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長州藩の大立て者・桂小五郎と恋仲になった幾松ですが、元治元年(1864)六月の池田屋事件、さらに七月の禁門の変により桂は幕府に追われる身となってしまいます。幾松はそんな桂を献身的に支え続け、物乞いに身をやつして二条橋の下に潜んでいた桂に握り飯を持っていったり、御幸町松原下ルの実家に一時匿ったりしたと伝わります。そんな幾松自身も少なくとも一度、新選組屯所に連行され取り調べを受けたようですが、桂のことは何も知らないと頑として口を割らなかったようです。幾松は当時まだ二十歳そこそこ
おはようございます。今日から七十二候が移ります。【鴻雁北(こうがんかえる)】雁が北へ帰っていく頃。ツバメの渡来とは入れ替わりに、冬を日本で過ごした雁が北のシベリアへと帰っていきます。鴻雁とは渡り鳥の「がん」のことですが、「鴻」は「ひしくい」と読み大型のがんを、「雁」は小型のがんを指しています。「雁」「雁渡る」は秋の、「雁帰る」は春の季語です。雁は、家紋にも多く使われ、和菓子の「落雁」や、高級茎茶の「雁が音(かりがね)」にも結び付きがあることから、古くから日本人に親しまれてき
◇この夏の新作品の制作が少しづつ進んでいます今日は長靴とメジャー使いました机に座って半紙にサラサラというイメージかもしれませんが作品制作などは実際はめちゃめちゃ重労働なんですこの長靴で作業した作品についてもう少し発表までお待ちくださいね◇本日の「一ノ瀬芳翠の人生が輝く書道」は木戸松子です木戸松子1843-1886若狭藩士の娘父の死後、祇園の芸妓となりました木戸孝允と出会い池田谷事件を端緒として禁門の変で木戸の身辺は
◇毎週月曜日のMIDFM76.1「魁TOPインタビュー」はさまざまな分野のゲストをお迎えしますので新しいご縁をいただけて大変ありがたいのです先日は「初顔合わせを」とご紹介の社長さんにランチをごちそうになりました今回お会いしたのは若い和太鼓奏者さん楽しい収録ができそうです◇今日はずっと家にいて書いたり、読んで一日過ごしています読んでるのはこれね◇まだ途中ですが小池さんに贈る言葉を今日の名言にしますええ、以前から知ってはいましたが
(髪結ネットより)(幕末明治美人帖より)(彦島のけしきより)木戸松子と高杉梅之進少年髪結ネット(2020.2.24、参考)明治初期の女性の髪型はシンプルなものが多い。日本髪というと左右の鬢にボリュームをもたせ、存在感のある髷をイメージする人が多いと思いますが、それは芸者や遊女の髪で、明治になって職業として公許された髪結さんの手を借りて結った髪です。一般女性は日常の生活ではセルフで結っていました。写真の女性の髪もそうです。左右の鬢はきれいになでつけていますが、張り出してはいません。前髪も
霊山墓地には坂本龍馬・中岡慎太郎など1043名の幕末維新の志士達が祀られております。その一番上に桂小五郎の墓がございます。幾松(木戸松子)の墓
おはようございます。そろそろソメイヨシノも散り初めでしょうか。また、ここへ来て、激しく気温が下がりそうです。寒暖差にはお気をつけください。今日から七十二候が移ります。【鴻雁北(こうがんかえる)】雁が北へ帰っていく頃。雁は夏場をシベリアで、冬は日本で過ごす渡り鳥です。さて明治十九年(1886年)4月10日、維新三傑の一人・桂小五郎=木戸孝允を支えた幾松こと木戸松子が43歳の生涯を終えました。ちなみに維新の三傑は、倒幕・維新に尽力した、志士の木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通の3人を指し
