ブログ記事8,977件
緩和病棟での1日目。一般病棟とは違って明るいし、広いし、祖父も喜んでいました。入院中、お風呂に1度も入れていなかったのですが、緩和病棟では特別なお風呂の機械があるそうで、「少しよくなったらお風呂も入りましょうね!」と看護師さんに言われて、お風呂大好きな祖父は大喜びところが2日目からは、日中はずっと寝ているし、夜は暴れ出すしで、ナースステーションに1番近いお部屋に移動となりました。幻聴や幻覚?もあるようで、心配…祖父が亡くなる前日。緩和病棟へ来て6日目頃かな?日中ほぼ寝ていた祖父
こんばんなんし江戸時代からタイムスリップしてきんした花魁・神月乙桜でありんす本日は悲しいお知らせがありんす本日朝頃にあちきの愛犬が天に旅立ちんした末期がんと診断され余命半年と言われながら気張って約一年生きてくれんした食べることが大好きで五匹の中でも一番食欲旺盛で(一度食い意地がはってあちきの指まで噛んだことがありんしたなぁ…)抗がん剤と戦いながら、それでもあちきに甘え擦り寄ってきんしたなぁ焼きもちやきで他の子を構っていたらすぐに怒って吠えてきんしたなぁ…思い出
先月、10歳8ヶ月で亡くなったエマは、メス3頭、オス3頭の、6頭兄弟姉妹で生まれました。今の時点で、存命の同胎犬はオス1頭だけ。長命とされるウィペットですが、エマの同胎犬は、4頭が10歳になる前に病死しています。父犬母犬ともに、遺伝的疾患はなかったはずだし、近親交配でもなかったのに。先日、頂いたコメントの中にあった言葉、「何をしようとしまいと、その子がその時に逝くことは決まっていた」同胎犬の状況を鑑みてみると、この言葉に、深く納得できます。そして、私
こんにちは😃お盆やすみ。相変わらず暑い日本🇯🇵💦💦💦海外から旅行に来た方も蒸し暑さにびっくりすることでしょう‼️イタズラされてる犬…散歩は夜、少し涼しくなってからですが。ハアハアしながら歩いてます検査の結果、甲状腺は問題なさそう。秋にはまた別の検査をしてみることに。ま、元気そうですけどね。さて、、、父が亡くなってもうすこしで1カ月。早いなあ。まだ納骨前なので、私もなるべくお線香あげに行きます。母がやるべきことをサポートしています。沢山やることがありますから、一つ一つ
お盆が来ますね。私の実家での初めての仏様は、祖父です。祖父の代で分家したので。祖父は、私が高校生の時(約15年前)に肺がんになってしまいました。すぐに手術。術後。医師:「ご家族の皆さんが待っていてくれましたよ!わかりますか?◯◯さーん!1番に誰に会いたいんだっけ?」祖父:「孫〜」麻酔で意識が朦朧としている時のやりとり。手術が無事に終わってホッとしたのと、弱っている祖父からの"孫(私)に1番に会いたかった"発言にポロっと涙が出ました。祖父は、"孫のためならなんでもできる!"って
なんか・・・なんだかね・・・・不幸自慢をしたいわけではないんだけどね・・・この夏、我が家は大変な惨状私の実父母の事が重なり、法事もまだまだあるので、ナカナカの出来事だと思うんだけれどもそれに加え義母も先日検査入院の後9月に心臓の手術を受けることになり・・・その上、昨夜義父が倒れた・・・・!!!Σ( ̄□ ̄;)わりと何事にも動じないタイプを自負している私でしたが流石にナニこの流れ(・_・)と、思う訳ですこの流れの理由は、ちゃんと分かってはいるんですけど・・・あ、皆さんごめ
8月8日からライオンズゲート期のWFVを実施中ですが~ライオンズゲートのワークが終わったら別のワークに切り替えてワークしている毎日です誰のためのワーク???実は私の甥っ子とその奥さんに・・・甥っ子の奥さんまだ30代半ばです甥っ子のほうがかなり年下なのですが奥さんは同い年に見えるくらいとても可愛らしい女性愛嬌があって優しくて可愛い可愛い女性恋愛結婚で結婚3年目・・・今年の正月に私も初めて対面して楽しい時間を過ごしすてきな女性とご
