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再構築を決めて2ヶ月半、ブログを始めて1ヶ月半が経とうとしています。毎日何回も起こるフラッシュバック、自己処理できず夫に気持ちをぶつけてしまうことも何度もありました。その度に再確認する、裏切った者と裏切りられた者の間の埋められない溝…落ち込み、立ち止まり、時には後退しながらまた前を向く、そんな繰り返し。おそらく今私が心療内科を受診すれば、何らかの診断を下される状態であることは自分が一番わかっています。朝までぐっすり眠ることはできなくなりました。夜明け前に目が覚め、同じことを考え続ける時間。私に
夫に気持ちを吐き出してから数日、言いたいことを言えた満足感と、夫の心に届いたのかという不安感、そして吐き出す前と後何も変わらない生活と夫の態度へのモヤモヤ…そんな感情に支配されながら、アパートで一人過ごす週末です。ブログを始めてから、たくさんの方の経験も読ませていただいています。あらためて、世の中に溢れる裏切りの多さに心が痛みます。お一人お一人の苦しみ、悲しみ、憎しみ、妬み、そしてどうしようもない愛情、様々な心情に触れ、今迷いの中にいる方、戦いの中にある方すべてに明るく幸せな未来があることを願
昨日、自分の気持ちを口にできたことで、ここ数日の中では一番穏やかに過ごせました。とはいえ、一日に何度か起きるフラッシュバック…私は何かがきっかけというよりは、夫からの心ない言葉を思い返し、そこから夫が相手と過ごした時間を想像し、真っ暗な深みにはまっていくというパターンです。今日あらためて確信したことがあります。私は一生夫を許せません。私が信じるのは今の夫、これからの夫。過去の夫は捨ててやります。自分の心を守るための決断です。許せないなら許せないままでいい。無理することはないのです。一度きりの
月曜日に負った新たな心の傷。その傷はかなり深かったようで、時間が巻き戻ってしまったかのような状態にまでなってしまいました。今日は朝から仕事に集中できず、突然手が震え、息が出来なくなり、意を決して夫にLINEを送り、もう一度私の気持ちを聞いて欲しいと伝えました。先程、夫が電話してきたため、自分の気持ちを隠すことなく伝えました。言葉より先に涙が溢れる状態でしたが、今言えることはすべて吐き出しました。夫からの返事はわかったよ。これからも頑張っていこうな。それだけ❓でも何だかスッキリしました。
昨日は夫が自宅に帰ってきていました。文章にすることも辛いので今は多くを綴ることができませんが、気持ちがかなり逆行してしまい、心に張った絆創膏がすべて取れてしまいました。不倫した側とされた側、裏切った者と裏切られた者の間に存在する大きすぎる溝を改めて感じました。自分としっかり向き合います。
今日は夫のアパートで1人過ごしています。再構築のトンネルに入ってから、体調の波が激しくなりました。平日は仕事があり気が張っているからでしょうか。土曜日はかなりの確率で体調不良です。以前ならほとんど1日ゴロゴロしていましたが、週末婚復活からは、体調と相談しながら休み休み出来ることをしています。1日1日大切に生きる。当たり前にあることに感謝する。私は今確かに幸せです。辛くなることも苦しくなることもまだまだあります。心の傷は毎日疼きます。去年の今頃は…毎日振り返ってばかりです。でも夫は今確実に私
今日は金曜日、仕事終わりで夫のアパートへ来ました。夕飯の準備をして、夫の帰りを待っています。こうしていると、約1年前からのことが、悪夢だったのではないかと思えるくらい、元の生活に戻っています。でも毎週アパートへ入るたび、違和感を探し、何もないことにホッとするという新たなルーティンが加わってしまいました。やはり心から信頼することは無理なんだという現実を突きつけられます。信頼できないまま共に生きる。寂しいことですが、これもまた私が選んだ人生。夫と過ごす時間は穏やかで、安心できます。先日、夫と2
