄に「いくつになったんだ?」「そうか良かったな。」と会話していましたが、私は一切父に話しかけませんでした。姉
私のママは余命3ヶ月と告知され、胃を全摘と食道の一部も。それから20余年、再発なく生存最後は肺腺癌で雲の上にでも転移ではなく新たな疾病とは医師の言葉。ありがとうを唱え続けると奇跡が、と末期癌の妻を看護する夫のブログに記されていました。奇跡も有ることを信じ、自らの精神パワーで病をぶっ飛ばせ!
排泄と床ずれについて父は昔から排便に関しての強いこだわりがあり、どんなことがあっても一日一回以上下手をすると毎食後にトイレに長時間こもる人でした。そんな父が寝たきりになり食が細くなって、普通に考えても排便の回数と量は減るはずなのに、💩が出たいけど出ない。指で掻き出してくれと度々頼まれました。「食べてないんだから二日くらい出なくても大丈夫だよ。」と諭すのですが、素直に聞く父ではありません。さすがに素人の私たちでは出来ないので、訪問看護師さんにお願いしました。そのほかにも💩が出
父の「婆さん連れて一緒に死ぬから放っておいてくれ!」の言葉にぶち切れた私。あろうことに、死期が迫っている父に向って「ふざけないでよ!!なんで婆ちゃんを連れて死ぬの!?一人で死ねばいいでしょ!!」やら「家族の事を思っているなら緩和ケアに入るとか思わないの!?男らしく潔く決断してよ!!」などとまくし立て、看護師さんに「あらあらどうしたの?」と心配されてしまう始末。おそらくこの一件を真剣に受け止めてくださった看護師さんが、家族も疲れてると訪問ドクターに話をしてくれたよう
父と母が泣きながら大失禁の片づけをしたと聞かされた時姉は「老々介護は無理だから病院に入院して。」と言ったそうです。父は「治療は受けたくないし自宅で臨終を迎えたい」と、母は「体力的に娘たちに頼るか入院してもらわないと無理。でも、爺ちゃんは自宅で死にたいと言ってるから可哀想・・」私は、やはり最後の最後は緩和病棟に入ってもらってプロの方々に身体のケアをお願いしたいと思っていました。訪問ドクターと看護師さんにも父は「一切治療はしたくない。」と宣言していたため、本来ならば週に2回
半ば強引に退院してきた父は食事とトイレ以外はベッドの上で過ごしていました。痛みはないものの、時々高熱を出すのでその度に時間に関係なく姉が呼び出されます。私も1週間毎に泊まりに行きました。しばらくすると食事もベッドの上で摂りたがるようになり、おまけに母に食べさせてもらうという甘ちゃん状態に。ショックだったのは💩をリハビリパンツ(紙パンツ)でさせてくれと言われた時です。「支えるからトイレに行って」と頼んでもベッドに寝たまま踏ん張り始めるのです。今まで、犬猫の💩と赤ちゃんの💩
9時間の大手術を乗り越えて4ヶ月の入院生活を過ごした父は、リハビリを頑張り、私たちの心配をよそにボケることもなく、5月、晴れて退院することが出来ました。6月には姉夫婦、私と夫、孫たちを呼んで快気祝いをする程元気になり、7月には姉の反対を押し切り、夫婦で2泊3日の温泉旅行に行きました。その温泉旅行が父と母の最後の旅行になりました。旅行から帰ってきた夜に父が高熱を出し3度目の救急搬送に。胆管が詰まっているとのことで、8月2日再手術をしました。手術後は下血が続いたり、コロナ陽性に
父の癌が発覚した時のことR4・12月下旬母の誕生日とクリスマスを兼ねてひ孫達(姉の長男家族)の家にお呼ばれ。帰宅後におなかが痛いと訴え町医者に行きました。ただの胃腸炎とのことで胃薬を処方され帰宅。R5・1月お正月に自分の誕生日を祝って欲しいと姉夫婦にホールケーキをおねだり。1月7日激しい腹痛で総合病院に救急搬送。胃腸炎ではなさそうなので精密検査を勧められる。もともと前立腺がんの定期健診で通っていたがんセンターに精密検査の予約を入れるも2週間後。いつ腹痛に襲われるか、母が怖
