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今日の和光です銀座和光の歴史は、その前身である服部時計店の創業にさかのぼる、140年以上にわたる長い物語です。創業と初代時計塔の時代和光の創業者である服部金太郎氏は、1881年に現在の銀座にあたる采女町で、中古時計の修理・販売を行う「服部時計店」(現:セイコーグループ)を21歳で創業しました。事業の成功とともに、1894年には銀座の中心地である四丁目交差点の角地を確保し、翌年に初代の服部時計塔を完成させました。銀座のランドマークとなる「時計台のある店」の始まりです。現代の時計塔
先日、銀座の100年を特集した番組を見ていた中で、「服部時計店」(現SEIKO)の創業者が事業の極意を端的に言うと?との問いに対して「急ぐな。休むな。」だと返答なさった、との事でした。私はなるほど。と感銘してメモに残したのですが、後日、これは「ウサギとカメ」のお話だと気付きました。「物事を考える時、または、誰かに大切な事を伝える時には神話や昔話に例えると良い。」と以前、何かの一説で読んだ事を想い出したからです。流石あれ
今は無い青山学院大学の斜め前にあった”巽堂書店”という古書店で買ったものだが、杉並区立図書館の払い下げ本。日本が第二次世界大戦を始めた時期から敗戦後の銀座を記録した貴重な本だが、ページをめくって行ったら3か所も切り取られていた。今どきこういう奴がいるんだと驚いたものだった。『銀座と戦争』は銀座で働く知人に差し上げた。本の中で戦後の銀座の写真を選んでみた。昭和20年(1940年)3月10日の米軍による東京大空襲で銀座は焼け野原になり占領軍(アメリカ軍)によって占領され支配下に置かれた敗戦国
服部時計店は1881年創業の時計小売業から始まり、1892年に精工舎を設立して国産時計の製造を開始した。これが現在のセイコーグループの原点になる。服部時計店の創業(1881年)•創業者:服部金太郎•江戸京橋の古物商の長男として生まれ、13歳で時計業に興味を持つ。•1881年、21歳で東京・銀座に「服部時計店」を開業。時計の小売と修理を行う。•外国商館との取引で信頼を得て発展。精工舎の設立(1892年)•設立目的:国産時計の製造
8月28日木曜日民放テレビスタートの日テレビCMの日1953年(昭和28年)8月28日午前11時20分日本初の民放テレビ局・日本テレビが本放送を開始したことに由来。上記の日本テレビの本放送開始の日、日本初のテレビコマーシャルメッセージも放送されたことを記念して、日本民間放送連盟が2005年(平成17年)に制定。初のテレビCMは服部時計店(精工舎)のもので、「精工舎の時計が正午をお知らせします」という内容だったが、不慣れのためフィルムを裏返しに入れてしまい、音も不明瞭なものとなってしまった。
仕事の帰りに、何時ものサトーココノカドーへ・・・・・。そして、何時もの本屋さんへ!っと、ありましたよ~、アシェット「週間なつかしの銀座をつくろう」であります!京都府と栃木県に於いて、3月26日から始まった試験販売です。早速、その創刊号を買って帰りましたっ(`・ω・´)ゞ出来上がると、この様に路面電車が颯爽と走ったあこがれの「大人の街」のハイグレードジオラマとなります!シリーズガイドを見てみると・・・・・。なるほど、この銀
前回(一昨日)の投稿で「最近は銀ブラづいてるなぁ」と書きましたがこの写真は先月、2月16日日曜日銀座通りの歩行者天国にて4丁目交差点🚥和光本店ビルの建物を背景に立ってみました♪そういえば遠い遠〜い記憶を振り返ること私が音高生になったと引き換えに両親から買ってもらったグランドピアノは🎹ここ銀座YAMAHAで求めたものだったなぁ。当時、横浜に住む恩師がわざわざ足を運んで選定してくださった黒塗りのC3Aは◯十年選手の代物です。
ハローハローピナコラです。本日ガシガシとザギンを歩いておりましたところ。。。お!そうだそうだ!服部時計店。GO!42.195よりで撮ってみます。全てのランナーに声援を!もっと寄ってみませう。。。と?おお!GO!全ランナーのお名前!あるよみんなー、自分のお名前探してみて!駄菓子菓子!なんと自身のお名前がまだ見つかっていないピナコラ。。。あ行はめっちゃ上の方にあってローガンズにはキビチイ場所w。明日も探そうっと当日はここを元気よく駆け抜けられますように
GINZASIXで、猫大爆発なるインスタレーションを展開中(リブログ参照)のヤノベケンジだが、12月は同所の屋上で関連グッズを販売している。入口のスノードーム風ディスプレイ。こちらは屋上。ここはスケートリンクとして営業中だ。氷ではなく特殊樹脂の上を滑る。ご覧のように靴はフィギュアスケートの靴だ。これは岡本太郎記念館にいた奴かな〜?こういうものを売っている。看板にサインが。屋上だから服部時計店のビルを見下ろせる。いちばん安いフィギュアを買って自室の神棚に納めた。白いカプセルの前の
