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『愛国百人一首』の選定された49首目は新納忠元です。(著者所持の『愛国百人一首』の新納忠元の絵札)あぢきなやもろこしまでもおくれじと思ひしことは昔なりけりこの歌は、1592(文禄元)年の後陽成天皇の時代に詠まれた歌です。歌の意(こころ)にがにがしいことだ。朝鮮や明国への出兵でも、軍といえば他人には後れまいと思っていたのに、それは昔のことであって、今は年を
おはようございますまだまだ朝は冷えますね皆さまは寒暖対策どうしてますか?私は朝早く出かける時などつい厚着になってしまって、日中暑さを我慢する•••という日が最近は多いです🥵帰りが遅くなることも多いので、まだ寒さを見越した服を着たくなってしまいます🧥体にとっては暑すぎるのも寒すぎるのもよくないのでうまい具合に妥協点を見つけたいところです🤔今日も一緒に頑張りましょうね💪•••••cut•••••・1592年(文禄元年)4月12日、文禄の役に出陣する→1590年に天下統一を果たした
私の住まいは430年前の徳川家康の陣から数メートル下りたところ。当時は人口20万人を集めロンドンを越える大都市だったらしい。肥前名護屋城VR【現地体験型VR観光アプリ「ストリートミュージアム®」】ご紹介映像(youtube.com)朝鮮出兵に全国から150の武将が集められたところ。あちこちに陣跡が解明されて道標が見られる。改めて地元を見れば私は歴史の中に住んでます。秀吉が朝鮮に伝えたとされる「唐辛子」を育ててます。そんなんで、名護屋城大茶会にて唐辛子を販売します。
お城に行きました。正確に言うと城跡に行きました。あまり知られてはいませんが、秀吉が朝鮮出兵のための拠点として築いたお城。当時の大阪城に次ぐ規模を誇り、全国の大名が駆り出され、わずか5カ月で築城されました。周辺には全国の大名の陣屋が150以上も建てられ、なんと人口20万人を超える城下町だったそうです。わずか5カ月。一夜城と言ってもいいんじゃないですか。日光東照宮の55棟が1年5カ月なのにびっくりしたことがありましたが(↓)、お城がたったの5カ月。『1714.短
久しぶりに関口宏の中世史を見た。歴史を学ぶには面白い番組だ。1593年の朝鮮出兵文禄の役の話。小西行長と明の沈い敬との間で戦争の限界で疲れ切ったのか、お互いに和平交渉へと考える。なんとそのために主君にうその報告をすることになる。小西行長は、秀吉に明が降伏したとうそを言い、明の沈い敬は、明の万歴帝に日本が降伏したとお互いにうその報告をする。そうすることで講和を結ぼうと画策したみたいだった。明の使者が日本に来て日本国王に認める旨の書と金印をもってくる。そこ
島津奔る池宮彰一郎著(歴史小説)主人公は兄の島津義久ではなく弟の義弘朝鮮出兵から始まり、メインは関ヶ原の戦い東軍勝利後、家康本隊の直前を駆け抜けて逃亡する島津藩日本史では有名な名場面
今日は信長の野望ではなく本について。12月も今日で終わりということではないのですが安部龍太郎著冬を待つ城をここ数日読んでいました。九戸政実の乱を朝鮮出兵の予行演習と見る某武将とそれに与する人たちと対峙する九戸一族というコンセプト。あらたな着眼点としてはおお!!と思いました。秘密鉱山を巡る攻防や南部信直との対決。敵を如何に隘路に誘い込んでの戦うのか考察するシーンは大いに頷けるので非常に面白かったんですが・・・以下の点が、ん??という感じでしたね。個人的にですが。山の王国とか変な巫女、イ