8月のお盆休みに勝手に退院してきた父。通常なら一ヵ月ほどかかる介護認定も、末期癌ということで特別措置をしていただき数日後には介護用電動ベッド、トイレと浴室の手すりの設置が完了しました。入院中は一度もお風呂に入れなかったため、姉と私が変わりばんこで入浴介助をしました。と言っても、背中を流す程度で他は自分で洗ってもらい、出るときに転ばないように待機するといった程度でとにかく父のプライドを考慮し、局部を見てはいけないという気持ちでタオルを掛けたり立ち位置を考えて介助しました。
自分はなぜ、癌になったんだろう。当時30歳前半で確率の低い、1億2000万分の1で患う・・・レベル4aで余命半年、長くても1年と言われ、これもまた低い確率の5年生存率を通り越し、今では完治。治るなら、なぜ患ったんだろう・・・って毎年、桜の咲く春になると考えてしまう。悪戯なのか試練なのか。この身体になって色んな事を経験してきたが、後悔して来た事も多々。戻れるチャンスがあるなら、戻りたい。経験出来るチャンスがあるなら、挑戦してみたい。
【永久保存版】ごぼうの党奥野卓志氏、ステージ4の末期癌が消えた方法をポスト。患部を徹底的に温めて体をアルカリ性に保つ食事で毒出しして断食しながらビタミンCで癌細胞を攻撃する「一人でも多くの方が真実に目覚めるきっかけとなれば嬉しいです」https://t.co/OKrZu2u8UK—NewsSharing(@newssharing1)April7,2024【永久保存版】ごぼうの党、奥野卓志氏、ステージ4の末期癌が消えた方法をポスト。患部を徹底的に温めて体をアルカリ性に保つ食事で毒
2024年3月25日(月)息子の同席を求められた診察入院中に行った肝生検の検査結果を聞く目的だ結果は、当初の診たて通り肝内胆管がんステージⅣ+肝転移+腹膜播種に加え、リンパ節転移も確認余命は3~6か月手の施しようはなく、やれることは多少の時間稼ぎの化学療法所詮、それも気休め程度の時間稼ぎになるかならないか・・・もう私の人生の残りは数か月だと覚悟しなければならない宣告だお腹の痛みは慢性的にあるものの、あとは何も変わらないお腹もすいて食欲もある掃除も洗濯も炊事も
末期癌や癌終末期について色々なブログとかを見ているとわたしの母のように死ぬ直前まで痛みでのたうち回るパターンは少なくて、だんだん意識が低下して、眠っている間に息を引き取るパターンや、鎮静薬で眠らせて息を引き取るパターンがやっぱり多い。なんでお母さんはあんなに痛い思いをしないといけなかったんだろう。入院中もずっと痛がってたけど、亡くなった日の痛がり方は異常だった。例えるなら陣痛を我慢してる妊婦さんみたいな感じで、悲鳴をあげながら痛い痛い!なにこれ!?ってびっくりしながらもがいて
はなと申しますご訪問ありがとうございます80歳からアメブロ始めました運転免許証を返納し専ら健康維持に努めていますハイツでの独り住まいを卒業して先日2023.8.16からは自分の家に戻り娘と孫と私と3人暮らしになりましたさてさてどうなるやら……健康・節約・オシャレなミニ情報紹介したいです共感のいいね・フォロー大喜びしますこんにちは~はなです今日もご訪問してくだ
母が元気な時から、いつか母が死ぬ時が来るんだなと思っては泣いていました。去年、実際にその時が訪れました。その上、自宅で母を看取るという私にとっては、とてつもなくつらく悲しい経験もしました。母の死は、私にとって人生で1番つらい試練です。これ以上、つらい悲しいことはもう起きないと思います。母は私にとって、自分の命よりも大事でした。よく母にも話していました。だから、1日も長く、元気で長生きして欲しいと。それが私の1番の願いだと。母も頑張るねと言って、実際に頑張っていて、脳
楽しいことをしていた時心憂える知らせが…子供の頃一緒によく遊んだ2つ年下のYちゃんが末期癌で明日をも知れぬ状態で闘病している…ショック!大人になっても一緒に会食したり、旧交を温めたこともありましたが…そんなことになっているとはΣ( ̄□ ̄)!同世代の人の訃報を受けただけでもテンション↘️↘️↘️身近な人だと……(´・ω・`)無力な自分を思いしらされます。少しでも痛みから自由でありますように…祈るのみです。暗いブログでごめんなさい。いつもご訪問くださりありがとうございま
