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木村伊兵衛展「写真を生きる」を見に恵比寿の東京都写真美術館へ。金曜日は夜8時までなので7時に入ってゆっくり鑑賞。
疲れた…ふだん乗らない電車がすごく揺れたのと、美術館が遠いのと…昔は平気だったのになー一人で行くのも平気だったなあの道程を一人で過ごすのが憂鬱で、一緒に行こうと言ったんだ主人も行って良かったと言ったけど、やはりバテていて、今日はぐったりしています新版木村伊兵衛写真に生きる[木村伊兵衛]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}買おうか迷ったけど重さに負けて、葉書だけ買いました植田正治小さい伝記【電子書籍】[植田正治]楽天市場$
没後50周年で木村伊兵衛の写真展が東京都写真美術館で開催されていたので見てきた。木村伊兵衛の代表作をほぼほぼ展示されていた。若い頃、木村伊兵衛の作品を見ても、このスナップ写真の良さがわからなかった。こうして、初期から晩年の作品を見ていると、木村伊兵衛って人が好きで生きていることの素晴らしさを撮したかったのかなと思うくらい人間の喜怒哀楽を見事に写真している。こうして見ていると生きるというのは大変だけど、その素晴らしさを教えてくれる気がする。木村伊兵衛の作品って、海外の写真家と違い、写真には前後に
休みが4日続くけど、どこか…と、聞かれかけて、何処も行きたくない!家に居る!と答えました🐛いもちゃんですでも、ハードル高いけど、これだけは見に行きたいな、と言いました誰の、と知らないでずっと好きだったキレイだなーと辿りつけるかしら…まず、待ち合わせができる気がしないので、主人の職場の最寄り駅まで行きますよ
東京都写真美術館で最後に観たのは木村伊兵衛展を観ました。木村伊兵衛は日本の写真家で超有名ですが、恥ずかしながらまとまって作品を観るのは私は初めてだと思います。木村伊兵衛賞は、良く聞く若手写真家の登竜門のような賞です。展示室は全て写真禁止でした。でもマジマジとゆっくり鑑賞出来ました。ほとんどが白黒写真で、とにかくカッコいい写真作品ばかりです。どうして、このような視点が撮れるのだろうかと素晴らしい作品に感心しました。この写真家が日本に残した功績は大きいと思います。木村伊兵衛展を観たあ
GWふだん観られないアート探索もいいですね🎵木村伊兵衛展メチャクチャ混んでましたが写真集を買ってまたじっくり眺めておりますhttps://www.timeout.jp/tokyo/ja/art/art-exhibition-in-golden-week東京、ゴールデンウィークに行くべきアート展10選大規模展から話題の若手作家たちのグループ展まで、都内で開催されるインスタレーション、映像、絵画、工芸、民藝、写真、漫画、図屏風と幅広いアート展を紹介。www.timeout.jpGW行
「没後50年木村伊兵衛写真に生きる」のトークイベントハービー・山口×小山薫堂を聞きに東京都写真美術館へ。トークも聞きたいし先日のお礼も伝えたいしでいっぺんにお二人会えてしまえるなんてラッキーでした。改めて、写真ていいなあと思えたし創作意欲がまた湧いてきました。そして、おなじ写真美術館の展示室で木村伊兵衛の1週間後自分の作品が展示されるのも本当に嬉しい。いつか美術館に展示されてみたい夢がひとつ叶います。たまたま会場で出逢った博多阪急百貨店米村さんのア
今日、東京都写真美術館の「木村伊兵衛展」に行ってきた。20代の頃、そんなに忙しくなかったので、良く会社の図書室で、木村伊兵衛やアンリ・カルティエ=ブレッソン、土門拳、マン・レイなどの写真集を見ていた。ライカ、モノクローム写真の全盛時代だ。「秋田おばこ」の写真が、秋田の観光キャンペーンで使われたのは、記憶に新しい。木村氏は、人間の営みを伝えるという社会的機能を自覚して、自らを“報道写真家”と位置づけたとのこと。特に“昭和”の時代をあぶり出していて、“時代写真家”とも言いたい。東京都写真
東京都写真美術館(TOPMUSEUM)着いたので入館前に、気持ちのいい風にあたりながらコーヒーブレイクエントランス天井?が高くって気持ちいい、気持ちが高揚します写真OKなのは入口の2枚だけでしたがじっくりしっかり見たので満足でした。心惹かれた写真の多くは子供の頃の心象風景に重なるとか、下町の風景が懐かしいというだけでなくそこにカメラを通して被写体を見る人の、温かいまなざしを感じたのかもしれません。3年前、ホテルに置い
昨日は、東京へ行ってきました。頑張って日帰りです。先週、息子が録画していた「日曜美術館」のアートシーンをちょこっと見せてもらい木村伊兵衛の写真展を知りました。「没後50年木村伊兵衛写真に生きる」随分前に、新聞で「那覇の市場」を見ていいな~と思い切り抜いていました。写真のことはよくわからないのですが、とにかく引き込まれてしまって・・・で、行ってきましたせっかくなので、歌舞伎座で公演中の「夏祭浪花鑑」も観ようということになってすぐに息子に
