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中本酒造。奈良県生駒市上町1067長屋王720ml、買ってきました奈良時代前期の皇親・政治家。太政大臣・高市皇子の長男。皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原四兄弟(藤原不比等の子)の陰謀といわれる長屋王の変で自殺。神龜乃黄金酒「長屋王」は長屋王の邸宅跡から出土した木簡に記された仕込み配合をもとに当時のお酒を復元した日本酒です。超甘口で濃厚ですが、後味はスッキリとしていて大変飲みやすく、冷酒・燗酒・氷を浮かべてロックでと様々な飲み方が楽しめます。奈良時代の王や高貴な方
おはようございます。片岡青霞です大人の毎月の課題木簡。どんな法帖においても、この法帖をやることによって何を学ぶことができるか。どのような勉強になるかということが必ずあります。この木簡をやることによって、どんなことを学ぶことができるのか。【木簡をやることによって学べること】✔筆の開き✔リズム✔素朴さ✔大胆なタッチ痛快さ✔文字の表情✔逆筆(蔵鋒)など。木簡は筆いっぱいに墨を含ませて書くことで、たったそれだけでふくよかな印象を与えることができます。ここに線質や
朝、テレビをつけていると、たまたま関西ローカルの番組をやっていました。あちこち、関西の街をブラブラして、『隣の人間国宝さん』を見つけるコーナーがあり、『隣の』とつくだけあって、すでに有名な方ではなくて、ふらっと訪ねた所で話しを聞いて初めて知る人間国宝さんなんですが、これがまた、びっくりするような人生だったり、すごい発明してはったり、すごい技術を持ってはったりするんです‼️知らんだけで、すぐ近くにいろんなオモロイ人が住んではんねんやなと思えてきます😆それで、
アルコール:18度精米歩合:90%原材料:米(国産)米麹(国産米)使用米:製造:中本酒造店購入価格:先日東京キモノショーで購入した日本酒。奈良時代の酒造りのレシピを再現したものだそう。奈良時代、天武天皇の孫・長屋王の邸宅跡から出土された1300年前の木簡に記載されたレシピ。今の時代で入手できる素材で蘇らせたとか。全然古臭くないお味、1300年前も本当にこの味出せるの…?当時の米や水でだいぶ違うかな??酸味がありつつ、香りが良い。長屋王やこの邸宅に
奈良旅行つづきです「平城宮跡」へ行って参りました。また外国人が、てんこもりではないかと・・・おそるおそる訪れたら駐車場もからっぽ。朱雀門前の広場では地元の子供たちが草野球・・・なんてこった全く人気がないWHY新品だから、値打ちがないのかな。昔の通りに造っているんですけどねぇまずはこちら「平城宮いざない館」ガイドブックに「こちらへ行ってからと行かずに見学するのでは大違い」と書いてあったので入ってみた(無料)
当ブログは趣味の釣りや自然観察郷土の歴史、庭仕事、家庭菜園など田舎暮らしの様子を岡山県からお届けしている日記ブログです。みな様おはようございます。本日も訪問ございます。今日は4月6日(土曜日)大安(春の全国交通安全運動)4月15日まで、安全運転を心がけたいと思っています。(備中国分寺五重塔)先月19日、奈良県平城京跡で聖武天皇が1300年前に即位した「大嘗祭」に関する木簡が大量に見つかった記事が朝日新聞に出て
古代文字から半導体へと■20240323の熊日コラム「新生面」では、今、開催中の「文字が語る古代のくまもと」展が紹介されています。くまもと文学・歴史館で開催されているものです。それによると、古代合志市では、木簡が流通していて、そこには税金たる品物の荷札として盛んに文字が利用されていたということです。そして、昨今の半導体産業の誘致、何やら「記録」という点では、似たような構図なのかもしれませんね。古代人は木簡に記録を認め、現代人は半導体を元とする記憶媒体に記録するという対比が面白
臨【敦煌漢簡】久しぶりに木簡を臨書木簡はリズム良く、文字の形体とかさほど気にせず書けるので楽しいhttps://youtu.be/uWg8NB0vyb4敦煌漢簡(木簡)より2文字臨書|書作4月号|書道|毛筆|筆文字|書道パフォーマンス|Japanesecalligraphy|Chinesecalligraphy|Mikey(マイキー)書道チャンネル、ご覧いただき有り難うございます。【筆文字屋MikeySUZURI店】Tシャツ・マグカップ等の販売https://suzuri.