友人がステージ4の末期癌だと聞いた。手の施しようが無いと。。。これで私の身近な人で6名。相談者では100名は超えている。全てワクチン接種後に起きている事例だ。特例承認と言う名で治験などまともにしてないワクチンだ。国民に安心を風潮し接種へ誘った政府。…—鵜川和久(@sousyou13)March29,2024
偽りの人生2013年7月12日公開ある理由から双子の兄を殺し、彼に成りすまして新たな人生を生きようとする弟の姿を描く。あらすじ人生を賭けた偽り。男の嘘は真実となり得るのか―。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで結婚8年目の妻クラウディアと暮らす医師アグスティンの心には、ぽっかりと穴があいていた。裕福で安定した暮らしをしながらも、公私共に決まりきった日常に耐え難い息苦しさを感じていたのだ。そんなある日、長らく音信不通だった一卵性双生児の兄ペドロが突然訪れ、末期癌に蝕まれた自分を
今日は朝からお出かけ行き先はクリニックの梯子最初に行くのは丸8年通った泌尿器科8年前の2月に大要因から紹介されたクリニック末期前立腺がん宣告から5年経とうとしていた頃PSAの値が限りなくゼロに近づいて完全に安定したので外部のクリニックで治療をするようにとその紹介状を持って初めて新s夏を受けたそれからまるまる8年3ヶ月に2度通った一っどは検査のため採血をしに翌月その結果を聞いて腹にリューブリンを打つこのクリニックは皮膚科も兼ねていた時折皮膚のアレルギ
末期がんと言われ、ダメ元で治療に専念し、奇跡的に完治かはどうか分からないが症状が無い所まで至る。そういった方が幸あれの報告されては叩かれていますが。コメント等読んでると確かに、寛解もしくは完治したのであれば、困っている方も多々いらっしゃるわけで、良い情報も伝えてあげてもいいかと個人的には思います。ましてクラウドファンディングしたのなら。自身の場合は個人メッセが来たら情報共有としてお伝えは致しております。かなり前に、研究学校だったかな?そこから取材で依頼はありましてイン
けど、嘆いててももう過去は変えられない後悔だらけで自分責めして苦しんでいるよでも巨大子宮筋腫が悪性腫瘍で末期癌だったら望んでいた死だ世の中が平和になるコトを祈る私が死んだら世の中が良くなる
末期癌と医者に言われても諦めなくても良い、自分に合った治療法がある、たとえば、コロイドヨード‼️|真実を見極めるブログhttp://norinori311.com/2023/07/19/%e6%9c%ab%e6%9c%9f%e7%99%8c%e3%81%a8%e5%8c%bb%e8%80%85%e3%81%ab%e8%a8%80%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%82%82%e8%ab%a6%e3%82%81%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%81%a6%
そらは2020年12月16日、14年と39日の生涯を閉じました。家族の心に数えきれない想い出と笑顔をいっぱい遺して旅立ちました。肝細胞癌と宣告されてからの2年9ヶ月を、書き留めていた『そら日記』を読み返しながら、そらの想い出、今の日々を交えながら綴っていきます。2020年4月20日未明元気いっぱいだったそらが急変した肝細胞癌と宣告されてから約2年の月日が流れてた急変してから244日間一日一日そららしく生きてお空へと上っていったそんなそらと共に命
こんばんは。祥月命日は3月6日ですが今日3月2日、母の一周忌法要を無事に執り行うことが出来ました。母を慕う方々が大勢来てくださいました。会場内では一青窈さんのハナミズキ福山雅治さんの家族美空ひばりさんの川の流れのように松任谷由実さんの春よ来いなど母が好きな曲が流れて思い出話で時が過ぎていき母もきっと喜んでくれたと思います。母のブログにおかれましてもたくさんの励ましにどれだけ生きることへの力をいただけたことか改めてお礼申し上げます。癌が見つかり癌退治で入院へ