さて、戦国時代に突入します。ここは、「織田がつき羽柴がこねし天下餅座りしままに食ふは徳川」という有名な歌がありますね。大河ドラマでも、何回この三人やんねん。他にもっとあるやろ。と、つっこみたくなりますが。(まあ、NHKが事実にのとってやるとは思えないが)織田信長が好きな人は、多いように思いますが、何で好きなんだろう。分かりません(汗)では、始めましょう。後、本ブログは小学校6年生レベルに合わせているので、細かいところは独断で割愛しています。悪しからず。安土桃山の人々
面白いですね。秀吉おバカになった説は、江戸期の徳川幕府寄りの宣伝を鵜呑みした学者たちのせいか、はたまた戦後の左翼的なお花畑思想によるものか、どちらでしょう。当時の世界の、火縄銃の半分は日本が持っていて、しかも50万人近い戦国武士のバーサーカーがいた軍事大国日本。それはで植民地主義で侵略中の欧米からしたら、隠したい事実なんでしょうね。そういえば、斜陽とはいえ、世界帝国だったポルトガルと同盟(対等貿易)をしたんも、異常なことですよね。
ご来訪ありがとうございます✨あめつちさんからのリブログです…秀吉の朝鮮出兵…これには理由がありました…秀吉には…壮大な大局観があったのですね…
文禄・慶長の役の話の映画。秀吉が朝鮮出兵しちゃってるし、畳の並べ方はいい加減だし、発音悪くて字幕読んじゃった~ちゅたえます(伝えます)は仕方ないにしても、~ごじゃりますっておじゃる丸あまりに酷かったのですぐチャンネルかえた。
雑魚雑魚言われる朝鮮半島にはこんなに沢山の名将がいる。・近肖古王→百済の第13代王。高句麗の平壌に侵攻し高句麗王を戦死させた。・広開土王→高句麗の第19代王。高句麗の領土を最大限に広げ、さらに日本軍をも撃退した。・乙士文德→高句麗の将軍。隋の煬帝による100万もの侵攻軍を撃退した。・淵蓋蘇文→高句麗の将軍。唐の高句麗出兵を2度も撃退した。1度目は李世民や李勣、2度目は蘇定方という中国屈指の名将を撃退した。・楊万春→高句麗の将軍。1度目の唐の高句麗出兵による最大の決戦となった
※こちらの記事は、令和3年6月20日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第45弾として、「文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役」について、ビジネス的視点で学んでいこうと思います。【合戦シリーズの過去記事(抜粋)】江古田原沼袋合戦権現山の戦い第一次国府台の合戦川越城の合戦志賀城の合戦郡山城の合戦厳島の合戦第二次月山富田城の合戦四万十川の合戦今山の合戦金ヶ崎城の合戦一言坂の合戦三方ヶ原の合戦叡山焼き討ち江古田原沼袋の戦い
甲府城:山梨県甲府市1593年(文禄2年)の朝鮮出兵で功績を上げた浅野長政は、「甲斐国」府中に21万5,000石を与えられます。その際、朝鮮出兵で亡くなった「加藤光泰」が治めていた甲府城に入城したのです。甲府は「武田氏の地」というイメージがありますが、実は甲府城は武田氏の城ではありません。築城されたのは武田氏滅亡後。豊臣秀吉が、家臣である加藤光泰や浅野長政・浅野幸長親子に築かせた城です。発掘調査により、城内の各曲輪から浅野家の家紋瓦や、金箔や朱を施された
<LEESang-GuenMusicFestival2011>の訪問地、普州(チンジュ)についての紀行文シリーズの再録です。文禄・慶長の役(1592年~1598年)に、秀吉主導の遠征軍と、明と李氏朝鮮の軍との戦いがありました。戦いの舞台は朝鮮半島でしたが、その中の三大激戦地の一つ言われる場所が、私が先日に訪ねた普州(チンジュ)市内に位置する、「普州城/チンジュソン」ということでした。秀吉の朝鮮出兵は、晩年の秀吉の狂気の沙汰であったのか・・・既にスペインがフィリピンを植民