夫婦の三組に一組が離婚する。自分の周りでも不倫や浮気をしている人の噂を聞くことは少なくない。でもどうしてでしょう。自分が当事者になるなんて、本気で考えたことはありませんでした。その証拠に、私は結婚当初から夫に女性問題だけは絶対許さないし、発覚したら迷わず別れると宣言していました。それが現実となった時、私は離婚の決意をできないどころか、自ら再構築の道へ進みました。ここに来て、たくさんの方々のブログを目にし、100人いたら100通りの考え方があり、価値観があり、生き方があるのだと日々感じています
皆様、申請そしてメッセージありがとうございます。お一人ずつ、しっかり受け止めさせていただいております。メッセージへの返信で承認が遅れてしまうため、承認をもって、感謝とご挨拶にさせてください。これからもよろしくお願いします。
私の拙いブログをお読みいただいている皆様、いつもありがとうございます。夫と再構築の道を歩み始めたばかりですが、やはり受けた傷は相当深く、いろいろな面で日々不安定になり、今まで考えなかったようなことまで、掘り下げて考えてしまうようになりました。私のブログを読んで、共感してくださる方や、今現在、同じような立場で戦っている方、戦いを乗り越え、穏やかな日々を送っていらっしゃる方、私の苦しみを理解して、寄り添ってくださる皆様に支えられています。そんな皆様と思いを共有したいと思い、勝手ながらアメンバー
こんにちは♪今日は、前回のブログの補足です。読み返していて、言葉が足らなかったかなぁ〜と思ったからです。……………………………………………………これまでの人生経験から言えることは、"苦しみや辛さは無駄ではない"ということ✨これは声を大にして、はっきりと言い切れる。苦しみや辛さを感じる《経験をした》ことは、想像や見聞とは絶対に違う。……………………………………………………として、エピソードをひとつお話ししましたが...結局何が言いたいの?
朝が来ました。朝が来たはずなのに、私は真っ暗闇の中にいました。私の思いとは関係なく時間は流れていく。家族が一緒にいてくれるのに、どうしようもなく孤独でした。この日はお盆初日、お墓参りもあり、両親も妹も予定がある中、最大限私に寄り添ってくれていました。家で一人にしておくのは心配だったのでしょう。母と妹が買い物に行こうと連れ出してくれました。正直、昨日のダメージと眠れていない中フラフラでしたが、私自身一人になりたくなくて、一緒にスーパーへ出掛けました。食べたい物を聞かれても、何も思いつかず、ただ
6月の終わりくらいから、夫が自宅に帰る頻度は更に少なくなっていました。帰る約束の当日朝に電話があり、帰れなくなったと伝えられたことも何度かありました。私は毎年夫が休暇になるお盆前後に、1年に1回取得できる長期休暇を取得していました。こんな状況ではありましたが、今年も例年通り予定を入れていました。夫が自宅に帰ったタイミングでそのことを伝えた時は、反応は薄いまでも、一緒の休みは苦痛ではないし、お前と居ると楽だ、というようなことを言っていたので、この休み期間に少し歩み寄れればいいなと考えていました
夫婦としてはこんな状況の中、自宅のリフォームの話が進んでいました。私としては夫の気持ちを試すための賭けでもありました。この話が具体的になったのは3月頃。ただ、ショールームの見学など、夫が自宅に帰る日に合わせて予定を立てていたものの、事前にカタログをしっかり確認したり、義理両親の希望も聞くなど、意外にも夫は協力的でした。6月中旬の月曜日、業者から最終見積もりの説明があるとのことで、私は夫の休日に合わせ仕事を休みました。丸一日休みが一緒なのは久しぶりでした。午前中に業者との打ち合わせは終わり、夫も
義理母は息子の言うことを全面的に信じました。夫は今は夫婦で今後のことを話し合っており、自分なりの最大限の歩み寄りとして、できるだけ自宅に戻っている…と説明したそうです。義理母からは私が深く考えすぎだとか、あの子なりに私のことをしっかり考えているだとか言われました。どこまでお気楽なのでしょう。私が違和感を感じてから既に半年以上、離婚の意思を告げられてから数ヶ月、これが私の勘違いなら、この世はすべて幻です。信じられるのは自分だけになりました。私は私の意思で夫を信じる。必ず戻れると信じなければ生きら
