ブログ記事44件
※山村氏の墓がある菩提寺木曽興禅寺廟所案内板…かつての主君木曽氏の墓に隣接して建っていますが、木曽氏の墓より「巨大」です木曽代官山村家の墓戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年
※木曽氏の墓3基(中央源(木曽)義仲、右12代信道、左18代義康、19代義昌合葬)と案内板…中央の宝篋印塔は義仲公、右側が興禅寺開基信道公、左側が義康、義昌公合同供養墓となります※源(木曽)義仲公宝篋印塔…後世に補修された形跡がありますが、木曽信道公が建てたものと思われます※木曽信道公中型笠塔婆※木曽義康、義昌中型笠塔婆…信道公、義康公、義昌公供養墓も、元々は五輪塔あるいは宝篋印塔であったと思われますが、何らかの理由で失われ、江戸期に木曽家一族(義昌の妻、真理姫
バイクのバックミラーの取り付け位置を変更しました。今まではハンドルを切る際にガソリンタンクに接触しそうだったことと、後方確認の際に目線を落として確認しなくてはならない状態でもあったので、通常のハンドル上部に設置することにしました。理由としてはこの春にまたロングツーリングにも出掛けるので、気になる箇所については安全性も踏まえての修正という感じです。そのロングツーリングですがいつものように“ひとり旅”ですから日程は適当でもいいのですが、今年はどうしても宿泊したかった場所があり、まずはその“宿”
ゆのです名鉄広見線に乗車しています(2024年1月19日撮影)電車は西可児駅を出発して、国道41号線とオーバークロスをしてるかと思われます国道41号線を自動車で走行すると、名鉄と立体交差しているのがわからないんですよね電車は善師野駅に到着この時には岐阜県から愛知県に入っています岐阜県との県境に近い駅となっています線路は小高い丘の合間を走っており、周辺には緑が多く、南側のやや高いところに交通量の多い道路があります駅からこの道路まで道が通じており、この道の突き当たりを左折し、
「上街道」歩きは「小牧宿」を進みます。「小牧宿本陣・江崎家邸は、明治24年(1891)の濃尾大震災により倒壊し、往時を偲ぶものは残っていません。小牧4丁目北から遠望する「小牧城」西方に進む「清須道起点標柱」小牧~清須を結んだ道で、灰取街道・藤堂街道とも。「上街道発展会」とあります。小牧は上街道で発展した町ですからね。上街道は戒蔵院に突き当たり、右(東)に曲がり、次に左(北)に曲がり…いわゆる桝形となっている
朝は3時に目覚めた(笑)荷造りをし、5時に出発!が、財布を忘れたことに気づき自宅に戻る😅最近、よくある。そんなことより、トライアンフの調子が悪すぎる。リンリンで点検を実施するが…。信号待ちでエンストしたり、走行中に突然回転数があがったりする。スロットルケーブルをさわったりなんたりしてみるが…。今回の一泊二日のツーリング、最後までもつのだろうか…?🤔つーか、ロープ1本なくなってるし…。↓今回はダメやわ(笑)しばらくして、妻から自宅のガレージの前に落ちてたと連絡あり。↓この
本日はクルマ編です。昨年夏に、スバル・インプレッサG4から、このトヨタ・アクアに乗り換えて以降、新潟と茨城と、今回は3回目の長距離運転になります。インプレッサは1,600ccの4気筒水平対向エンジン、アクアは1,500cc3気筒直列エンジン+電気モーターのハイブリッドで、エンジン単体のパワーはインプレッサの方がありますが、アクアの場合、アクセルを踏むとバイポーラ型ニッケル水素電池が発生する電力でアシストされた力を背中に感じて、加速力は優れているように感じました。ただインプレ