ネギがハートになっている。微笑んでいるようにも見える。明日からシンガポールだから、今日の晩御飯はお蕎麦。スマイル
母の病院へ向かっていると途中祭りの準備中らしいそういえば昨日姪から交通規制注意のラインが入ってたなぁと思い病院に着くと、駐車場の入り口で警備員のおじさんに今日は22時まで車出せなくなります!と言われ、規制外の駐車場に止め直し。夜になると花火が始まり北側のサロンの窓からきれいに見えました。みんなそれぞれ集まります。今日も母は穏やかです。
知り合いから聞かれたため、書き残します。母がハルトマン手術を受けたのは平成30年7月30日でした。診断としては、直腸S状部分、リンパ節に転移、腹膜播種(小腸間膜、大網、骨盤内)右卵巣転移の疑い(ビンゴでしたが)後の検査で肝臓転移していました。ハルトマン手術とは…人工肛門を造る手術になります。尿管と膀胱を温存しましたが、播種病巣を出来るだけ切除したので、排尿に関する神経を片方切除してあります。母は人工肛門には最後まで違和感が残り、自分の一部だって思えなかったようでしたが自分
今日の母は昨日と違っていつもの母に近い状態に戻っていました。昨日は母も自分に何が起こってるのか分からず不安な心がそうさせたのかも知れません。私はお仕事が早めに終わったのですぐに母の病院へ、妹一家3名もそれぞれ揃って母もご機嫌でした。とにかくみんな都合がつく限り母のところへ行くことにしました。母が痛みのない状態が一日でもつづくようにみんな願っています。☆8
10回の予定で始まった放射線治療は順調に進み終了した。未だに背中(背骨)の痛みはあるものの、父なりに現状を受け入れ過ごせているように見える。ただ、そう見えるだけで心はわからない。今月前半、半ば、後半、と3つの緩和ケア病院の面談の予約を入れて貰って入れる。父も一緒に行く予定だ。家族みんながここに決めたいと思えるところが一致すれば、他を辞退するかもしれない。今日は、先日説明して頂いたソーシャルワーカーさんとお会いすることが出来た。もしも、短い期間でも自宅に戻ることが出来る場合のことなど少し質問
リッコの自然療法改善実績とプロフィールリッコの自然療法とは?宿便デトックスにご興味をお持ちの方はコチラ私は今、家族の癌に向き合っています。ステージ4胃に直径8センチの腫瘍膵臓にも直径4センチの腫瘍リンパ節転移腹膜播種(胃の壁を突き破ったがん細胞がお腹に飛散している状態)余命半年宣告。手術はもうできないと診断を受け、抗がん剤と放射線治療は、本人の意志で受けないことを選びました。自然療法だけでいきたいと本人が決めたので、私はその意志を尊重して
妹からの知らせで母に血便がみられたので、病院でCTと胃カメラの検査を受けたとのこと。今日検査結果を聞きに病院へ結果は末期の胃がん!母が痛みが無いのがせめてもの救いです。画像を見せてもらいましたが、こんな状態で今まで何の異変もなかったのが信じられないくらい、素人目にもひどい状態でした。出血が多かったので、輸血を3回し食べ物を食べられる状態ではないので点滴をしてるがその点滴を嫌がり針を何度も抜くので、ミトンを付ける許諾書に捺印をしま
やり過ぎたボランティアというか、ちょっといきすぎなボランティアの女性が居まして、思い出してました。父親が生前のときにはボランティア活動をしていたということもあり、色々な人との関りがありました。父親と仲良くしてくれていたのが、60歳代の女性でした。もちろん既婚で旦那さんが居ます。60歳代の女性をここでは、Mさんと呼びます。このMさん、かなり神経の図太い人なんです。父親がはじめて検査入院したときにもお見舞いに来ていました。普通にお見舞いに来ていただけるならば、こちらも有り難いのですが、
