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アジア歴史資料センターのデータベースは筆者にとって非常に興味深い史料が埋もれている。知りたいと思っていた、チェコ公使の軽井沢の別荘の番号が、偶然見つかることがある。まずはこういう史料が欲しいと常に思っていることが大切だ。ただしこのデータベースはグーグルのように検索窓があるだけのなので、「あの史料どこにあったっけ、もう一度見たい?」と思った時に探し出そうとすると、見つからないものは本当に見つからない。今回紹介するのもそんなひとつであった。日本人の回想を読むと、軽井沢の雲場池のほとりのニュー
機種変してから、バッテリーの持ちがすごくよくなったので、最近の通勤読書はkindleになりました。今読んでいるのは朝吹登水子さんの『愛のむこう側』自叙伝的な作品です。1977年の作品なんですが、今読んでもまったく飽きることなく次は?次はと読み進んでいます。PickItem愛のむこう側(新潮文庫)【電子書籍】[朝吹登水子]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}上流階級ってこんなに暮らしぶりが違うんだ~と感心するくらい、違いますねぇ。特に戦時中
1960年11月1日、35歳の三島由紀夫は瑤子夫人と世界周遊に出発した。最初の行先はハワイ、7日にはロサンゼルス入りし、9日には3000万台の票を獲得したJ.F.ケネディが、新大統領としての勝利宣言をするのをTVで観た。新大統領JFKの誕生の時だ、時代を感じさせる。【因みに、1960年11月8日実施の大統領選挙は史上例を見ない接戦だった。ケネディは34,226,731票(49.7%)を獲得、ニクソンは34,108,157票(49.5%)と、その差はわずか1
きょうから、軽井沢タリアセン内に移築保存されている旧朝吹山荘「睡鳩荘」の新年度一般公開が始まりました。1931年(昭和6)、米人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計。国登録有形文化財。11月下旬まで公開いたします(見学には軽井沢タリアセン入園料大人900円が必要。またイベント開催時は料金が変更あるいは見学できない場合がございます)。実業家・朝吹常吉(三越社長等歴任)が旧軽井沢に建て、フランス文学者で常吉の長女・朝吹登水子氏らが2000年代初頭まで使用されていました。朝吹家より寄贈。家具
たった1日だけの軽井沢タリアセン周辺の訪問記事を延々続けていますが、これでとりあえず一区切りかな。最後に、フランス文学者として名高い朝吹登水子さんの別荘「睡鳩荘」を。登水子さんの祖母は福澤諭吉の姪・澄。登水子(とみこ)というのは、その祖母の名前を分解して名付けられました。つまり、澄=登+さんずい(水)朝吹登水子さんというと、フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」の和訳で知られているけれど、そのほか数多くの仏文学作品の翻訳を行い、自著も多々。和訳には、須賀敦子さん
「シモーヌフランスに最も愛された政治家」を観に行きました🇫🇷朝吹登水子さんの本でザックリとは知っていましたが、凄まじい人生。シモーヌ・ヴェイユは南仏生まれ。ユダヤ人家庭で建築家の父の元、幸せな少女時代を過ごしますが、家族と共に16歳でアウシュビッツ収容所に送られます。両親と兄は死亡。姉と共に辛くも生き延びたシモーヌは1945年に収容所を出たあと、名門パリ政治学院で法学を学び司法官となります。その後厚生大臣となり、女性保護の観点から「中絶法」を勝ち取ります。1979年には欧州議会議長に選