こんばんは。サッカーワールドカップ、連日の試合を観て寝不足気味です…しかし、昨夜の日本代表の初戦、凄く嬉しい結果でしたね、興奮しましたよ、次の試合のコスタリカ🇨🇷戦も頑張って下さい。😊✌️💮さて、今回の話は、先日、岐阜県瑞浪市の中山道(木曽街道)を大湫(おおくて)宿を散策して来た話になります。👍さて、どっちに向かうか?駐車場がどこにあるのかも調べずにいきなりやって来て、路駐(駐車禁止の場所じゃない)しながらのオープニング画像の撮影になりました。💦近くにあった高札場跡や大湫宿を示す看板が
大井宿に入ってきました。高札場があると宿の入り口だなと分かります。本陣跡残念ながら残っているのは門のみ。ひし屋資料館中山道ひし屋資料館|え~な恵那【岐阜県恵那市観光サイト】一般社団法人恵那市観光協会(kankou-ena.jp)有力な商家であった古山家。江戸期は庄屋をつとめ明治以降は郵便取扱役、恵那郡役所掛屋(銀行)も。建物は明治期のものだそうです。ボランティアさんが丁寧に解説してくださいます!マンホールが大井宿の絵宿場はこの先続きますが・・・お腹
中山道歩き20回目になりました。京都まで遠いよぉ東海道は23回で京都にゴールしたのですが中山道はまだまだかかりそうです。地道に頑張るぞ東海道を歩いていたとき由比の東海道広重美術館で東海道五十三次の浮世絵の絵葉書セットを購入し「次はこの宿場」と歩く場所の絵を眺めて毎回楽しんでおりました。中山道にも大井宿に同じく中山道広重美術館があるのを知り行ったら絵葉書セット買うぞ!・・・とずっとずっと楽しみにしていました。中津川から大井までおよそ11キロ
2021年5月14日参拝。武蔵国の式内社「足立神社」論社の続きです加茂神社~埼玉を流れる鴨川の由来となったお社~JR高崎線・宮原駅より徒歩7分。県道沿いの社号碑。社号碑のある入口を入って、左を向きます。すると、また社号碑。一の鳥居、二の鳥居、拝殿までが見渡せます。『延喜式神名帳』武蔵国足立郡・四座の一。「足立神社」の論社は4社。①さいたま市西区飯田の「足立神社」②さいたま市浦和区上木崎の「足立神社」③さいたま市北区宮原町の「加茂神社」④鴻巣市笠原の「久伊豆社」今回は
こんばんはいつもお読みくださりありがとうございます国立劇場物産コーナーは11月の演目「一谷嫩軍記」の登場人物である熊谷直実にちなみ彼の出生地とされる熊谷市物産展が開催中熊谷染(くまがやぞめ)のハンカチーフは桜の柄で色は2種類ありました。桜色と青色おもわず桜色を購入しました🌸かわいい。お芝居にも出てくる宝引体験も出来ます懐かしい感じです😊✨老御夫婦が楽しそうに引いてらしたりのほほんとしましたよ。それにしても…ねむいです😪一日一投稿目標にしてるのですが書きながらも
59景歌川広重画木曾街道六拾九次之内関か原関が原は古戦場で有名なが、そこに触れず茶屋で休んでいる図。名物さとうもち、そばきりなど提灯、柱の看板には三五、広重が描いた図が江戸から数えて35番目という事らしい。60景歌川広重画木曾街道六拾九次之内今須傍示杭「江濃両国境」近江と美濃の国境。手前の茶屋を近江屋、向かいの茶屋は両国屋、近江屋は仙女香坂本氏とあり白粉の宣伝、両国屋は寝物語由来とあり近江人と美濃人が壁こしに寝ながら他国の物語を語り合えたことから、ここを寝物語の里と呼ば
47景歌川広重画木曾街道六拾九次之内大井大井は、起伏に富んだ山間の侘しい宿場だったようだ。雪の降りしききる中、商人と馬子が黙々と甚平坂を上っていく。商人と馬子は頭を下げて寒さに耐えている。背の低い馬は木曽駒、遠くに木曽駒ケ岳の連山、街道脇の松の木も雪によって白一色。48景歌川広重画木曾街道六拾九次之内大久手大久手は、平坦な道の中、岩肌がいくつも露出しているが、中山道の旅する人の大久手から細久手への途中の目印となっているのが母衣岩、ゑぼし岩。柴を背負う人が寂しい画面に