末期胃がんで病んでいた頃の事が薄れていく2017年4月頃歳を重ねる程に、歳月流るる如しの諺(ことわざ)がある様に、年月が経つのが速く感じる。退職後、何するでなく時間だけが過ぎた様に感じる。DIYを楽しむ。ペーパークラフトも無料サイトからダウンロードして暫く楽しませて貰っているが、気儘に時を過ごしていると、こんな生活をしていて良いのかと思う。喉元過ぎれば熱さ忘れるでは無いが、末期胃がんで病んでいた頃の事を忘れ、徐々に生活面もルーズに成って来ている。体調は?と言うと、頗る快調ではあるも
実母は急に食欲が無くなった。吐き気がすると言い、果物ばかり食べる。とりあえず、栄養補助食品などを利用していた。痛み止めも微妙なので早めに受診した。一週間でも入院させてくれないかな?とか、思ってた。私としては安心だしね。看護師さんによると、実母はまだ、薬の調整などに、かなりの方法を残してるから、通院で大丈夫ではないか?他にもまだ入院が必要な悪い方がいらっしゃる、と言われた。緩和ケアの最初の説明の中で、調子が悪い時には相談して入院して、様子みて退院すればいい…そんなふうに理解してたんだ
父は今のところ抗がん剤がよく聞いてるのか、体調が良さそう。でも体調が良くなると、いわゆる「面倒くさい父」が出てくるのだ。入院前は何も食べられず、弱ってしまって、母に「迷惑かけてすまない、お前は大丈夫か?」と母を気遣っていた父の口からそんな言葉が出るとは、これは先は長くないなと思ったくらいだしかし一転。アレが食べたい。これが飲みたい。毎日のように要望する。飲み物においては歩けるんだから自分で買いに行けばいいのに私や母を呼び出しては「いつお風呂に入れるか看護婦さんに聞いて
痩せてきたら死ぬよ❤️若い末期がん、、若いケトンしてやせ細り、、カヘキシアへ、、どうせ死ぬからまっ、、いいか、、僕はグルメだ、、あきら血糖コントロールしてるのみ、、ふらっと都内高級ジム、、都内高級料理、、いなかカフェ、、ミシュラン巡り、、ラメールも、、若い末期がんどうせ死ぬんだよ❤️、、なぜ僕は痛みが出ないのか、、簡単だよ、、身体の補強してるからがん患者って、、ほんとうに治す気ないもん、、ヘモグロビン16,17まで上げろと言われたら必死で上げるべ
あきらナイアシン❤️Ameba初がん治療法、、末期がんナイアシン利用あきら世界初の試み僕が世界で初めて末期がん治療法に取り入れた。まあ、、臨床医何人かは僕の後から実験してる、、、そもそも臨床医で末期がん僕だけだから、、他人で患者で実験してるのみビタミンミネラルにんにく補強指導も末期がん保険医は僕だけだ、、日本🇯🇵で末期がんでも働いてる開業医へ僕だけである、、、若い❤️がん、、ナイアシン❤️とにかく僕はナイアシン1500mg〜飲まないと夏でも冷えるのだ、、、健康
保険医は食事のことは話さない、、僕の医院、、保険医、、保険診療所、、料理の話ばかりである、、近隣の生ハツ生肝レバー出すお店を紹介してる、、それに自宅での料理法も、、ゆっくりと教えるのだ、、子どもちゃんから聞き取りして好き嫌いも聞いて、、ハンバーグに混ぜてとか入れるタイミングも教える、、僕は末期肺がんで亡くなったママ🤱から料理を幼少時から仕込まれてる、、3歳頃から、、なんでも作れるのだ、、料理は科学である、、やはり天使系、、遺された、、す
わたし病気なんです、、末期がん❤️なんです、、腫瘍❤️再発してます、、病気である自分に酔ってるのだ、、自己陶酔してる、、難病がん特定疾患も、、本気で治したいなんて患者も、、家族も、、思ってないよ、、だって、、楽しい病院🏥通ひ、、、患者はさ、、頑固だ、、、、ビタミンミネラルにんにくを信じない、、そんな安いもので楽にならない、、症状が緩和なんてされないよー、、絶対に信じないのだ途中、、