俺が帰れる時に帰る宣言した夫は、この期間2週から3週に1回自宅に帰るようになりました。日曜日の夜に帰って、月曜日の夕食終わりにアパートへ戻る。休日が合わない私たちが一緒に過ごせる時間は、眠る時間を省けば数時間。以前のように何も考えず笑い合うことはできませんでしたが、決して険悪になることもなく、おそらく私たちの事情を知らない人が見れば、極普通の夫婦に見えたと思います。週末、夫のアパートに通えなくなってからは、自宅で普段出来ない所まで掃除をしたり、ずっとサボっていたことを片付けたり、自分の体のメ
平行線の話し合いというより私の意思を伝えた翌週の日曜日、夫は自宅に帰りました。先週の2人の話がなかったかのように、普通に義理両親の前で夕食を食べました。両親も夕食後に何らかの話があると待っていたのですが、そのまま夫は夫婦の部屋がある2階に上がってしまいました。夫の後を追いかけ、両親に話しないのかと聞きました。夫の返事はお前はこれからも両親の面倒を見るんだろ?じゃあ見終わったら離婚すればいいよ。今の状況で親に話すことはない。えっ❓❓❓意味がわからない。あまりに衝撃的すぎて笑ってしまいまし
約束の日、義理両親にはまず2人で話させて欲しいとお願いし、夫の帰りを待ちました。夫は仕事の途中で寄った様子でした。こんな大切な話を片手間で終わらせるつもりなのだと、夫の気持ちは1カ月で変わっていないのだとすぐわかりました。まず私から、1人になって考えたことを伝えました。今まであなたの優しさに甘え、私ばかりがいろいろなことを犠牲にして頑張っていると思ってきた。義理両親にイラつく気持ちをあなたにぶつけ、傷つけてしまってごめんなさい。私は今離婚できません。私にはまだこの家でやらなければならない
もうダメだと何度も思いました。でも私には支えてくれる家族と戻れる仕事がありました。食べられない、眠れない、テレビもスマホも見られない、ただ息しているだけの私を見捨てずにいてくれた人たちのお陰で、仕事に復帰し、少しずつ人間らしい生活を送れるようになりました。夫と再度話す約束の日、私がアパートに行くことになっていましたが、義理両親が私の体を気遣い、夫を自宅に呼び4人で話せるように計らってくれました。私は今更夫を責めるつもりは欠片もありませんでした。お互い至らなかった部分があったにせよ、離婚したい
仕事始めからは、精神的に不安定な毎日でした。何をしていても不安で、あのLINEの内容を思い出し、夫の動揺を思い出し、居ても立っても居られず、夫へ電話しては、本当に相手とは何もないのか、連絡していないのかと問い詰めました。私は電話でも冷静に話せず泣いてばかりいました。不安で仕方ありませんでした。それは夫が自分の口でしっかり説明してくれなかったから。やましいことがないのなら、どうしてこんなことになっているのか説明できるはず。私はどこかでわかっていたのかもしれません。でもやっぱり認めたくなかった。愛
明日からまた週末婚になり、仕事も始まるという現実が目の前にある以上、私には夫の言い訳を信じるという選択肢しかありませんでした。昨日相手の連絡先は消したという嘘も、その時は突き詰めることができませんでした。私には勇気がなかった。真実を知る勇気が。自信がなかった。離れていく夫の心を取り戻す自信が。だから目を塞ぎ、耳を塞ぎ、心を閉ざし、平静を装って、休暇最後の日を過ごしました。夫からの離婚宣告まであと10日です。
こんな手紙が未来のわたしに返信しよう♪1年後の私よ!嘘じゃないだろうな?いつの日かの京都タワーまたぼちぼちブログ更新していこう
翌日夜夫は普段通りにアパートへ帰ってきました。いつも通りに私が準備した夕食を2人で食べました。1人になりたい、時間が欲しいと告げてきた夫。期間はおよそ3週間。その間電話はしない、LINEは用がある時のみ、もちろん自宅へは帰らない。義理両親には仕事が忙しいと説明しておくように言われました。一晩いろいろ考え、いつものように自分の言いたいことを心の中に閉じ込めました。今までも私が我慢することで、いろいろなことを乗り越えてきました。きっとこの状況も乗り越えられる。私ならできる。夫を支えられるのは私だ