2泊3日の楽しい旅行はあっという間に最終日朝食を食べ過ぎたので、チェックアウトまでホテル界隈を散歩がてら散策。朝の澄んだ空気が清々しい💕最終日は帰路にまた5時間、翌日は仕事…という事で、典型的な日本人である主人は仕事前日は守りに入るので、早めに帰ろうということに。時間的に一箇所しか行けなかったので、息子の希望で軽井沢タリアセンに行きました。ボート🚣♀️に乗ったりゴーカートやアーチェリーをしたりしましたが、私のハートを掴んだのはこちら💕睡鳩荘です朝吹家の別荘でもあったこちらの建物は
朝吹登水子さんをご存じでしょうか?日本の仏文学者で随筆家『悲しみよこんにちは』などフランソワーズ・サガンの翻訳を多く手掛けたかたでボーヴォワールの翻訳やサルトルとの交遊をされパリに精通された朝吹一族のお嬢様でした私が軽井沢のお宅にお邪魔した頃はもう高齢でいいお年でしたがいつでも真っ赤な口紅をひかれ凛としていましたご主人はフランス人で熊のプーさんのような体型の優しい方で調香師さんでした私がフランスに憧れを持つようになったのは彼らのおかげかもしれませんその時のお宅が塩沢
お疲れ様です💕みんな知ってる、カールおじさんなんとこのカールおじさんの展覧会を軽井沢タリアセンに移築された朝吹登水子さんの別荘でやってました〜っひこねのりおさん、カールおじさんの生みの親もうあるとあらゆるところにい〜っぱい、いま〜すこれ、おぼえてますか〜っほんとに美味しかったよね〜っ会場は子供連れのお客様で賑わってましたよ〜っ二階からの眺めが抜群で〜すこちらの信州黒毛和牛ハンバーガー🍔も食べられるよ〜っまだまだ夏休みのかたは、軽井沢タリアセン、ぜひとも行
旧加納家住宅主屋が有形文化財に指定されたのを機に、現在に残る軽井沢の由緒ある建物を紹介。1旧加納家住宅主屋近代建築の巨匠ル・コルビジェに師事した坂倉準三が、1950年に建てた復興住宅の一軒が、軽井沢に残る。購入したのは銀行家の加納久朗。戦前、横浜正金銀行のロンドン支店長を務めた人物だ。中央の白い柱の形状からA型住宅と呼ばれた。1965年に東京都千代田区から軽井沢に移築された。言われないと気づかないほどひっそりと建っている。2022年3月、国の有形文化財に指定された。理由は「戦後のプレフ
こんな美人に師事したい😁《関連記事》黒のタイトドレスに真っ赤なマニキュアという、妖艶な色気をまとって授賞式に現われたのは第144回芥川賞を受賞した朝吹真理子氏(26)。受賞について「うれしさと畏怖との両方がない交ぜになっている状態。」と冷静に話し、受賞の連絡を受けた際には「新聞社から依頼の書評を書いていました。」と笑いを取る余裕も見せた。受賞作品の小説『きことわ』は葉山の別荘を舞台に25年ぶりに再会した貴子と永遠子が夏休みを一緒に過ごした際の現在と過去、夢の中が交錯した時
フランソワーズ・サガン【1935年6月21日-2004年9月24日】私が初めてフランソワーズ・サガンの小説を読んだのは、高校3年生の時。ある日、友達(同級生)の先輩(20才男性)から「冷たい水の中の小さな太陽」を手渡されました。(訳者:朝吹登水子新潮文庫)その先輩と私は、あまりしゃべったこともないけど…巻頭には、ポール・エリュアールの詩がありました人間であることの悩みからぼくを解放してくれたひと、ぼくは彼女を見、それから見失う、
旧朝吹山荘「睡鳩荘」が、本日から新年度オープンしました。軽井沢タリアセンに入園なさっ方(入園料が必要)は、どなたでも入館できます。ご来館の際は、新型コロナウイルス感染防止対策にご協力をお願いいたします。旧朝吹山荘「睡鳩荘」は、実業家の朝吹常吉が1931(昭和6)年、旧軽井沢に建てた別荘。設計は米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。2008年、軽井沢タリアセン内の塩沢湖畔に移築復元されました。朝吹の長女で作家・翻訳家の朝吹登水子さんもこの別荘を愛しました。登水子さんの死後、生前