ご訪問ありがとうございます。本日もお疲れ様でした。妻が朝から町内会の清掃活動に参加してたので、私は自宅待機。お昼前から活動開始しました。本日の最終目的地は恵比寿です。まず旧山手通を歩きます。スーパーのライフでオニギリを買って西郷山公園で食べました。それから代官山ヒルサイドテラスへ。写真展を拝見しました。恵比寿に向かう途中、お気に入りの鯛焼き屋さんへ。厚焼きをいただきました。それから恵比寿ガーデンプレイスへ。東京都現代写真美術館へ。木村伊兵衛展を拝見しました。素晴らしい
東京写真美術館没後50年今回の目玉は新たな写真プリントが発見された‼️うんうん(。^。^。)あらためてじっくり見ると勉強になりますね~😵💨写真は古いですが新しさを感じたまさに温故知新構図、光と影上手いなぁ、、、1940年代の日本の原風景、、、も良い‼️めちゃめちゃ良かった‼️そして四階の図書室に初訪問たくさんの写真本が詰まってる(゚Д゚)!!木村伊兵衛の写真集、関連本が何冊もある何冊か読んだり目を通したり彼の性格、生き方がどことなくひーたんに似ていると思っ
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4769.html東京都写真美術館東京都写真美術館topmuseum.jp
昨日は水曜日春分の日、祝日㊗️でした起床してコラーゲンペプチドドリンクを飲んでから接骨院へ。日曜日より悪くなっていると言われ凹む。仕事しすぎか(笑)帰宅して濃いブラックコーヒーとトーストの朝食時計は無名のスマートウォッチwリストショット!!ショップジャパンクッキングプロV23.2L電気圧力鍋幅275×高さ280×奥行274mm80種類の自動調理メニュー内蔵ボタンを押すだけの簡単調理「加圧時間」「火力」「圧力調整」設定が全て自動、調整不要大容
NHKサラメシ(シーズン13の26回)の「あの人が愛した昼メシ」は写真家の田沼武能(たぬまたけよし)。写真家として初の文化勲章受賞者である。木村伊兵衛の弟子だった。世界中の子供を撮り続けたのが有名。ユニセフ親善大使トットちゃんこと黒柳徹子の同校カメラマンだった。下町の生まれだが、終戦後の日本の世相も撮影対象だった。下町生まれの田沼がよく通ったのは、浅草・田原町の中華料理店の龍圓(りゅうえん)。田沼は、チャーシュー麺、シュウマイを頼むことが多かったが、晩年まで、残さずに平らげたという。その
木村伊兵衛生年月日1901年12月12日(木)日干支甲子同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・徳川和子(東福門院)1607年11月23日・フリードリヒ・ヴィルヘルム2世(プロイセン王)・葛飾北斎1760年10月31日・小林秀雄1902年4月11日明日は「甲子」の方の性格を、簡単に載せます。
浅草で生まれた田沼さんは、木村伊兵衛に弟子入りし、フリーランスの道を歩んでいく。東京の下町などを被写体としていたからは、アメリカのライフ社と契約し、子供を撮影することが増え、世界の子供たちを撮るようになっていく。彼は言う。子供は社会の鏡。子供を撮ることで、背景にある社会を映し出すことができるのである。
日本の写真師といえば下岡蓮杖とか上野彦馬とか。写真家といえば、やっぱり名取さんが先駆者だろう。今までに(★)これとか(★)これなどで紹介してきた岩波写真文庫の責任編集者だったことで俺にはおなじみ。俺はまったく写真撮影に興味は無いけれど、昔に撮られた写真、それを撮った人には興味がある。(★)以前紹介したこの本なんていまだに強く印象に残っている。写真撮影の技術や機材についての本ではなくて、書名そのまま、目の前の写真をどう見てどう考えるかが主題。新聞か、週刊誌か、月刊誌かによって取り上げられ
カメラLEICAM6TTLレンズLEICASUMMICRON-M50mmF2撮影日時2019/7/13PM18:00FILMFUJIFILMSUPERIAVENUS800ISO感度800NOFLASHシャッタースピード1/250F2.0LEICAM型使いの達人であり、巨匠・木村伊兵衛先生が1952年から20年に渡り訪れてルポルタージュされた秋田・大曲・横手。木村先生が秋田で撮影なされたものが代表作・傑作として多く存在します。秋田県横
日本の写真家と言えば木村伊兵衛が真っ先に浮かぶだろう。ジャン・ルノワール監督の映画が他の人に撮れない様に、こんな幸福感を湛えた写真集を作るのは、今では到底難しいだろう。1954年、55年、60年と三度に渡り、パリを歩き続けて撮影している。有名なシャンゼリゼ通りを撮るのではなく、路上で無邪気に遊ぶ子供たちや風船売りなど、気取らない庶民の日常を収めたストリートフォトとなっているのが最高である。
