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🏯中山道の要衝「福島宿」の歴史的背景1.宿場町としての福島宿福島宿は中山道六十九次のうち三十七番目にあたり、木曽谷の中心に位置しました。中山道は東海道と並ぶ五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ大動脈。そのなかでも福島宿は「関所」「代官所」「林業拠点」を抱え、単なる宿泊地以上の機能を果たしていました。特に江戸時代後期になると、宿場の人口は2,000人を超え、木曽谷最大規模の町場へと発展しました。2.天下の四大関所「福島関所」江戸幕府が設置した天下の四大関所(箱根・新居・碓氷・
宮ノ越駅長野県木曽郡木曽町にある駅です。旧日義村の中心駅かつ、中山道の宮ノ越宿の最寄り駅ですが、駅は宿場町からは外れた場所にありひっそりと佇んでいます。宮ノ越地区は旭将軍と呼ばれた木曾義仲ゆかりの地とされており、義仲の伝説にまつわる史跡や資料館があります。乗り入れ路線・中央本線駅舎。開業時からの木造駅舎です。中央西線の木造駅舎の中でも一際開業時の雰囲気を留めていると思います。待合スペース。切符売り場。終日無人化されています。ホームは1面2線。島式ホームと駅舎が跨
5代の天皇(二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽)の在位中に、この国のトップとして君臨した後白河上皇。その間、30年に及びます。平清盛らから一時的に院政を停止させられたことがあったものの、出家した後も法皇として院政を行い、治承寿永の内乱(いわゆる源平合戦)をしたたかに生き抜いてきました。その象徴として語られるのが「日本第一の大天狗」という源頼朝の後白河評です。大天狗というのは善悪の両面を持つ妖怪のこと。頼朝がそう評したことにより、後白河には、権謀術数の限りを尽
語り部アロマが紡ぐ「やまと語り十三」聞いていかれませんか。第77代後白河‐ごしらかわ‐天皇の御代に、保元の乱が起こると源氏は武運拙く為義・為朝を失って、忠盛の子平清盛の率いる平家が、源氏を凌ぐ勢となりました。さらに第78代二条‐にじょう‐天皇の御代に起こった平治の乱で、源氏は平家の為に一族の要であった源義朝を失い、ちりぢりになってしまいました。こうして平家はその全盛期を迎えたのです。平清盛は朝廷に重く用いられて第79代六条‐ろくじょう‐天皇の御代には、太政大臣に進み、平家一族
こんばんは♪優香です✨先日、夫と富山県小矢部市にある「埴生護国八幡宮」へ行ってきました。鳥居をくぐった先には平安時代末期に活躍した源義仲(木曾義仲)の騎馬像が建立されています。馬上の人物像としては日本最大級なんだそうです。この神社で、木曾義仲が倶利伽羅峠の戦いの戦勝祈願をしたそうです。その対面にあるのはとやまの名水「鳩清水」手洗鉢に注ぐ水の水源は倶利伽羅山中の幽邃鏡「鳩清水」なんだそうです。手洗鉢の側には二つ目の鳥居があります。「石段」社殿正面の石段
hyodのジャケット、年々小さくなってません?wwこっちも年々育っているのは否めないが、今年の新作はジャケット3Lで腰が全く届きませんぜwジャケットのジッパーが届かん。去年買った2サイズ小さいのはとどくのに。。(伸び切ったんか?)バイク乗りは正直豚が多いジャンルだよね?(言い切った)豚はどこの服着ればええんじゃーい。うちの豚ゴリラがクシタニに変更したのはそういう理由なのかなー。私の春秋ジャケもクシタニになりましたぜ。。。クッソ重い、嫌い、着たくない。羽のように軽やかな豚用ライジャケ
2024年9月22日の白山・倶利伽羅ぶらり散歩、倶利伽羅不動寺に続いて、本日のラスト埴生護国八幡宮に行ってきました倶利伽羅合戦に際し、木曾義仲が戦勝祈願を行ったそうで、木曾義仲の騎馬像がありました。駐車場のところに、資料が展示されていました。ホテルからの海
