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ニュースポストセブンでは宅見将典さんグラミー賞受賞で秀樹さんの奥様も祝福してます(*^^*)ニュースポストセブン宅見将典さんグラミー賞を西城秀樹さんの妻も祝福「心より誇らしく感涙してしまいました」世界中の音楽賞の中でも最も権威あるといわれる「第65回グラミー賞」。米・ロサンゼルスで2月5日(=現地、日本時間6日)に行われた発表・受賞式で、作編曲家の宅見将典さん(44)のアルバム…www.news-postseven.comそれに再び終わらない夜が注
今日はこの2人の結婚記念日今年の夏は梅雨明け前から、異常気象です。皆様なるべく用事は午前中に済ませて、午後は快適空間を心がけて、適度に休息するなど熱中症で搬送された方も増えていますので、こまめに水分補給常温がいいそうですから、お腹も壊さないように、対処してお過ごし下さい🤱さて本日6月30日は西城秀樹さんと木本美紀さん結婚21周年記念日最高のご夫婦2001年6月30日白濱神社写真の順序が間違えました『結婚2
介護ポストセブンVol.5←記事へのリンク西城秀樹さん闘病中もあきらめなかった家族旅行の思い出【第5回】病と闘いながらもステージでは輝き続けていた西城秀樹さん(享年63)。プライベートでは家族旅行も欠かさなかなった。そんな秀樹さんが旅先で活用したものとは。秀樹さんと家族のかけがえのない思い出となった旅の話について、妻の美紀さんに聞いた。記事の続きは、上のリンクから行ってくださいねー。秀樹が子供たちの夏休みにパリに行ったと話したのはいつだったのかちょっと思い出せないんだけれどと
秀樹ファンのブログやYoutubeのコメント欄を見ると「秀樹に会いたい」と言っている方が多いことに気付くが、最も秀樹に会いたい人は、西城秀樹夫人の木本美紀さんと、彼の子ども達だと思います。特に美紀夫人は3人の子育てをしながら夫の闘病を支えてきたので、18年の結婚生活は想像を絶するものだったと思います。本当は仕事をセーブして家庭中心の生活をしてほしかったと思ったけど、生涯現役で歌手で頑張りたい夫の熱意に負けたかもしれない。西城秀樹が63歳まで生きられたのも美紀夫人のお陰だと思う。
ファンの方もそうでない方も知っているだろうと思うが、西城秀樹は脳梗塞を起こしている。脳梗塞を2度起こしたと公表されてはいるが、美紀夫人の著書によると、数えきれないほどの脳梗塞の症状を起こしたという。しかも結婚して子どもが生まれてから。しかし当の本人は脳梗塞を克服してはその度に蘇ってきた。しかし、昨年5月16日に帰らぬ人になった。心不全で倒れたのが原因だったが、今思うと頑張り過ぎたのだろう。倒れた日もリハビリをしていたそうで、東京五輪に向けて頑張っていた矢先だったそうだが、
読売新聞に掲載されていた故西城秀樹夫人の美紀さんの記事です。結婚後、子どもが生まれて幸せだったのにもかかわらず何度も脳梗塞を起こした。しかも何度も。公で公表できなかったのはエネルギッシュな西城秀樹のイメージを汚したくなかったからだね。その後も右半身麻痺など障害が残ったが、ここまで頑張れたのは子ども達の存在もあっただろうし、生涯現役にこだわりたかったのだろう。復活して元の西城秀樹を見せたいために。木本美紀さんの著書は書店で立ち読みした程度ですが、公では明かさなかった闘病生
3年半は続けたであろうハムスター育成ゲームタブレットとスマホで毎日ログインしてました思いきってやめた消したさよなら~そしたらなんと時間がたっぷりできて図書館で本を借りましたずっと読みたかった蒼い空へ夫▪西城秀樹との18年昨年出版されてから、ずっと貸出中が続いていました字が大きいのもあるけれど、夢中になってすぐ読めたそれからYouTubeでヒデキばかりみています本は、明るいタッチで綴られていますがなんか、悲しいよぅけれど読むことができてよかった報道されていな
美紀さんが出演している徹子の部屋を再び、観ました前、観たときより、少しは冷静に観られた気がします美紀さんってこういう、お顔だったんだ・・・と、今更、思ったり美紀さんは、初めてのテレビ出演なのに堂々とされていてキリっとお話されてる。流石、秀樹さんが選んだ方です。18年の結婚生活かぁ短いですあっという間だったのではないでしょうか・・・年子で三人の子供を産むのは、体力的に、本当に大変だったと思います身体が休まる時がありませんきっと、秀樹さんが望まれた事