「挽歌」というくらいだから哀しいとは思ったが、大友家の末期は哀れであった。それにしても、フランシスコ・ザビエルと大友宗麟の出会いはこのように奇しきものであったのかと感慨を新たにした。(上より続く)宗麟対島津義弘:1571年、宿敵の毛利元就が他界。宗麟は家督を嫡男の義統(よしむね)に譲り、臼杵城に隠居していた。家臣の謀反に悩まされてきた宗麟は、激しやすい次男(親家)との確執を防止すべく、次男を僧侶にしようと考え、臼杵に禅寺を建てることとする。だが仏門に入ることを厭う次男は、教育係の入
韓国映画バトル⋅オーシャンを観ました先日観たHBNSANの兄弟版みたいな映画です(こっちが先)朝鮮出兵で秀吉が仕掛ける非道な侵略を英雄イ⋅スイシン将軍がやっつけるお話ですこちらのイ大将軍はとても硬派ですカリスマ性が半端ないですTHE軍人!軍人の中の軍人!軍人のお手本!吹き替えの磯辺勉さんの声も超渋くてぴったり素敵でした!日本の将軍の中では……who?不義に仕掛けられた喧嘩から守ってくださる超英雄的な、、、…who?坂上田村麻呂?日本武尊?いやいや外国と戦ってないし…
秀吉の天下統一に伴い、豊臣に従属する者たちも大名として転封されます。三成は美濃国内に10万石程度で封じられました。そして文禄元年(1592年)。秀吉は「唐入り」、すなわち朝鮮出兵を行うことになります。参戦者は大変な苦労をしたことで知られるこの戦役。中でも、超大軍の兵糧や船舶輸送を管理した三成の仕事量は、膨大なものであったはずです。渡海しない大名たちも、肥前名護屋城に滞在していたわけで、ともかく大変なことです。しかも同年3月に渡海した三成が直面したのは、
【肥前:名護屋城】先週、いかを食しに、佐賀県唐津市呼子町に行ってきた。http://www.kawatarou.jp/sp/yobuko/待ち時間が3時間ほどあったため、近くの名護屋城跡に立ち寄ってみた。以下は、名護屋城博物館等のWebサイトからの一部抜群。名護屋城跡https://saga-museum.jp/nagoya/nagoya-castle/nagoya.html「文禄・慶長の役」の拠点として秀吉も1年あまり在陣しました。築城は1591(天正
慶長3(1598)年秀吉は伏見城で病死しました。残された処理のために、多忙な日々を送る三成。秀吉が明征服を企んで行った朝鮮出兵は、結局うまくいかず、日本軍は撤退を余儀なくされます。その指揮をしたのが三成で、約3か月もの日数を要しました。この幕引きの作業では、現地で戦った加藤清正ら武闘派の武将との確執を生んでしまいます。秀吉の補佐として優秀だった三成ですが、生真面目な性格ゆえ、周囲から誤解を受けてしまうことが多かったようです。一方、秀吉亡き後、日増し
実は大河ドラマをずっと見てました。「また織田信長かあ。。飽きた。」と思ってたし、前半が面白くないし、松潤には合わないし、本能寺シーンもうええわ、とか思っていたけど、四天王がカッコよすぎ、信長が死んだあとの覇権争いはすんなりいくわけがないし、見てみようかとか思って見ていたんだよねえ。途中で松本人志・呂布カルマ発言抗議署名運動もあり、NHKをボイコットしていたけど、大河を見なかったのは一回だけだった。ということでわたしも一件落着。で、秀吉といえば千利休との確
歴史で習った所の、秀吉の朝鮮出兵『文禄⋅慶長の役』の韓国映画です結論から言うと、素晴らしい~もう一度観たいなんといってもクライマックスの閑山島海戦シーン、目が離せなくなるほど大興奮❕かっこよっす、す、すごーい✨🙌ド⋅迫力❕日本水軍の魚鱗の陣朝鮮水軍の鶴翼の陣その緊迫した戦の駆け引き三国志を彷彿させる布陣戦略の言葉かっこよかった~この秀吉の朝鮮出兵は本当に日本軍の不義以前ホジュンを観ている時にもつくづく感じていました平和に暮らしていた朝鮮に侵略して人々の
大河ドラマ『どうする家康』第39話再放送「太閤、くたばる」明との交渉が決裂、再び朝鮮出兵へ、そして秀次事件。暴走が止まらない秀吉に、家康は歯止めをかけようとするが…そんな家康に託された酒井忠次、最後の言葉とは?