倶利伽羅古戦場石川県河北郡津幡町字倶利伽羅古戦場のある砺波山は、古くから北陸方面への交通の要所として知られており、北陸道を制する上では重要な場所でした。1183年の源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところです。源平盛衰記に記された木曽義仲による「火牛の計」は有名です。火牛の計源氏の木曽義仲が行なった作戦です。義仲が夜明けとともに、約500頭の牛の角に松明(たいまつ)を付け平家の陣に突入させました。暴れ狂う牛達の突然の襲
8/30は嵐山史跡の博物館にて琵琶を弾き語ります。まだお席ご用意出来るそうです。沢山のお運びを。以下、嵐山史跡の博物館の投稿より************8月30日(金)開催の歴史講座1「虚実の斎藤実盛-平家物語「実盛」の段を考える-」お席の余裕があるため追加募集をします!!お電話🤙でお申し込みください(0493-62-5896)※先着順です🏃💨当日は須田隆久氏の琵琶語りもあります。幽玄な琵琶の音もお聞き逃しなく~https://x.com/ranzan_museu
速報令和6年度歴史講座1にて、実盛公の琵琶語りをご披露致します。以下詳細でございます。埼玉県立嵐山史跡の博物館では、中世史・近世史研究者や行政の文化財担当者などを講師に迎え、歴史講座を実施しています。令和6年度歴史講座1では、平安時代後期の武蔵武士、斎藤実盛をとりあげます。1開催日時8月30日(金)14:00~15:30(13:15開場13:50開会を予定)2会場国立女性教育会館講堂住所:〒355-0292埼玉県比企郡嵐山町菅谷7
鎌倉幕府が事実、歴史上存在した事は間違いありません。ところが、幕府ゆかりの建造物が残っていないため、鎌倉殿の十三人ゆかりの地を巡るしかありません。頼朝が建造したという鶴岡八幡宮だけは、今でも観光地として多くの人が訪れています。上は鎌倉幕府ゆかりの建造物と地図です🗾頼朝の墓を除いて明確に残っている鶴岡八幡宮が上です!鎌倉幕府の先見性🟰源頼朝の功績武家政権の礎を作ったのは、平清盛でしたがやはり朝廷寄りの政治をしていたと思われます。源勢で最初に京都に登り、途中平家を破った
日本三大金運神社といわれる金剱宮古くは木曾義仲の倶利伽羅峠の戦いでのゆかりの神社。平家に勝利した際に神宝が現れ、義仲は鞍付きの馬20頭を寄進したという伝説が。または、源義経の逃避行伝説の舞台にも。もともとは「劔神社」と呼ばれていたという。住所の石川県白山市鶴来日詰町の鶴来も、この神社の「つるぎ」から来ているとか。なにより、この神社を有名にしたのは、「日本三大金運神社」という縁起のいい称号。まさしくパワースポットの極致といえそうな縁起のいいお名前。出展はどこから来ているのか調べても
こんにちは~☀✨いつもお越しいただきありがとうございます✨こちらの続きになります合わせてよろしくお願いします『国宝妻沼聖天山へ①』こんばんは~いつもお越しいただきありがとうございます😊午前中はこちらも雪が降りました❄❄❄寒かったですネ〜午後今日も仕事場に缶詰の旦那さんのお昼を用意して🍙🍙…ameblo.jp今朝は風も無く優しい空気に包まれて目が覚めましたそういえばとても不思議な夢を見たなぁ夜中に気付かされはっと目が覚めたんです忘れてはいけない事があるとちなみに
今朝、アップするのに失敗してしまっていたので、帰宅後アップしなおしました。本日は、先日見つけた本についてです。本屋さんで不思議なタイトルの本をみつけました。『さらしな消えかかるその名を遺す』。その背表紙に目がひきつけられ、思わず、えっ?なになに?なにこれ?と本棚からとってみたら、この帯の言葉が目に飛び込んできました。”長野県・信濃国の旧郡、「更級/更科」歴史考”、思わずパラパラめくってしまいました。こういう、思わぬみっけものがあったりするので、本屋さんでの散策はやめられません。最近