お前今幸せか?こんな状態なのに幸せな訳ないでしょ❗️売り言葉に買い言葉でした。だって私は幸せでした。夫を信頼していたから、愛する人が私の夫なのだから。毎日帰る場所があって、温かいご飯が食べられて、お風呂に入れて、温かいお布団で眠れる。それなりに頼りにされる立場で続けている仕事がある。私は幸せでした。でもその時は、いろんなことを犠牲にして、精一杯夫の人生に寄り添っている私がなぜこんなことになっているのか、冷静ではいられませんでした。倦怠期かなぁ…1人の時間が欲しいんだ。はっ?!1人の時間な
いつも通りの金曜日、その日は仕事の都合で夕食が作れず、私が買ってきたお弁当を食べていました。最近会話は減りつつありましたが、その日はいつもにも増して重苦しい空気が流れていました。仕事で何かあった❓違和感を感じ始めてから何度も投げかけてきた質問。答えはいつも通りの別に…これまではこんな感じでも流してきました。きっと休みも取れないくらい忙しいのだから、疲れていて当然。そのうちきっと元に戻るだろうと。ため息をつきながらお弁当を飲み込むように食べる夫を見て私は全く食欲がわきませんでした。お弁当
10月最後の日曜日、夫は約束通り前日土曜日の夜から自宅に帰ってきました。おそらくこの時点で、1ヶ月以上自宅には戻っていなかったと思います。その間、純粋に息子の、休み返上での激務を義理両親は心配していました。何度か私に様子を尋ねてきたこともありましたが、よくわからないとしか答えられず、正直自分の息子に聞きたいことは、自分で本人に聞いて欲しいと思っていました。でも義理両親は全面的に息子を信頼して、息子のことは全て嫁である私にお任せ。自宅のことも嫁がいれば大丈夫というお気楽さで、決して夫を問いただす
夫からの電話はほぼなくなったものの、週末婚状態は継続していました。金曜日の夜アパートに向かい、夕食を準備。土曜日の日中は私1人でダラダラ過ごし、夕飯を準備して夫の帰りを待つ。5年以上続いている私のルーティン。変わったことといえば、金曜日夕食の準備が難しい時は、当たり前のようにしていた外食を夫がしたがらなくなったこと。仕事のことなど、私が聞かなくても、その日あったことをあれこれ話してくれていたのに、ほとんど話さなくなったこと。月曜日も仕事があるからと、自宅に帰らなくなったこと。これだけ変化があ
私にとって夫からの毎日の電話は愛情の確認でした。まあ、今となっては私の自己満足でしたが💦もともと休日が合わない私たちは、付き合っている頃から一緒に過ごせる時間が限られていました。夫は付き合い始めの頃から毎日電話をくれました。それは私が求めたことではなく、夫が自らしてくれていたことでした。決してマメなタイプではない、メールやLINEが苦手な夫からの唯一の愛情表現だと思っていました。大した話はなくても、私には大切な時間でした。その大切な時間を必要ないと言われた…口にしたい言葉を飲み込みました。
なんとなく感じる違和感…始めはその程度でした。私のコロナワクチン2回目接種を心配し、自ら病院の送り迎えをすると言っていた夫が、前日になり急に仕事の都合で行けないと言う。他県の現場に行くため泊まりで出張だからと毎日していた電話ができない日が増えていく。休みが取れないと言い、自宅に帰らない。今思い返せば、この時私が感じた違和感をしっかり夫に伝えていたら…でもその時は夫の裏切りには気付けず、休日返上で働く夫への心配と夫不在の中当たり前のようにある義理両親との3人での生活を維持することに精一杯で、言
夫が単身赴任になりました。もちろん最終的には私も了承したことですが、ほぼ事後報告に近い状態で、反対する余地はありませんでした。私にも20歳から一度も辞めずに続けている仕事があり、夫の勤務地へ同行することはできませんでした。勤務地は自宅から高速で1時間弱、通って通えない距離ではないものの、その頃の私たちには往復の交通費負担は重いもので、赴任地での家賃光熱費は勤め先が負担していただけるという条件を受け入れることが、2人にとってベストな選択でした。私は土日休日、夫は基本月曜日が休みのため、このまま