木曾街道六拾九次之内の後半。渓斎英泉が25図、歌川広重が46図を描いています。藪原から大津までです。36景渓斎英泉画木曽街道藪原鳥居峠硯ノ清水硯ノ清水とは木曽義仲がこの清水で墨をすり、願文を書いた縁起による。37景歌川広重画木曽街道六拾九次之内宮ノ越宮ノ越は28景の長久保、31景の洗馬とともに三役物で広重の代表作の一つ。背景を線描でなく色面で描き、山中の霧が表現されている。38景歌川広重画木曾街道六拾九次之内福し満江戸と京都の中間で入り鉄砲、出女を厳しく改
7月9日(金)天ぷらざる蕎麦今まで大森の病院で検査を受けていたが今年から蒲田の病院で受けるようになり6ヶ月検診を受けに行くがJR蒲田駅からも遠く、わざわざ予約をして行っても検尿だけで次回に検査をするそう。原田マハ著「モネのあしあと」を読む。今までの書かれた文章をまとめたようなものでこの本も1時間くらいで読み切ってしまった。11日で東京はまん延防止から今年2回目の非常事態宣言になり8月22日までで酒の提供は駄目になる。何でも反対の野党は酒の提供をやる店と守る店との不公平感があるので
初めて見たテレカなしの公衆電話トーハク地下23景栄泉木曽街中岩村田財布や小銭が散らばり、座頭の喧嘩か?24景広重木曽海道六拾九次之内塩なた25景広重木曽海道六拾九次之内八幡26景広重木曽海道六拾九次之内望月27景広重木曽海道六拾九次之内あし田28景広重木曽海道六拾九次之内長久保橋は依田川に架かる依田橋。馬子と天秤で荷を運ぶ農夫が橋を渡る。手前の街道は月に照らされて明るく、背景は影絵風に描かれている。馬の尻掛けにある「山
11景栄泉支蘇路ノ驛本庄宿神流川渡場橋は勅使河原村の河原から中洲までで中州から新町宿までは船で渡る。橋には大名行列が渡っている。橋の手前の灯篭は見返し灯篭」背景の山は左から妙義山、榛名山、赤城山。12景広重木曽海道六拾九次之内新町13景栄泉木曽街道倉賀野宿烏川之図14景広重木曽海道六拾九次之内高崎夫婦連れの旅人に物乞いがせびり、それを見た人が注意しに来ていたのか?15景栄泉木曽海道六拾九次之内板鼻16景広重木曽海道六拾九次
今月来月は木曽街道六拾九次之内シリーズで日本橋を入れて全70図を取り上げています。木曽街道六拾九次之内シリーズは広重の出世作の東海道五拾三次の版元保永堂から当初出版されました。絵師は渓斎英泉でしたが途中から歌川広重に変わりました。版元も伊勢屋など幾つかのお店に変わりました。栄泉が24点、広重が46点。1景英泉続ノ壱日本橋雪之曙街道始まりは日本橋。江戸橋を望む東向きの構図で橋の左側は魚市場。大きな鮪を天秤棒で担いでいる魚屋が早く売りさばこうと急いでいる。江戸庶民の中心地で
妻籠宿は近くの馬籠宿と並んで古い町並みが残る人気の宿場。いつも賑わう場所でも季節と時間帯で貸し切り風景を楽しむことができます。「わら馬」という看板があったので気になり行ってみると、、、ほぼ実寸大のワラで作られた馬がありました。この地域では藁馬という郷土玩具があります。その大きなバージョンということなのかな?詳細は知らないけどなにかルーツがありそうですね。木曽の宿場には必ず水場があります。いずれも清らかで人と水の関係がなんとなく見えてくる気がします。
南信州の阿智村智里という場所に小野川関所の跡が残っています。残っていると言っても僅かな痕跡で石垣くらいです。全体はこのような感じで畑として利用しているのか雑種地なのか時期が冬なのでよくわからなかったです。一角には小野川関所跡の石碑がありました。石垣を見る限りコンクリート入ってるし新しく改修された感じがします。当時の石垣は一部に残るだけかな?石組みの感じからこの部分だと思います。明治に入ってから関所が廃止になり取り壊されたということです。当
中山道の妻籠宿から馬籠宿の途中にある峠付近の滝です。昔から中山道の名所とされています。詳細は説明板を読んでねw駐車場からのアクセスも楽で一度に2つの滝を見ることができます。暑い時期に滝浴びとかできそう。こちらが男滝こちらが女滝です
