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キャラキャラ本舗のTシャツは面白い!おすすめの人気の幕末キャラ名言シリーズ「有馬新七2」名言シリーズ「有馬新七2」(byきゃらきゃら本舗)幕末に活躍した人たちの名言。clubt.jp名言シリーズ「永倉新八」名言シリーズ「永倉新八」(byきゃらきゃら本舗)幕末に活躍した人たちの名言。clubt.jp
昨日の話になりますが、愛猫お風呂プロジェクトが実施されました。その名のごとく、愛猫・モカを洗うプロジェクトである。我が家に来て3週間。未だに洗った事はありません。どうやら1か月に一度ほどでいいらしいのだが、それでも我が家が結構、猫臭がしております。猫用シャンプーも購入しておる。やるなら今日だ、とばかりに、愛猫をお風呂へ。いきなりシャワーを浴びせたら、大変なことになるのは目に見えてます。なので、お湯をそっとかけます。ビックリして逃げ出します。それを追いかけてお湯をかけつつ、シャン
龍馬が投宿していて襲撃された伏見の船宿は、「寺田屋」である。宇治川・派流の北に所在した寺田屋は伏見港と大坂を往復する船の乗客を扱う船宿であった。寺田屋をめぐる幕末の騒動は2つある。●文久2年4月、京都でクーデターを起こすべく、薩摩藩の過激派・有馬新七らが寺田屋に結集していた。薩摩藩主の父・島津久光はクーデター参加中止を命ずる使者を寺田屋に派遣するが、従わぬ姿勢を見せる有馬らと斬り合いとなり死傷者が出た。これが寺田屋事件である。
…尊王攘夷派を鎮圧した事件が起こった伏見の旅宿は?安政5年の日米修好通商条約・締結は、行き違いから孝明天皇の激怒を買い、これに江戸幕府の将軍継嗣問題も加わって政局は混乱し始める。大老・井伊直弼は、反対者を広範囲に弾圧して鎮静を図る(安政の大獄)が、安政7年、水戸浪士らに殺害される(桜田門外の変)。この一連の出来事は、朝廷と江戸政府の間に深刻な対立を生み、双方に大きな傷を残した。文久2年は、その回復が図られた年である。井伊批判の先
怒れない理由〇いい人でいたい〇恥ずかしい〇いっても無駄〇間違えたくない〇責任を取りたくない〇怒りを怒りと感じない怒るべきことを怒れば信頼が得られる怒るのを躊躇する人は「怒ったら嫌われるんじゃないか」「相手との溝を深めてしまうんじゃないか」と心配する。でも考えてみてください。映画・ドラマでも漫画でも、怒っているキャラクターほど人気があると思いませんか?社会に蔓延する不正に怒り、残酷な運命の仕打ちに怒り、仲間を傷つける敵に怒る、等々。私たちは怒りをポジティブな力に変えて、
名古屋のシンゾウです本日の《覚えちゃお!復習04》では、多くの人を羅列してみました。⑦金剛唯一は出題されませんが、22人は完全に覚えましょう。同じような漢字が多く出現しますので、人名を覚えるのは大変です。頃く、人名で続けます。暗記の道標になると良いのですが。頑張りましょう。本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(659)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《お寺問題です》小論文対策【32331】大徳寺龍光院、誰が創建したか。【32332】
名古屋のシンゾウです台風一過、寒い朝を迎えています。クーラーの扇風機も要らず、長袖シャツを着て勉強しました。いよいよ、秋です。試験が迫って来ましたね。本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(615)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《個々問題(祭事)です》【】の指示で答える。【30601】11月8日/吉井勇歌碑前【祭事】【30602】10月体育の日の前日/秋元神社【祭事】【30603】8月22日~23日/市内六寺【祭事】【30604