木曾義仲は、何故、挙兵したのか?「平家を倒したい、だって源氏だもん」という言い方は、とっても浅いです。要は、自分達の暮らしを良くしたい、という地元武士団に担がれたから、です。治承寿永の乱を「源平合戦」というのは、そもそも間違いです。この時代「源氏チーム」と「平家チーム」が対決したのだ、という認識でいるとしたら、それは現実に即していません。現実は、朝廷を支配する平家勢力に対して、「関東武士団」勢力、「信濃・北陸武士団」勢力、「奥州藤原氏」勢力、・・・といった地域ごとの自立勢力が勃興し、
平家に大勝した木曾義仲が、京に入った。鞍馬寺より後白河法皇が御所に戻られ、義仲に従五位佐馬頭、朝日将軍の称号を与える。しかし、木曾軍の略奪の凄まじさに、京の町の人々は、平家の世の中の方がよかったと嘆いた。木曾軍を京から追い払い、平家追討に差し向わせるには、安徳天皇を退位させ新帝をたてる必要があり、後白河法皇は三種の神器の返還を促す院宣を出すも、平家が応じるはずもなく……。中巻の表紙は、義仲でした。そして、この下巻の表紙は、義経です。背後に赤旗が見えるので、誰
平家追討の令旨を源氏に発した以仁親王は、園城寺(三井寺)へ入る。後を追って、源三位入道頼政も園城寺へ。同じ天台宗の比叡山と興福寺に牒状をまわすも、老獪な清盛の策により比叡山から拒否される。興福寺へ向かう途中、平等院へ逃げ込んだ以仁親王らは、宇治川の橋板をはがし善戦するも、馬筏(馬の群をつないで川を渡ること)で上陸した平家勢に敗れ、以仁親王も奈良へと逃れる途中討たれてしまう。この後、福原へ遷都。小松権亮少将維盛(重盛の嫡男)と薩摩守忠度を頼朝追討に差し向けるも、
ばんどうの湯大河ドラマ「真田丸」のころ、舞台となった岩櫃山登山の帰りに、眠くなって仮眠したところが渋川市の箱田城跡。ここは、木曾義仲と巴御前ゆかりの地として有名。何か工事しているなと思ったけど、広い野原に駐車して仮眠。利根川の上流のうしろに上毛の峰々が稜線鮮やかで、渋川市の人は、日常生活でこんな絶景を楽しめるのかと、うらやましく思ったほど。その同じ城跡の反対側あたりにあったのが、「komorebiテラスばんどうの湯」らしい。その時は全く気が付かなかったけど。ここの一番の魅力は露天風
今回の旅行の初日に泊ったのは妙高高原の赤倉温泉♨宿に着いたのは10時半ぐらい🕑荷物を預かってもらって、いざ付近の散策にGo🏃観光案内所でレンタサイクルを借りようと思ったんだけど、すべてスマホ決済だと言われました📳QRコードを読み込んで手続きに進もうとしたんだけど、まずは登録しなければならなくて、わかり難いし、面倒くさいので止めました😕年寄りは自転車に乗るな、スマホを持ってない奴は自転車に乗るな、こういうスタンスなんでしょうか❓貸す側にとっては手続
「あのう、すみません、『楯親忠』の碑、さがしてるんですが…」「たて?❓うー、たてろくろうかいのう?」「そうです、楯六郎、楯六郎親忠の館跡の碑を探してるんですが…」「ふーん、あれかなぁ、あれだわな、そんなら、そこの坂の道登ってくと…」炎天下で畑仕事やってるおばあさんに、おじいさん(列伝のこと)が道を聞いた。おばあさんの額は汗ダラダラ、私は車から降りて、いきなり灼熱の炎天下!「こんなに暑いに、よく仕事してすごいですね!」「な~にこんくれぇ、どっから来ただぁ?」「松本の方から
これはとても嬉しい作品です。読めて良かったです。あの源平合戦の英雄にして、悲運の将軍木曽義仲公が主人公の作品。私は鎌倉殿の13人をみていなかったので、そこで義仲公がどのように描かれたかは分からずにこちらの作品を手にしました。見てはいないのですが大河ドラマ評判は良かったと聞きますし、そのおかけでこのような義仲公関連の作品世に多く出てくれているのと思うと大河ドラマに感謝申し上げたくなります。そんな感じなので私は義仲公が主人公とな作品を読んだことがないのですが、私に残るかすかな記憶ではこの木
おはようございます(^^♪2日間の大津への旅を少し振り返って見たいと思います到着の当日は大変冷たい風が吹いていてとてもじゃないが散歩の気分ではありませんでした。。。琵琶湖ではその経験が多いですガッ!2日目の翌日はガラリとお天気も落ち着き暑い位でしたね其処で!芭蕉のお墓もアルと言う「義仲寺ぎちゅうじ」を初めて訪れて見ました春の日差しが降