普段の写真をモノクロにすると、「らしく」なります。多分、記憶の中のシーンも色褪せるからでしょう。撮影は全てiPhoneⅩの標準カメラ(別売広角レンズを使用したものも有)おしまい撮影場所東京都内、三崎半島、野島崎灯台、日
おそようございます。(2月8日分)あらき農園の手伝いを終え、市民農園で作業、手賀沼近くで給油する。漢字かし子「いらっしゃいませ、今日のおすすめメニューです。ごゆっくりどうぞ。♦︎川料理深山幽♦︎門外不♦︎♦︎土不二甲骨♦︎字当用漢♦︎♦︎棗災梨♦︎紫水明生年♦︎日博覧強♦︎大同♦︎異道聴塗♦︎♦︎父長制⇧?5日の解答は「芦品郡出身廣田内閣逓信大臣」で「頼母木桂吉」でした。6日の解答は「
秋田おばこ金沢明子おばこは若い娘の意味だ木村伊兵衛は日本の昭和を代表する写真家だその中に秋田おばこと言う写真がある私にとっては見慣れた作品であり興味のある写真だ秋田は父の生まれ故郷であり身近な存在だ秋田美人という言葉があるがこの人がその代表なのだろうと思っている昨日の新聞に興味深いこの写真の事が載った写真の女性は大曲高校三年生柴田洋子さん小学校からバレエを学び大曲高校では体操部で活躍する第一回秋田県おばこコンク
秋田市は吹雪の日が続いています。今年のお正月は、東京から長男が1年ぶりに帰省し家族全員で少しゆっくりできたものです。2日は次女の成人式の写真撮影、秋田市の岩田写真館で家族写真も撮ってもらってきました。この岩田写真館は、写真の大家「木村伊兵衛」氏が1953年から1962年まで、「秋田の農村」を題材に撮影に来られた時に、当時のご主人等が付き添われご案内した秋田では老舗の写真館です。本日も五能線の蒸気機関車、ハチロク「38690」の写真を載せさせていただきます。この「38690」
おそらくこのブログの読者の大半は「木村伊兵衛」と言う名前を聞いても、反応しない人が多いのではないかと思う。日本の写真界に在って、戦後リアリズム写真を土門拳と双璧をなして、引っ張ってきた写真界の大御所で、1974年に亡くなられた。木村氏はいつもどうやったら写真は上手くなるのかと言う質問に「いつでもカメラを手から離さずにいることが大事だ」と答えたと言う。亡くなられる前に病床で、何でもない日常の風物を愛機で写真にしておられた。時々、当時の「アサヒカメラ」などに発表されていた。
数年前にもご紹介した我が家の隣にある建物内にあった元家主の古い写真を以前より見てみたいと思っていましたが何故か?見ずに時だけが過ぎ去っていきました!今回ふと見てみたくなりライトボックスと拡大読書機を用意して試しに数枚見てみました(^O^)通常フィルムを見る時にはライトボックスの上にネガを置き据置型ルーペで上から覗きますが私が持っている据置型ルーペの倍率が10倍と低く私の目には写っているものがなんとなくしか見えませんでした!そこで拡大読書機の下にライトボックスを置きネガを並べて写真を確認して
モノクロのポスターがある。すげ笠に絣(かすり)の着物の若い女性の写真。斜め左に向けられた伏し目がちな眼差し。この写真を撮ったのは木村伊兵衛氏。「The秋田美人」というくらい、有名な一枚だ。そして、モデル女性はもうおられない。2010年に76歳で亡くなられている。ポスターの女性のお名前は柴田洋子さん。日系米国人と結婚後、ずっとロサンゼルスに住んでおられたという。木村伊兵衛氏は、1952年6月に秋田県総合美術展写真部門の審査員として秋田を訪れている。車窓から見た
酒田の続きですこちらも一度行って観たかったところ。土門拳記念館写真がお好きな方なら一度は訪れてみたい場所ですね^^山居倉庫のあと、循環バスに乗ってきました。運転手さんが4時半までですけど、大丈夫でしょうかと心配して下さって何とか4時半ごろ到着広い公園の向こうの端にあるのでバスが止まってから、ダッシュ^^見えてきました。近代的な建物ですね木村伊兵衛氏との比較企画展開催中でした木村氏の戦後の沖縄の子供達や
戦中戦後の写真家の巨匠の一人、土門拳の写真展が安曇野豊科近代美術館であった。写真をフィルム時代から趣味にしていれば、この人と木村伊兵衛の名前を知らない訳はない、という写真家です。今回の展示はプリントも大きなものが多く、思ってた以上の作品数で圧倒されました。これ程の規模を1000円以下でみれるのは地方ならではかな。写真に特別興味のないカミさんを強引に引き連れてきましたが、結構真剣に見入ってました。さすがの土門拳です。子供の表情が良かったようです。土門は子供好きだったようですね。
今回はカメラと保管書籍についてです。個人的には唯一のコレクションカメラであるライカIIIgです。ライカIIIgとズマロン35mmF3.5です。純正35mmフード・純正35mmファインダーつき。ライカIIIgはスクリューマウントライカ(日本式に言うとバルナックライカ)の最終モデル(ただし特殊用途機を除く)です。私は、ライカMシリーズをずっと使っていましたが、クラシックカメラとしては、よりノスタルジックなデザインの『バルナックライカ』が好きです。ライカ純正のフィルム定規「ABLON