馬籠宿は中山道43番目の宿場です。かつては長野県山口村にあった宿場町だけど現在は岐阜県中津川市に編入されています。なぜ岐阜県に編入したのかというのは生活圏が岐阜県中津川市になるからです。実はこの地域に住んでいる知り合いがいて以前から不便だという話を聞いていました。公的手続きは数時間かけて長野県側へ行き日常の買い物は数分の中津川市へ行く。もうこうなったら編入も仕方がないことでしょうね。所属は岐阜県になって長野県民としては少し残念だけど馬籠宿は素晴らしい宿場です。
広重・英泉木曽街道六拾九次蕨之驛戸田川渡りの浮世絵をジオラマにすると立体のジオラマしか出来ない反対側からの景色を楽しめる。ジオラマでなければ舟の先頭からの景色は見る事も出来ないし、河岸からの景色も楽しめる。浮世絵の反対側からの景色って夢の世界😊#広重#浮世絵#中仙道#蕨
上街道は善師野宿を越えて峠越えの道を進みます。舗装が尽きるところに・・・。車止めのチェーンと「不要不急の無断通行禁止」なる札が立てられてました。車両通行止めとの表示と判断しますが・・・。何らかのトラブル等があったのかもしれませんが・・・。歩きの旅人にここから引き返せはあんまりなのでお願いですから通らせてくださいとつぶやきながら踏み入りました。この岩壁は犬山市のパンフレットの犬山たび街道の巻に載ってた、江戸時代に磐座として有名だった「箕岩」ですね。この江戸時代
2020年11月6日(金)-8日目-2-道の駅「ひだ朝日村」を8時30分に出発。出発時の外気温なんと3℃。▲秋神ダム湖地図には秋神貯水池とありました。秋神川をダムでせき止めて出来た湖のようです。湖畔の紅葉が素晴らしい。▲野麦峠はあっち木曽街道と呼ばれる国道361号と別れて、標識に従って野麦峠へ向かいます。▲野麦峠まで19km国道を離れたらすぐ峠があると思いましたが・・・野麦峠までまだ19kmもある。高山から野麦峠を超えて信州岡谷まで、糸引きの工女が冬の寒い時に歩いた
↑浮世絵の📆日めくりカレンダーです。先日、🇨🇦✈️🏣カナダ・ケベック州に🏡いる👨息子へ荷物を送った中のひとつが日めくり📅カレンダー。12月6日に👨メッセージが届きました。真冬の6日であっても真夏の6日であっても同じ6日なら同じ絵です😄それが日めくり📅カレンダー(*ºั╰╯ºั*)息子からのLINEで「丁度、雪めっちゃ降った(*´▽`)」ほんと😳🤩見事に浮世絵の雪の絵に❄️☃️マッチングしております。それにしても素敵😌😊ザ・外国!(*ºั╰╯ºั)♬•*
渓斎英泉(けいさいえいせん)の浮世絵版画「岐阻道中熊谷宿八丁堤ノ景」です。木曽街道六十九次は横大判のシリーズ物で71枚揃のうち24図を英泉が担当しています。木曽街道六十九次とは東海道五十三次と並ぶ広重の名作と言われる街道物ですが、実は木曽街道六十九次は英泉が版元の竹内孫八に依頼されて始まった企画でしたが、途中から広重に引き継がれたという経緯があります。理由は分かりませんが、普通に考えれば英泉と板元との間で何かしらのトラブルがあったのではないかと推測
本当は白骨温泉へ行きたかったんですが、休みを入れていた日の予約状況を見てみたらあっという間に埋まってしまいました・・・・・やはり東京都のGoToトラベルが解禁になって、めぼしいところは結構予約でいっぱいのようです。さてどうしましょうと色々悩み、代替案として木曽福島へ行くことになりました。(すべて画像は借り物です)考えてみたら今まで何度もこのあたりには来ていたのですが、木曽福島で旅館に泊まったことがなかったんです。泊まる予定の宿は6階建てで、お部屋は最上階の部屋です。1階には大
様々な景色が見られる木曽街道。今度は開田高原に寄って、ゆっくり木曽を楽しみたいナ・・・木曽馬も暑さでダルそうです。笑車窓から見える御嶽山8/19AllFUJIX-E3木曽街道