東京は時々、薄日の曇り空です過ごしやすいけど‥ね昨日は、ずっと前に買ってたのに読めなかった本蒼い空へを西城秀樹さんの奥様の本、一気に読みました途中、涙が出てきちゃったけど秀樹は、良い奥様に巡り逢えて幸せだったなぁと思える内容でした秀樹の病気も脳梗塞だけではなく、知らなかったこともたくさんあってそれでも暗い気持ちにならずに読めました秀樹の良い意味でのスターとして変わらずいられたのは、奥様の美紀さんが秀樹をリスペクトし、大切にしてくれてたのがよくわかる内容でした
(西城秀樹)を自分に纏い続けることを好んでくれた木本龍雄さん。球場ライブでは、やめて!と叫んでしまうような無謀な仕掛けに挑戦して、何事も思い切りだった彼。このNHKビッグショーでの西城秀樹は若干22歳。間奏で、全身のポーズで表現する歌への想い。あなたがそばにいる限り、僕は歌う、と。後年に「若い頃は力みがあった、今のほうが羽根は伸びきっている。」と充実した表情で話す西城秀樹がいたけれど、ダイナミックに歌い上げるこの時代の西城秀樹も、圧巻のパフォーマンスでやはり素敵。歌手として、同じ土俵で
<雑記帳12冊目(7)>秀樹が出演したテレビ番組を書き出したカレンダー=秀樹カレンダーを見ながら。。。(岐阜県在住の私調べで、私の気づいてない番組もあるだろうと思います。)<1980年3月分>この年の3月は、31日あったけど、その内、秀樹がテレビで見れた日数は、21日ありました。〔出演番組名〕ヤンヤン歌うスタジオ、紅白歌のベストテン、ザ・ベストテン、ビッグベストテン、夜のヒットスタジオ、ザ・リクエストショー、花のステージ、8時だよ全員集合、レッツゴー・ヤン
私も今陽子さんのCD聴いてますよ恋する季節素敵です。他の曲もアレンジが今風(ピンキーさん風、現代風両方だな)ボーカルが素晴らしくとてもいいです。でも、CDもいいけど生ライブはもっと素敵でした!本当に気持ちがいいカッコよくて素敵な人です。この秀樹とのツーショット自然でいいなぁ~。
<雑記帳12冊目(6)>秀樹が出演したテレビ番組を書き出したカレンダー=秀樹カレンダーを見ながら。。。(岐阜県在住の私調べで、私の気づいてない番組もあるだろうと思います。)<1980年2月分>この年の2月は、29日あったけど、その内、秀樹がテレビで見れた日数は、22日ありました。〔出演番組名〕ビッグベストテン、ヤンヤン歌うスタジオ、TVジョッキー、レッツゴー・ヤング、夜のヒットスタジオ、ザ・ベストテン、ヤングオーオー、紅白歌のベストテン、ザ・リクエストシ
<雑記帳12冊目(5)>今日も、時間が残り少ないな!!!この短い時間に書ける事を探そう!!!前回、その当時、ラジオで、熱くなってた事を書きましたが、そこでも書いてた「ヒデキとこず恵の楽しいデート内容チェック表」途中からは「ヒデキとケン坊の「鬼さんこちら!!」女の子なんかこわくない内容チェック表」に変わりましたが、その「内容チェック表」に書いてあった事を・・・。この「内容チェック表」は、1980年1年間の、番組について、簡単に内容を書いた表なんですが、
<雑記帳12冊目(4)>12冊目では、ラジオ番組の話題で、ちょっと熱かったんですよね。まず1つ目は、『ヒデキとこず恵の楽しいデート』(文化放送系)この番組は、5年程続いたのだけど、最初の1年?2年?くらいは、東海地方にはネットされてなくて、「噂に聞くだけのラジオ番組」でした。(他地域の放送まで、雑音混じりにでも聞けないかと捜して聞くようになったのは、「ヤングマン」の頃からかな?!)1980年になったのを区切りに、「ヒデキとこず恵の楽しいデート内容チェック表」を
昨日書いた「昨日の事」以外の「昨日の事」・・・今日から言うと、「一昨日の事」を少し。本当に久し振りに、東京方面に向かう新幹線に乗って出かけたのだけど、今まで、見逃していたか?新しくできたのか?分からないけど、今回初めて見た気がしてる、建物に大きく書かれた、コマーシャル・コメント!!!確か、三河安城駅の名古屋側手前、すぐ近くに・・・『無くしてわかるありがたさ親と健康とセロテープ』と書いてあった!!!読んで、ちょっと笑って、言えてると妙に納得もした。
昨日は、1月4日にも書いていた様に、今、静岡で開催されている、この催しに行ってきました!!!(その時書いた案内を、もう一度載せておきますね!!)****************************************************【ありがとう!西城秀樹展~ミスターフェスタ永遠に~】○会場札の辻クロスホール○会期2019年1月4日(金)~14日(月・祝)11:00~18:00(最終入場17:30)○入場料600円