遠くに見える銀座和光。遠い遠い。よし近くまで行くぞ!…近づき過ぎましたね…近い近い。時計塔が見えないくらい近づき過ぎました。見上げてたら首が痛いです。(晴海通り→銀座四丁目交差点にて)
和光(というか服部時計店)と聞いてもうひとつ思い出すのが北村薫氏の『鷺と雪』。連作短篇のシリーズ1作目『街の灯』の表紙も和光だ。北村氏がやっと直木賞を受賞した作品である。1作目の『街の灯』から好きで3作目は文庫になるのを待てずにハードカバーで買ってしまった。最後の『鷺と雪』が史実と絶妙に絡み合い、あまりにも切ない。昭和11年の2月と言えば予想が付くだろうか。女子学習院に通う可愛らしく行動的な英子の家にお抱え運転手として若い女性がやってくるところから物語は始まる。英子が出会う
和光とコラボのフェイラーのハンカチが届いた。雪の夜の銀座の時計塔がモチーフだ。雪の結晶と月が輝いて素敵。和光って日曜日がお休みだった記憶がある。銀座で待ち合わせと言えば、学生時代までは和光の前だった。今は街角で待ち合わせることもなくなってしまって、レストランとかカフェとかホテルのロビーとかそんな場所ばかり。美しかったり楽しかったり、季節ごとに変わるショーウインドウを見ながら待っていたのが懐かしいなあ。和光でお買いものするのは両親と一緒のとき。そう言えば友人
TⅤCMの日。番組の途中で流れると水を差されるが、民放には欠かせないTⅤCM。数えきれないくらい個性的で魅力的なCMがありますが、印象に残ったのは今日は何の日。8/28TVCMの日日本TV本放送開始の日、日本初TVコマーシャルメッセージも放送された日本民間放送連盟が2005年制定初のテレビCMは服部時計店(精工舎)「精工舎の時計が正午をお知らせします」という内容。不慣れでフィルムを裏返しに入れた為、音も不明瞭となった。—黄泉人不知🐈⬛何でも台無しに
高いところは好き?嫌い?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう高いところはダメねぇ~極端な話。煙と馬鹿は高いところも平気とか。。。8月26日はテレビCMの日でもあります。昭和28年8月26日今のセイコー(服部時計店)が初めてテレビCMを放送テレビは白黒放送。。。毎月26日は風呂の日でもあります。
海の日の午前中、高輪ゲートウェイ駅前の桂坂を上り、桜田通りに出て来ました。白金地区に入り、明学の広いキャンパスを横目に桜田通りを下って行きました。清正公前交差点を渡って左手に高輪消防署本署を見乍ら桜田通りを更に下って行くと、消防署の先に高い擁壁が見えて来ます。国道1号線でも在る桜田通りに面しているので如何にも固定資産税が高くなりそうにも拘らず、桜田通りとはこの高い擁壁で接しているお蔭で売るに売れなかった約1.9haのこの土地には、嘗て東京都の白金第一・第二住宅と白金寮が在りました。
おはようございます。今週は腕時計を買いに有給休暇を取得して東京に行ってきました。購入した時計については、腕時計愛好家の皆様からは敬遠されているブランドなので、記事にするかどうかは未定ですが、後日改めてとしたいと思います。腕時計を購入したお店の販売員さんに、さっと行けるお勧めのスポットはないかお聞きしたところ、銀座の『セイコーミュージアム』をご案内いただけました。セイコーやグランドセイコー、キングセイコーは私の好きな腕時計なので、さっそく行って参りました。写真の量が多いので
前シリーズ「90歳・戦中戦後の思い出ぽろぽろ」は私のいちばん古い2歳頃(1937年)の記憶から短大生になった頃(1954年)までのことを、5か月間にわたって、ほぼ1日置きに綴って参りました。その頃には戦後の食糧難も解消され、電電公社が出来て各家庭に電話も引けるようになり、テレビの放送も始まってもはや「戦後」という言葉も色あせて来たので終了にいたしました。それでも今の若い人は知らないこともいろいろあると思いますので、昭和の頃の書き落としたことなどいくつか書いてみたいと思います。もしご興味があ
今日は晴れ☀️朝から暑い🥵ほんとにここのところ暑すぎる強い日差しも辛い梅雨はどこへ行った?先月友達とランチ私にとってはホント友達とランチは久しぶりです老老介護の両親の事や(急に実家へ行く事多し)親戚のお見舞い(叔母二人亡くなりました)仏事などなど殆ど友達とのお出かけなどは控えていますそんな中半日楽しい時間を過ごす事が出来ました友達が今回お店のアレンジをしてくれたのでちょっと気持ちの物をと思って渋谷に立ち寄りましたスクランブルスクエアにあるハ
