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当院の東方、生駒山地にはハイキングコースが数多くあります。先日の暗峠越えもそうですね。八尾の人によく知られるのは水呑地蔵尊・十三峠ハイキングコースでしょうか。私も休日に歩きに行くことも多いです。ハイキングコースを歩いていて思うのは、なんと寺院の多いところだなぁ、ということ。もう少しよく知りたいと思って読んでみたのがこの本です。『生駒の神々』(宗教社会学の会、創元社)生駒の神々現代都市の民俗宗教[宗教社会学の会]楽天市場${EVENT_LABEL_01
2024年10月19日歩いてるとたまたま立派な仁王門が見えたので立ち寄ってみましたうひょーこっち見てる長仙寺(ちょうせんじ)東京都杉並区高円寺南3-58-4山号:日王山宗派:真言宗豊山派本尊:不動明王創建:宝永元年(1704年)開山:真秀美しい扁額ですね立派な仁王門の先は緑緑緑さらに苔生した庭都内にあるのが不思議スポット癒される
大阪府東大阪市山手町生駒山西側の麓に朝鮮寺の廃寺群がある。参道入口から狭く車1台分ほど。進み出してすぐに廃墟が。朝鮮寺の外観は一見すると普通の民家に見える。これも名前は分からないが朝鮮寺。正面に見えるのは『金剛山地蔵院』地蔵院の裏を通って奥に進む。『月宮寺院』『正覚寺』正覚寺の前からは急勾配の坂と階段になる。坂を登った先にある『観音寺』観音寺を最後に朝鮮廃寺群が終わり終点には『天龍院』がある。天龍院の駐車場。驚く事に、この道は車も通行している。https://y
『生駒の神々』【その14】【長尾の滝】(天龍院・八大龍王尊)大阪府東大阪市https://ameblo.jp/kazuyoshi1000/entry-12614861802.htmlからのつづきです。(『生駒の神々』【その13】【長尾の滝】(天龍院・八大龍王尊)大阪府東大阪市)天龍院は、明治四十年頃、不治の病に冒された大阪の商人(あきんど)谷坂光栄によって建立された寺院です。谷坂氏は、この地にある長尾の滝に籠もって病気平癒を祈願。すると、不治の病の筈の病魔を克服。
【大石大明神】(おおいしだいみょうじん)東大阪市山手町近鉄奈良線の額田駅から「七尾の滝」を経て生駒山頂に向かう谷川沿いの道にあります。鳥居には「大石大明神」と彫られており、御神体と思われる大きな石の前には「大石明神」という額がかけられています。更に奥へ行くと「天命地蔵尊」があり、その横の建物には「神道大石教会本部」と彫られた石柱が立てかけられています。谷川沿いにあるこの境内は広くありませんが、石造物は数多くあります。住所:大阪府東大阪市山手12h
『生駒の神々』【その11】「朝鮮寺」「辻子谷の水車」大阪府東大阪市上石切町朝鮮寺【天水庵】(てんすいあん)辻子谷ハイキングコース途中の左側に【天水庵】(てんすいあん)の看板が立っています。その矢印の方へ細い道を通って行きます。由緒等詳細は不明です。「不動明王」「薬師如来」「観音如来」「檀君天王」「天照大神」が祀られているようです。近くに【辻子谷の水車】があります。場所:大阪府東大阪市上石切町2丁目23〒579-8012大阪府東大阪市上石切町2丁
『生駒の神々』【その10】【奥の院石切山金剛寺】東大阪市上石切町■生駒の神々民間信仰の宝庫「生駒」生駒山地は、大阪平野と京都盆地・奈良盆地とを隔てる丘陵性の山地。河内国と山城国・大和国との国境、大阪府と京都府・奈良県の府県境のそれぞれ一部をなしています。生駒には、聖天信仰の宝山寺、毘沙門天信仰の「朝護孫子寺」、「デンボの神さん」として知られる「石切神社」、https://kazu
『生駒の神々』【その7】【信貴山朝護孫子寺】(しぎさんちょうごそんしじ)②奈良県生駒郡平群町『生駒の神々』【その7】【信貴山朝護孫子寺】https://ameblo.jp/kazuyoshi1000/entry-12614318186.htmlからのつづきです。場所:奈良県生駒郡平群町大字信貴山2280−1信貴山朝護孫子寺★★★★☆·仏教寺院·大字信貴山2280−1goo.gl◆『信貴山縁起』(しぎさんえんぎ)信貴山縁起(
【船山神社】(ふなやまじんじゃ)奈良県生駒郡平群町【船山神社】(ふなやまじんじゃ)の由緒等説明板によれば「三里大字の安明寺と中之宮の氏神で、祭神は船山神と天児屋根命(春日神社の祭神)、住吉大明神。当地は安明寺の氏神である春日神社の境内地で、大正4年頃に中之宮の氏神で式内社の船山神社(旧社地は南東200mの東光寺東側)を合祀したものである。境内後方の矢田丘陵八合目付近には、丸木船状の三つの巨石があり、神が乗って地上に下ってきた船石として信仰され