TV「どうする家康」10月8日.15日と2週に渡り、秀吉の朝鮮征伐のお話し。秀吉が、臣下に褒美を渡すため他国を攻めた、と以前学校で習ったが、ちょっとその当時も、良く判らなかった?そして、今回の放送では、強欲とか、気が狂ったとか・・・。大阪城の地元住民としては、なんだか秀吉を貶めるようで、嫌な感じしかし、戦国時代が終わり、なぜ他国を攻めたのか?それも、7年に渡って?それを、アジアだけではなく、世界から見た場合のブログ発見。スペインによる東洋支配から国を守るため。スペインの植民地
佐賀県唐津市鎮西町の名護屋城がキャンペーン「はじまりの名護屋城。」を展開し、知名度を上げている。目玉は豊臣秀吉が建てた「黄金の茶室」の再建と、代表的な歴史ゲームとの提携だ。壱岐水道を望む崖の上に1592年から99年まで存在した名護屋城は、復元城郭はないが県立名護屋城博物館がある。展示室に2022年、黄金の茶室が復元されたことで注目が高まるようになった。佐賀県は公式サイトで城の魅力をこう伝える。戦国時代の“おわり”を迎え、秀吉は、故郷・尾張の国より遠く離れたこの地に、全国の諸大名たち
猫神社島津家の第17代・義弘(よしひろ)が、朝鮮出兵の際に7匹の猫を連れて行き、猫の目の瞳孔の開き方を見て時間を推測していたという逸話に関係しており、朝鮮から無事に生還した2匹の猫が祭られている。#骨盤矯正#交通事故治療#接骨ネットhttps://www.judo-ch.jp/sekkotsuinsrch/46/46201/030887/#交通事故#むちうち#交通事故治療院#各種保険取り扱い
先日の大河ドラマ「どうする家康」での事…2回目の朝鮮出兵で戦利品として朝鮮人の耳や鼻を削ぎ落として塩漬けにして持ち帰るというシーンがありました。私は前に京都でその供養をしている耳塚に行った事があります。場所は東山7条あたりで、国立博物館や三十三間堂の近くです。国立博物館に行って、豊国神社に行く途中偶然見つけました。結構大きいので何かな〜と思い近づいたら…耳塚(鼻塚)でした。内容を見てびっくり‼️なんてエゲツナイ事をするんや‼︎と悲しくなりました。ショックでした。
地球の皆さん、こんばんは。😃大河ドラマ第39回を観ました。タイトルがストレートでした!青天の霹靂で秀吉の第二子が誕生して、第二次朝鮮出兵となってしまいます。これでは、家康が少し寄り添う態度をすれば、他の大名はなびくはずです。頂点に立った秀吉を誰も止める事が出来ないので、秀次の事件になってしまったのでしょう。左衛門尉のエビすくいが観られて、良かったです。まさか、家康を抱きしめるなんて。改めて、天下取りを願うなんて。亡くなる時に、陣触れで甲冑姿とは忠義にも程があり過ぎて…涙
(2ページ目)陸で無敗だった日本軍が、海で李舜臣率いる朝鮮軍に連戦連敗した理由とは?約16万もの兵を動員し秀吉が仕掛けた朝鮮出兵「文禄の役」について【どうする家康】日本史サイエンス弐|教養|婦人公論.jp(2ページ目)松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第38回「唐入り」で、次の狙いを朝鮮に...fujinkoron.jpちょっと待て何この出鱈目な歴史事実認
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「どうする家康」見てますかぁ〜秀吉さんの暴走は止まらないねってことで第38話の感想ぉ〜豊臣秀吉の唐入りが始まりました。いったい何のために、朝鮮、明を攻めなせけばならないのか?これは民のためになるのか?いや、なるわけがない!秀吉は何を考えていたのか?名護屋城での仮装大会。過去の大河、「利家とまつ」や「真田丸」でも、この仮装大会のシーンはありましたね。秀吉の側には茶々がいました。この茶々…家康にも迫っていましたが…茶々は既に天下取りを狙っている?家康に迫っ