三人の赤間関の芸者の写真について、その名前と容貌が伊藤博文などの長州藩の著名志士の彼女にソッックリであることを紹介する。ただし、全く当てずっぽうの推測ですから、お楽しみとして理解して下さい。ですから、カテゴリーをブログとしました。①芸者お梅上の写真は赤間関の遊郭の芸者お梅の写真とされている。多分、売り出し用のブロマイド写真の様なものである。撮影時期は分からない。同様な写真として芸者おうのと芸者幾松がある。坂本龍馬と赤間関の大庄屋の伊藤久三との写真もあり、幕末の赤間関には写真師が存在して
以前に撮影に参加した「この差ってなんですか?」(TBS)が、明日、11日(火)19:00〜放送です。「和泉」と「泉」の差ってなんですか?という…外国の方からの疑問だったそうです。皆さんご存知ですか?ひらがなで書けば同じなのに漢字で書けば大きな差!どっちが鶏でどっちがひよこ?どちらも素敵な漢字で作られた苗字ですが僕は、「和」のついた「和泉」に誇りと愛着を持っています。実は、古ーい昔にちゃんとした理由があるんです。って。まぁ…僕がどんな形でどこに出てくるのかも楽し
*偉人志語り*【幾松(木戸松子)〜世の中は桜も月もなみだかな】お写真ご紹介第二弾!!!(ㆁωㆁ*)南部修三さまが撮ってくださったお写真たち、行きまーす!(ㆁωㆁ*)*•.●❃*•.●❃*•.●❃*•.●❃*•.●❃↑冒頭、ノンバーバル。鏡の松子。木戸孝允の死。↑木戸孝允との思い出が交錯する。↑孝允様がいなくても、大丈夫、わたしはこんなに幸せなんだ、、、
だいぶ遅くなってしまいましたが、『和らいぶvol.26』*偉人志語り*【幾松(木戸松子)〜世の中は桜も月もなみだかな】無事終幕いたしました☆劇場まで足を運んでくださった皆さま、応援してくださった方々、関係者、スタッフの皆さま、ありがとうございました!♡そして、今回共演した、まなみちゃん、みさきち、みずほ、最後まで支えてくれてありがとう♡♡(o^^o)今回も本番に臨むにあたり、葛藤もたくさんありました。
みなさまこんばんは(*^O^*)今日もいい一日をお過ごしですか?和らいぶ最終稽古、終わりました✨ついに明日から本番です!!稽古後も、幾松さんと桂さんについて、たくさんたくさん話し合い。どう感じたのか、どんな思いが生まれたのか、どうしたくて、どうさせたいのか。お互いにディスカッションして、感じていることを話して。語り手とか、ダンサーとか、ある意味関係ないんです。言葉で、身体で、四人で満たしてつくるもの。今回の作品は特にそれを強く感じます。観ていただきたいなぁ!たくさんの方に!
和らいぶ、いよいよ明日からです!3月、5月、7月、そして10月と、今回で4度目の参加となる和らいぶですが、今回で最後の開催となるそうです(>_<)和らいぶに出演するにあたって、たくさんの挑戦と試練を経験してきました。自分の力の無さを痛感するばかりでしたが、《偉人志語り》のみんながいつもわたしを信じてくれて、支えてくれて、観に来てくださるお客様や他の出演者さんにもたくさんのご支援をいただいて、本当にわたしにとって和らいぶは宝箱のような空間です。今回の和らいぶ本番も楽しみたい!♡♡
こんばんは!ヽ(*´ェ`*)ノ10月の『和らいぶ』も《偉人*志語り》の企画で出演させていただくことになりました!今回のタイトルは、【幾松(木戸松子)~世の中は桜も月もなみだかな】幾松は幕末から明治時代初期に生き、桂小五郎(のちの木戸孝允)の妻となった女性です☆幾松の文献などを調べていくと、面白いくらいに描かれ方が二極化しています。桂さんとはとても仲睦まじい夫婦で、亡くなるまでずっとラブラブだった、という説。いや、桂が木戸に改名して政府で忙しくなってからは夫婦仲は冷めきっていて、