名古屋のシンゾウです今朝、名古屋は雨です。京都検定の大量なデータを扱うためには、私はExcelは必須だと思っています。それもある程度使いこなせなければなりません。皆さんの実力は如何ですか。Youtubeで「いわなくTVExcel講座」を発見しました。ボケ封じの効果もありそうなので、一度挑戦してみてはどうですか。本日は、女房との昼食会なので、少し早めにブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(508)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書取り
ホンモノかニセモノか。世界で一番有名な真贋論争はレオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」である。いまだに贋作と信じている方も少なからずおられるようだがルーブル美術館にはコロナ禍まで毎年何千万人もの人が訪れていた。そして食い入るようにモナリザを見つめ、ガラス越しの恋い焦がれた女性と記念写真を撮る。それで満足する。京都を訪れた外国人が清水寺や伏見稲荷大社へ足を運ぶように。寺田屋が有名になった事件が2つある。初めは1862年4月23日、薩摩藩の内部抗争。島津久光(前薩摩藩主島津斉彬の弟)が倒幕派で過
名古屋のシンゾウです今朝、起きると一面の雪化粧でした。路面が凍結していそうなので、7時になってからウオーキングに出掛けました。まだまだ雪が降るようです。気温は-1度、ブルブルです。オリンピック観戦をしながらブログ更新作業をしているのですが、14時になっても未だ作業中です。困ったものです。本日の60問を掲載します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(388)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書取り》【18261】げんぶじんじゃ【18262】えいんがきょう
車の中は温かい…車外に出ると極端に寒い・・・少し風邪気味…(笑)微熱というのかな…身体が少し怠い(V)‼「西郷どん」西南戦争…城山で銃弾に倒れ「もうここでよかごわす」と…西郷の死に勝海舟は「ぬれぎぬを干さむともせず子どもらのなすがまにまに果てし君かな」と読む西郷が抱く考え理想は、周囲の者に「利用され、恐れられ」ていたと思う。あまりにも国を思い民を思い、弱者に寄り添い、情熱と熱意と正義にあふれていたから。もうひとり有馬新七、薩摩の惨劇、寺田屋事件で相手の懐に飛
名古屋のシンゾウです夜が少し肌寒くなりました。この時期、風をひかないよう注意しなければなりません。熱でも出たりすると大変です。どこに受診すれば良いのか分かりません。ともかく、コロナには罹らない、風もひかない.....今のところは対策を立てようがありません。不安です。ブログを更新します。――――――――――――本日の問題(254)『小論文対策193:岩屋寺』【13691】岩屋寺、山号は。【13692】岩屋寺、寺を復興したのは誰か。【13693】岩屋寺、大石内蔵助が
*3月1日付記事の続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君は、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは大久保利通です。本日は、寺田屋騒動と生麦事件のおはなし。あんみつ「しらたま先生、西郷が離脱させられた京都では、薩摩藩が恐れていた大騒動を起こしてしまいました。大久保の狙いは、雄藩が合従して幕政改革のイニシアチヴを握ることでしたが、精忠組の中で、そんなのは手温い、と反発していた有馬新七ら武闘派による暴発です」しらたま