夕陽を眺めて花粉光環が写るかな花粉光環は確認できませんでした。移動している飛行機が写りました。奈良で1300年前の木簡発見される木簡って土にかえらないのね現代の情報は1300後に、どういう形で残るのかしら。「自分はこうだ」と思い込んでいた「今までの自分」から解放されると、幸せの幅がグンと広がります。『いつも幸運な女性の「365日のエレガンス」』「わたしって…」って自分を縛らなくもイインジャナイウフフ(* ̄)m☆゚・.
大嘗祭の木簡出土奈良文化財研究所が、令和6年3月19日に発表したところによれば、平城宮(奈良市)に近い一等地、「左京三条一坊二坪」で見つかった土杭(穴)から「大嘗分」(だいじょうぶん)と書かれた木簡が出土したとか。「大嘗」と記された木簡は初出土で、西暦724年、聖武天皇が即位した際の代替わり式「大嘗祭」関連とみられる。【関連動画】御即位された天皇が初めて行う新嘗祭。こうして神々に全国各地から奉納された新穀を奉り、国家国民の安寧と五穀豊穣を祈る祭りが現代にも続いているって
バケモノ過ぎる……聖武天皇即位1300年目の年に発見「因縁のようなものを感じざるをえない」木簡1000点以上が出土…即位時の「大嘗祭」で使われたか(MBSニュース)-Yahoo!ニュースhttps://t.co/r2ku7I4y6f—か(@archaeo_philos)March19,2024大嘗祭は新天皇即位した年だけの新嘗祭だから大嘗祭の木簡が出土は確かに因縁か藤原不比等の怨念も加わってそうだな首皇子一応大仏の加護も
東京都足立区にある「足立」は区名にもなっているが、町名としても存在する。足立区の南部で荒川の北に位置し、綾瀬地域に属する。葦の生えていた場所この一帯に葦(アシ)が多く生えていたので「葦立ち」と呼ばれ、これが転じたという説がある。「足立」の地名が最初に確認できるのは、奈良時代の735年(天平7年)の木簡で、武蔵国足立郡に由来する。歴史的にも古い地名であるが、町名が成立したのは1960年(昭和35年)の住居表示の際で意外と新しい。
おはようございます。片岡青霞です大人の木簡臨書。書作品を持っていった際に、ある方が師匠に言われていた言葉。「綺麗すぎる、見れない!」一般的な感覚からしたら、“えぇ…?どういうこと?”ってなりますよね。皆さんだったらこの言葉に対して、どのように自分の解釈を入れますか。私なら、綺麗すぎて、まとまりすぎて、荒も無くて、こもってなくて、見ていて面白くも何ともないよ。という風に受け止めますが、皆さんはどのように思いますか。遊んだら片付けて。汚れたら拭いて。散らかっていたら
1月18日。上野駅で岩手物産展をやっていたので、パンフレット貰いに寄ってみました。こんなものもらったよ。カエルのご当地キャラの名刺もらった。キャラが来ていたのよ。ケロ平というらしい。遺跡から出てきた木簡にカエルの落書きがあったのでということらしいです。でも、写真が小さくて良く見えない残念。
平城宮跡の北東の角、遺構展示館前は何回か通ってますが初訪問。平城宮いざない館、平城宮跡資料館と、平城宮跡内資料館、3ヶ所目内裏遺構模型。内裏正殿。内裏の変遷。遺構露出展示。井戸枠。内裏の井戸。第二次大極殿。基壇土層。屋根の部分復原。中庭。後殿跡。方形井戸枠。第一次大極殿と民家の瓦。木樋。木簡。レンガ。内裏と井戸。退散します。第一大極殿。パンフ。『令和6.1.21.平城宮いざない館(平城宮跡)長屋王屋敷跡出土品!』またまた平城宮跡へやってきました。朱
「天気いいし、せっかくだから何処か行こう♪」と言いながらドライブしていた私達家族🚗たまたま通りかかった歴史資料館に入ってみたところ、館内のスタッフさん達に勧められて“木簡”というものに字を書いたり絵を描いたりすることに✏️木簡(もっかん)とは、主に古代の東アジアで墨で文字を書くために使われた、短冊状の細長い木の板である。紙の普及により廃れたが、完全に存在を消したわけではなく、荷札などには長く用いられた。竹片に書かれた竹簡と木簡を合わせて、簡牘と呼ぶ。(wikipediaより引用)