平安時代末期、寿永二年(1183)に平家打倒のために挙兵した木曾義仲は、都から進攻して来た平維盛を総大将とする平家軍と越中国(富山県)・加賀国(石川県)の県境にある砺波山(倶利伽羅峠)にて激突しました。木曾義仲は部隊を七手に分け、平家軍に夜襲をかけました。鬨の声を挙げ、法螺貝を吹き、太鼓を打ち鳴らして平家に一斉に突撃、このとき義仲は角に松明を付けた4、5百頭の牛を平家軍に向かわせ、平家の将兵が大混乱に陥ったと『源平盛衰記』に伝えられています。木曾義仲軍の猛攻により、逃げ場を失った平家軍は深
「伏木隠れ」源頼朝は石橋山の合戦で敗退。大きな洞のある伏木に潜んでいました。平家方の梶原景時は頼朝に気づきましたが、思うところがあって、「誰もいない」と味方を欺きました。「宇治川合戦」源義経軍と木曾義仲軍が宇治川をはさんで対峙。「鵯越の逆落とし」一の谷の平家の陣を攻めるべく、一気に坂を駆け下る。「一の谷合戦」「扇の的」屋島合戦。那須与一が扇の的を射る。続きます。
おはようございます。思いがけずに「随心院」の襖絵に一目惚れのおかげさまで楽しい一日となりました。最後には宇治でまた行ってみたかった「源氏物語ミュージアム」に行ってきました。ミュージアムの入り口もとても美しいですね。もう少し経つと葉も紅くなるのでしょうか?JAFの割引がありました。私は少し知っていたのですが、「源氏物語」をあまりしらない主人には大変だったと思います。この牛車のことは、主人には今回「鎌倉殿の13人」で木曾義仲が乗り方を教えてもらえずに笑われていたでしょう
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も、いよいよ佳境に入ってきた。主演の北条義時役の小栗旬さんとは、以前ある民放ドラマにエキストラで参加した際、2度お会いしているので、贔屓にして観させていただいている。※小栗旬さん演じる北条義時『鎌倉殿の13人』の脚本は三谷幸喜さん。三谷さんの脚本による大河は、これまでにも『新選組!』(2004年)と『真田丸』(2016年)があったが、三谷脚本には、喜劇でなくてもコメディ要素が随所に盛り込まれていて、観ていて思わず笑ってしまう場面が多い。その手法は、今
8月に始まった、人形歴史スペクタクル『平家物語』。第1部、第2部と続いて平清盛が亡くなったところで一区切りにしようとしたのか、と思っていたら、9月末に第3部が一気に放送となった第3部は、木曾義仲が上洛し討死にするまで。いやいや、これから源平合戦よ。ここは最後の5部までやって欲しいよ〜と思ったら、第4部が、10月26日(水)午前2時38分から放送だって!月イチ放送?笑前回も書いたが、折りしも放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』とリンクして面白い。ストーリーも分か
・伝若菜御前宝篋印塔美濃加茂市下米田町山本地区の諏訪神社を訪問した時に散歩中の方に教えていただきました。「伝若菜御前宝篋印塔(ほうきょういんとう)」が近くにあるよ。(美濃加茂市指定有形文化財)宝篋印塔の説明文には若菜御前は義仲の母と伝えられてとされているが、近くの小山観音の説明文には義仲縁の人とありますが、信濃から東山道を京都に向かう途中に山本あたりで病死されたらしいです。義仲の母は他に小枝(さえ)御前の伝承もあり、詳細は不明。・小山観音義仲が若菜御前の病死を知って、後日供養のためこの
「鎌倉殿の13人」で出てくる【和田義盛】、間もなく殺されるが…。この方は所領が大和市の南部にある地名、「上和田」・「下和田」だったと。そして、妻は巴御前なんだ。巴御前と言えば、木曾義仲と一緒に戦っており、私もそうなんだが「妻」だと思っていた。木曾義仲と一緒に武芸を学びんだ仲間だったんだ。最後まで付き添った巴御前に、女に守られていたなんて知られたら、まずいと言って、突き放したそうだ。巴御前は鎌倉幕府に捕まった挙句、【和田義盛】の妻になった。なるほど…。こういうことも頭に入れると、少