「荒びなす醜の醜臣打払ひ、肇国しらす御代にかへさむ」本日は、私が尊敬する幕末の尊攘志士、有馬新七先生の新暦のご命日です。有馬先生のご命日ということは、先生が亡くなった寺田屋騒動の起きた日でもあります。有馬先生は、江戸で山口春水の孫である山口管山の門に学び、梅田雲浜や鈴木遺音ども親交のあった崎門正統の士です。薩摩の誠忠派の領袖として頭角を現し、島津久光を京都に擁して、倒幕を図りましたが、久光の放った鎮撫使と寺田屋で乱闘になり、討ち死にされました。義挙に参加した平野國臣は「あ
文久2年6月27日脱藩した江藤新平は、先ず博多の平野国臣を訪ねるが、平野は不在であったー平野は、田中河内之介、真木和泉らとはかり寺田屋事件で命を落とした薩摩の有馬新七らの倒幕計画にも関わっており、この時は投獄されていた。平野の投獄は、博多の同志らもまだ知らず、江藤は、京都からの帰りに馬関(下関)で会見することを約束し、博多をたったーつづく前年10月、平野は佐賀を訪れ、枝吉神陽や江藤らと密会しています。(「神陽先生、平野国臣と密会する!(with佐賀の三平)参照」)この時、神陽は、「
さてさて、我々はいよいよあの【寺田屋】に足を踏み入れた【寺田屋】京都府京都市伏見区南浜町明治風情のある階段。思えばココロの歴史入門は、司馬遼太郎先生の『竜馬がいく』だった。たかだか150年ほど前に、実際にこんな人たちがいて、こんな事があったんだってリアリティーに興奮し、一気に歴史に興味を持ちはじめた。この日も、ココロや同じく幕末好きのFさんだけでなく、歴史が好きな方、坂本龍馬ファンや司馬遼太郎ファンであろうたくさんの方々が【寺田屋】を訪れていた。寺田屋2階の部屋からの眺め
こんなだったよな金屏風背負って。大河主演のニュースに手が冷たぁくなった頃このくらいの顎のラインが好きま、ひつこいけどこの後ろからの身体のラインが好きその方が何をどうやったらこうなるものなのかこれは鈴木亮平で間違いないがかつて鈴木亮平であった西郷隆盛、、、な😢とうとうラスト。この方の渾身も最終コーナー回るなぁ。〝そういう西郷さんに最終的になっていければなぁと〟😢そうでした。貴方は吉之助を生きたいと仰っておられたのだった。1年半近く西郷隆盛を生きた気持
なんか見つめちゃったぢゃないかぁ~wめちゃウケたドラマ、頑張って下さい。楽しみにしてます。
今年のNHK大河ドラマ西郷どん。毎週欠かさず見ています。京は伏見にある寺田屋。寺田屋では、二つの事件が起こる。薩摩藩士同志の事件。討幕運動が高まる中、薩摩藩の過激派らは京都所司代を襲撃する計画を立てる。有馬新七過激派有馬新七、鎮憮使大山格之助との論議。共に郷中で学んだ仲間。交渉決裂すると、薩摩國父島津久光の「説得に応じずは上意討ちもやむなし」の命により薩摩藩士同志の斬り合いが始まる。薩摩藩の御流儀示現流初太刀から全てを掛けて斬りつける、先手必勝の斬撃は、新撰組局長
俳優さんて、やっぱり日頃からこういう努力と管理をしてるんだよねー。それに、いつ見せてもイイように、何も裸だけじゃなくて、衣装を着けていてもキレイなラインを保てるよう体型維持をするんだろうけど、その、見られるってやっぱその努力を維持するのにも重要だよね。こんな自分みたいなショボい一般人でもそう思う。
前回のあらすじ。一蔵は早く京に入る。吉二郎、久しぶりだな。お、孝明天皇。「中村」か。モブがぎっしりだな。寺田屋要員か。加藤憲史郎もいる。で、相変わらずトメ不在。吉之助は久坂や吉村と会食。イメージと違う吉之助に、みんな戸惑う。吉之助は島の流儀で、飲んで仲良くなろうとするが、そこに一蔵登場。切腹の沙汰を伝える一蔵。伝えに来た一蔵の目的は逃すのではなく、刺し違え。けど、吉之助に死ぬ気はない。一蔵の意思に逆らう気はないけど。吉之助は正面突破のつもり。信次は得意気に吉之助の京での
ロシアW杯が始まり、今夜、日本代表初戦、相手は前回2014年W杯でメッタメタに打ちのめされた強敵・コロンビア。直前の監督交代劇など不安要素だらけの今回の日本代表、果たして前回の雪辱なるか⁉︎っと、長くなりましたが、前置きはここまでとしまして…本題は西郷どんですw。Blog更新1ヶ月近くサボってた言いますか、滞っておりまして、その間に話はどんどん急ピッチで進んでいきましたね(^^;)。安政の大獄、奄美編、桜田門外の変…とあっという間に過ぎ去りましたね。大久保らの嘆願により、薩摩の政に復帰した吉