【生駒山口神社】(いこまやまぐちじんじゃ)奈良県生駒郡平群町櫟原の氏神。竜田川の支流、櫟原川沿いに鎮座しています。生駒への入口の神様で、元は南西の滝の傍らにあったことから「滝の宮」と呼ばれていました。平安時代に編集された「延喜式」に伊古麻山口神社と記載があり、かっては大社であったことがわかります。川岸の石鳥居をくぐり、70余りの急な石段を登ると山の中段を開いた境内が広がります。祭神は「素戔鳴命」、「櫛稲田姫命」で境内には「猿田彦神社」、「八幡神社」、「稲荷神社」、「戎神社」などの摂社が
社寺仏閣巡り『生駒の神々』【その3】■民間信仰の宝庫「生駒」生駒山地は大阪と奈良の境に位置し、南北35km、東西10kmの山系です。主峰の生駒山642m、信貴山437mと、の高さはそれほどではないが、河内平野が平坦なので大阪から東の方角へ向くと生駒山地がみえます。大阪市内から近鉄奈良線生駒駅まで電車で30分程度。生
社寺仏閣巡り『生駒の神々』【その2】■民間信仰の宝庫「生駒」生駒山地は大阪と奈良の境に位置し、南北35km、東西10kmの山系です。主峰の生駒山642m、信貴山437mとの高さはそれほどではないが、河内平野が平坦なので大阪から東の方角へ向くと生駒山地がみえます。大阪市内から近鉄奈良線生駒駅まで電車で30分程度。生駒に
社寺仏閣巡り『生駒の神々』【その1】■民間信仰の宝庫「生駒」生駒山地は大阪と奈良の境に位置し南北35km、東西10kmの山系です。主峰の生駒山642m、信貴山437mと、の高さはそれほどではないが、河内平野が平坦なので大阪から東の方角へ向くと生駒山地がみえます。大阪市内から近鉄奈良線生駒駅まで電車で30分程度
【安国寺】(あんこくじ)/天龍山一の谷安国寺大阪府八尾市服部川にある久遠の本仏、聖祖親尊の大曼陀羅を本尊とする単立(本化妙宗)の寺院です。国柱会の設立者である田中智學の弟子である山川智應によって設立。法華系の新宗教。正式名称は宗教法人本化妙宗聯盟。宗派:本化妙宗。御本尊:十界曼荼羅。境内に鎮守社があり【天照大神】が祀られています。また、【畜魂廟】と【神牛】があります。所在地:大阪府八尾市服部川933アクセス:近鉄服部川駅出口
【天龍寺】(てんりゅうじ)大阪府八尾市近鉄電車「服部川駅」から高安山に向かって徒歩約10分で八尾市農免道に着きます。農免道沿から東側(山方面)に向かって、大窪・山畑7号墳「抜塚」がある来迎寺への道と安国寺への道とのちょうど真ん中のあたりに細い道が1本あります。それが【天龍寺】(てんりゅうじ)への道です。八尾市農免道のところには【天龍寺】への標識、案内板など一切無いので簡単にたどり着くことは不可能です。【天龍寺】が近くになってくると、お寺のような門はなく「天龍寺」と書
朝鮮寺【安滝寺】(あんろうじ)大阪府八尾市「妙見寺」から歩いて3分ほどで朝鮮寺【安滝寺】(あんろうじ)に着きます。建物は荒れ果てた状態です。しかしながら、禊をする場所、「白光龍王」、「山神大明神」などの石仏には新しいお供えものがあり、管理されているようです。場所:大阪府八尾市黒谷5丁目(「河内妙見寺」よりさらに上へ徒歩約3分。)朝鮮寺【安滝寺】(あんんろうじ)八尾市【朝鮮寺】(ちょうせんでら)おもに在日韓国・朝鮮人ら、特
朝鮮寺【河内妙見寺】大阪府八尾市「元暁寺」(げんぎょうじ)がある川沿に沿って渡ると、朝鮮寺【河内妙見寺】(みょうけんじ)があります。ちょうど、黒谷の崖の上に立地しています。妙見堂と2階建ての建物の2棟が並んで建っています。他建物のところから階段を使って下の川へ降りると瀧行場と瀧堂があります。建物には住んでいる人はいないようです。由緒等、詳細不明です。場所:大阪府八尾市黒谷5丁目98■備考趣味で社寺仏閣巡りをし
朝鮮寺「元暁寺」(げんぎょう)大阪府八尾市駐車場と思われるところに「元暁寺」(げんぎょうじ)と書かれた看板が立っています。このお寺は、元々、「妙見堂」という尼寺であったらしいです。このもとあったお寺の場所は見た目は、普通の民家なので見つけ難いです。わざわざ巡るところではないです。この看板の前の細い道を上へ歩いて直ぐのところ、右側に橋があります。その橋を渡ると、朝鮮寺【河内妙見寺】(みょうけんじ)があります。場所:大阪府八尾市黒谷6丁目付近
社寺仏閣巡り「生駒の神々」その1■民間信仰の宝庫「生駒」生駒山地は大阪と奈良の境に位置し南北35km、東西10kmの山系です。主峰の生駒山642m、信貴山437mと、の高さはそれほどではないが、河内平野が平坦なので大阪から東の方角へ向くと生駒山地がみえます。大阪市内から近鉄奈良線生駒駅まで電車で30分程度。生駒に
母が逝き、追うようにして叔母が逝った。伊丹十三監督の『お葬式』(1984)ではないけれど、身近に死の現実と実態が置かれると、なぜか人は、「非日常」の時間的・空間的「場」の中で、普段見せたことのないような顔、姿を垣間見せてくれるものである。そう言った意味で、お葬式は、ほぼ悲しみに彩られた、純然たる「ハレ」で、私たちを思ってもみなかった「真実の瞬間」に遭遇させ、生の在り難さや、時に心地よい高揚感すらもたらしたりもするからおかしなものだ。イヤ、これはとても不謹慎か…。とにもかくにも、それ