今回は軽井沢の未開の地(笑)中軽井沢駅の南側のエリアへ。塩沢湖の湖畔にある軽井沢タリアセン。塩沢湖は人造湖。いくつかの別荘が移築されてる。W.M.ヴォーリズが設計した睡鳩荘。フランス文学者の朝吹登水子さんの別荘だった建物。スタジオジブリの「思い出のマーニー」のマーニーが住んでいた湿っち屋敷のモデルになった建物だそうですが。。。湿っち屋敷ってこんな木造だったかな?湖側からの眺めは雰囲気は近いけど、完全に模倣したわけではないのか。あの窓からマーニーが手を振っていたら。。。ホラー
軽井沢のタリアセンに移築された朝吹家の別荘「睡鳩荘」はヴォーリズの設計で1931年の建築。軽井沢別荘建築史の中でも最上質なものとされている。集められた落ち葉が季節感を出していた。ここはもちろん「軽井沢ブループラーク」が掲げられている。817番はかつての住所。1943年の別荘地図を見ると815番も朝吹家の別荘だ。書籍版「心の糧(戦時下の軽井沢)」はこちら。聞いた話だとここはジブリ映画の「思い出のマーニー」に出てくる、湿っち屋敷のモデルとのこと。筆者のメインのサイト『
おはようございます。今日は又、朝からありまして。黄色い液体がトイレの真上から便器の上にバシャッとかかかっていたんですよ。え?私流さなかった?と一瞬思いましたが、よくみると、便座の上、周りと全てにいかにも上からとバシャッという塩梅。天井もなんか濡れてる。早速、管理人に連絡して、きてもらいました。なんかどうも、三階から漏れてきてるという。でも、下水ではないとの事。ふう。私は1階なので、直す必要はなくすごくパワフルな乾燥機を週末なるべくずーっと当てておいてくださいと、乾燥機(持ち運びできるもの)渡さ
まあ結果こうなりますわな、、、娘のおねだりで足漕ぎボートに乗るも5分で帰りたいと主張、、、イヤイヤ期に翻弄されておりますw湖上からは1度フラれ(タクシーで訪れたのに冬季休業中だった)、妊娠中に訪問叶った睡鳩荘。申年娘同伴ではもう入れないな。ゴーカートにのったり、電動なんとか❓にのったり遊具で遊んだり典型的なファミリーレジャーを楽しみました。さあ帰りましょうというところで睡鳩荘の前を通ったらなんと入場無料ではありませんか!!思い出深い地なので娘の見張りを強化して
葉山の別荘の管理人をしていた母:淑子のつてで、子ども好きの春子に乞われ、永遠子(とわこ)は毎夏、その別荘へ通っていた。貴子(きこ)が生まれてからも、それは変わらず、貴子、春子、春子の弟:和男と過ごす夏が続いていた。しかし、春子の他界を機に、貴子が別荘を訪れることはなくなり、二十五年が過ぎた。当時、貴子は、小学三年生で八歳。十五歳で高校一年生だった永遠子は、既に四十歳になっていた。別荘を解体することになり、骨折で動けない母の代わりに別荘を訪れた永遠子が貴子と再会し。。。永
2020年6月22日(月)雨の一日でした。寒いわぁ~~(/ω\)イヤン。今日は自慢じゃないが一歩も外に出ていません。イイのヨ。(゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ\/\/\誰も、文句言わないし・・・一日無言だったか?と言うと、そうでもない。午前中にヤマトのお兄さんが。配達をしてくれました。荷物3個。👀。。dormamusumeが頼んだのは2個。午前中にお願いねって。時間指定の分。伊勢丹ドアって言う宅配。オイシックスと提携しているらしく。少々お高めで
2020年5月17日(日)もうすぐお昼。昨日の雨はいなくなり☀いい感じ。新聞小説大好きなdoramusume。今~読売新聞。阿川佐和子さんの「ばあさんは15歳」タイムスリップで昭和に行っちゃった話。高校に受かったばかりの孫と、婆さんが東京タワーでタイムスリップ。東京タワーが出来たのが?1958年。らしい・・昭和33年。doramusume2歳。婆さんが15歳だから~・・なるほど。な年代設定。毎日楽しみに読んでるのだけれど。。金曜日の話でね~。コレ⤵読んで。。