皆様おはようございます。2018年6月17日(日)のNHK大河ドラマの西郷どんの第23回『寺田屋騒動』を視聴し終えました。島津久光は孝明天皇の勅命で京都の尊王攘夷派の過激な志士を取り締まるように言われます。久光がそのことに感激して取り締まりに励む様子が描かれています。幕末も天皇は特別な存在であったのでしょう。会津藩の松平容保も蛤御門の変で活躍し、孝明天皇からもらった感謝状を生涯手放しませんでした。しかし、薩摩藩と会津藩の違いは薩摩藩が外様大名であるのに対して会津藩が藩祖の保科正之以来
泣いた(꒦ິ⌑꒦ີ)
西郷どん、第23回「寺田屋騒動」の放送が終わりました!皆さんご視聴ありがとうございました。いかがでしたでしょうか?今日の放送が終わったという事は、有馬新七という役とも今日でお別れです。振り返れば約一年前頃から撮影が始まり、約一か月前に僕は全ての撮影を終え、クランクアップしました。ここで何を語ればいいかわからないくらい、沢山の思い出が蘇ります。沢山の人と出会い、時間を共有し、一つの作品を作り上げることに切磋琢磨して参りました。そんなたくさんの経験と思い出から、最初に浮かぶ言葉は「感
水曜どうでしょうDVD第23弾対決列島5,470円Amazon①「腹を割って話そう」②「皆でウナギを獲って仲良くなれば大丈夫」③「ウナギ獲って仲良くなったのに事件が・・・」*************************************以上が、(放送始まる前に)期待していた『西郷どん』の寺田屋事件回概要でした。悪い意味で予想を裏切られた点として、京都に来てまでのまさかのウナギ頼り。なに?『西郷どん』って裏にウナギ業界が暗躍しているの?暗躍し
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「西郷どん」見てますかぁ〜さぁ!第22回の感想だぁ〜、早くしなきゃ次始まっちゃうよ〜西郷さん、薩摩に帰ってきました。薩摩にいたのは…薩摩藩主の父として権力を握った島津久光(しまづひさみつ)。うわぁ、ドヤ顔だね〜久光を見る西郷さんは…「あんたじゃ無理!」とでも言わんばかりですね。西郷さんは先代の斉彬(なりあきら)さんが大好きだからね。久々に会った同士の飲み会で、久光の顔をらっきょと表現している藩士がいましたが…う〜ん、らっきょだぁ〜薩摩が兵を率い上洛す
この日が来てしまいました。嬉しいような寂しいような。ワクワクドキドキハラハラ色んな感情が出て来ます。今夜放送、西郷どん第23回「寺田屋騒動」わたくし演じる有馬新七にとって、「遂に」の回になります。何が遂にか、知ってる人は知ってると思いますが、是非見て下さい!振り返れば一年前の今頃から撮影し、この日を目指して頑張って参りました。有馬新七役のわたくし増田修一朗にとって集大成となる今夜!しかと、その目に焼き付けてたもんせ!お願いします!チェストーー!!!6月17日18時からB
皆様おはようございます。2018年6月17日(日)のNHK大河ドラマの西郷どんは第23回『寺田屋騒動』です。前回、西郷隆盛は暴発しようとしていた薩摩藩の尊王攘夷派の有馬新七らを説得しました。しかし、島津久光は西郷隆盛が勝手に下関から京都に行ったことに怒り、切腹させようとします。当時、久光に西郷隆盛が叛乱を企てていると讒言する人間もいたようです。現代ならば社命に反して勝手に行動することでもあります。普通の会社ならば、手柄を立てても褒められることはない行動です。しかし、前藩主の島津斉彬
昨日から、新しくはじまるドラマの撮影のため、京都に来てます。空いた時間に、有馬新七氏のお墓参りと寺田屋へ行きました。お墓に手を合わせていると、なんだか不思議と涙が出てきました。きっと来週の西郷どんを何処かで見守ってくれていると思います。皆さんもお楽しみに!