2024年月銀座でのスケッチ会に参加。銀座でスケッチといえば服部時計店(和光)を描くのが定番ですが、これまで何回か描いたので、ちょっと裏道に入って三原小路を描きました。WaterfordBF6/透明水彩午前中は後ろ(東)からの光で描いている場所は日陰で良かったのですが、お昼過ぎから左方向(南)からの日差しになってしまったので、三原小路側に移動して完成させたのですが、やっちゃいけない失敗を。そうです、午前の影と午後の影のMIXという痛恨のミス!午前の影
この花はなぁに?。六時の鐘の音が聞こえてきました。銀座ナゥ
ある時なぜか布団が配給になって、母と銀座まで取りに行ったことがあります。神田、日本橋、京橋、銀座、新橋と繁華街は全部焼けましたが、所々ビルは形だけ残っている所があり、銀座は4丁目の角の三越と服部時計店(現在の和光)、松屋も外側だけは残っていました。あとはガレキの山です。まだ子どもでしたからそのガレキの陰でオシッコをしたこともありました。服部時計店と松屋は中を整備して進駐軍のPXとして使われていました。PXは何の省略か分かりませんが、いろいろな商品を売る売店のようなものです。真っ赤な布地の
銀座4丁目交差点時計台を目の前にしたテラス席のあるシャンパーニュレストランで打ち合わせ🍴ドリームライズWithちなつ古閑正美
3月の話ですが、30日、西島秀俊さま主演のドラマがありましたね〜服部時計店の創始者、服部金太郎の一代記…しかも、西島さまの若い頃の役が、愛助さんいえ、水上恒司くん❣️朝ドラの続きですか〜そう言えば、映画版「奥様は魔女」…じゃなくて、「奥様は、取り扱い注意」で共演してたね濱田岳くんや小日向さんこと山本耕史さんまでお馴染みの共演者じゃないですか菜々子ちゃんとは、以前も夫婦役やってたよね古希の西島さまもステキですね💓まー、若過ぎるけどねストーリーは、美化し過ぎてるのかもしんないけど
こんばんは!昨晩、観ました。。服部金太郎の物語。。良かった😆益々、セイコーの時計をつけたくなりました。1932年、服部時計店で竣工パーティーをしていた時に、服部会長がウエイターになって服部金太郎にコーヒーを注いでいましたね。昨晩は世界不思議発見の最終回とか下川事件の話があったとか、色々と見逃せない系があったようで。。サンモニも関口宏が終わりとか、色々と定番の番組も変わりました。で、久々に、、、名機、44キングセイコー!!専用ステンレスベルトは存在しませんが、セイコー純
明日。午後の9時からテレ朝でやる、某ドラマ。西島秀俊主演の、服部時計店の物語である。ぼーっと公式サイトを閲覧。相関図と役者名を見ていたら、妹の大好きな人。村雨辰則が出演するのだ。早速、電話。「あのねぇ、明日」案の定、知らなかったらしい。教える。喜んでいた。
ドラマ黄金の刻~服部金太郎物語~は東洋の時計王と呼ばれた服部金太郎氏の一代記です。作家楡周平(にれしゅうへい)氏の同名の作品が原作です。黄金の刻と書いておうごんのときと読みます。出演者西島秀俊さん松嶋菜々子さん高島礼子さん水上恒司(みなかみこうし)さん吉川愛さん和内璃乃(わうちりの)さん船越英一郎さん下川恭平さん濱田岳さん村雨辰剛(むらさめたつまさ)さん正名僕蔵さん山本耕史さん街田しおんさん高嶋政伸さん*水上恒司さんは2022年8月まで岡
服部時計店セイコーミュージアム銀座の旗のカビ除去ご依頼です1881年12月創業歴史を感じますねビフォーアフター和服のお手入れ専門店ですが、四十数年に渡り培いました技術、知識を、あらゆるお品に、いかしておりますマクアケで、2月15日先行販売しますMakuake|和服修正の匠が作る「手軽・簡単・コンパクト」|衣類のシミ抜きにプロレベルの品質を|Makuake(マクアケ)----本プロジェクトは、www.makuake.com福岡県プロジェクト、ISSINで商品開発しました、
現在のSEIKOのもとの名前です。八官町(のちの銀座八丁目)の洋品雑貨問屋「辻屋」で丁稚奉公をしていた服部金太郎は、近くの小林時計店に飾られていた時計を目にして時計に興味を持ち始め、1881年に木挽町で服部時計店を創業した。なお、銀座出店の足がかりは、銀座通りの露天商から築いたとされる。1917年に会社化され株式会社服部時計店。株式会社服部セイコー、セイコー株式会社への改名を経て、2001年に純粋持株会社となり、セイコーホールディングス株式会社を経て2022年からはセイコーグループ株式会社。
さらばミッキーマウスfeat.Wakoミッキーマウスの誕生日11/18が過ぎたので、銀座の服部時計店からミッキーマウスが姿を消しました(T.T)