京都のくぼちゃんです。私は、奈良県と京都府の県境の精華町に住んでいます。昨年11月、「自転車さんぽ~晩秋編~」で平城宮跡を訪れ、南方にある平城宮の正門「朱雀門」を折り返すコースをご紹介しました。今回は、その朱雀門前の広場についてお話しします。世界遺産の中でも、特に平城宮跡ならではの魅力が2つあると奈良文化財研究所の岩戸明子先生は、おっしゃっています。1つ目は遺跡の残り具合が世界でも隋一というほどに良いこと。2つ目は官僚制度や文書行政など平城宮の時代に形作られた国としての体制やシステムが現
またまた平城宮跡へやってきました。朱雀門。1月27日は若草山山焼きですねぇ平城宮いざない館。何回も平城宮跡には来てますが、こちらに入るのは何と初めてお隣に鍛治工房跡。平城宮跡、発掘されるまでは長い間、田んぼやったんですねぇ。館内。四神。雪の大極殿。平城宮の様子展示室へ。朱雀門を守る衛士。平城宮の模型。あをによし〜朝堂院で催された騎射。第一次大極殿の後ろからの模型。平城宮はどのような宮だったのか。中臣の祝詞。東院庭園の模型。隅楼、無いですねぇ。朱雀門は開か
栄原永遠男博士平成三十年(二〇一八)十月二十日、「安積山の歌」木簡発見十年を記念して、発見者で大阪歴史博物館長の栄原永遠男氏をお招きして、講演会が開催された。場所は安積歴史博物館である。これを主管した安積歴史塾は、星亮一、丹治徹、平川真理子、七海晧奘等各氏と安藤智重で結成した団体である。安積に関わる歴史の講座を開催して、郷土史の普及に努めている。同氏の講演に先立って、岡部富士夫氏の指揮により「安積山の歌」の演奏が行われた。湯浅譲二作曲「安積山の歌」(合唱曲・郡山JC委嘱作品)郡
今日は新しい先生に付いて初めての臨書講座でした。10時から17時までビッチリ‼️題材は造像記と木簡でした。イヤ〜書いた書いた💦お恥ずかしながら😅こんなに1日で書いたのは初めてかも💦ってぐらいに書きました。半紙100枚以上は書きました。しかも、木簡の臨書は初めてでした😅・・というのも木簡の臨書が好きではなくて😞今まで避けていました💦先生から木簡の臨書は調和体を書く時にとても役立つと聞いて頑張って書きました‼️でも何度書いても上手くいかず挫けました😭「はあ、
”『論語の活学』-安岡正篤!!”今回は”論語”について考察してみたい。いろいろな”論語本”が出ているし、いろいろな人の”論語本”を読んでみたが、遂に”安岡正篤”の解説本を手に入れたので、私なりに書いてみたいと思う。”論語”は四書の一つとして有名であり、長い間官吏登用制度の”科挙”の試験科目として採用された。木簡に書かれた”論語”-当時はまだ紙が発明されていなかった。それが、孔子家の壁の中から出てきたという。もし、見つからなかったら、現在まで”論語”は伝わっていなかったとも言われている。●
【「歴史」とは?】歴史とは何だろうか。デジタル大辞泉によると、「人間社会が経てきた変遷・発展の経過。また、その記録。」とある。広い意味では、人類がたどってきた大きな流れを対象にすることになるが、狭義では、文書に残されたことから人間の営みの推移を研究することである。デジタル大辞泉の最後の行に、「その記録」とあるのは、対象領域が文書などに残された事象に限定することを示している。【記録されたものと口承されたもの】文字の使用開始が遅かった日本列島において、古代史の原史料となる活動
刀子木簡の木を削る道具で書き間違えた時に木を削って文字を消す。ざっくりいうと消しゴムのようなもの。文官の必需品。正倉院に納められた刀子を見て不思議に思った事があります。なぜか柄に反りがあるものが多いのです。https://shosoin.kunaicho.go.jp/api/bulletins/33/pdf/0333030062・・・・・現代の感覚でいえば刀子は文房具に分類されます。武具ではありません。サイズ的