タピオカ飲んで❤️末期がんへ、、僕は嬉しい😊、、仲間が増える、、転移末期がん増えると楽しい、、末期がん❤️毎朝、、だるくてがん関連疲労最高だよ、、怠け病、、タピオカ飲んで❤️末期がんへ、、がん患者へ、、タピオカを勧める、、最高だと思う、、人の人生なんてさ、、平安時代、、30〜40歳で死ぬのよ、、だからさ、、もう、、30歳超えたら、、死ねばよいのだ、、30歳超えたら末期がんで死ぬ、、平安時代なのよ、、僕は末期がん若い❤️癌がん患者が増えるのが
母は外食をするのが好きだった。理由は、「自分の作ったものは美味しくないけど、人に作ってもらったものなら美味しい」と良く言っていた。確かに自分が毎日食事を作る中で、常に新しいものを作り続けるなんて私には無理。ある程度パターンも決まってくるし、新しいオーブン料理に挑戦しよう!と意気込んでも、甘えんぼう真っ盛りの子供を抱っこしてキッチンに長時間立つことは出来ない。何故なら私も腰痛持ちだから。うちの家系はどうも腰とか肩とかの疾患を抱えている者が多い。私もそうだが週に一度は鍼でメンテナンスを
先週から胸の上の方に痛みがありましただんだんと傷みがひどくなり、息を吸っても痛いので乳癌検診へ行ってきました先生いわく「癌でこんなに痛くならない、整形だね」でした末期がんではない良かった~一安心でもあまりにも痛いので湿布を貼っていましたが、寝ていて体の向きを変えるだけでひどい痛みで目が覚めるし何をしても右胸が痛いので今日、整形外科へ行ってきました
病室に着くなり…「良くしてくれるのに、つっけんどんに物を言ってしまって申し訳なかった…」と落ち込んでいた。どうやら、看護師さんに聞かれたことに対してキツく返事をしてしまったようだ。昨日、治療の中止や余命宣告を聞いたばかりで余裕などあるわけがなく、責めることなど絶対に出来ない。「大丈夫。今日の担当の看護師さんには、私が後で謝るから」とだけ伝えた。父だってそんな態度を取りたいわけではない。現に、そのことを気にして落ち込んでいたのだから。周りに虚勢を張り、強く当たらなければきっと自分が保
今日は31日もう7月も終わりです。梅雨が長かったからか、それともいろいろあったからかどうもまだ8月を迎える気がしません。ところで、昨日、本屋でいい本を見つけました。小笠原文雄さんの「なんとめでたいご臨終」うちの父が末期の胃がんであることは前にも書きましたが入院も手術もしないで、自宅で最期までいようねと決めたらめちゃくちゃ元気になって、今は胃がんとわかったときよりご飯も食べられるようになって、お酒も少し飲んでいます。遊びに行けばケラケラ笑い、多発性筋痛症もあるの
会話もなんとなく出来るようになり、見る見る内にせん妄も解け、カルシウムの数値も正常に戻っていた。ついにこの日がやって来た。先日、母と兄と私と主治医で話したことを父にも伝えなくてはならない日。告知の日。17時頃、主治医と担当の看護師さんが部屋に来た。もちろん、前日から約束はしてあった。父は、話を聞くということをあまり深刻に捉えていなかったため、余計に胸が苦しかった。家族全員が別室へ案内され、ついに始まった。主治医から、今の体力では抗がん剤を使うことは勧められない。緩和ケアを選択肢に入れ
痛みに寄り添い自分を取り戻す、緩和ケアアロマセラピストの松浦智恵美です外に出ると、「暑いね」を通り越し、頬に当たる紫外線が「痛い」ですね高円寺駅前を通りかかった時路上ライブのように、小さな紙を前に出し立っている一人の若者。小道具?はなにもない。「何をする人だろう?」と思って視紙に視線を向けたらね、「15秒で、ウシシと笑えるネタやってます」と書いてある。それ読んだだけで、思わず笑ってしまった。若者が、私を見て手招きした