<雑記帳12冊目>12冊目は、丁度【1980年あけましておめでとう】から始まり、学年が変わる前3月頃までの約3ヶ月間に書いた内容になります。私はと言うと、大学生活にも随分慣れてきた1年生で迎えた新年、そして、もうすぐ2年生になるぞーーーって頃です。新年を迎えると、毎年、あまり変化のない内容なのですが、一応目標を書き出すんです。で、この年も、いくつか書いた抱負・目標のまず1番には・・・『今年は、秀樹に負けない様に、勉強にスポーツに、そして、秀樹に燃えるい
毎日更新を目標に、昨日まで、コツコツ頑張ってきましたが・・・まだ、三日。もう、4日目にして、何を書いたらいいか、何が書けるか、見つかっていません!!!アッ、そうですよね!書いても、良いですよね!!自分は、まだ行ってないけど、こんなのがあるんですよって、書くのも、無駄じゃないですね!!!何の事かと言うと、以前も書いた事なんですが・・・今日から、静岡で、こんなイベントが始まりました。【ありがとう!西城秀樹展~ミスターフェスタ永遠に~】○会場札の辻
<雑記帳11冊目(5)>前回<雑記帳11冊目(4)>からの続きで、「紅白歌合戦」についてです。<1979年12月分>この年も、例年通り、紅白出場者の発表後、早速、組み合わせ予想を立てました。この年は、各24組の出演だったので、24の組み合わせと言う事になりますが、結果は、3組正解。結構難しいんです。ちなみに、秀樹(ヤングマン)は、私の希望と言うだけで、百恵ちゃんと予想しましたが、やはり、この年の賞関係でライバル同士だった、ジュディ・オングさん(魅せられ
秀樹のオフィシャルサイトのONAIR情報案内に、今日は、【「ミュージックステーションSUPERLIVE」テレビ朝日秀樹さんの映像が少し使われます。】と書いてありました。今年の「MステSUPERLIVE」は、V6が出ないし、東方神起も出ない・・・他にも、特に、気になる人は出ないので、見ないですむなーーー、と思っていたけど、秀樹が映るなら、見なきゃね!!!でも、MステのSUPERLIVEで、今年を振り返る、みたいな、そんな時間あったかな?と思いながら、発表されてた出演
<雑記帳11冊目(4)>前回の、『秀樹カレンダーを見ながら。。。』の続きで、「日本レコード大賞」「FNS音楽祭」「紅白歌合戦」についてです。<1979年12月分>まずは、「FNS音楽祭」12/4に、『歌謡音楽賞』『優秀新人賞』他、発表。12/18に、そこから、『最優秀新人賞』『最優秀歌謡音楽賞』『グランプリ』他、発表される。では、順々に書いていきますね!!!12/4『優秀新人賞』(6名:名前のみ)井上望、倉田まり子、杏里、宮本典子、竹内まり
<雑記帳11冊目(3)>秀樹が出演したテレビ番組を書き出したカレンダー=秀樹カレンダーを見ながら。。。(岐阜県在住の私調べで、私の気づいてない番組もあるだろうと思います。)<1979年12月分>12月は、31日あるけど、その内、秀樹がテレビ番組に出演した日数は、23日ありました。〔出演番組名〕ザ・ベストテン、ヤンヤン歌うスタジオ、紅白歌のベストテン、夜のヒットスタジオ、ビッグベストテン、スター千一夜、笑アップ歌謡大作戦、歌謡パレード、紅白歌合戦思い出の名場面集
<雑記帳10冊目(4)>○振り返り「ザ・ベストテン」(1979年)「ホップ・ステップ・ジャンプ」の後、書いてませんでしたが、「勇気があれば」は、この10冊目で出てきました。「勇気があれば」9月13日第16位「ハガキ第6位」【得点:4330】この週は、まだ、ベスト10内には入っていませんでした。9月20日第6位「ラジオ8位」「ハガキ2位」【得点:7186】この日は、ベスト50までの発表があったそうです。それで、「ホップ・ス
<雑記帳10冊目(3)>秀樹が出演したテレビ番組を書き出したカレンダー=秀樹カレンダーを見ながら。。。(岐阜県在住の私調べで、私の気づいてない番組もあるだろうと思います)<1979年10月分>10月は、31日あるけど、その内、秀樹がテレビ番組に出演した日数は、22日ありました。〔出演番組名〕ヤンヤン歌うスタジオ、ザ・ベストテン、紅白歌のベストテン、夜のヒットスタジオ、全国縦断紅白歌合戦、なんじゃもんじゃドン、秋の紅白大運動会、霊感ヤマカン第六感、ハロー青春、東
<雑記帳10冊目(2)>秀樹が出演したテレビ番組を書き出したカレンダー=秀樹カレンダーを見ながら。。。(岐阜県在住の私調べで、私の気づいてない番組もあるだろうと思います)<1979年9月分>9月は、30日あるけど、その内、秀樹がテレビ番組に出演した日数は、22日ありました。〔出演番組名〕ヤンヤン歌うスタジオ・夜のヒットスタジオ・ザベストテン・紅白歌のベストテン・夜のヒットスタジオ・ヤングオーオー・全国縦断紅白歌合戦・歌のアルバム・スタードッキリ生放送・日曜大