せっかくこの世に生まれてきたのだから感動なしに生きてはもったいない朝吹登水子(「一目惚れの友情」より)感動なしに毎日を過ごしていくことはできるかもしれませんでも感動は魂の言葉にならない声命の泉のように生きるエネルギーを与えてくれるものです朝吹登水子は*昔世間が羨むような物資的に恵まれていた時代もあったが心は空っぽであったそれは大変むなしく寂しいものであった*と語っていますそれがある日フランス🇫🇷でお芝居を見て感動しフランス文学者の道を歩み始めたの
軽井沢タリアセン。睡鳩荘(すいきゅうそう)-旧朝吹山荘。実業家朝吹常吉とその娘のフランス文学者朝吹登水子の山荘で、1931年築。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。2008年7月移築。2017年(平成29年)に登録有形文化財に登録された。ボートに乗ることをオススメします。(*^.^*)🦢🦢🦢
38年前のことは、このブログの1回目で書いたがhttps://ameblo.jp/kokohahitotsu/entry-10705972468.html当時も、スペインから日本へ帰る途中に寄ったのだあの時は、夜行列車に揺られて巴里入りし、1週間過ごしたが、今回は空から入り、わずか31時間足らずの滞在だったしかも、空のご機嫌はきまぐれで時折青い空ものぞくが基本はこんなあやしい雲が広がってほとんどが雨普段はこんな空にワクワクしちゃうし、雨の中を歩くのも
軽井沢絵本のたび①の続きです。さて、ムーゼの森からてくてく歩いて数分のところにある軽井沢タリアセンへ向かいました。こんにちは。絵本の力を綴ります。ひだまり絵本館の花梨です。絵本で子育て「絵本講座」大人のための「絵本セラピー」承ります。゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚゚木々がとっても美しくって・・・気持ちよかった
前記事でelliotterraceさんからいただいたコメントの返信に、朝吹登水子氏のご両親が、「昭和のほんとに初期の頃に世界一周旅行にお出かけになってますし」と書きましたが、それは誤りでしたご両親が初めて「世界漫遊の旅」にお出かけになったのは、もっと前の大正九年のことでしたわ同じ頃、夫の父方の祖父も、ボストンに留学していたのですが、私が夫と出会う前に、亡くなっていたので、写真でしか知らない祖父です留学時代の写真ですなかなか素敵でしょ(笑)祖父は亡くなっていても、大正時代
凝り性なので、いつもこんな流れになります「私の○×」とか「私だけの○×」(○×は地名ね)こんなタイトルを堂々とつけられる人っていうのは、ナルシストか独占欲が強そうで、ちょっと苦手だが、この方くらいになると、ははぁ~ですな
もう1ヶ月前のことですが、軽井沢で朝吹邸を見学するならと朝吹登水子を大叔母に持つ朝吹真理子の「きことわ」を読んでみようと今更ながら手に取りました。芥川受賞作品ですが同時に受賞された西村賢太氏がインパクト強すぎて朝吹真理子氏はやんごとなきお方なのにちょっと霞んでましたね。西村賢太著作「苦役列車」→下流社会への警告か???そしてアマゾンのマーケットプレイスで1円で入手でき(+送料250円)お財布には優しかったけど文芸型落ちの早さを感じちょっと恐ろしかったです。はい、読了
軽快な文章。豊かさの中で育ち、身に付けた感覚。親英的な家庭で育ったが、兄の三吉に誘われて、パリでみた名優の芝居のフランス語に感動したことが人生を変えたと書いている。1950年にモードの勉強に貨物船で55日かけフランスに渡り、森有正からサガンの『悲しみよ、こんにちは』を訳してみないかと手渡されたそうだ。サルトル、ボーヴォワールとの親交。ファッション、家具等について。服の色については日本では地味派手をよく聞くが、それは和服の感覚で、洋服の場合は何色が似合うかを基本にしたらいいと。私が習っ