おはようございます。片岡青霞です木簡の法帖には様々なものがありますが、大人のお稽古で主に活用している木簡の法帖は木簡集英。通称、赤本です。この法帖は、墨美社が発行している本ですが、現在店頭に通常販売はされていないため古本屋やネットでしか購入することができないようになっています。私も10年前にgetしましたが、古い紙質でたくさんの木簡が集約されており重宝しています。価格は8,000円の値札が貼ってありましたが、オークションなどでさらに安く手にした方々もいるかと思います。書道
【古代史におけるエビデンスとは】裁判において目撃者や証拠物件が不足している場合、状況証拠に頼らざるを得ない。古代史の場合目撃者は記・紀などの国内文献や中国や韓半島の海外文献が該当する。海外文献は、第三者なので比較的信用がおけるが、国内文献は、利害関係が絡むため身内の発言のように疑ってかかる必要がある。遺跡からの発掘物は、金属器や土器・陶器など人々の活動と結びつくものがあり、多くのものが状況証拠として推理の役に立つことがあるが、状況証拠に重点を置かざるをえなかいということは根拠
【意図された正史】記・紀などの文献資料は、編纂者によって意図的に作り上げられている部分が多少なりともある。我々が日記を書くときに他人に知られたくないことを隠したくなる心理と似ているのかもしれない。それ以上に現政権の正当化をはかることを意図しているのだから、それなりの虚偽も記されていると見なければならないだろう。【廃棄された木簡】木簡は、多くの場合不要となった後まとめて溝などに廃棄されたケースが多いという。捨てられた後、腐食して土にかえることが想定されていたのである。1000
【文字の伝来と日本古代史】日本の7世紀までの古代史は、国内の文献史料としては『古事記』と『日本書紀』しか残されていない。『古事記』と『日本書紀』は、日本列島にまだ文字が伝わっていない時代をも含めて記されているので記事の信憑性について信頼がおけないともいわれる。文字の伝来については、『古事記』では応神記に「論語十巻、千字文一巻」を百済から送られたことが記されている。日本書紀でも、応神十六年に百済から渡来した王仁が文字を伝えたことになっている。考古学上は、石上神宮七支刀銘(3
おはようございます。片岡青霞です木簡の法帖を開いてみると、木簡・竹簡・帛書の部類に分かれて一冊の法帖となっているものを多く目にします。総じて木簡の法帖に集約されているわけですが、区分けされているためそれぞれに違いがあります。ーーーーーーーーーーーーーー✔木簡(もっかん)木の板に書かれた文字。✔竹簡(ちくかん・ちっかん)竹に書かれた文字。✔帛書(はくしょ)薄絹の布に書かれた文字。ーーーーーーーーーーーーーーこれらは紙がまだこの世の中に普及する前に用いられ
2023年11月11日(土)平城宮いざない館多目的室にて、平城京歴史講座が開催されました。「平城宮東方官衙と東大溝出土の木簡」講師は、桑田訓也氏(奈良文化財研究所史料調査室主任研究員)東方官衙の基幹排水路東大溝から、約10,000点の木簡が出土されました。『奈文研紀要2022』などで、150点が公表されています。出土された木簡のうち、「女官の考課木簡」は、初めての女官の勤務評価で、年間329日勤務が激務であったと、近年ニュースで話題になりました。そして、万葉仮名で、
11月の「平城京歴史講座」は、「平城宮東方官衙と東大溝新出土の木簡」講師の先生は、桑田訓也氏(奈良文化財研究所史料研究室主任研究員)です。場所平城宮いざない館多目的室2023年11月11日(土)10時30分~12時(受付10時より)参加費500円定員は100名で、先着順です。平城京歴史講座申込み平城京歴史講座|国営平城宮跡歴史公園国営平城宮跡歴史公園は、奈良時代の遺跡が保存・復原された公園で、世界遺産にも登録されています。どなたでも自由に散策したり憩いを楽しめま